はてなキーワード: 堂本剛とは
さらっとギターと自分の声だけで勝負する人間全てをdisりやがったなこの野郎。福山なんかぶっちゃけどうでもいいがこれだけは許せん。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
なんで「ギターと自分の歌声だけで勝負する」人間が「本当に音楽が好きではない」みたいなことになってんの?
ギター一本で勝負出来ない奴こそ、シンプルなソングライティングから逃げた、とも言えるんじゃないの?
お前の頭の中こそ「多様な音を入れなきゃいけない」信仰に囚われてるんじゃないのか? 本当にすごいギター一本の演奏にじっくりと耳を傾けたことがあるのか?
でもギター一本でリスナーの魂を抉り出そうとしている人間が、色んなジャンルをつまみ食いしている音楽をやってる人間に劣るなんてのは、どうしても納得できない。
俺は全く判らない。
「福山ロス」と騒いでいる女の人たちに聞きたいし、教えてほしい。
男性のファンの人たちにも教えてほしい。
福山雅治のどこがいいんだ?
確かに、カッコいいとは思う。
けどカッコいい男なんて、他にもいっぱいいるだろ?
俺はすごく音楽が好きだ。日本のフォーク、ロック、ヒップホップ、渋谷系、パンク、アニソンと、いろんな音楽を聴いてきたと自負している。
外国の音楽もいっぱい聴いていきた。テクノやハウス、エレクトロとかプログレッシブなんたらといったジャンルまで、一通り聴いた。
個人的には、渋谷系とかハウスとかの音楽が好きになったんだけど。
そんな風にいろんな音楽と比べてみて、福山雅治が作っている楽曲が、すごくいいとは思わない。
確かに、たまに「squall」とか「桜坂」を聴いたりしたら「あっ、懐かしいな~」「いい曲だな~」とか、思ったりはするんだけど。
基本的に、ギターしか使ってないんじゃないのか?いや、俺の勘違いだったら訂正してほしい。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
音楽に対して、さして好奇心がないんじゃないのかって感じるんだ。ビジネスとして売れるかどうかという考えの比重が大きいんじゃないのかって。
その音楽に対する情熱の希薄さのようなものを感じて、どうも好きになれない。
いや、福山雅治の歌をいっぱい聴いているわけじゃないから、フォークっぽい楽曲以外もあると思うし、打ち込みを多用したり、ギターに
サックスやキーボード、ストリングスとか加えた編成とかで、「It's only love」「家族になろうよ」等の有名なバラードからは想像もつかない
ような前衛的な曲もあるかもしれない。
だからファンの人には「福山雅治はほんと、音楽が好きなんだな」って思うような曲を、俺に教えてほしいんだ。
福山の歌はいいんだってことを、プレゼンして、俺を納得させてくれ。
それとも俺の勘違いで、「歌じゃなくて、俳優としてのましゃが好き!」っていう理由とかか?
そういう人の方が多いか?
個人的には、そんなに悪くないと思う。
でもやっぱり、何か、鬼気迫るような感じとか、激しい喜怒哀楽の噴出とか、物足りない。
個人的な持論になってしまうが、2枚目も3枚目も演じられる俳優の方が、カッコよくないか?
「愛なんていらねえよ、夏」でシリアスな役柄も、「ストーカー逃げきれぬ愛」で変態役も演じた渡部篤郎とかの方が、
俳優として振り幅があって、カッコいいと思わないか?
岸谷五朗のように、渋い表情をした刑事役も、育ちの悪そうな教師役も出来る俳優の方が、カッコいいと思わないか?
アクションも出来る佐藤健やウォンビンとかイ・ビョンホンの方が、カッコいいと思わないか?
つまり結論を言うと、俺はあんまりいい評価を下していないんだ、福山雅治について。
音楽アーティストとして、俳優として、もっと優れていてカッコいい人はいると、個人的に判断している。
そして、バラエティ番組にあまり出ないだろ?その値打ちこいている感じも気に食わないんだ。
歌も俳優もバラエティもやるっていう方向性なら、何も文句はない。
だが「バラエティタレントじゃないんだぞ俺は」と、アーティスト・俳優としての見栄を切ってるんだから。
音楽アーティストとして、俳優として、評価の俎上に上げて、いろいろ言ってるんだよ。
いったいみんな福山雅治のどこが好きなんだ?
