はてなキーワード: 若気の至りとは
初投稿です。
みなさんとは人生経験の違いで未熟な私は罵倒されるような内容でしょうが、人生観を広げようと思い投稿しました。
失恋という綺麗な言葉で表していいのかと思うが、とりあえず大切な人を失った。
幸い?にも公欠で10日間学校に行かなくて済んだから幾分気持ちの整理ができた。
正直こんなに辛いとは思っていなかった。
でも私の今の辛さ、今までの彼に比べたらちっぽけなんだろうと思う。
友達として楽しく過ごしたかったけど、彼は私のことを好きだという。
恋愛感情を持ってしまったならしょうがないけれど、そうなるならいつか終わりが来るのを知っていた。
もうずっと友達でいるのは無理なのか、と私は悲しくなって泣いた。
私は悲しくなったから、私を好きになった罰として、彼を浮気相手として、私の気が向くままに振り回したしひどいこともした。
それでも私を好きだといってくれた。でも若気の至りだと名前を付けて道徳心を忘れた私の心には届かなかった。
もう彼と一緒にいても楽しくなくて笑わなくなったし、演技ばかりするようになった。
そうしていくうちに、ある日彼の心は離れた。
彼は、2人の思い出話をして、別れよう、といった。
いつかこの日が来ると思っていたけれど、私は人に見せられないほど号泣した。
涙の訳は、ほんとうは好きだったのか、それとも男女の友情が脆かったことの絶望なのか分からない。
彼は、お前には笑顔でいてほしい、といった。
Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチの翻訳ありがとうございます。
ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話。NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが、10 年先なんて未来のことはわからないです。
江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。
そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社でデスマに参加していたのかもしれませんが、大学で海外旅行に目覚めた私は、リアルな世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイトと旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。
海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本で既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって、米ドル換算のお金では日本人ははるかに金持ちでしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがりの旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。
とはいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学の勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系の学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです。面接では僕は燃えてます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えてますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。
二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います。
すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究をリードしていた院生が Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームは NEC のパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。
そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分の Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派です。ThinkPad のトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。Apple が Magic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。
Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです。海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。
また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長は Mac の好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メインの仕事は海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。
それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac 系情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団で Apple Japan の求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。
面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple の面接を担当された方々は全員 T シャツ、しかも Apple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています。別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。
振り返ってみれば、真面目に大学で勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望の研究室に全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーなテーマをやることになったおかげで Mac と出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います。
私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.
やけくそで「光の射す方へ」向かって、I can fly!なんてしてはいけませんよ。
さて、そんなみなさまの「帰りたい 帰れない」の思いを
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 勇次 | 長渕剛 | 1985年 | 過去 | 若気の至りで家出した | ★ |
| 新しいスタート | 岡村孝子 | 1991年 | 過去 | 人生の門出を前に意気込む | ★ |
| 郷愁 | 斉藤和義 | 1997年 | 過去 | 帰省が終わって、また普段の生活に戻らないといけない | ★ |
| Gates of heaven | Do As Infinity | 2003年 | 過去 | クスリがやめられない | ★ |
| 手のひら re-birth | MCU | 2006年 | 過去 | 自分探し | ★ |
| 鼓動 | GLAY | 2007年 | 過去 | 大人になるのって哀しい | ★ |
| 矛盾だらけのWedding Song | GiFT | 2008年 | 過去 | 子供の頃好きだった女性が他の男と結婚した | ★ |
| 燻-くゆる- | ナイトメア | 2006年 | 穢れなきセピア(過去) | 汚れる前に初期衝動を思いだせ(初心を忘れたくない) | ★ |
終わった恋は取り返しがつきません。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 落葉の駅 | 八代亜紀 | - | 恋人 | 何も言わず恋人の元を飛びだして | ★ |
| 風立ちぬ | 松田聖子 | 1981年 | 恋人 | 恋人と別れてセンチメンタル | ★ |
| 無言坂 | 香西かおり | 1993年 | 恋人 | 恋人が浮気したので家出した | ★ |
| 涙の海峡 | 松原のぶえ | 1996年 | 恋人 | 北国の冬は人肌恋しい | ★ |
| 山吹色の木の下で | タオルズ | 2005年 | 恋人、過去 | いつもの風景に、昔を思い出した | ★ |
八代亜紀の「落葉の駅」なんて、
男が自分の為にあたふたしているのをみると
めんどくさいですねぇ。
でも、おじさんはそういうのキライじゃないよ。
日本歌謡曲における「北国」「津軽」「海峡」の頻度は異常でございます。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 津軽 | 岩木淳 | - | 故郷 | やけ酒してホームシック | ★ |
| 帰りたい帰れない | 加藤登紀子 | 1970年 | 故郷 | 母からの手紙でホームシック | ★ |
| 望郷しぐれ | 山本譲二 | 1986年 | 故郷 | 実家からの小包でホームシック | ★ |
| カントリー・ロード | 本名陽子 | 1996年 | 故郷 | もう故郷に帰れない | ★ |
| 上野発 | 和田青児 | 1999年 | 故郷 | 上野発北国行きの電車 | ★ |
| 夢千里 | キム・ヨンジャ | 2002年 | 故郷 | 海を荒れてたからホームシック | ★ |
| 津軽慕情 | 山本謙司 | 2004年 | 故郷 | 酒飲んでホームシック | ★ |
| リンゴのふる里へ | 和田青児 | 2005年 | 故郷 | 雲が北に流れていたのでホームシック | ★ |
| ひだまり | 石野田奈津代 | 2009年 | 故郷 | 上京して大変だけど私は元気です | ★ |
| 帰りたい | 千田裕之 | 2010年 | 故郷、過去 | ふと思いだしてホームシック | ★ |
| 東京シャボン玉 | 天童よしみ | 2011年 | 故郷 | 上京したけど思い通りいかない四畳半生活 | ★ |
| バイ マイ タウン | HOW MERRY MARRY | 2011年 | 故郷 | 上京して大変だけど負けないよ | ★ |
昔はたまに来る手紙だったのが、
そんな中でも、最近の若い人の歌は、
上京したての初々しさが伝わってきていいですね。
「ひだまり(石野田奈津代)」は、いずれ「東京シャボン玉(天童よしみ)」状態になるのも、
頑張れ、若い人!
