はてなキーワード: 自家中毒とは
別れた彼氏の話。
ひとつ年上の、穏やかで、繊細で、優しい人だった。料理が趣味で、旬の素材を使った和食とかお菓子とか、そういうのを作った話を楽しげにしてくれる人だった。綺麗な月だよ、なんて言って写真を送ってくれるような人だった。そういうところが好ましくて、付き合った。
付き合ってから、彼になんとなく変わったところがあった。同僚に彼女がいないことをこきおろしたり、割り勘派の私がレジで財布を開くのを嫌がり、「大きいのしかないから俺が払う、後で請求する」と言って店の外で半額回収するシステムを採用し始めたり。まあ些細な変化だ、と私はそれらを気にしないことにしていた。
彼はもっと変わり始めた。駅とか公共の場で俺が好き?って聞いてきたり、会って早々ホテルいかない?って言ったり、俺と前の彼氏どっちがいい?って聞いてきたり、ホテルのアフタヌーンティー行くのにバンドのコンサートグッズのTシャツ着てきて、俺こういうところに服合わせてらんないんだよね〜って言ったり。その頃にはもう私の好きな、穏やかで、繊細な彼はいなかった。変な男がいるだけだった。
別れたいと言った時、彼はショックを受けていた。彼曰く、私がそういうのが好きだと思って、無理してキャラ変したらしい。私がそんなのいつ好きだって言った?って聞いたら、言ってないけど、男らしくしてた方が喜ばれると思って、と言った。私が彼の家庭的なところ、優しいところを褒めるたびに当て擦りをされている気分だったとも言った。
彼は本当は、料理上手で感性が豊かなところより、年上らしく頼り甲斐があるとか、男らしいとか、そういうことで褒めて欲しかったらしい。だけど私は彼と身長も同じくらいで収入もトントン、学歴も同じくらいだからそういうので褒めるべきポイントがなかった。なのでその辺を特に褒めずにいたら、結局彼は自家中毒を起こしてしまった。
悲しかったけど、これはもう巡り合わせの問題だと思った。次を探すしかない。だけど、もし次に付き合う人がいたら、例えばペットボトルの蓋は相手ににあけてもらおう思った。そういうのを女が男にやってもらうのって大嫌いで、男女関係なくあけられる人があければいいと思っていたけど、男らしさモンスターになってしまった元彼が、「俺があけられなかったペットボトルの蓋を君が代わりにあけた時に、本当に嫌だった」と言っていたので。
あれに男の支持が集まったら自家中毒で死にそう
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
感想屋さんに依頼した。
動機は単純、自分の描いた絵が何に見えるか知りたかったから。画用紙に赤い丸を描いて、それがリンゴに見えるかさくらんぼに見えるか知りたかった。
目玉があって脳みそと繋がっているならどんな人でも答えられる質問(感想)だし、お金払った以上頑張って答えてくれるだろうから
「これはリンゴに見せかけた太陽で、生命の躍動を表現している」
といったヘンな感想を期待していた。
なんかもうぐちゃぐちゃだから箇条書きにするけど、
・返金トラブルがあった
・マシュマロ連投なにあれ?
・利用規約がめちゃくちゃ変更される
・納期聞いてもはぐらかされる
ヘンな感想は自分だけで楽しむつもりだったし、赤い丸をたくさんの人に見られると恥ずかしいからだ。
ところが料金がいきなり倍近くなったり、確定申告がどうのとかDMを晒すなとかどんどん追加されていく。横浜駅か?ってくらい増築される。
このままいくと
「気が変わりました!非公開依頼みーんな発表するし依頼した人も公開するね!」
なんてことになりかねない。
そうなる前にキャンセルしたいけど、トラブルになるのも面倒で、ひたすら感想が来るのを待っている。
さっさと感想もらって「はいさよなら」で楽になりたい。なのに納期いつですか?って聞いても
受けた依頼を全てこなすまで受け付け再開しないとツイートしていたけど、非公開依頼は非公開なのだから、積んでいても依頼者にしかわからない。
下手すりゃ永劫そのまんま。
僕の赤い丸は人質のまんま。
いっそ失踪中にnoteもツイ垢も消しておさらばして欲しかった。そうすりゃ3000円取られておしまいで、うわー面白い人もいたもんだ!で終わったんだ。
僕は今、感想屋さんは死んだのだと自己暗示してどうにか不安から逃れている。
逃げきれなかった上に吐き出さないと自家中毒になりそうだからこんなところに投げるんだけど。
目玉と脳みそがあれば誰にもこなせる仕事でも、こんな有様になることってあるんだね。
いやー面白い。そして同時に知りたくなかった。
依頼受け付け再開予定時期過ぎても感想こなかったらもうキャンセルでいいや。不安より楽になりたい気持ちの方が強いから。
あたりまえのことだけど、たくさんのフェイクを入れているしほんとうは依頼してないよ。
おけけパワー中島なる単語がツイッターに流れてきたから元ネタとそれに対する反応(悲鳴じみたもの)をいくつか読んでみたけど、1ミリも共感できなかった。
そもそも七瀬さんと友川さん、綾城さんとお近づきになりたいとか振り向かせたいがために取る行動が「自分の作品のクオリティを上げる」なのがまずズレてない?