福山雅治をdisりたいわけじゃないし、disる目的で日記を書いたわけじゃないんだ。
間接的にdisることになってるかもしれないけど。
けど、しょうもないやっかみで福山雅治を非難しているわけではないってことを、理解してほしい。
俺は判らないから、納得したいだけなんだ。
単にマスコミが騒いでいるだけで、本当はそんなに福山ファンいないんじゃないのか。
ビジュアル?歌がいいのか?演技力?総合力?さらっと下ネタ言えるところ?
教えてくれ、福山雅治の魅力を!
トデス◯自体については言及をしない。
ブコメやその他ひとことで、
「いい話だ」
「いい話っぽい」
って簡単に良く言ってるヤツ、すげぇ、ダセェと思う。
的外れすぎる。
いや、いわゆる「いい話」じゃない話に敢えてそう言ってるのは分かるのよ?そんくらいは。
フリが全然効いてないのに堂本剛みたいな「オレおもろいでしょ」ってな顔で、
しょうもないジャブ出してジャニーズ的しょうもない笑いを鵜呑みにしてるが如しい。
例はこれだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000011-kobenext-l28
そういうの、よくないよ!
「ビートルズってオリジナリティあってすごく良いんだよね〜」ってしたり顔で言うぐらい
高卒のオレでも重んじてるんだからお前らには余裕だろ、この野郎。
「オレ、俳句読むの趣味なんだよね」って言いながら季重ねしまくるぐらい傍ら痛いわ。
なぁ、正直に言えよ?「僕はうまいこと言えません」ってよぉ?
誤魔化すなよ、なぁ?つまんない自分を誤魔化すなよ?
「いい話」なんて高等なひとことを言えるのはよーく訓練を積んだ、
つまり、えの素みたいなシュールギャグの基礎をちゃんと押さえたやつだけなんだよ。
なんであの当時って、「人間失格」とか「家なき子」とか「星の金貨」、古い小説とか童話のタイトルをドラマにあてたりしてたんだろう。
リメイクというわけでもないし。
ドラマの「星の金貨」は作中でグリム童話の星の金貨の話が出てくるから、まあわからないでもないけども、「人間失格」と「家なき子」は原作とどうつながってるんだろうか?
実写版小公女セーラみたいに、中途半端に現代日本を舞台にされてリメイクされても困るけど。
それとも、当初の構想は原作のオマージュだったりしたのだろうか?
いじめを苦に登校拒否してドロップアウト後に、堂本光一とラブラブになって、心中未遂をするも堂本剛だけ生き残って、嫉妬に狂った黒田勇気とドロドロで、みたいな話にするはずが、
「陰湿ないじめに耐えるおしん路線のままのほうが日本人に受けるんじゃね?」
と路線転換。
とかそういうのだったりして。
普通のことです。
その人について書きます。
それについては今まで色々見て感じて仕方ないなと思う部分もあります。
この人に自分ルールがあることを認識してもらい、見つめ直してほしいです。
この人を刺激すると益々ひどくなるという人もいるのですが、これ以上ひどくなっても同じ気もするし、刺激しなくても益々ひどくなっているように感じるので書きます。
できればたかのさんにも読んでいただきたいです。
彼女は以前堂本剛のファンだったのですが、今はTwitterにて一日に何時間も剛の批判を繰り返している人です。
彼女なりの信念があるようです。
ただ批判内容がツッコミどころは満載です。
それは違うんじゃないのと言いたくても、KinKiファン、堂本剛ファンの意見は即ブロックだそうです。
会話を望める状態じゃないです。
もう仕方ないです。
だけど、批判をする際、お願いだからフルネームでつぶやくのはやめて欲しいです。
彼女は堂本剛がエゴサーチしているから敢えてフルネームで書くということらしいです。
批判内容に筋がある人だったらそれもいいです。
批判に目をつぶっているだけではファンも堕ちます。
根拠の固い批判だったら多くの人の目に写すためにフルネームもいいと思います。
考えるきっかけを与えてくれる批判というのはとても大事だと思います。
(こういった話しをすると、堂本剛に問題がある、批判に聞く耳を持たないからという意見もでるかと思います。それは間違っていないとも思っています。ですが、今ここではたかのという人に焦点を当てているのでご了承下さい。)
堂本剛の行動全てが批判の対象になっているのかと思うほど多彩です。
確かに私から見てですが事実と思われることも多く書いてあります。
でもそれだけにはとどまっていないです。