どのように歌われているのでしょうか。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 大迷惑 | ユニコーン | 1989年 | 家 | マイホーム買ったら転勤を命じられたでござる | ★ |
あるあるwww
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 雨の子守唄 | リサ | 2009年 | 家 | 子どもが家にいるのに水商売な自分 | ★ |
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| Tell me why? | Lil'B | 2009年 | 家 | デートしてるのに恋人に冷たくあしらわれた | ★ |
デートやめて家に帰っちゃえよwww
DV男ばっかり引き寄せちゃうんだよ!
なるほど、「帰りたい 帰れない」は様々ですね。
昔はもっと考えれたのに、動けたのに、というのは勘違い
若気の至りで勢いでやってきただけで、
客観的に思い返せばそう大した事なんてしてきていない
していたら、今残る物があり、それに助けられたり、
振り回されている事だろう
勿論、年齢もある
精神的、体力的に意欲的、貪欲になろう、という心を持たなくなった
心を持たないのだから、それに付随するあらゆることが
「ない」のは当然の事
だから、大げさに「できない」と騒ぎ立てる必要もない
そのうち変化があるかもしれない
忙しくて「できない」なんて考えていられなくなるかもしれない
だから、考えられる今は小休止
折角だから、それを味わっておこう
「このまま働き続けたら駄目な奴になりそうだ・・・」そう思って、今の会社に転職したのが7年前。7年経った今、再び同じことを考えるようになってきた。
7年前に「駄目になりそうだ・・・」と思ったのはなぜかというと、大企業であったがゆえに、いつまでも部分的な仕事しか任せてもらえなくて、とても退屈だったから。評価されてもっと大きな仕事を任せてもらうまでに、相当な時間がかかりそうだ、と若気の至りで勝手に判断した記憶がある。
考え抜いた末、安定を捨てて、今の会社に転職した。前の会社の10分の1の規模だが、新卒の入社試験が難しいことで有名で、地頭が良い人が多い。一方中途採用は新卒採用よりも緩くて、地頭が良くなくても即戦力であれば採用してもらえる。転職した当時の自分にとっては、もったいないと思うくらいの環境で、好きな仕事ができたし、かなりシゴかれた。仕事ができないのが悔しくて、家に帰って泣いたこともあったな。業界の最先端にいる感じも味わえて日々幸せだった。彼らに追いつこうと、いつも必死だった。
時間がかかってしまったが、7年経ったこの頃、自分の能力がようやく周りの人に追いついたという気分に達した。一つの目標を達成したような気分。
人間は欲深いもので、自分もそろそろ次の段階の仕事(管理職のような仕事)もしてみたいと考えるようになった。しかし、今の会社は労務構成が典型的な逆ピラミッド型で、そういう仕事をできるようになるには、もの凄い待ち行列である。なんか、このまま行くと、いつまでもヒラであるような気がしてきた。中途だし、結婚もしてないので、さらに不利な感じがしてきた。
「このまま働き続けたら駄目な奴になりそうだ・・・」、そう思った。あと10年も同じような仕事をするのか?と自問自答した。
30代を過ぎると、特に大企業のサラリーマンは、どんどんダメになっていくと、俺の尊敬するベンチャー企業の知り合いは言う。俺が嫌いな別のITベンチャー企業の社長は、そういう奴を見ると悲しくなるとさえ、ツイッターでつぶやいている。自分がそういう悲しいダメな奴になりそうな気がしてきた。
どうすればいいのだろう・・・そんなことを仕事の合間に考え続けて、もう数週間。同じような境遇にいる、もしくはその境遇を乗り越えた人の話が聞きたい。
私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。
最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。
担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間をいじめ続けました。
その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。
「えっ? そんなことあったっけ?」
「いやあ、あん時は若かったよなぁ」
すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念の記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。
「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。
ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。
彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人のネタを視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していません。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者と被害者の温度差なのではないかと思います。
「いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。
本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔で同窓会に出席しているのです。
まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。
『死ぬな』
最初はチャングムのような歴史モノかと思ったがどうやら違うようだ。
???と思って調べてみたが案の定だ。
歴史書に女っぽい名前の医者が書いてあるというだけらしいチャングムは歴史上の男社会に女が居たかも知れないって言うのは夢があるし、日本だって上杉謙信女性説なんかが囁かれたりと創作の題材としてはまあ理解できる。
ただ、別に創作に文句を言うつもりはないが母のようにテレビで流れる情報に嘘はないと屈託なく信じる層にこういうドラマを予備知識無しで見せるのはやめて欲しい。
実際「現代の韓国に王室なんてあるの?」と聞いたら「あるんでしょ」と母は言った。
本当のことを教えてやろうにも若気の至りで韓国批判を散々言い尽くしてしまった私の口から出る韓国に対しての否定的な意見(真実であっても)はもう大して聞いてはくれないだろうから言わないが。
面白いほどお花畑だな…。
世間一般では
で、振り返って、その男に聞こえるように「痛ってぇー!おーいマジかよ。クソ!」って言ったわけよ。
こういう事を”考えて実行する奴”がDQNなんだぞ?
見た目がどうこう関係ないだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20100905232005
でも、言ってるけど、本気で自分の行為がDQNだって自覚ないだろ…?
なんか、同情引きたくて(同意を得たくて)増田に書いたのに、
くらいに思ってるんじゃないのか?
横のツリー見てても、正直DQNの作文みたいな元増田の文章に、
みんな親身に心配してツッコミしてんなぁ、って感心してるよ。
これは、元増田が、逆切れしたり屁理屈こねてないからとも言えると思う。
とりあえず、普段は自他共に認める”好青年”だったとしてもだな
池袋の件では自分は自分が嫌いなDQNと同じだった、って自覚は持った方が良い。
そして、それが他人に強要された訳でもなく、自分が自発的に考えて、実行したって事も。
それを今までは実行しなかったか、もしくは実行しても相手が許してきたか、どっちかだ。
その自覚を持たないと、間違いなく同じ過ちを繰り返す。
多分、彼女もそれを一番恐れてる。
少なくとも、ここまで元増田を名乗るコメには、そういった自覚を持っている節はない。
すごくナチュラルに自分がやった事を分かっていない好青年気分のDQNに見えて仕方がない。
「若気の至り」は誰でもある。
きちんとした人に怖い目に会わされる事で、元増田はいい勉強をさせてもらえたんだ。
折角の貴重な体験を無駄にしないように、な。
パソコンの性能が限定されすぎていたがゆえに、無限の可能性を持っているように喧伝されていた時代だから――まあ大昔と言ってかまわないだろう。
俺はまるでチョコレート・バーを待ちわびるガキんちょのようにワクワクしていた。つまり、チョコレート・バーを齧る以外の道楽を知らなかったんだな。
「本名だけは伏せておけ。頭にwwwのつくキチガイ世界では住所と名前と性別と所属とクレカ番号は命と同等の価値を持つ。というか、それらはほとんどイコールで結ばれているといってもいい。だから、ガキども、何があっても自分を殺せ。生き延びたくば、な。ガチョウども」
教官が教練所で俺らを横一列に並べて、まず浴びせたセリフがこれだった。
正直なところ、そん時はまだ匿名でいることの重要性を俺たちはこれっぽっちも了解していなかったのだと思う。むしろ、教練所が『フルメタル・ジャケット』よりよっぽどお上品な事実のほうが驚くに値したし、記憶に残った。
匿名であることの重要性を心から理解しようがしまいが、俺たちはとにかく教官の命令に従った。第一に死にたくなかったし、第二に多少の危険をおかしてでもも俺たちはウェブの世界に居座りたがったからだ。初めてネットにつないで三日後には、もうチョコ・バーは俺にとって必須栄養素ではなくなっていた
ミッチェルが死んだのは、訓練も半ばに差し掛かったころだった。死因は炎上死。イナゴ共に本名を暴かれ住所を暴かれ姉を犯され両親を殺され家を焼かれ、ミッチェルはその中で灰になった。彼は自分から本名をイナゴどもに教えたりなどはしなかった。ただ、うっかり漏らした周辺情報からあらゆるプライバシーを同定されてしまったのだ。
教官はミッチェルの通夜で追悼の辞を述べた。ただ一言、「彼は運が悪かったんだ」と。そのとおりだ、とその場にいた俺たち全員は思った。ミッチェルは彼の「運」を己の力量で上げ下げする術を知らなかっただけだ。
訓練の終盤になると、もう一人残らず真理に到達していた。
「匿名であることが大事なのじゃない。俺たちが本名で活動するにはあまりに未熟だから、バカやってしまうからその自衛策が必要なだけだ」と。日本は未成年のありがちな若気の至りを笑って許してくれるほど、器の大きい社会じゃない。
それはそれでいい。社会ごと変革しようとしなくてもいい。まあ、たしかにいつか頭のイカれた改革者が出てくるかもしれない。だからソレは俺たちの役目じゃない。俺たちにとって重要なのは、そんな美しくも狭量な世界でどのように生き延びていくか、ということだ。
本当は、実名で活動してもいいのだ。住所や銀行口座を晒してもいいのだ。自分が守れるならば。失敗しないなら。仮に何かをやらかして攻撃をうけても、誰の助けも借りずになんとかできるなら。あるいは頼れる誰かがいるならば。逃げ切れるならば。
だが実際問題、俺たちの誰しもがそんな逃げ足がはやいわけでもないし、そもそもミスをおかさないわけでもない。一片のミスをおかさなかったとして、それでも食ってかかってくるキチガイはやはり一定数存在する。
