長岡藩の支藩であった三根山藩(現在の西蒲原郡巻町峰岡)が長岡藩の窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校に必要な書籍、器具の購入にあて、明治3年6月15日(1870年7月13日)に国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校した(現在の市立阪之上小学校のルーツでもある)。
国を興すは教育にあり―小林虎三郎と「米百俵」 | 松本 健一 |本 | 通販 | Amazon
One Hundred Sacks of Rice : A Stage Play: Yamamoto; Keene, Donald (translator) Yuzo: Amazon.com
ちゃんと読まないとパーソナルコンピュータだかポリティカルコレクトネスだかプレイヤーキャラクターだか分からない
知人にワイン勉強したいって言いながら、あまりの勉強量に挫折したバー経営者がいてね。
http://www.cinfo.ch/sites/default/files/webform/the_lego_batman_movie_2017_telecharger_le_film.pdf
https://forms.acponline.org/sites/default/files/webform/animali_notturni_2016_online_gratis.pdf
http://www.sej.org/sites/default/files/webform/La_llegada_II_2016_Gratis_Completa.pdf
不覚。
とにかくガッキーが可愛い、それでいてエロスの世界観ではないので、爽やかにドギマギヤキモキするという、よく分からない解説を何度も聞かされて、とりあえず見てみることにした。
今時の人気アイドルというのがどんなものなのか、少しは知っても良いだろうと思って。
学生時代に好きな子ができて感じる胸の痛み、ドキドキ感、焦燥感、あの感覚が怒涛の如く襲ってきた。
PEAが全身を駆け巡り夜も眠れない。
テレビを見ないわたしだが、はてなやまとめサイトでたまに話題になるためか、新垣結衣さんは以前から知っていて、数多いる可愛らしい芸能人の一人という認識だった。
憂いの目、少し小ぶりな乳、長い腕、指。
たまらずYouTubeなどでポッキーのCMから貪るように眺めた。
ウィキペディアで基本情報を掴んだ上で、ゴシップ的な恋愛遍歴や過去のインタビューなど調べてしまう私がいた。
この何も実を結ぶことのないことに時間と思考を奪われて一日を過ごす。
どうすれば実を結ぶのだろうかと、無駄なことを考えずにいられない。
ああ、そうだ。これは恋なんだ。懐かしい気持ち。自然な気持ち。
清濁混ざった心の目であなたを見つめる。
いや、だめだ、汚れを払いのけ、真の愛であなたを見つめよう。
いつか夜明けがきてあなたのことを忘れても、わたしの幻影が作り出すひと時の幸せと安らぎを忘れない。
***
理性が私に何度も無為な時間を過ごすな、冷静になり不毛を避けよと伝えてきます。
しかし理性以上に強い感情に囚われてしまい思考が言うことを聞きません。
どうか心が弱く、罪深いわたしを憐れんでください。
この言葉をよく味わい、もう逃げ恥を見ることを止めようと思います。
どうかお力をお与えください。
この祈りを主イエスキリストの御名において。
ロボット囲碁やロボット将棋は自分で駒を動かしていないから勝ったとは言えない
とか言ってる人がいたのだけど、
そういう人は、肢体障害の人が将棋や囲碁に勝っても認めないのだろうか、
と思った。
そんだけ。
中学と高校で同じクラスだった人はもちろん、クラスで仲良くしてた人や教師の名前すら思い出せない。
部活が一緒だった人と今でも親交のある人は覚えているけど、それも同じ学年の子だけで、先輩や後輩はほぼ覚えてない。
大学では二外で仲良かった人(1人)と、同じゼミの人半分くらいがかろうじて覚えているくらい。ゼミの人は大学卒業したら忘れてしまうと思う。
小学校は学校の構造から友だち、小さな失敗や面白かった出来事、運動会や学芸会のことまで覚えているのに
中学高校は職員室がどこにあったのかも覚えてない。夢に出てくるのも小学校ばかり。
きっと今通ってる大学のことも、卒業して数年したら忘れてしまいそう。
こわい。
母方のおじいちゃんおばあちゃんが大好き。
お母さんには弟がいたんだけど、お母さんが当時20歳前半のころ、母弟は20歳前後。雪が積もって地面も凍ってつるつるだった日の夜中に、車で友達と出かけて事故が起きて亡くなった。
私にはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるんだけど、子供は2人をぐらいかと思ってた両親に、おじいちゃんが「弟が亡くなったのだから、もう1人ぐらい孫が欲しい」と言って産まれてきたのが私。
おじいちゃんおばあちゃんが居なければ、そしてお母さんの弟が死んでいなければ私は産まれてなかったんだなー。
