はてなキーワード: 葡萄とは
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田舎には無いお味がする… お花みたいなあじがする…もにょもにょする…
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お魚の粉が入ってるあじがする…
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これは心で受け身が取れた味
ヘーゼルナッツの味がおいしい
サラミと合わせると脳がパキるおいしい
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トリュフ苦手だったけどこれな臭みなくておいしい
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う、うまい 今まで食べてきたパンナコッタで一番美味しい もう組み合わせ時点で優勝なのにさらにおいちい
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バクラヴァって何?ググった
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カシスの風味が鼻をかけぬけて美味しい
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クロスタータって何?ググった
美味しい
昔食べてたミキプルーン思い出した
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誉れ高い味がする…
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ゼッポレ
ゼッポレって何?ググった
のり塩の味がしておいしい
もちもちしとる
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知らない単語が連なってる
これは予想できる味おいしい
でも赤いのにトマトの味しないのなんの味付けなんだろ
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きのこの旨味をどうやったらこんな風に閉じ込められるんだろ蒸し?
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これは頑張れば家庭で再現できるかも?と思ったけど豚ブロック肉の大きさと柔らかさは圧力鍋使わなきゃ再現できなさそうなので解散圧力鍋こわい
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これは頑張れば家で下位互換作れるかも?
マカロニアンチョビオリーブの実 かさ増しにシーチキンつかえば再現いけるか?
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カンノーリって何?ググった
田舎では食べられない味…
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後半キャラメルの味が強くなって良
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うん、カヌレだ
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薄い!肉!うまい!
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モンブランあんまり食べないから特別美味しいのかどうかわからない…栗の渋皮煮と土台にはテンションあがった
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以上
色々頭使いながら食べたからつかれた
男性だらけの職場で理系の女として5年以上働いてきたが、男性と結婚したくない
正確には、もしも結婚したいほど愛せる男性と出会えたら嬉しいし、そういう意味での結婚はしたいが、そんな愛せる男性がいるとは思えない、という状態に陥っている
たぶん世間の婚活女性から見れば、男性の勤め先としてうちの社名が出たらそれなりに目が輝くと思う
けれど同僚として見ていると、男同士で息をするように女性を見下すようなことを言うし、平気で弱いものいじめするし、働き者でもなく頭も実はさして良くない
日々自分の世話をしてくれている結婚相手の女性について、耳をふさぎたくなるような発言が職場の雑談で飛び交っている
ホモソーシャルってそういうふうに自分のパートナーを下げあって絆を作るみたいなところあるのだろうけど、そもそもそんな事しないと深まらない関係なんているのかしら?
あまりにも情けない恥ずかしいことだと思う
全員がそうでないにしても、集団として日々見ていると他者に対する思慮がある男性って存在しないのか?と考えてしまう
そもそもそんな会社に入ってしまった自分の愚かさを呪うべきなのだけれど、学生のときは気付かなかったんだ
ついでに最近は、学生時代の知り合いの男性のうち、女性のことを「穴」と呼ぶだとかそんなような女性を人として見てないような人達すら結婚し始めた
あんな、女性について信じられないような差別用語を使っていた男性達、どんなつもりで女性と結婚なんてことになっているんだろう
でも多分、自分のことを誤魔化しているのではなく、心の底から葡萄が不味そうに見えてしまっている
せめて葡萄が美味しそうに見えたらいいのに
それはそれでつらいのだろうけれど
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。