彼女からしたら自分の考えは真実だということに疑いをもっていないのだと思います。
真実が見えている自分だから正しい方向へ導こう、としているように思えます。
ある一つの“事実”があったとしても真実は別の場所にあったりもします。
人の捉え方によって正反対に変わったりもする。
ただの一ファンが真実を知っているなんて思い上がりです。
「堂本剛さん。あなたはKinKi Kidsから手を引きなさい。」
「(要約)東日本大震災後の堂本剛の活動は独りよがりだった。参加できる現地の方はおそらく少なかっただろうから、現地のことを考えることができない堂本剛さんの失策だと思っている。」←失策って。善意もあなたにかかれば策略。
また、堂本剛に伝えるという目的とは思えないファン批判ファン落としにも必ずフルネームを使用しています。
「堂本剛ファンは狂っている」
「堂本剛ファンは不幸だ」
「あなた、被害者ぶってこういう事を言っても何にもなりませんよ。堂本剛のいろんなことを冷静に見なさい。たくさんの人を堂本剛の言動が傷つけていることを。」
「KinKi Kidsファンと堂本剛ファンは何で独りよがりで傲慢な人ばかりなのか?」←あなたは?
これだけ毎日毎日多くの人を不快にしているのに、「堂本剛ファンは人の気持ちをわかろうとしない」と平気でいいます。
恐らく彼女の頭の中では自分ルールがあり、その自分ルールにおいては自分の行動はすべて正当化されていると思われます。
というような主旨でした。
この短いつぶやきだけでツッコミどころをたくさん感じる人も多いかと思います。
それは置いておくとして、自分は正しいことを言っているからおかしいのは向こうという要旨。
こういった考え方できたら楽です。
でも、そんな自分ルールを作っているたかのさんから身を守りたい人も多いです。
私は以前のこの人の発言はそれなりに好きでした。
たまに強固に出ていたときもありましたが、今ほどではありませんでした。
いろいろな葛藤もっているんだと思っていました。
その気持ちはわかります。
ですが・・・どういったきっかけがあって今のようになってしまったかは知るよしもありません。
この人の自分ルールで迷惑している人が多くいることを知ってもらうにはどうしたらいい?
この記事を書いたことで少しは知ってくれるでしょうか?
同じクラスに居たと思われるのを見るだけの、ただの自分的メモ。
入学年(生年)
1987(71-72) 筒井道隆
1989(73-74) 稲垣吾郎 赤坂晃 佐藤アツヒロ 深津絵里 高橋由美子 桜井幸子 夏川りみ
1990(74-75) 草彅 剛
1992(76-77) 松岡昌宏
1993(77-78) 市川海老蔵 ゆってぃ 伊嵜充則 松たか子
1995(79-80) 堂本剛 ともさかりえ 佐藤仁美 山口沙也加 水樹奈々
1996(80-81) 岡田准一 山崎裕太 高橋一生 野波麻帆
1997(81-82) 中村勘太郎 金子ノブアキ 徳山秀典 安達祐実 佐藤江梨子
1998(82-83) 深田恭子 加藤あい 藤原竜也(中退) 塚本高史(中退)
1999(83-84) 松本潤 中村七之助 水川あさみ 平山あや 松田龍平(中退)
2000(84-85) 生田斗真 尾上松也 郭智博 綾瀬はるか
2001(85-86) 城田優 小池徹平 山下智久 田中聖 長谷川純 北山宏光 小谷幸弘 蒼井優 大塚ちひろ 上戸彩(中退)
2004(88-89) 石黒英雄 植原卓也 中山麻聖 藤田玲 小柳友 戸田惠梨香 多岐川華子 TAKA(中退)
2005(89-90) 薮宏太 柳楽優弥 栩原楽人 青柳塁斗 若葉竜也 黒川智花 小林涼子 林丹丹
2006(90-91) 三浦春馬 戸谷公人 八乙女光 福田沙紀 蓮佛美沙子 尾高杏奈
2007(91-92) 有岡大貴
2008(92-93) 永嶋柊吾 忽那汐里
元KinKi Kidsファンがお送りする現在のKinKi Kidsとそのファンの動向について
ファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながらどんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と、
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、
今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか?
