はてなキーワード: 被雇用者とは
最近忙しくなってきたので、派遣でアシスタントを雇うことにした。
面接して雇うことにした方は日本人男性。高校からアメリカに住んでいるようだ。
派遣会社では9:00~17:00の勤務時間で契約したが、当人は9:00にこない。
いつも9:07~9:09くらいにくる。
そして帰る時も16:55とかに帰る。
本人に契約時間どおり9:00には仕事できるように早めに来るようにと伝えると
派遣会社での勤務起算は8:53-9:07までは9:00勤務開始扱いになるから遅刻ではないと言い張る。
とにかく9:00にいなかったら契約違反だから早めに来いといったら
翌日8:50にきて、8:45の勤務時間つける。
いやいやいや。まじで勘弁してほしい。わかるじゃない、普通。
この日は特別に8:00に来てくださいねって言ったら8:00からつけてもいいけど
9時始業って言ったら少し前に来て9:00に仕事始める状態にするじゃない。
時給でない社員が遅刻しても、やることやってくれれば何も言わないけど
その根性がもうやってられない。
もう日本語できなくていいから給与の安いヒスパニックを雇おう。
彼らならどんな態度を取ろうがあきらめがつくから。
・追記
今回の一番の問題としては、job discriptionの時間は9:00-17:00と記載してあるのに
派遣会社の勤務時間の資産方法が(8:53-9:08)~(16:53-17:08)までと幅があることです。
我々が望む勤務時間と、派遣スタッフに提示している勤務時間の差を生み出しているのは派遣会社ですからね。
派遣会社にこのギャップをどう保障してくれるのか週明けにでもMTGを持つことにしました。
ただ、日本人の派遣スタッフの言い分もわかるのですが、普通9時前にはきませんか?
そういった日本の商慣習としては当然のことを知っていると思って採用したんですよね。
私には始業前に事務所で数分待機することが被雇用者を搾取しているとは思えません。
ちなみにどうしても作業が残っていて17:00を過ぎそうだったら、もう少し残ってもらえるか確認の上残業してもらいます。
ヒスパニックを雇うと書いたのは、ちょっと熱くなりすぎて出ちゃいました。すみません、反省しています。
でも彼らは人件費安くていいよ。
ベーシックインカムに対して感情的になる人があえて見たくない現実を提示しよう。
あんたらの大半は働いているように見えて、「働いているフリをした社内ニートでしかないから!」
会社勤めを一度でもした人を誰でも実感している、というか気付かざるを得ない事があります。というか気付かなかったとしたら鈍感すぎる事実があります。
会社で働いている人のうち、会社の生産性に貢献しているのは多くて全体の3割。酷い会社だと1割にも満たないという事実。あとの大半の人間は、「働かなくてはいけないと思い込んでる」被雇用者と「雇わないと体裁が悪いし行政から指導を受ける」雇用者側の都合によって雇用されている「利益に貢献しない、働いているフリをした社内ニート」です。
景気の良い時代なら、みんな被雇用者側は働いているフリをしている満足感に浸り、雇用者側も社会に貢献しているや会社が大きくなっている満足感を得て、winwinな関係を築く事ができたでしょうが、今の日本の状況下では「雇用している人間に働いているフリをさせる経費」、「働いているフリをさせる手続き」、「働いているフリをさせる時間」を無駄に浪費しているだけで企業体質を衰えさせる「給料ドロボー」にしかなってないわけです。
中には会社の存在そのものが無用の長物に成り果てている企業も少なくありません。
さて、ニートを見下している皆様、あなたたちは雇われている会社の利益に貢献している自信がありますか? さらに言えば会社そのものが社会に貢献できていますか? さらに言えばあなたの会社は社会に必要である自身はありますか?
