はてなキーワード: Apple Watchとは
某メーカー執行役員。役員報酬6500万円+株式報酬1500万円+配当500万で金融資産の純増が去年度は5000万円程度。
あと会社の経費が常識的な範囲でそこそこ使える。多分年間2000万円は超えてるはず。あまりプライベートと仕事の
区別はないので基本的に旅行とか食事とかはだいたい経費で払っている。
一応会社役員になるとワークライフバランスとか仕事とプライベートという概念はなくなって24時間仕事をしてる感じになる。
それがだめな人はどんなに経営能力があっても部長止まり。例えば今月の食事でいうと昼食及び夕食は全て仕事関係だった。
妻はそこに半分ぐらい同行している。家族ぐるみのお付き合い大事。なので1食大体1万~10万円ぐらいはかけることが多い。
あまり把握してないけどトータルで6億円ぐらいは資産あるんじゃないかな。主には投資信託。
基本的に年収はほぼ使うことはなくて会社の経費で生活してるようなもんなので全額積み上がっている。
家は職場近くのマンションに社宅扱いで住んでいる。売れば4億円ぐらいのところだろうか。
もちろん会社の所有物なので退職したら出ていくことになる・・・はずなのだが、引退したはずの役員とかでも相談役に
居座ることで一生住み続けることができるそうだ。
うちでいえばもし社長とかになれれば報酬はトータル3億とかになるし、経費も多少非常識的な範囲でも使えるようになるし
何と言っても直属の秘書が複数つくのが大きい。俺の職位だと秘書は下っ端役員で3人を共有なので若干不便なところがある。
マジかと思うかもしれないが、モンストとかに百万単位で課金してる人は結構いる。スマホゲーはある意味役員共通の話題だったりする。
俺ははっきり言って全く興味はないのだが話題作りのために同じく廃課金している。まあ付き合いみたいなもん。
まずゴルフは絶対。クラブも話題になるためにそこそこいいのを揃えてる。あとはやっぱ酒かな。酒が趣味じゃない人は役員になるのは
やっぱり厳しいだろう。ゴルフと酒はこのクラスの最低限の常識と言っていい。逆に時計はApple Watchみたいな正解が出てきた
お陰でだいぶ懐に優しくなった。とりあえずあれを付けておけば最低限のマナーになる。
やっぱり専用の社用車が一番欲しい。社長以外は基本共有の社用車なので使うのが非常にめんどくさい。
タクシーでもいいんだが呼んでも結局10分ぐらい待つことになるし、そもそも秘書が別件でいないこともあってそれはそれでめんどくさいことがある。
役員クラスになるとやはり金よりも時間が貴重なので全てのスケジュールで社用車 or タクシーを事前手配は必須なのだが
風呂に入ったし今からApple Watch 開封の儀を始める...
ホンマや
心房細動なんやね
心室細動のシグナルみたいなのはApple Watchで検知できないのかな?
それ見れるならApple Watch新しいのにしようと思ってるんやけど
まず私が使用しているiPhoneではマスクを付けた状態でのロック解除が出来ないことが理由の一つです。
現状、Apple Watchと併用することでパスコードの入力を回避していますが、このやり方だとエラーが発生してロック解除が出来ないときがあってそれが煩わしいのです。
ただ新しいiPhoneが発売される頃には世間的にマスクの着用の義務感は薄れているのかもしれませんが私はそれでもしばらくはマスクを着用するのでこの機能は必要としています。
そして次のiPhoneProではノッチがなくなるらしいと噂されていますね。
すっかりと見慣れたようでいて実は(私的には)全く見慣れていない煩わしいノッチが無くなるのであれば実に清々とすると思います。
あと最近iPhoneで作成しているファイルが肥大化していてCPUパワーみたいなのが不足しているのか処理が遅くなってきているので最新のハードウエアによってそれを解消したいと願っています。
👴「そりゃオメェ、apple watch をスマートウォッチって定義してるからだろうよ!」
Apple watch にきせかえオプションあるかもよ?
Apple Watchなどのウェアラブル端末しかいらないとおもってたしこれからそうなるんじゃねえの
Apple Watchっぽいのなら結構出てたよね
スマホを予想するためにはまず携帯電話が必要で、携帯電話自体は予測できてもさらにその次となると難しいんだろうな。そもそも携帯電話から出てきたiPhoneも結構馬鹿にされてたし、その前のiモードですらその小さい画面でホームページ見るって無理だろ笑みたいに馬鹿にされていた
Apple Watchは2年くらいで買い替える気持ちでいっとこ。
映画が好きだった。いや、大好きだった。
こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。
本当に映画が大好きだった。
映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズ、イオンシネマ、ユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホール、シネマヴェーラ、新文芸坐、早稲田松竹、地域の映画上映会……。
コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機のニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。
2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。
たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活。
それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。
どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。
ずっと映画のことを考えていた。
接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。
九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。
それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。
4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。
いくつかの症状は対症療法で苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。
ふと、ネットフリックスを見る。
『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサン・ラーソンの自伝的舞台が原作だ。
ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。
テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE。
手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。
映画が始まる。
これは持論だが、テレビやラジオと映画の大きな違いは「出演者のカメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者はカメラを意識している。だが、原則として「俳優がカメラを意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビやラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。
妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。
それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。
手元のApple Watchの心拍数を見る。心拍数は安定している。
物語は続いていた。
『チック、チック…ブーン!』は90年代のニューヨークを舞台にしたミュージカル。美しいメロディとウィットに富んだ詞、そして優しい物語。
主人公の三十路前のジョナサンはミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサーの恋人、LGBTの広告マン、そしてHIVの友達。
HIVなので「やあ、今日のT細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。
観ている間、ずっと涙が止まらなかった。
観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。
それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。
途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。
でも、いいじゃないか。
ラーソンのミュージカル『RENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。
歌詞がなかなか興味深い。
525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。
歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。
自分も思い浮かべてみる。
Suicaを改札にかざす回数。
上司に怒られる回数。
後輩に冗談を飛ばす回数。
朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。
映画館に行く回数。
8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。
何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。
でも、いい言葉だと思った。
例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。
そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。
決して今までの人生に負けてない。