ガキの未熟さの本質はミスの犯しやすさにあるのではない。打たれ弱いところにある。精神的に、あるいは社会における地位的に。そして、イナゴ共が大好物なのはまさにそういう、「やわらかい部分」なのだ。
教官についてある噂を耳にしたことがある。彼の息子はある有名私立大学に通う前途有望な文学青年だったらしいのだが、ふとした気の緩みでテストでカンニングまがいの行為をしたことをウェブで漏らしてしまい、運の悪いことにそれが当人の教授に捕捉されてしまった。
教官の息子はそれでその学期の単位を全部取り消され、自身は恥ずかしさとショックのあまり、大学を中退してしまったらしい。ひきこもりとなった彼が自室で首をくくったのは、それから半年後のことだ。息子の死がきっかけで、教官は若者たちにネットサバイバル術を教え込もうと決意したという。
今でもtwitterのTLを眺めるたびに、教練所を卒業した日のことを思い出す。
「貴様らはこの肥溜めを今日で卒業する! これからも匿名でいくか、それとも本名で生きるか、それは貴様らの自由だ! だが忘れるな! どちらの道を歩むにせよ……不運にあったときのためのリスクヘッジだけはやっておけ。死ぬな。生き延びろ。どんなことがあっても、だ」
最近修学旅行中に男子高校生が大人数で同高女子の女風呂を覗き携帯電話で盗撮していたというニュースがあった。
そのニュースに寄せられたコメントは「覗きはまだしも盗撮はアウトだろ」という意見がとても多かった。というか大半を占めていた。
「恒例行事」「青春の1ページ」「男の本能」「女性に興味を持つ時期だから仕方ない」「むしろ健全」「微笑ましい」「若気の至り」
覗き容認の人に反論する予定はないけどもやもやする。
自分は盗撮はもちろん覗かれて裸を見られるのが嫌で嫌で嫌で本当に本当に嫌だよ嫌だあああああ。
しかも同級生ってもうかなりきっついわ。知らない人でも嫌だけど。
でも自分が嫌だって理由だけじゃあ覗きはいけないという理由にならないよね。
平気な女子は平気なようで他の男性と同じように「高校生の覗きは可愛いもんだけど盗撮は駄目!」と書いていたし。
デブスで体に自信がないから覗きを非難したくなるのかな。
普通はその時キャーエッチー!って叫んでも数日後には普通に話せるもんなのかな。
被害妄想激しいのが原因かもしれないな。
「あいつ顔もきめえけど体も終わってんなー」なんて男同士言い合ってるじゃないかとか気になって気になって
でも自分なんかが覗いたことに文句を言ったら「お前を見に行ったわけじゃねーよ!」と返されるだろうし勇気ないから黙ってて
覗いた男子に用事を告げる時に嫌な顔が表に出てしまって「いつまでも意識しててまじきめえ」とかヒソヒソされるところまで妄想した。
あーもしかして覗きがいけないとして、「覗くくらいなら先生にゲンコツくらって一晩正座すれば済むもんだ」ってのが納得いかないところなのかな。
覗きは一応軽犯罪なのはわかったけど逮捕されてないし理由として弱い気がするんだよね。
よくわからなくなってきたよよい。
http://anond.hatelabo.jp/20080301151922
今更これの続きを書くのも何だしかっこわるいけど、また一つコミュニティが子供たちに乗っ取られてしまったのでまた書きたくなった。
そもそも何で俺が子供のネット利用を嫌うのかよくよく考えてみたら、
自分が中学以降ネットの世界に入りこみそこではっちゃけた図を彼らのはっちゃけぶりを見ることで思い出してしまうからじゃないかなあ。
黒歴史ノートを発掘してしまう気分。そういうのをみるだけでも心がえぐられてしまうんだろう。たぶん。
後はやっぱり単純につまらない。オタクを自称する中高生は大抵にわかでこっちのネタにも反応してくれないし。
でも、そういう若気の至りがあって俺も(それなりに)成長できたわけだし、こっちも寛大な心で見守って行くべきなのかな。
それに、彼らも数年後には俺と同じような気持ちになるんだろうし。
これは自分でも極論だと思うし、どこかがおかしいのは確かだと思うのだが、どこがおかしいのかよくわからないし、人文系音痴の俺には適切な文献を探すことすらできなかったので、誰かが教えてくれることを期待してここに書く。
これを書くきっかけは赤木氏のブログ記事「アグネスは子供の権利をないがしろしている」( http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/archives/1410043.html )とそれにまつわるtwitter上での議論「13歳のセックスする権利」( http://togetter.com/li/28748 )、およびそのブクマを見て違和感を覚えたことだ。。見ればおわかりの通り赤木氏は、フェミ系とおぼしき人を中心に徹底的に叩かれており、同情的な意見はほぼ皆無に見える。確かに赤木氏の言っていることは極論であると私も思う。しかしそれを批判している人にもどうしても違和感を覚えざるを得ないのだ。
赤木氏を批判する側の言うとおり、13歳は性的主体として未熟すぎ、自己責任の原則を適用するのは無茶だと思う。つまり、13歳を性的主体として考えるべきではないのだろう。
しかしながら13歳という年齢は十分性欲もある年齢だ。とすれば、放置しておけばいきさつはどうあれ現実の行動に走ってしまう子供達はいる。それも、同年代同士の恋愛の帰結というような、13歳という年齢を考慮に入れなければ非難することが難しいような経緯のあげくということもあり得る。
これにはどう対処すべきなのだろうか。大人の視線で言えば、ともかく13歳が性行動をすべきではないということになろう。となれば、純潔道徳を推進するというのが論理的に正しい帰結のように思えてしまう。
しかしながら、「純潔」の「じ」の字でも口にしようものならこれまた、赤木氏以上の勢いで血祭りに挙げられることは間違いないのだ。