ぶっちゃけ、本当の意味で経済を活性化させたいのなら、こういう「社内ニート」たちを全部リストラして、ベーシックインカムで最低限の金だけ与えて養っといた方が良いのですよ。そして徹底的なワークシェアリングとOA化、機械化、IT化を進めて、「利益の出せる人間だけが働く」、「利益の出せる分だけ働く」という事を徹底させるしかないんですよ。
こうして考えると、わざわざ経費をかけて無駄な仕事を作ってやった上に社内ニートに20万↑の給料を与えるより、10万程度の最低限の生活保障だけ与えて「利益の出せる仕事」だけさせるベーシックインカムの方が遥かに効率が良いわけです。
このカラクリを理解していないと、ベーシックインカムの本当の意味がわからず、それから企業経営者や財界関係者の中にもベーシックインカムの論者がいる理由が理解できると思います。
ようするにベーシックインカムというのは、究極的な社会のリストラクチャリングなのですよ。
大昔は、田んぼから米を採るのに大家族が、村中の人間を総動員して多大な人手をかけて作っていましたが、今は徹底的な省力化が計られています。
私に身近な出版業界で言えば、社内の人間や関係者を働かせるために、利益に貢献していない雑誌や本を作っては潰し、作っては潰ししている。さらに利益を挙げている部門にしろ、本当に利益を挙げている作品は、雑誌や本の全体の1割で、あとの作品はただの寄生虫にすぎないという事実。
もうね、どこの企業もこんな有り様なのですよ。
仕事のための仕事を増やしながら、それがさらに仕事を作ってという「生産性に繋がらない仕事ばかりが雪だるま式に増えていく」のが事実という。
これからの時代は「労働は美徳」という言葉に次の言葉をつけなくてはいけないのです。
この言葉に基づいて、その職場で働いても利益の出せない人は全部リストラ。ベーシックインカムで最低限の生活だけ保障して、生産性に繋がる人材だけに高報酬を与えるべきなのです。それが本来の資本主義のあるべき姿なのです。
そしてベーシックインカムで暮らしながら、いろいろとワークシェアリングでチビチビ仕事を探しながら「天職」を探していけば良いのです。
今働いている人間の大半は給料や報酬分の利益を挙げられていない社会の寄生虫に過ぎない。だったら、無駄な給料や経費に金を使うよりはクビ切ってベーシックインカムで養ったほうが効率が良いという事実。
反対する人はこういう事実を踏まえておいた方が良いのです。
長い間、「勤労の義務」とか「労働は美徳」と思わされていた人にはショックが大きいでしょうが、新卒の人たちですら雇いきれないという現実から、もう日本人は学ぶべきなのですよ。
認識の違う点
おそらく、短期視点か長期視点かの違いもあったり、立ち位置が企業か国かの違いもあると思う。最大の懸念点は賃金が上がっている国の雇用慣習と日本の雇用慣習がかなり違うこと、性、年齢の差別や、ブランク期間の評価などを考えると失敗するだろうなっていうことでしょ?
これは制度じゃなくて慣習だから変わるのに相当時間がかかる、もしかしたら永劫変わらないかもしれない(いま、年齢や性差で落とされましたって証明できる?)。そういう状況認識で解雇規制に賛成できるわけない。
とすれば、自発的に横断移動しやすくする方向の政策のほうが効果が高いと考えるわけで
雇用の椅子は限られています。あなたが座っている椅子は、他人を蹴落として取った椅子です。
現状日本では主夫は認められない空気です。それと、女性の考え方から見ても主夫というのは相容れないでしょう。主夫を選ぶぐらいなら、より稼いでいる(すなわち能力、経済のある)男を選ぶはずです。
そこで、主夫という概念が認められない以上、考え方を改める必要があります。
被雇用者日本人全体の給料がダンピングされている今、満足する経済力を持つ男性は逃げ切り世代に医者(但し歯科医除く)、一部の超優良企業リーマンと、多くの企業を牛耳る経営者、あるいは稼がなくても生きていける富を持っている人物しかいないでしょう。もし本当にお金が手に入ればいいなら、ここ十年は世界の富裕層と結婚すればいいでしょう。
