はてなキーワード: 優越感ゲームとは
ここらへんについては、言葉の技術(この人のほうが私より断然ウマイ)や対象は違うけれど、私が書いてることとかぶってると自分では思ってる。
俺には同じ人が書いているようにしか見えんかったが。
まぁ、それにしたって、あそこまで自己を他人に投影できるのは、悩みがなさそうで羨ましいね。
他人に投影できるから、インターネットに希望を見出していた有象無象って集団を仕立て上げ、自分をその中に埋没させることが出来る。
個から奪われたのではない、群から奪われたのだと、これは大変な事なんだと、自身の欲望の価値を拡大させる。
これだって一種の自己肯定だ、集団の威を借りた、さもしい自己肯定。
普通の件に関しちゃ、おれは違う考えを持ってる。
それぞれの集団で(田舎で都会で、会社で学校で)トレンドリーダーみたいな人はいて、それらの人が普通を形作る。
その人たちの居る集団が普通になる。
これは、当然そうなる事象で、非難しても仕方がない。そこが皆が属したいレベル帯なのだから。
足りない人はついて行こうと必死になる(似非リア充とか呼ばれる)。
普通ってのは、優越感ゲームの武器であり防具なんだから、当然のように他人を抑圧する。
優れた人が普通を名乗るから、そうでない人が抑圧されるのではなく、ある集団の構成条件を普通である事とするから、そこに留まりたい者にとって抑圧となる。
だから、普通に抑圧を見出す人は、入りたくても入れない集団に憧れてるか、留まることのコストが高すぎる集団に在籍してるだけ。
美しいものに限らず、楽しいもの、嫌らしいもの、何でもいいけれど、形容詞で表すことのできる多種多様なものどもを受け入れられる態度って素敵だと思う。
意味が分からなくても、価値が分からなくても、取り敢えず特定の形で成り立っている物事や出来事や関係性なんかを受け入れてみる。受け入れてから批判なり肯定なりすればいいと思う。
個人的に拒絶って拙い行いだと思う。拒絶してしまう人がいることや、拒絶してしまう対象があることは受け入れるけれど、そういった否定がありうることが少し悲しい。
食わず嫌いだとか偏見持ちだとか、理解出来ないからや理解したくないからって否定するのは、勿体無いことだと思う。
無論、否定と云う行為はその人にとっての社会観を形成する大切な境界線を引く作業に他ならないのだけれど、小さな領域を囲う図形を描いたって勿体無いような気がする。
まあ、その領域内での物事は大いに煮詰まるのだろうけれども。
でも、漠と広がった領域内で薄味の世界観に浸るのもまたいいのではないかなあと思うわけで。
意地の悪い優越感ゲームのような物言いだけれど、受容性だとか許容性って大切にしたいなあと感じるのです。
需要とか許容ばかりしていても駄目だけれどね。
つまりは、みんな違ってみんないいってことなんだな、きっと。
■「女はこんなに男を馬鹿にしている」的な暴露トークをする女子の目的は何?