だとするといったい、この年代の子供をどう扱うべきなのだろうか。世間の良識がどのあたりにあるのか、本気でわかりかねている。
実際俺自身が中高生だった頃は、自分自身を純潔思想で染め上げていた。誤解しないで欲しいのだが、私は何らかの宗教の熱心な信者などでは全くない。単に「責任が取れないことはすべきではない、従って未成年は純潔たるべし」と思っていただけなのだ。そして奥手な男子校生としては、自分が「過激思想」を持っていると気づく余地もなかったし、それで現実とのギャップに何の問題も起こらなかった。
ショックを受けたのは大学入学以降で、周囲が何の疑問も持たずに「恋人がいれば肉体関係になるのが当然」という価値観で行動しているのが理解できなかった。完璧な避妊法なんてないのに、みんな誰もかれも、いざとなれば大学中退して子供を養う覚悟が据わっているともとても思えなかったからだ。もちろん、全員が俺のように考えないのが間違っているとまでは思わなかったが、俺のような考えが「極論」として一笑に付され、何の検討にも値しないかのように扱われたことはショックだった。今の感覚で言えば、うっかりシー・シェパードの本部に紛れ込んでしまったらこのような気分になるだろうか、それほど絶望的な孤立を感じた。
その後周囲と話していて、そのあたりの感覚は高校以前の段階で確定してしまっていることがわかった。つまり、世の常識は良くも悪しくも、「中高生の少なくとも一部は性的主体として認められるべし」なのだ。
そこで俺はますます混乱してしまった。当時、児童ポルノ論議が始まった頃だった。つまり世間様の言っていることは「中高生は性的主体」だが「中高生を性的客体にすることは児童虐待」なのだ。まるでわけがわからなかった。
現在は自分が社会人となっているので「純潔」云々を自分の問題として真剣に悩む必要はなくなったが、それでも未だにこの件はわけがわからない。
こんなことを考えるのは俺だけなのだろうか。だとしたら俺の何がおかしいのだろう。ショックを受けてから十年以上経ったが、未だにまるで見当もつかない。
どこかで見たアメリカンジョークをご紹介する。
深夜パトロール中の警官、路上駐車を見つけ、取り締まるべく近寄っていった。念のためと中を覗くと、そこにいたのは若い男女。これはお邪魔だったかと回れ右をしかけたが、ふと気づいた。この二人、見つめ合うでもなくただひたすら時計を見つめているのだ。
警官、思わず声を掛ける。「君たち、何をしているんだね」
男が答えた。「日付が変わって彼女が18歳になるのを待ってるんですよ」
これがジョークとして成立すること自体、現行法体系における児童ポルノ・児童性愛の定義に無理があることを表しているのではないか。現行法の定義で児童ポルノ・児童性愛として人の道にもとる悪と処断されてしまうものの中には、実際には問題がほとんどないものがあるからこそ、このようなジョークが成り立つわけなのだから。つまり、現行の児童ポルノ・児童性愛の定義は、「百人の罪人を見逃すとも、一人の冤罪を出さない」という現代法の精神と矛盾を来しているということなのだ。それがなぜか、自分が児童性愛者と名指されたくないためなのか、誰もが「王様の衣装が見えないやつは非国民」だと心から信じている振りをしているように思えてならない。
そもそも、児童ポルノ規制の議論をするのであればこのあたりをまず議論しておかなければ、ただの偽善家同士の争いにしかならないのではないか。中高生を性的主体として認めるのであれば、買売春の主体と認めないとしても、中高生を性の対象にすること自体はともかく罪悪ではないということになる(でなければそもそも中高生時代の俺自身を含む、ほとんどすべての人が憎むべき児童性愛者であったことになってしまう)。盗品を買うことが盗みをすること以上に罪悪になり得ないのと同様、「若気の至り」の記録を蒐集すること自体を人の道にもとる悪として断罪することは明らかに行き過ぎであり、単純所持を微罪以上のものとして処罰することには根拠がなくなるだろう。
実際憶測だが、児童ポルノの多くは「被害児童」の買春の結果として撮影されているのではないだろうか。その「被害児童」が本当に全面的な同情に値するのだろうか?少なくとも、当事者を性的主体として少しでも認めない、即ち純潔教育を否定するのであれば、本人が「児童ポルノ製造」に多少なりとも「主体的に」荷担していることは確実なのだ。その種の児童を売春した者、あるいはその記録を蒐集した者の罪は、どう考えても成人に対する強姦や強制猥褻といった典型的な性犯罪に比べてはるかに軽いものとしなければ理屈が通らないだろう。
つまるところ、純潔思想を肯定して、「18歳未満の児童には何人たりとも指一本触れてはならぬ」とする覚悟なく、児童ポルノのあらゆる「被害児童」を純粋無垢の「被害者」として押し切る思想はどこかでその種の「いいところ取り」をしているとしか言いようがないのだ。だからこそ、この議論は宗教論争のようになってしまって、いつまでも収拾がつかないのではないか。
とはいえ、だったらどうすればよいのかと問われても、このような事情でなかなか解決策が私にはわからないのだが。
きっかけは、暇でやる事無いから楽器始めた。
当時家は遺産で揉めてて、リアル昼ドラみたいな骨肉の争いだったのだけれど、それは大したコトじゃなかった。
そっちの揉め事より、自分の鬱屈した感情・憂鬱としてるコトの方がなんとかしたかった。
ゲーム、漫画、映画etc・・・。インドア系ばかり好きだった自分にとって、当時音楽は憂鬱を解消する救いであり、向上心、心の拠り所だった。
誰かが言ってた「宗教」みたいなもの、それに近かった。
でもかなりの下手糞。だから、思いっきり練習した。カッコ悪いし。
「演奏技術を高めよう」「もっと音楽として聴けるものに近付こう」「オレは不細工だしコレしかない」