なんやかんやあって、末っ子なこともあって、多分兄妹の中で1番甘やかされて育ってきた自覚はある。欲しいものはなんでも買ってもらってたし、なんでも食べさせて貰えた。(現在元気にピザ)
おじいちゃんは、10年ぐらい前に家で血を吐いて倒れた。その時、お姉ちゃんがおじいちゃんの家に泊まっていて、あの時の光景は今でもトラウマだってお姉ちゃんが言ってた。原因はお酒の飲みすぎで肝臓?に穴があいたとか、なんかそんな感じ。今でもアルコールは制限かけられてる。けど、これがじいちゃんのガソリンなんや笑といいながらこっそり飲んでる。おばあちゃんにも怒られてるのに笑
おじいちゃんが、おばあちゃんが大好き。私のことを愛情たっぷりに育ててくれて、私が将来おじいちゃんおばあちゃんの家に住むことを期待してただろうに、現在私は仕事の転勤で上京してる。地元までは新幹線で片道4時間。なかなか帰れる距離ではない。
大学の学費もおじいちゃんが全部出してくれた。奨学金借りたらお前が辛いやろって。車の教習所のお金も全部おばあちゃんがだしてくれた。大学の卒業旅行のお金も2人がだしてくれた。金銭面でもいっぱいいっぱい迷惑かけて、支えてくれた。
いつでも家に行ったら嬉しそうに出迎えてくれる。私が免許とってから、おばあちゃんは私には運転を任せるようになった。おばあちゃんは運転するの怖いからって。「おばあちゃんの友達は、よく孫が一緒に買い物に行ってくれない、隣を歩いてくれないって寂しがってる。こんないい年のおばばと一緒に買い物にあってくれてありがとうなぁ」って言ってくれた時は、おばあちゃんと買い物に行くことが恥ずかしいなんて思ったこともなかったからなんだかお礼を言われるのも不思議だった。
おじいちゃんもおばあちゃんもありがたいことに今も元気に2人で暮らしてる。でも、お酒を飲み続けてるせいで数値が高くなったおじいちゃんが今月末から年末まで入院することになった。心配で心配でならない。大丈夫かなって。おじいちゃんにもおばあちゃんにもずっとずっと長生きしてほしい。会うたびに120歳まで生きて、私がおばあちゃんになったら一緒に死んでね!笑、って言ってる。まだまだ恩返しができてない。私が東京に居る間に東京遊びに連れてってあげたい。美味しいものいっぱい食べさせてあげたい。田舎のおじおばであんまり出かけたこともないから、いろんなところ連れてってあげたい。ひ孫の顔を見せてあげたい。
あーーおじいちゃんおばあちゃん大好き!!ずーっと健康でいてくれ〜〜!!
おじいちゃんおばあちゃん好きすぎて死んだ時のこと想像して、想像するだけでボロボロ号泣!ヤフーで「おじいちゃん 死んだ」「おばあちゃん 死んだ」って検索して知恵袋とか文章読んでボロボロボロボロ泣いてる!今も書きながら涙が止まってない!!笑
生きるために仕事をしてるのではなく、仕事のために生きている。
例えば、仕事で人に迷惑かけないよう、いつでも残業できるように予定は入れない。
友人は学生の時の仲良しのみで、卒業後に新しくできた友達はいない。
■いつもイライラしてる。
思うように仕事が進まないこと。
見当違いな反論をされて何から説明したら良いのか途方にくれること。
仕事で心が疲弊して、何もする気が起きず、部屋が散らかり放題なこと。
そんな自分の全てが嫌になること。
子持ちは早く帰り、小無しにしわ寄せがくること。
■いつも焦燥感がある。
Facebookでの様々な報告…
趣味での成功、ブレないライフスタイル、信念を持って撮り続ける行動。
彼氏ができない。結婚できない。駐在できない。帯同できない。出産できない。
■いつもビクビクしてる。
少しでも目立てば叩かれる。
この3つの気持ちが、心の中でグルグル渦巻いて、それぞれの気持ちが足を引っ張りあって、より強い負の感情となっていく。
■鬱ではない。
こんな状態でずっと生きてる。
成績も1番ではなかったけれど上位だったし、一般的に良いと見なされる企業で働き、それなりの評価も得て、仕事をさせてもらってる。
■私は早く挫折したい。
鬱発症でもいい、出勤できないほどの痛みでもいい、クビでも降格でも、流産でも、離婚でも、何でもいい。
もう今のような働き方が出来ないくらい心が折れてほしい。
■そして、もうこんなに頑張らなくて良いんだと、気持ちを楽にしたい。
相手の非を責める気持ちを持たずに、自分の仕事も完璧でなくて良い、身体に良いものを食べて、よく寝て、よく笑って、家族の寝顔を眺めながら眠りにつき、今日も良い1日だったと思えるようになりたい。
ここ4年ぐらいはさっぱりそういったものがやってこなくなってしまった。でもそれではいけないことはわかっているのだけれど、どうにもこうにも興味が持てないでいる。
趣味や目標を持っていてそれを極めようと自発的にうごいている人や趣味の話をしている人たちを見ると、そんな風に興味や情熱を傾けたりできるのがうらやましかったりする。
半面、そういう人達がいる中で自分も同じ趣味を持ったとしても、そこでの知識の差や経験、情熱具合みたいなものにうまく乗っかれなかったりしてにわかから一生抜けられないのではないかという恐怖感もある。
だから自分は自分は趣味や目標を持てないのではないかと思うことがある。なにも興味を持たないことが一番しあわせなのかもしれない。生きている廃人は自分だったのだ。