しかし、あくまで「日本人」にこだわりたい、私はそんな白馬の王子様とは結婚できない、というなら、まずあなたの座っている椅子を将来世代含めた男性に譲ることです。
そして、男性一人当たりがもらえる給与を底上げさせ、結婚するに足る男性の数をひとりでも多く増やすのです。
もちろん産休後の復職制度など利用してはいけません。あなたが戻るということは、あなたより若い部下をひとり犠牲にするのですから。
それでも働きたい、これからの女性は自立していなければならない、私より無能な男は路頭に迷って死ねばいい、というのであれば、止めません。
しかし、あなたがそこにいる限り、そこに居続ける限り、後々にとって他の(しかもあなたより若い)男女が困るということを、忘れないでください。
追記:
なぜか男認定されててワロタwいや、男だけどあいにく妻子持ちで役職ついてますからw
それが気に入らないならそれこそ法律でも変えたらよろしい。
本当にいちいち話が極端なのは
君の知能と精神が長ないからの表れでしかない。
結局誰かに「おれはすげーぞ」っていうアピールをしたいんだろうけど
ほら、これだもの。事実を羅列しただけの文字列が筋骨隆々で目立つんだって。びっくり。
色眼鏡ってこういうことかー。
http://anond.hatelabo.jp/20100711002353
そうだね。でも自分から杭伸ばしといて叩かれた!ヒドイ!っていうのは論外でしょ?そういうこと。
共同体の一細胞であるならそれらしく振舞えってことを言ってるだけなのに。
あと、俺はhttp://anond.hatelabo.jp/20100711003851書いてないからな。
社畜は会社員の蔑称ではない。先進国の多くではワークライフバランスが成り立っており、そういう環境で働く人々は社畜にはあたらない。
しばしば社畜批判を働きたくないというモラトリアムにすり替える事例が見られる。例として「仕事をなめるな」や「いつまでも学生気分ではダメだ」や「社会人としての覚悟が足りない」と言われるが、社畜ではない人も通常は仕事に責任を持ってあたっている。社畜批判はワークライフバランスの保証や、サービス残業の禁止、理不尽な待遇を改めるよう求める労働基本権の行使の1つであるが、労働基本権を遵守するように主張することが「社会人失格」であるかのようにミスリードされがちである。
多くの社畜は一介の雇われの身なのに何を勘違いしたのか経営者視線のモラル(サービス残、休日返上で働くのは当たり前、有給を使わせないなど)を説くという特徴がある。自らも被雇用者であるにもかかわらず、ブラック企業のやり方に加担して、本来は同じ立場であるはずの労働者の権利を奪う側に回る。
比喩を用いるなら社畜は吸血鬼に血を吸われた犠牲者である。大体の吸血鬼ものの小説等の設定は、吸血鬼に血を吸われた者は、吸った者に服従することになるが、元々は普通の人間である。その大元、最初に血を吸った者を真祖という。そして、新しく生まれた吸血鬼はまた別の人間の血を吸うために行動を始める。真祖をブラック企業、吸血鬼になった元人間を社畜と考えるとよい。
なお「ブラック企業なら就職できるのに」や、「ブラック企業にすら就職できないクズ」というフレーズも社蓄予備軍にはよく見られるが、これは一種の犯罪教唆であることも明記しておく。法律を破るように他人を唆すことは犯罪である。
社蓄になると、自分より幸福であるものがすべて間違いであるような錯覚に至る(上記のように、「法律が間違っている」と言い出す元人間も現れる)。麻薬などの幻覚作用のある薬よりも社蓄の幻覚作用のほうがよほど重症なのではないだろうか?
誰にとって「問題」となるのか。という視点を3つぐらいわけて考えるとよいのではないでしょうか。
3つというのは、
一番重要というか影響力あるのは経営者でも派遣労働者でもない正規労働者の視点。
自分達の仕事・賃金を減らさないためには競争相手(=非正規)は使いにくくするほうが都合がよい。
正規労働者が多数派だから政治家・官僚もその意向に従って動く。
非自発的失業率って景気の問題では?