KinKi Kidsとしての活動に火種を撒き散らすのは常に剛。
かつてファンだった人にここまで本気で嫌われるジャニタレは初めてではないかと思われる。
ネット上にはKinKi Kidsに対し解散要求を出すファンがいる。
これは異常な状況である。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
どちらかと言えば剛が/光一が好きなどを含め、KinKiの二人ともを好きな人たち。
通称「剛オンリー」。
しかし光一を否定する人が少ないため実質的にはほぼKinKi Kidsファン。
半数以上は剛アンチを兼ね備えたファンと思われる。
剛を受け入れることができず、KinKiファンを辞めざるをえなくなった人、またはKinKiにいる光一を楽しむことができなくなった人。
病的なまでに剛を嫌っていることもある。
「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならない辛い立場。
KinKi Kidsとしての活動のクオリティは光一ソロ活動のクオリティより低い。
剛がKinKiとしての活動のクオリティを下げているとも言える。しかし剛ソロ活動のクオリティはKinKiとしての活動よりも劣る。
<図式>
光一ソロ>KinKi Kids>>>>(越えられない壁)>>>>剛ソロ
なので剛ファンはKinKi Kidsに固執する。(剛はソロでいるときよりKinKiでいるときのほうがかっこいいため。)
対して光一ファンは剛がKinKiの足をひっぱっていると思っており、「光一はソロでのみ輝く」と言う。
KinKi Kidsの黄金期の活動の根幹は10代の頃から音楽・演出の勉強を重ねた光一が作っていた。
光一が主軸となってスタッフと相談し、意見を言い、切磋琢磨しながらKinKi Kidsを盛り立てていた。
当時、剛のご機嫌にコンサートの出来不出来が左右されるため、
「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねー」「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」などの会話は当たり前。
※この頃、剛も光一の方針に協力しているものと思われていたが、
実際には剛は後になって「周りの大人達の言うことを聞いてきた」と述懐している。(後述)
「自分は優しい人間であるから、周りがやって欲しいことに従ってきた」と、KinKIの活動方針に口を出し始めた剛。
しかし、ショービズについて真面目に取り組んで勉強してきた光一とはすでに雲泥の差がついており、
技量がないため何もかもうまくいかず、
などの暴挙を繰り返す。
一例:
演出に介入した結果、よかれと思って光一を蔑ろにする剛(『月刊テレビジョン』2006年7月号)
剛 「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
光一「ふ~ん、そうなんや」
剛 「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
光一「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
剛 「ウソなんや(笑)」
上述の流れにより、KinKi Kidsは加齢に従い剛色が強くなっている。
光一ファンは異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいるが、
KinKiファンはKinKiの二人の立ち位置が近い(仲が良く見える)だけで歓喜するレベルに堕ちている。
KinKiでの活動では本気出してない。(剛色が強いので出しようがないとも言える。)
光一ファンは「KinKiでは本気出してる光一は見られない」ので、KinKi Kidsの活動に金を落とさなくなっている。
これはKinKi Kidsにとっては痛手。
しかし剛色を薄めるためには光一自ら剛を否定しなければならない現状。
(剛が自分から態度を改める見込みがないため。)
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言い、
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執。
剛を否定しないファンは剛をとにかく甘やかしてちやほやする傾向。
KinKi Kidsの今後の活躍にご期待ください!