>【速報】 ついに女子のホンネがばらされる!! - Togetter togetter.com
>http://togetter.com/li/205773
とか。
自称ほど強い人じゃない。
恋愛ではむしろ痛い目を見てる人が多い。
本当に強いヤリチンみたいな人にいいように翻弄されてたり。
だから「いやいや、自分が全てをコントロールしているから!」って言いたがる。
そしてこれが男の方に伝わって
世の中が取引不成立だらけになって、みんなが孤独に死んでいくのを見たい。
これは何か「改心を促すためのへったくそな皮肉」で言ってるんじゃなくて
みんな本音を正面衝突させて死ねばいいのに。
思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います。
観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分のブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います。当事者たちから感情的な反発が来て、社会的なリンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります。
[地主のことが書かれていない]
H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しかし郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村化から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方=資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです。
[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]
現在は高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。
[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]
これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本の知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強が能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です。恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステムの上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官どまりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです。
[金持ちを引きずり落とす必要がある]
「金持ちを貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです。経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピンの現在の姿を比べれば一目瞭然です。メリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者はメリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力の報酬」を与え、原住民に努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります。
そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待を助長しているのではないでしょうか。
家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義はダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。
じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思います。しかし問題があるものをないということは出来ません。
不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分の子供が努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います。
原住民の友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館は貧困ビジネスをしていたんだなと思います。
[原住民にも向学心はある]
逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります。小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです。原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です。
作画オタとかもう駄目、全然みてらんない。ああいうオタッキーってどうして自分に鞭打つような苦行で恍惚感を得られるの?作画オタはマゾヒズムの跪拝狂。メンヘラがよくするような、飲んでる薬の強さと量で優越感ゲーム。あれと大差ない、どれほど昔のつまんない作画アニメを見ていて、そしてどれだけアニメーターの名前を知っているかで競い合っている。
何言ってんだこいつ。
作画オタは「絵が動くこと」というアニメのいちばん原始的な感動に忠実な連中だろ。
アニメーターの名前を知っているかどうかなんて副次的なものだろ。
キャプ画貼って演出がどうこう言っている時点で全然駄目。見てらんない。
どうもモバゲーユーザーです。素人カウンセラーとして、日々、モバゲーの質問広場のココロカテで誰かの悩みを解決している俺です。毎日暇です。
ココロカテというのは名前の通りに、ココロに関する質問をする場所でありまして、まあモバゲー()ですからしょーもない質問が多いです。あれですよ。本人にとっては深刻だけど他人からみたらしょうもないといったレベルではありません。そもそもそれってココロはまったく関係ないでしょうというような問題で、たいていがただ本人の怠惰さが原因となっているような問題です。解決も何もお前がやるしかないじゃん…というどうしようもない質問です。
そして、近年、その質問の類がかなり多く目にするようになってきました。というか、お前ずっとモバゲーやってるのかよというツッコミを期待しているのですが、まあツッコミがあったとして、その理由はあそこだと優越感ゲームに浸れるからです。こんな知性の欠片もない俺でもあそこでは頭良いキャラクターですからね。どや。
ずれた。はてなユーザーの皆さんは大丈夫だと思いますが、個人の怠慢や努力不足の問題をココロノモンダイに帰属させてしまうのって怖いですよね。なにそれ解決できないじゃんっていう話になって、当の本人も生来的なことだから仕方ないんだよとかってに妄想した不幸に向かって嘆くのみ、という不幸で馬鹿らしい構図の出来上がりです。
そこで、こういった傾向ってなにが原因なの? ってふと思ったのですが、まあ傾向があることすら俺の観測範囲というのは置いといて、もしそういう傾向があったとしてらなにが原因なのかな、と疑問に思いました。
これって誰にとってもすっごい悲惨じゃないですか。バイト先で声が出せない、笑顔がうまく作れない、人と上手く会話できない。うわーん。私は内向的な性格で生まれつきダメなんだーって。こういった悩みは一年間訓練すればそれなりに改善できるものばかりで、そういうのが分からないとなんでもココロノモンダイにしちゃって、それを敷衍していくと、もう失敗の全てがココロノモンダイになってしまうんですよ。そうなったらやる気も元気もでない。
なんででしょーね。
http://anond.hatelabo.jp/20110718194705
愚痴続けるわw
最初に絡んだきた奴もさ、
なんか悪口っぽくなってしまうのだけれど。学部生,だと18歳以上とかか,にもなってそのあたりを自分でできないやつがいることが教官には想定外だと思うぞ。
と、書いてきたけど、
この人は、
きっと「コーチング」とか「インストラクショナルデザイン」とか知らないし、
知らないくせに、そのまんまスルーして、
「え、そんなこともできないの?」って書いてきたんだよ。
「お前が悪い」と個人攻撃をする
それが教育上なんの効果を生むの?