そんなコト思いながら、学校から帰って22時ぐらいまで練習の日々だった。
良く聞く、一晩寝ずに練習とは自分は違った。
血豆の数が嬉しかった。血豆が破れた時の風呂は痛いけど楽しかった。
あぁオレバカだったんだなって思えて笑ってた。ここで初めて心から人生って楽しそうと思えた。
要領がいいヤツなら、これと並行して学生生活もエンジョイするのだろうけど、バカだから練習漬けだった。
脳内も音楽漬けで、通学時ウォークマンの電池が切れたらイライラしてた。替えの電池パックに感動してた。
でも幸い彼女は出来た。バイトもやった。今思えばアレはアレで良かった。
当時、闇雲に色んな曲をコピーした。自分の技量に見合った曲、見合わない曲。見合わなかったら練習した。
好きと思えたらなんでもやった。ジャンルも良く分からなかったので本屋行ったりして、子供の発想で色々調べた。
その過程で音楽から色々な考え方、テーマ、歴史、感情を学んだ。今でもアレは良い経験だと思う。
Alternativeからは追求する精神を。
PoPからは聴きやすさの基準を。
Glindcore,ska,GAME…(略)
上みたいに、あくまで自分の目安で色々なジャンルを漁っていった。
そのままコレで飯を食うと決め卒業し、現実の壁を実感しながらも、バイトしたり派遣したり、会社に入ったり色々バカやって歳をとった。
だが歳をとるにつれて練習量も減っていき、音楽に対する探究心が薄れていった。所詮若気の至りかと。見苦しいけど続けた。
そういう人脈もか細いが増えた。
そして今、また転機に差し掛かっているが正直なところ疲れた。
贅沢なコトを・・・という自覚はある。
でも疲れた。
金は欲しい。
だから昇進する。
仕事量は当然倍に。
企業のために金のために一生懸命働くけど一カ月近くほとんど休みが取れず。
器量の無さも相まってストレスフルに。
発散する方法はキレて弱い者に当たり散らす一辺倒。
お前らが死んでも代わりはいるから思う存分酷使されなさい。
…しかし、誰が使い倒す側なんだろうか。
だって創業から東証二部上場までこぎつけ創業以来の大目的を果たした大取は過労で死んだ。
それが過労で死んだ。
涙を流して喜んで死んでいった。
命が一番大事なのに、企業のために闘将のように戦い命を削った。
格好いいように聞こえるかもしれないけれど、マジくそくらえだ。
使う方も使われる様も馬鹿だ。
死んだら意味ねぇんだよ。
人格者だったのにな。
それに引き換え子供型社畜(独身男・29歳)は早く飼殺されろっての。
こないだなんか、仕事帰りに仲間内で入った飲食店でひと騒動起こしたんだ。
「お前んとこの社員教育はどうなってんだーー!!」
ホントバカだし。
君がどなり散らしている相手はバイトさんだよ。
伝票をテーブルに叩きつけるとかはどう見てもバイトさんの態度が悪いが、自分らだって悪いところあるじゃないか。
ラストオーダーと同時に来店していろいろわがままな注文付けちゃったし(バイトと意思疎通ができなかった関係で)
そんで際限なく長い間くっちゃべって。
他の客みんな帰ってるっつーの。
だから、バイトの態度を起こるにしても100%自分たちは悪くないって言えない状況だった。
お互い遅くまで働いて疲れているんだから、そこで気遣うべきマナーがあったのかもしれない。
まあ、若気の至りってのもあるだろうし、たかがバイトだろうし、ここで怒ってもいい事ないし。
こんな状況から居合わせた大半はそう思ってやり過ごそうとしてたのに、あの子供が。
店の物を床にぶちまけるわ、外に出て喚き散らすわでもう手に負えない。
一番年上の方がフォローしてくださったから一大事には至らなかったのがせめてもの救いだった。
誰にだってあることだし。
29歳社畜はそういう暴力的なことをしても普段は気配りのできる人間だし、その場に居合わせたみんなの対応を見て、当たり散らすのはよくないって反省してくれるだろう。
って思うのは甘かった。
次の日の仕事場で自分の気に食わなことを見つけては業務表に書き散らすし、あからさまにイライラを職員にぶつけてくるし。
あなたが気に入らない遅刻魔への怒りを自分にぶちまけられてもなあ。
ほとんどの職員が普通にできている事を、すべての職員が見ている場所で感情的な内容の注意書きすだすってのは職場の雰囲気悪化させるから。
忙しい職場だからみんな仕事以外の事を100%こなせるかって言ったら必ずしもそうじゃない。
年に一回くらい水道だしっぱにしてしまったりとか、半年に一回くらいコンビニの袋をゴミ箱に捨て忘れて業務に戻ったとか。
完璧じゃなことだってあるでしょ。
粗が出るのは毎日ではない。
悪気があってゴミ捨て忘れてるんじゃないんだから、気付いたら黙って捨てとくとか、人物が特定できてるんなら後で個人的に軽く「捨てといたよ」と言っとくとか。
言わなくても見てる人から信頼されるから。
そういう方が感情的に注意されるより何千倍も心に来るし、次はなくしていこうと思える。
些細なことどもを並べ立てて。
「これくらいでいいですね。皆さん成人した大人なら社会の常識くらい守れて当然ですよね」
小学生の言い草かよ。
小学生だってそれ以上に考えることができるかもしれん。
頭の悪い煽りでしかねぇし
それに、
幸せって自分で選択するものなんだってことを元増田は知らないんだね。
例のスレの夫達のように
「後悔、でも今更捨てられないし…」みたいに幸せになれなかったことを後悔させてしまうことになる。
そうなったらそうなったで、その「夫達」は「離婚はしないが妻が処女でなかったことに鬱屈を抱えて生きる」ということを自分で選択しているんだよ。
そんなのの責任まで背負い込もうと思う必要はない。
気団には残飯スレでなくて他の処女関連スレもあるんだけどそれらは覗いたことある?