誰にとって「問題」となるのか。という視点を3つぐらいわけて考えるとよいのではないでしょうか。
3つというのは、
まず、1.企業側からの視点でいえば、元増田さんの仰る通り、とても合理的な行動であり、「俺たち責められても困っちゃうんだよなー」というのは仰る通りだと思います。その点はまったく異議がありません。マスコミが派遣切りをするのを一企業の責任みたいに報道するのはハッキリ言ってばかなの?死ぬの?とおもいます。
んで、2.被雇用者からの視点を考えると、これもまあ、契約内容だったから仕方ないとか、リスク管理的に仕方ないじゃん?という発想もなくはないでしょうが、被雇用者の側は、職がなくなると、シンプルに「ああ…こまった…ううむ」とはなりますよね。誰が悪い、みたいな話はさておいて。確実に困りますよね。
生活保護だって基準がそんなにゆるくないわけです。働く能力が認められる人だとか、親族に扶養能力がある人とかがいる場合は、そうなんでもかんでも生活保護手当は出ない。それに、生活保護手当が増えるとなるとそれは回りまわって企業や労働者の税金から支払われるわけで、生活保護手当がボコスコ増えていくのは、次の「3。社会全体にとっての効用」に関わっても、とてもよくない。国の財政的にマズー。生活保護は、セーフティネットの一種ではありますが、派遣のない人、というだけだと生活保護手当じゃないんじゃないかな?詳しくはしらないけれど。
さいご、3.ですが、失業者が増えたら、まあ、いろいろと社会全体として困った人がふえますよね。ニート率も高くなるだろうし、自殺率やら、犯罪発生率もたかくなるかもしれない。市場の消費も落ち込んで、長期的には企業にとっても困るかもしれない。これは、個人がどうこうというか、マクロの経済循環として失業率が多いのはよくないよ!っていうはなしだとおもいます。
…
と言う感じでしょうか。2と3の視点から、これを「社会問題」として報道されること自体は否定できないだろうな、とは思います。「派遣切り」というネーミングが喚起させる責任の主体の想像のさせ方はとってもよくないとは思いますけれど。「派遣労働者層の人々の雇用問題」をもっとも短くネーミングするとなにがいいんでしょうね。「派遣ナシ」とか?
あと、「派遣契約という形態がある事自体が、だめ」とか言う意見も、ばかくさい、とおもいます。雇用の窓口を減らしたら、正社員とそれ以外の間の溝がドバーンと広がって、中間的な雇用形態がなくなって、トータルでみると職にあぶれる人間が増えるだけじゃん?ばかくね?とおもいます。(派遣ではない契約ではないタイプの、もっと別の、みんなが幸せになれそうな中間的な雇用形態をつくりましょう、という代替案込みの話ならよくわかるのですけれど。)
まあ、派遣に関する法制度の作り方のディテールをどうすればベターか、というのは細かい議論がいろいろあっていいとは思いますが、中間的な雇用形態をなくせ、という議論はワケワカラン
年越し派遣村自体はわたしは否定的ではないですけれど、年越し派遣村まわりで細かいところでは、バカくさい議論がたくさんあるなあという印象はもっております。「派遣労働者の首切りをしにくくしろ!」とかって、あんな形で吹き上がったところで、企業が採用をはじめっから控えるだけじゃん、そういう形だったら…!とかおもったりします。 むろん、守られるべき労働者の権利はあるだろうとは思いますし、それがないがしろにされるべきではないですが、お前ら、もうちょっと別の方向の主張をしたほうがまだ生産的なんじゃねぇの?とかは思います。