とあるアイドルの話。
ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。
ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と。
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。
そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。
未来は見えない。
だから、興味深い、と思う。
ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。
ネット上でのことなんて、リアルな世界の一部でしかないとも思うし。
実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。
それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。
ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。
常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。
それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。
否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.、デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。
ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。
と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。
自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。
本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。
どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
KinKi Kidsのファン。
堂本剛のファン。
堂本光一のファン。
同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。
KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。
こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。
が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。
たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。
こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。
剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。
ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。
少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。
その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。
逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。
結局、クオリティがKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。
そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。
かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。
まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。
簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。
でも、光一本人に嫌いになる要素がない。
ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。
剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。
終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。
否が応でも眼に入る。
そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。
それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。
そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。
ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。
光一の表情が明らかに違うこと。
(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)
KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。
大切な金銭を消費する理由はない。
そう判断をくだすことができたということ。
KinKiにとって不幸だったのは。
光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。
下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。
10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。
今の光一の仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。
うまく廻っている時期があった。
それが黄金期だった。
剛があまりその辺に興味がなく。
のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。
光一がメインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。
スタッフと相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。
ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。
たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日のコンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。
のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。
ファンは常に剛の顔色を窺う。
今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。
機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。
しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。
コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。
そういう会話が当たり前だった。
(否少なくとも、今でもそうだと思う)
ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。
毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。
光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。
お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw
で、当時は済んでいた(自分的に)。
でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。
それから。
剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。
それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。
最強のグループにするためのものだったらよかった。
というか、普通そうだろうと思ってた。
そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。
剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。
それは、光一やスタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。
そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。
後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。
そのうち「周りの大人が自分の意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。
結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。
コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害や過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。
病気を持ち出されたら、何も言えない。
どうすることもできない。
ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。
ファンは心配することしか出来ない。
そして、ふと我に返る。
コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?
なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?
なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?
なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?
気付いたファンは、疑問を抱く。
そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。
光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドのメンバーに逢って救われた」と言ったこと。