一番最初のほうにこう書いてある。
やる気や適性のせいにして、
問題解決のためのアクションをとらないことが多い。
これを個人攻撃の罠という。
「コーチング」とか「インストラクショナルデザイン」を知ってたら、
ああいうことは言ってこない。
知っててああいう文章を書いたとしたら、
俺を貶めたいという悪意があるってこと。
ハンロンの剃刀的に、悪意よりも、
単純に知らなかったという方が事実だろうけど。
まあ、匿名ダイアリーだし、優越感ゲームも多分に含まれてるか。
つい本音出たのかもな。
で、いいかい?
あんた部下を持つ立場にいる人間かどうかも知らんけど、
最初の奴みたいに、
「厳しいこと言うけど、なんでこれぐらいもできないの?」
と部下に言ってみたとして、
その部下が何か改善するの?
「厳しいこと言うけど」と前置きして、
「気を遣って言ってやってんのに!」とか思っちゃうタイプ?
脱線した。もとに戻そう。
元増田はさ、
あまりにも教師が「数学、かくあるべし」に固執した教え方しかしないから、
モチベーションも低下して、
一度ドロップアウトしたんだよ。
どうにかこうにか次の段階に進んだんだよ。
で、俺の場合は、足りてなかったのは、
俺はそこがわかんなかったの。
だから、目の前にある問題がとにかく難しく思えた。
それって論理的思考でどうにかなる問題じゃなくて、
もっと先のレベルのことだったり、
全体のこと知ってないとわかんない事なんじゃないの?
そこの部分ちゃんと読んでるの?
そういえばブコメで、
て書かれてて、そうだ、その通りだと思ったんだよ。
「なぜこのエピソードが成立しえたか」
を一番端的に言ってると思う。
アハ!体験させていただきました。
「あの花」最終回、もやもやするものが溢れてきて最後まで見れなかった。
誰が好き、誰が振り向いてくれない、理解できなかった、理解できた。
恋愛感情のあれこれを真っすぐに出しすぎなところが、もう無理。
録画を一時停止しながら、ゲームして気持ちを切り替えながら見てたけど、つることあなるのやり取り見てる途中で消してしまった。もう一度見返すこともないだろう。
もうすぐ30歳にもなる傷だらけの心に、傷が一つ増えたところでなんも感じないから、チビハゲキモイと罵倒されても、優越感ゲームのために馬鹿にされても、誘いをむげに断られても笑って流せるけど、あのやり取りは無理、逃げ出したくなるし実際逃げたし。
スポーツとか勝負事に関する嫉妬とか悔しいとかは理解できるし一緒に泣けるんだけどなぁ。
まともな恋愛してない年齢=童貞だから、逃げたくなるんだろうか?
好奇心からいろんなことにワクワクすることはあっても、人間関係で感情が高まることに年齢的にももう耐えられない。25くらいまではわりとそれも楽しめたのに。
真実の意味で空気を読める奴と言うのは、複数人の間に入って調整できる奴の事で、他人に「私に合わせろ」と言う人の事じゃない。
それはコミュニケーション能力的に見ても劣っている。
劣っている人間が、それでも他人を従わせるのは、コミュニケーション能力によるものじゃなく、別のメリットによるものだ。
権力、コネ、金、力、なんらかの理由により、その人と調子を合わせ「仲間」になることにメリットがあるだけ。
その集団が空気を大切にするのは当然だろう、それが「仲間」の証であり、集団にメリットを落としてもらうために必要な事なのだから。
空気を読まない奴と言うのは、その集団にメリットを見出さない奴だ。
下手をすれば利害が対立してるのかもしれない。
そこに向かって、「なぜ空気を読まないのか?」と問いかける行為には、ほとんど意味を見いだせない。
ちなみに俺は被害も停電もない道民。第三者の視点から客観的に見てそう思う。会社関連やTwitterの知り合い周りで脱出者出てるがね。