…とか、偉そうなことを言っても、わたしも別に労働問題やらなんやらはさっぱり詳しくないので、代替案ももっていない程度の床屋談義ですが。
*
あと、まあ、もうちょっと補足しておくと、「派遣切り」と、自然失業率の問題を一緒くたに認識してる人々(「超絶あたまわるい人たちの失業状態ってことだろ」認識)がけっこういるようだけれども、派遣切りの問題は自然失業率の問題じゃなくて、非自発的失業率の問題だろ?たぶん。自然失業率のはなしだったら、さすがに問題にしようがないのでは。まあ、問題にしちゃうひともいるけれど。
法律の話と契約の話があるんだけど、元ブログもこの点では混乱が見られるな。
とあるので、そもそもこの人は「義務を果たしていなくても権利を行使して良い」
つまり「給料や職位に見合った仕事をしていなくても高い待遇を得る権利はある(だって労働法や就業規則にそんなの書いてないから)」
と思っているようだけど。
これについては「そんな訳無いだろ常識的に考えて」としか。
まず、適切な労働時間とか有休、育休を保証すること、は「法律」によって「雇用者」に課せられた義務な。「被雇用者」から見たら権利になる。これは正当な雇用契約を結んでる限り、保証される権利だ。
「義務と権利」がセット、というのを「義務を果さなければ権利を使えない」と誤解する人が多いけど、セットになってる「義務と権利」っていうのは、「自分から見た義務が相手から見た権利である (あるいはその逆)」っていうことだからな。give and takeという話じゃない。
一方で、「給料や職位に見合った仕事をする」というのは雇用契約の問題になる。こちらはgive and takeの問題だ。契約によって、被雇用者は何をすべきか、そして雇用者はその見返りに何を提供するべきか、ということが定められる。「義務と権利」はここで2セットある。つまり、(A)「被雇用者が約束の仕事をするという義務 : 雇用者が約束の仕事をしてもらう権利」と、(B)「雇用者が約束の待遇を提供するという義務 : 被雇用者が約束の待遇を得るという権利」だ。それぞれの中では対になっているけど、AとBを結びつけてるのは法律ではなく、雇用契約。
で、「給料や職位に見合った仕事をしていない」というのは、被雇用者が(A)の義務を果していない、ということ。この場合、雇用者は(A)と(B)を結びつけている契約を再考することができる(ように契約は作られてる。普通は。) 一般には雇用者の方が立場が強いので、法律は(B)についていろいろ制限をつけていて、簡単に「(A)が履行されないので(B)をチャラにします」というわけにはいかないんだけれど、それでももともと(A)と(B)のgive and takeを前提に契約を結んでるわけだから、前提が成り立たなかったら法律の範囲内で(B)を考え直しましょうや、ということになるだろう。それは契約、くだいていえば約束の話だ。
被雇用者の立場をまとめると、「法律に定められた範囲の権利は、雇用関係があるかぎり主張できるよ。でも『働きます』って約束を破ったなら、雇用関係自体が見直されるかもね」ということ。
まあ、経営者の立場にたってみると、きちんと職場環境を整えないでも勝手に同僚同士尻を叩き合い、不満の矛先をマネジメントじゃなく同僚に向けてくれるっていう被雇用者は、ものすごく「使いやすい」人たちではあるね。普通に契約どおりの仕事をしてくれる人よりも雇いたくなるなるのは当然だ。かくして「正論」と呼ばれるあたりまえの主張をする人々は淘汰され、お互い監視しあう従順な人々のみが職場に残る。それもまたロジカルな帰結だけれど、それでいいの?