光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一は音楽に興味がない」と発言したこと。
自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執していること。
年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。
10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。
どうしても引っかかってしまうファンが増えた。
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。
若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。
それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。
彼が携わった作品に、全てが顕れている。
本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。
出来上がったものが、全てを証明している。
私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像は光一だったりする。
観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。
どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。
歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。
口先だけの言葉はすぐにバレる。
全部、作品に出るから。
しない、のではない、できないのだ。
剛が観客を巻き込む。
スタッフを巻き込む。
妄想かもしれない。
でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。
誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。
真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。
仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。
そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。
そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。
(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)
KinKiは衰退して行く。
KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。
ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。
少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。
剛を否定することは許されないネット上の状況も。
光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。
剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。
結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。
剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。
剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。
どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。
たかがジャニヲタの。
たかがいちアイドルグループの。
本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。
すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。
これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。
こんなに興味深い観察対象はない。
ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。
T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
K「ふ~ん、そうなんや」
T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
T「ウソなんや(笑)」
K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」
これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。
自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVDの編集に自ら口を出すこともないけど。
こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51441030.html
今年30歳になる、有名人
タイゾー君とKinki Kidsと釘宮理恵とエビちゃんとBump of Chicken。
かくいう俺も今年30だ。なんというか、子どもの頃30と言えばもっと成熟するというかもっっとおっさんになるというか、そう思っていたのに意外と20の頃と大して変わっていないことに驚愕というか、何とも言えないため息が出る。
いろいろ追記。そういえば、レミオロメンも前田は今年30、藤巻と神宮司も来年30。麒麟も今年30だ。いわゆる「松坂世代」は来年三十路。
http://ccf-square.blogspot.com/2009/01/21.html
わざわざ釘宮を上げたのは、「いつまでツンデレ少女の役をやれるか」と思ったから。これはアイドル路線で売ってきた女性声優共通の問題だけどね。
同じように「Bump藤原はいつまで青臭い歌詞をかけるか」「堂本光一はいつまで王子様キャラでいけるのか」「タイゾー君はいつまで代議士でいられるか」と思ったから。30っていろんな意味で「壁」だよね。
今堂本剛の正直しんどいやってるんだけど、髪型とめがねのせいだろうけど、なんだか堂本剛がキムジョンイルに似ていると思った。
ダメすなぁ。ついに夜中にレディへ聴きながら涙ぐむような精神状態になってきたすなあ。ざ・ファッション欝でございます。ファッション鬱ほどヴざいものはないよねー。「もう死にたい…」。じゃあさっさとしねばいいじゃない。
さて、じゃあ死にたくない俺はなんと罵倒されるのが妥当なのでしょう。「じゃあ生きればいいじゃない」とかですか?頑張って生きてるんだけど、いかんせん右手の親指が痛い。キーボード操作でゲームやりすぎたせいで右手の親指が腱鞘炎疑惑。俺がグレイプバインのベーシストであったならそろそろ脱退の時期であろう。それぐらい痛い。
そんな俺はいわば少し鬱っぽい時期の堂本剛。どんなに貸す散るのパクリ歌唱とみんなが石を投げ付けようとも俺は堂本剛をかばいます。彼は緑色のグレッチを所有している好青年です。それに比べて、トキオ松岡の俗っぽい司会者ぶりといったらありゃしない。なんかたまたま動画見ただけだが、あれはひどい。僕は彼と対峙する勇気がない。
だからどうしたのかとトハレ?トワレ?今ガチで「問われる」の読み仮名がとびました。ダメかもしれない。だんだんと「鬱っぽいってウソだろ」という視線が集まり始めた気がしています。それとももう最初の産業で…三行すら変換できないこの携帯と付き合っていく自信がもうありませんが、確かに俺は全然鬱ではない。当たり前だバカ。ただ、なぜこんな真夜中に真っ暗な部屋で携帯を握り締めて痛みの走る親指を酷使しているのかと問われれば!トワレれば!コメントでもつけばなんとなく日常の幸せ量が増えるからだと言いましょう。
昨日、大学にゼミの何人かで集まりましてね、課題の文章を泊まり掛けで書いたりしていたわけなのですが、もう終わったら終わったで酒が飲みたくて飲みたくてね。普段ジュースばっかだから、家で酒なんか飲みませんよ?下手したら毎日Qoo飲んでOLから絶大な支持。まぁ飲んだかは定かにいたしませんが(ここで、元野球選手の定岡ってもうテレビでまったくみねえなと思う)、酔っ払ったときの自分の笑い方の特徴を把握した、とだけ言っておきます。
久しぶりに何にも考えずテンション高くなれて非常に楽しかった。あまり現われることのない、適度にテンションの高い自分のことを俺は愛してます。そんな愛すべき俺は、「日常のモチベーションって何で保ってるの」と聞かれ、とても言語化するのが難しい議題だなあ一体俺は何が楽しいのでしょうと思いつつ、「なんか日常の小さな幸せの積み重ねとか」と答えていました。素面の下等民族である今の俺では到底言えない台詞。惚れる。いっそのこと掘られてもいい。俺のケツなど消耗品だ。確かに毎週月曜にジャンプが読めなくなったら俺の目は死ぬ。ちなみに、鏡を見るたびに俺は目が生きているか確かめますが、今のところなんとか生きています。こうして俺はもうしばらくしたら、電車の中でジャンプを読むサラリーマンの仲間入り。
ここでさきほどの日常幸せ量子論に帰結。
確かにクロノトリガーを三日間ひたすらプレイし、時間を無駄遣いした俺はバカです。じゃあアレですか。もっと学生時代にしかできない有意義なことにでも時間を使えばいいのだろうか。有意義なものってなにかね。できることであるならば、それこそ毎日酒飲んで殴りあいでもしてクソみたいなことを共有することのほうが比べものにならないほど重要視するべき(一番)。 いや、まあ全部ウソ。ホントは俺だってたまには充実した日常の光景でも日記に晒したい。やりたいことがある、頑張っている人間が輝いている(二番)ことぐらいゆら帝風に言えば俺は三歳で気付いてます。
で、この本音と建前、どう扱おうか。どっちもいらないんじゃないか説が出てくるわけで、なんかアレだ。うまく説明できず、ハルヒの長門風に言えば情報の伝達に齟齬が発生するかもしれませんが、ネガティブな意味ではなく、現実逃避なニュアンスがない感じで、「一体それが何になる」だ(三番)。
以上、この三つをバランスよく組み立てて臨機応変に生きたいものです。二番目多めが一番よろし。要は、得たことなんて最終的には死んでしまえば全て無くなるし何の役にも立たねえと思いつつもそんなことはおくびにもださず人生には手を抜かず輝く人間。これが理想。
すごいなぁ。ほんとにすごいなぁ。
これはすごいなぁ。林先生の出番かなぁ。
自分の顔写真さらして、住所さらして、、なんだろう。顕示欲が凄いのかな?
顔だけみると40近そうだけどね。
http://blog.goo.ne.jp/water_gab/e/b39b54b71fe776cdd8422815f00053db
ジャニーズ事務所でいえば、
最近まで分からなかったんですけどね??。
ようやっと分かりました。だから
(゜昼゜)<さすが大天使。みんながもしかしたらそうなんじゃないか?
と思っていた事にすんなり結論を出されるわけですね。