相手に気づいてほしいなら、普通に考えて相手にコンタクトを取ればいいのでは…?別に相手は鍵アカウントでもないんだし、感想を送るなりなんなりさ。
そうじゃないお友達になりたいんじゃなくて実力で認めて貰いたいだけなんだっていう話なら、おパ島さんにあんな悪感情を抱く意味がわからない。
結局、自分から相手へのアクションは起こしたくないけど、相手に気づいてもらって、その上で相手に対して特別な存在になりたい、みたいな感じかなと理解したんだけど、初手からズレてるし、その謎ルートから外れてるっぽいからとおパ島さんに悪感情を抱いてるの独善的すぎませんか。
そもそも“神“に自分みたいな大した作品も作れない人コンタクトとるなんて烏滸がましい、みたいな思想があるのかなとも思ったのだけど、相手がそういうスタンスを明言してない限りそれってあなたの頭の中の勝手なヒエラルキーだし、それで自家中毒みたいになってるの生きづらそう。
勝手にヒエラルキー作ってその枠で自分を自縛して、その枠で勝手におパ島さんを裁いてるの、端的に言って怖い。
そこからその負の感情を創作に昇華させて偉い!という反応も沢山見たけど、最初の負の感情の湧きどころからしておかしいとしか思えなかった。
自分は同人創作まったく関わりない人間なのでよく知らなかったけど、こういうのが普通というならすごく息苦しそうなコミュニティだなとまで思った。
以上個人の感想でした。
性犯罪は滅びてほしいけど表現規制には反対などっちつかずのオタクだが、増田がとにかくしんどいのはわかった。正直、自家中毒に陥ってる感じはするけど「正しいと思ったことから離れることはできない」すごく真面目に生きてるなと思った。
リベラルな考えを捨てろとは言わないけど、少しだけ距離を置くというか、休みを取ることって、できないんだろうか? 今の垢を消して、新しい垢を作り直して、趣味とか楽しいことの話題だけが並んでるTLで生きてみるのはどうだろう? リベラル界隈のことはよく知らんけど、垢消しても追ってくるようなネトストまがいの連中って、Twitterにはそうそういないと思うので。
あとは他のコメにも出てるが、男性学とかメンズリブとか、男が「男らしく」生きる時のつらさに目を向けた研究もあるので、しんどくない時に見てみるのもいいと思う。個人的には、桃山商事やその代表・清田隆之氏の本が、わりと「あるあるネタ」的なとこから入ってて読みやすかった。
不勉強で、リベラルとかフェミニズムとか、思想のことは本当にワケワカランのだが、増田のような真面目な奴が、がんじがらめになって苦しんでるのを見るのは、とてもツラいと思った。キラキラの幸せとまではいかなくても、せめて平穏な気持ちで生きてほしい。
今や一億総ネットストーカー時代、つい我慢できずに失言したら人生おしマイケル、無数の名無しに人生破壊される
だからここや5chやガールズちゃんねるやツイッター、LINEみたいな閉じたSNS辺りに愚痴ったり本性曝け出して発散する人は多いと思うよ、俺もそうだ
でもさ、スッキリなんてしないワケ、何もクソリプやクソトラバされるからとかじゃない
思うがままに言って暴れても、全然気持ちよくなれない、むしろ止まらなくなる
自分の醜い所が二日酔いのゲロやノロ罹った時の下痢の如し勢いで、どんどんと連鎖して出てくるの