全く同意。
そりゃそうだよ。マネージャが部下全員の状態を把握してないとそもそも仕事を適切に回せないじゃん。「働くママ」さんだけじゃなくて、たとえば突然の事故で誰かがしばらく来れなくなったとか、予想外の事態で仕事量が急に増えた、なんてケースでも、常日頃から「他の人」のキャパを把握してないと仕事を振れないでしょ。
そうは言っても現実にそんなまともなマネージャばかり、職場ばかりじゃないよ、っていうのはわかる。それもまた当然だ。現実には、そういう環境のなかで横のつながりでお互いフォローしてかなくちゃならないことはいくらでもある。
俺が指摘したいのはひとつだけ。
「『働くママ』さんが急遽抜けて、マネージャが適切に仕事を振れないために、仕事量に歪みが生じた」っていう事態は、適切に職場を運営できてないというマネジメントの問題である、というのが大前提なわけ。だから「私はもういっぱいいっぱいなのに『働くママ』さんの分までやらされるなんて!」っていう憤りを向ける先はマネジメントであって「働くママ」さんじゃない。そりゃお互いフォローしあって、思いやって、うまく回せたらそれに越したことはないよ。だからそっちの方向に努力するのは構わない。でもうまくいかなかった時に責めるべきは同僚じゃない。少なくともその同僚が雇用契約上の責任を果たしている限りは。(ちなみにその同僚が契約上の責任さえ果してない、という場合も、矛先はその同僚ではなく、マネジメントに「なんであいつをこの条件で雇ってるんだ」とねじこむべき)。
まあ、経営者の立場にたってみると、きちんと職場環境を整えないでも勝手に同僚同士尻を叩き合い、不満の矛先をマネジメントじゃなく同僚に向けてくれるっていう被雇用者は、ものすごく「使いやすい」人たちではあるね。普通に契約どおりの仕事をしてくれる人よりも雇いたくなるなるのは当然だ。かくして「正論」と呼ばれるあたりまえの主張をする人々は淘汰され、お互い監視しあう従順な人々のみが職場に残る。それもまたロジカルな帰結だけれど、それでいいの?
なんかまじめに書くのがアホらしくなってきた…。
差別がいけないという人はたくさんいるべきだし、そういう人たちと議論を戦わせて思考を深めたかったのだけど、意外に話が進まなかったので残念だった。
元増田は「議論」がしたかったそうなので,議論の仕方について.
まず,全体的に
と言うレスが多すぎるように感じます.こう返されると,意見を述べた側はもはやそれ以上何も言う事ができなくなります.元増田は,「なんかまじめに書くのがアホらしくなってきた…」と言う感想を抱いたそうですが,上記のようなレスの多さを見た多くの(意見を述べた)人達は「なんかまじめに相手するのがアホらしくなってきた…」と感じたかもしれません.
「議論」を行うためにはまずゴールを決めなければなりませんが,元増田の想定しているゴールは非常に曖昧です.例えば,下記のどちらがゴールなのかによって,議論を行うべき場所,仕方などは変わってきます.
前者をゴールと見なすならば,こういったオープンな場所でも(何とか)議論は可能でしょう.例えば,ブックマークコメントで
採用時においては,いかなる場合においても宗教を採用/非採用の決定要素にはしない.ただし,仕事の場では(勧誘などを含め)宗教関係の話題は一切持ち出さないと言う取り決めをあらかじめ作っておき,またそのように教育する.
といった類の意見がありましたが,私もこれが一つの落とし所になるのではと思います.この意見に対して,もし「そんな事言ったって盲信している信者は(宗教に関連する)トラブルをきっと起こすだろう」と言う気持ちを抱いたならば,もはやそれは議論でどうこうできるレベルではありません.
後者をゴールを見なすならば,AnonymousDiary と言うオープンで様々な人々が閲覧し自由にコメントする事ができる場所を選んだのは間違いです.
あなたは,「(今回の差別の対象となっている)特定の宗教信者がこの投稿を閲覧するかもしれない」と言う可能性を考えていましたか?また,「全ての信者がそうではない事は分かっている」と言う言い訳を述べておけば何を言っても許される(許して欲しい)と考えていませんか?
例えば,http://anond.hatelabo.jp/20091024151156 のように経営,または人事に関わる人であれば元増田に好意的な意見を述べている人もいます.後者のように,「道義的には問題があるがそれは仕方ない」というようなある種の開き直りを行った上での議論を行うならば,(その開き直りの是非は別として)議論すべき場所も慎重に選ぶ必要があります.
「議論を行う事」は非常に難しい事です.「議論」を行うには,議論に参加する人達が守らなければならないルールが数多く存在します.特に,「匿名で誰が投稿したか分からない」,「議論の進行役も存在しない」,「個人の主観が非常に大きく影響する」と言う要素を持つ今回の話題で有用な「議論」を行うのは非常に困難な事です.