脱出勝ち組とでも言おうか、そういう奴の言動は、不謹慎厨より目につく。程度の問題じゃない。頻度と数の問題。 Twitterじゃ今はまあこれでも落ち着いてるが、数日前は「脱出成功wwwうはww」みたいな奴が溢れてた。
脱出することは責められない。会社に無断で逃げるのは論外だが、社会人として常識的に周囲に迷惑かけずに脱出するならどうでもいい。静かにいなくなればいいんだよ。それがいちいち、
とか言うから、反感買うんだよ…
脱出するのは構わないが、それを優越感ゲームに使って他人まで巻き込むな。脱出者が執拗に他人に「あなたは脱出しないの?」と言って来る原因の半分くらいは心配じゃなくて優越感ゲームじゃねーのと思えてくるよ。
ついでに言えば、音楽を作るのにかけた時間なんてどうでもいい。
「うわー俺まじ二時間しか寝てないっすよー」なんて生活でできた音楽と、毎日7時間睡眠でできた音楽。
かけた労力が段違いだろうと、それは音楽の評価には関係ない。
逆に、それを絡めて評価しようってんなら、それこそ大福Pの言うところの芸術の冒涜なので、やめるべき。
また、一次創作者だからって二次創作者より偉ぶることもまた芸術を道具にした優越感ゲームであり、冒涜なので、やめるべき。
もちろん、「改変禁止」というにもかかわらず改変するようなアホも、同じく冒涜なので、やめるべき。
世の中には、そういう風にして、「断ってるのにしつこい・・・。私困っちゃう☆」って言うバカがいるから。
これほんとに居るからね。
やっぱり人間には
「自分が求められている」ということを繰り返し確認したり
上の立場から人を振り回したり
っていうのを楽しむ奴は居る。
特に強気になって「人を人とも思わない女がイケてる」っていうバブル期価値観とその名残りは
アプローチしてきた男のどこかをあげつらって嘲笑したり引っ張ったりする優越感ゲームを生み出したけど
それが流行り過ぎて雑誌やテレビといったメディアに乗って垂れ流されるようになった。
そういうメッセージにも原因があると思うんだけどね。
アプローチで失敗したらただ断られるだけで済まされず
嘲笑された上で周囲に言いふらされるとなったら
よほど気か性欲が強い男以外は「二次元の○○ちゃん萌えー」になっていく。
それで世の中がこうなってくると
「草食系とか玉無しが多くてつまんない」と言い出してるんだけど
嘲笑とか陰口とか優越感とか、相手のことを考えないさもしい楽しみの為にハードルをガンガン上げといて被害者ヅラはただの馬鹿だ。
気に入らない時はキッパリ断ってそのかわり言いふらしたり馬鹿にしたりしない、簡単なマナーだと思うんだけどね。
こういう話をすると「キッパリ断ると逆恨みする男が~」っていう話を出してまた話を逸らしつつ被害者ぶろうとする人が居るだろうけど
そもそも右って言うのは
「自分達の国や民族や文化や生命財産を守る」って標榜なわけだから
狭量と言われてもだからなんじゃいなんだよね
これを左に当て嵌めると
「自分の職場の労使交渉で声を張り上げる組合員」が同質の存在だと思う
俺はこいつらはすごく理解できる。孕むヤバさもわかってるけど。
狭いっちゃ狭いけど、狭いから逆に不潔ではない。
こいつらを基本にしながらお互い少しづつ譲歩を模索するのが自然なあり方だと思ってる。
もっと地に足の着かないこと言い出した左っていうのは
上手く行けばいいんだろうけど大抵は「百合は腐ると雑草より臭い」を体現する存在に堕してる。
何のために戦ってるのかわからなくなって、結局個人の攻撃欲や高揚感を満たすだけになったり。
見下し感は左の人がネトウヨに対するものの方が大きそうとは思う。
ウヨは自分達の目的を見すえてて、サヨが邪魔になれば視界に入れる程度だけど