少しずれてる。
哲学的ゾンビを理解するためには、酔っ払って記憶を無くした人について考えてみるのが一番わかりやすい。
酔っ払って記憶を無くした人は、別に何かができなくなるわけじゃない。
他の人と会話できるし、もちろん歩けるし、悲しい話を聞けば泣く。記憶を失う前と全く変わらない行動ができる。外から見ても違いは分からない。
ただ、本人に意識はない。
会話中の相手の顔も目には入っているし、脳でも理解している。ただ"意識"してはいない。
話を聴いて、理解して、「つらい話やなぁ……」と泣きながら応えることができても、悲しいという"感覚"を感じてはいない。
この「お酒を飲んで記憶を無くしている状態」がずっと続いているのが哲学的ゾンビ。
だから、
というのは間違っているし(自発的な意志を持たないのではなく、ただ意識がないだけ)
ピンク髪の「いっそ死にたい~、っていうか消えたい」というコトバ(=入力)を
というのも少しずれていて、「別にキャラメルをあげるつもりがなかった」わけじゃあない。
「キャラメル2つ貰ったし1個を使って誰かを騙そっと♪あ、前から話してみたかったあの子をこのキャラメルでからかっちゃおうかな?」
オチについてはブコメを見てくれ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/omocoro.jp/kiji/64616/
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「哲学的ゾンビ」の文脈において、「記憶がないこと」と「意識がないこと」は同じことなのか?