はてなキーワード: 和食とは
はてな民はたぶんみんな料理の腕が上がったんだと思う2012年。
現実的な話ですまないが、時代、国籍、地域、家庭によって味覚ってのは違うのであって、
当然、俺の「おいしい」とお前さんの「おいしい」にも違いがあるんだわ。
日本人で言うなら、うま味…昆布出汁や鰹出しといったアミノ酸系列を他国より重視する。
隣の中国や韓国、東南アジアでは辛みが重要だったりする。ちなみに、俺は辛いの食えない。不味いとか以前にカプサイシンが胃腸に来て吐く。
アメリカのは、甘め。とくに菓子系は激甘。開拓時代に甘い物漬けになったからな。これは日本人で無理ってのが結構いるけど俺はオッケー。むしろイケる。
まぁ、和食に限定しても地域によって赤飯の味がぶれるのは有名所だな。無味の赤飯に塩を振り掛けて食うところから、赤飯自体これって餡子じゃねーのってぐらい甘い所まである。
有名どころでは卵焼きに何掛けるかとかは家庭どころか個人で違ってくるわな。
地域によってカップ麺ですら味を変えている訳で、自分の「おいしい」を他人も「おいしい」と感じてくれる保証など全くないのさ。
水の電気分解をする際に、塩(塩化ナトリウム)を投入するだろ?
あれは、イオン交換の効率が上がって実験が早く進むからなんだが。
それを予見して、適切なナトリウムを投入するなんぞ実験の手引きが無い場合、総当たりでグラフ書くしかないわな。
実際、時間が有ったらそういう実験をさせてみるのも面白いと思う。
さておき、料理人と呼ばれる人たちは、それぞれの生の味、それを焼いた時、煮た時の味などの引き出しを持っており、
その中から、「店の味」になる素材、料理法を組み合わせて客に提供してるわけ。
そんなん、ご家庭で簡単にできてたまるか。
まぁ、そんな料理人も大量に料理作って、失敗して、それが経験になってる訳で。
まずは、レシピ通りに作るってのは基本なんよ。
料理が苦手って人の多くはそんな考えをするわな。
鼻歌交じりに材料切って、焼いて、鍋に放り込めば出来上がり~♪ とはいかない。
材料を切るにも後工程(焼く・煮る)、火力(ガスコンロ、オーブン)によって切るサイズが決まる。
焼く際には、温度と時間が必要。化学的にいけば、素材によってメイラード反応温度が違う上に熱伝導率も異なる。
熱伝導率は素材の形状によって調整してある為、集中するべきなのは温度と時間である。という事になる。
煮る場合も大体同じ、この場合は、苦み、えぐ味の元になる水溶性たんぱくが熱変性して浮かんでくるので、和食では取り除くことが多い(灰汁取り)。
そんなん、レシピ通りに進めた方が楽に作れるに決まっている。
パンなんぞ、分量間違えるだけでイースト菌が全滅して発酵せずにゴミ箱行きだ。
カレーを作れば水を入れすぎてカレースープ 記載されている作り方のとおり作ってもらえればいいのに、そのマニュアルを読まない 生ラーメンもゆですぎてトロトロラーメン まずっ タイマーかけろといってもかけない 出来ることはお湯を温めるだけ 本当に 俺がいないときはインスタントカップ麺ばっかり あとツナ缶 お米を炊いてあれば、漬物だけで済ます ガスを使う料理が出来ない 卵焼きも出来ないときた 焦がす焦がす
こんな状態なら、適当に作ったものとレシピ通りに作ったもののどちらが美味いかなんぞ明確だろ。
今は38円の充填豆腐の冷奴食いながら、ブラックニッカの水割り飲んでます。
それでですね、俺元は一応金融マンでした。結構イカした金融マンだったと思います、自分で言うのもなんだけど。
ところが、ある日突然何もかもがプチーンと弾けて、俺は仕事を辞めました。まー、限界だったんだと思います。
親は俺を勘当し「二度と我が家に近寄るな。タカリに来るな」と言いました。まー、そんなもんです。しょうがないです。
そういうわけで、俺は二度と親に迷惑をかけないようこの東京でヒモ生活を始めました。そろそろ四ヶ月が経ちます。
彼女は公務員です。結構キツい仕事のようで、大分疲れた顔で帰って来ることが多いです。
大学時代から付き合い7年目。仕事を辞めた俺を受け入れてくれた、大事な宿主です。
そういうわけで、家事は全般的に俺が請け負うことになりました。まぁ、それくらいは当然ですよね。
朝起きると、まず朝食を拵えます。彼女は和食が好みなので、魚をメインに組み立てます。
まぁ、アジの開き、厚焼き玉子、ほうれん草の胡麻汚し、メシ、味噌汁、みたいなのを作ります。
彼女は6時半には家を出て行くので、その後膨大な時間が残ります。まぁ、洗濯をして掃除をして一時間半。
それから買出しその他の雑用をしてもう一時間半。まだいいとこ10時です。
この辺りで煙草を一本吸って、コーヒーを飲みます。そして本を読む。すると、2時くらいになります。
さて、この後彼女が帰るまでの数時間、俺は何をすればいいんでしょうか?
もちろん、この生活がずっと続くとは思ってません。いつかは、俺も働かなきゃいけない。
そういうわけで、FPや証アナをとってみたり、あるいは中小企業診断士の勉強をしたりと色々してみたんですが。
なんていうか、自分がもう一回組織で働くビジョンが一ミリも出て来ません。多分、働くくらいなら死ぬ、と
割と真剣に思ってるんだと思います。ところが、埋め難い退屈が同時にある。
ふと思うんですけど、専業主婦の皆さんって普段何してるんでしょうか。だって、どう考えても家事なんて、
どんなに遅いとしても午前中には終わるじゃないですか。その後数時間の空白をどうやって埋めてるんだろう?