もしないならこっちを読んでみな。
ttp://namidame.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1145676721/
妻が処女だった場合も非処女だった場合も、妻を愛してる夫はどちらにもそれなりに居るんだってことが分かる。
つまり「結婚した時点で処女であること」というのはひとつの長所に過ぎん。
長所には違いないが、気にしない男にとってはなければないでいいという程度のな。
哺乳動物は本能的にどちらかといえば処女を忌避するよ。経産婦の方が人気があるそうだ。
こと日本においては新卒優遇と同じで、「自分色に染められる」ことに価値を見出す。
これだけ情報が氾濫してる現代において、処女と無垢は必ずしもイコールじゃないのだから
ほんとは染めるなんて不可能なのにな。
そういうのとは別に、自分の初体験が若気の至りだったと思うのなら、
そして今の彼氏が好きでたまらないんだったら、
「あなたが初めてだったら良かったのに」とかなんとか言っとけよ。
元増田です。
彼氏に申し訳なくて~ってのは、
もしこのまま結婚して子供でも出来てから彼氏が処女厨になったら、例のスレの夫達のように
「後悔、でも今更捨てられないし…」みたいに幸せになれなかったことを後悔させてしまうことになる。
傷の浅いうちに終わるより、伴侶に選び選ばれたあとでそうなってしまったら、
私はあんなくだらない若気の至りのために彼を苦しめるのかと考えて、申し訳なくなるという事です。
どうせチラ裏だけど一応補足しておきます。
正直自分でも考えすぎというか、考えても仕方ないことだとは思うんですが、
不安がりな性分なので、改善しようのない不安要素はとても気になってしまいます。
勿論彼だけでなく、自分自身がそのせいで幸せになれないかもしれないという事も。
本当に解決しようもないしどうでもいい話なんですけどね。
出来婚=婚前交渉で中田氏=ふしだら、計画性がない
みたいに言われることって多いけど、
結婚のきっかけがなかったカップルが最大のきっかけを経て、責任もって正式にパートナーになりましたって事なわけで、
それって悪いことじゃないと思うなあ。
10代とか二十歳そこそこだったら、若さで何も考えないでやっちゃったんだなあどうせこれから泥沼だなあって思うけど、
それなら出来る前に結婚してその後子供作るんでも「若気の至りで突っ走ってどう見ても後で後悔するだろう痛々しさ」は同じなわけで、
それは結婚前に出来たことよりも歳が問題なんだと思う。
大人の、自立して判断力が備わっているのが当たり前な歳なら、
計画性がない=なんかやってたら出来ました、じゃなくて、出来ても構わないと思ってしてたって事じゃないのかね。
中田氏してりゃ出来るなんてよっぽど馬鹿じゃないとわかることなんだから。
最近は女もひとりで食ってける時代だから、結婚のきっかけってなかなか見つからない。
特に出来婚で叩かれるのって芸能人が多いけど、芸能人じゃ結婚しようと思えばいつでもできるわけだし
「この相手と結婚して子供作る」っていう仕事にも関わる大変な決断(しかもお互いの気持ちが前提だから出来る前に関係が崩れる恐れがある)をするより、
「結婚して子供作ってもいい相手だから、とりあえず子供作ってみて、出来たんでじゃあ結婚しましょう」っていう流れは
スムーズで合理的だと思うんだけど。
結婚観が移り変わってあやふやな時代だから、好ましいケースってのは人それぞれなわけで、
無闇に批判するのって底の浅さが透けて見えるっていうか、なんかなあ。