はてなキーワード: 葡萄とは
住みたい街に住める点。これだけは間違いなく事実だ。
子育てのストレスがどうとかは「酸っぱい葡萄だろ」と言われたらそうでないことを証明はできないし、「高齢者になったときに後悔するぞ」というのも同様。趣味やらは子育ての喜びに比べたらカスみたいなもんというのも実際そうなのかもしれない。
でももし子供を持っていたら住みたい街には住めなかったというのは客観的事実なんだよなあ。「住みたい街」というのは、具体的には言わんけど、東京で60~70㎡くらいの子供が1人いたらちょっと狭いなというマンションが1億円くらいする地域などだ。自分たちのように、特に実家が太くなく、親の援助やら相続やらは全く期待できない人間でも、ちょっと仕事を頑張れる能力さえあればそういうところに住むことができる。
子供がいたらこれは絶対に無理だ。養育費がかかるのもあるが、何よりフルの共働きが実質的に不可能になるため世帯の生涯収入が激減するからだ。そうなれば住みたくもない郊外のナントカヶ丘みたいなところに引っ込んで家と公園とイオンを巡回する生活をするしかなくなる。
生まれがいいわけでもなく、圧倒的能力で全てをねじ伏せられるほどの才能もない我々のような人間が、欲しいものを手に入れようとしたら他の何かを諦めるしかないと思う。子供を諦めると極めて大きな経済的余裕が手に入るということなんだよね。
氷河期世代ってことは40歳より上?20代半ばみたいな文章でキッツイ。...大変申し訳無いのだが、『酸っぱい葡萄』の狐ですなぁ口コミに踊らされてるの、辛いね。
これって酸っぱい葡萄(自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみ)であることを論理的に否定できないから黙るんだよね?わかるわ。ワイも酸葡萄食べてる
本来書く必要もないんだけど、「酸っぱい葡萄」とか言われてるので一応書いておく。
私には子供がいる。
もし私に子供がいなかったら、ということを考えてみると、私の場合は、今の方が幸福度が高いと思う。
大変なこと、辛いことが10倍になったが、嬉しいこと楽しいことが100倍になったイメージ。
まあこれも酸っぱい葡萄なのかもしれないが。
(もちろん、これは私の場合の話であって、「およそ子供を持った人は持たない人より幸せである」とかそういうことを言っているわけではない。)
子供を産まない理由として経済的理由を挙げる人は相当数いるし、現状の子育て支援策が不十分であるという主張は理解できる。
元増田の言うことにはわりと共感できて、元増田と私との違いは、結婚するしないを除けば、子供を持つことによる幸福度の見積もりの違いなんだと思う(収入・資産も違うかもしれない。)。
一方で、一部のブコメには賛成できなかった。
元増田の文章に煽りを見出したのかもしれないが、私には煽りとは思えなかった。
恩恵を受けておきながら…
抽象化すると、「選択肢A、Bがある時、Aを選択した者は、Bを選択した人たちの恩恵を受けている場合、『Aを選択して良かった』と言うのは身勝手である」ということになるけど、別に身勝手には思わない。
①選択肢B6 は、誰もがやりたくないけど、誰かがやらなくてはいけないことである、②恩恵を受けないで生活するという方法がある、③選択肢Bの容易さが全員にとって概ね同じである、という条件が足されればまだ分かるが、現代の日本における出産・子育てがこれに当てはまるとも思えない。
純然たるお気持ちであれば自由だし、そういう人もいるのかな、とは思うが、スターが多数ついてて少し驚いた。
酸っぱい葡萄
自分を納得させるため
そのような文章には思えなかった。
子供を産んで良かった、という文章だったら、そんなブコメもつかない(ついてもスターはたくさんつかない)気がする。
俺は子無しで有り難いと思ってるが、何か?
下らない例えで言ったら「フェラーリだのポルシェだの...」。
でも俺にとって「子供、子育ては」すっぱい葡萄ではないって感じ。
それを言うと周囲の人間が「それが「すっぱい葡萄」ってことなんだよ」という。
あえて言わせてもらいます、
ち が う ん だ よ !
苦手なの、いやなの、嫌いなの!
なんで分かってもらえないかねー。