これは人生に二度と訪れない休憩時間だ、やりたかったことをやろう、とかも思ったんです。
例えば、かつて小説家になりたくて本を読む時間が欲しかったこととかを思い出して、必死に本を読んだり
あるいは文章を書いたりしてみたんです。でも、全然やる気にならない。
じゃあ、カネになることをやればいいじゃないか。例えば、金融出身なら投資やれよ、とかそういう話なんですが。
これもまた、全く手につかない。マネー・ゲームは大好きだった筈なのに。だから金融に行った筈なのに、
全然やる気が起こらないんです。自分の状態が全然理解出来ない。家事は楽しいのに、それ以外何もできない。
一日煙草を二本吸います。コーヒーを二杯飲みます。あと、人並みにメシを食います。
それでも生活費って、年金と保険を入れても正直5万でお釣りがきちゃうんです。
この生活が永続しないことなんてわかりきってます。俺も彼女もいずれ老いる。何かを考えなきゃいけない。
なのに、全く気力が回復しないんです。「これって鬱か?」と思ったんですが、そういう症状も全くない。
これまでの半生、わりとエネルギッシュに生きて来たつもりなんです。なのに、今ここから抜け出す気力が1ミリもない。
これはどういうことなのか、自分にも全然わからない。欲望という欲望が消えてしまったみたいなんです。
身体的な症状といえば、完全な不能になったことだけが唯一の問題点なんですが。
その点も、あの若かりし頃の行き場のない欲望から開放されて、むしろ快適なくらいで。
なんなんでしょうか、この状態。甘えるな、働け、と言われたらそのとおりです。
しかし、俺は多分カネが尽きても多分働かない気がしてならない。彼女に放り出されたら、今のこの気持ちのまま
A(割と良くしってる人)とB(あんまり知らない人)がケンカしたんだって。
で、Bが、君はAと仲良いから仲裁してくれっつうわけ。正直知らねえよと思うよ。でも、あんまり知らない人だけに、無碍にも断れないじゃないですか。話を聞くと、自分はAに良かれと思って色々しているけど、それが裏目にでちゃって、もう自分からのアプローチはダメだと。でも別に関係を切りたい訳じゃないから、仲裁をしろと。いやーまあー、それとなく話してみるわーなんつって帰宅。
で、Aに会ったときに、軽くBの話をするわけ。そうすると、AはAで、Bは取り扱いがめんどくさいんだよねーみたいなことを言うわけ。AはあんまBのこと好きじゃねーのかなー、ちょっと態度わりーなー、でもじゃあBは関係切っちゃった方が楽なんじゃないかなーと思うけど、何しろ頼まれてるから。それで、Cという全員と共通の知人を入れて(Cには軽く事情を話して)ちょっと飯でも食いに行こうやと誘うわけ。Aはちょっと渋るけど、まあCは知っているし、CがBに会いたいつうならしょうがねーな、ということで、飯を食いに行ったわけ。
でね。
俺の期待としては、まあAとBが和解しないまでも、間に人が入った状態で一回飯食ったら、じゃーケンカの続きすっか、とはならないだろうと。
そうだよね?ここが唯一不安といえば不安なんだけど、大人としては、「ちょっとうまい飯を一緒に食いにいく」は、「内心はどうあれ、まあそこそこ今後もお付き合いしましょう」の意味あるよね?美味しんぼだったら心底和解するくらいのアレだよね?
あと仲良くするかそれなりに距離を持つかはしらんけど、これで義務は果たした、と思ってたら、
Bが中華料理とかふざけんなっつうわけ。いやそこ?料理の種類はどうでもよくねえ?
100点の回答はわかんないけど、仲裁してくれっつわれて、ここが小学校でAとBが小学生同士で俺が担任、だったら、まあ違うやり方をするかもしんないけど、まあそこそこの大人同士の関係で、(…仲裁?この年で?)みたいになりながらも、知らない振りでしかも共通の知人を入れてみんなで飯、って60点くらいはいってない?しかも、「その方法はねえよ」っつうなら、「じゃあ方法まで指定して頼んでくれよ」って思うは思うけど、まだわかるんだけど、「中華料理はねえよ」は本当に知らねえよとしか言いようがないんだけど。
で、「じゃーなんでもいいよ和食でもフランス料理でもよー」ってちょっと投げやりに言ったら、「そのくらい考えてこいよなー」だってよ。
AがBをめんどくさがるのもちょっと分かるわー と思ったけど、ここでケンカになると無駄に火種が広がるので、まあなんとかごまかして食事終了。解決?多分してないんじゃない…。
とどめが、後でCに、なんか変な感じになってごめんなーって言ったら、「あれはお前が悪いよ」「こういうときはAかBが決めればいいんだよ」だって。あれえー?「いやいやお前も大変だな」は?
誰かこのときの正解を教えて下さい。
20代後半。周りが結婚し始めた。
正直、なんで20代で結婚なんてなんでわざわざするんだってずっと思っていた。まあ、自分も漠然とは将来的に誰かと将来結婚するんだろうとは思ってる一方で、なるべく長く独身期間が取れるようにして30代後半くらいで結婚した方がお得だろうと。
でも、この前結婚した友人(25歳女性)と話してて、なんか納得したんだけど、長期的に条件(っていうと見も蓋もないけど。自分にあった相手という意味で)の良い相手と結婚したかったら、やはり早くに決断した方が良いのかもしれないと思い出した。
というのも、(たぶん不景気なのとかも関係あるんだろうけど)昔より相対的に「ほんわりタイプ(或いはスイーツ)で料理上手な専業主婦」系より「それなりに賢くて家事そこそこで正社員」系の人気が上がってるわけですよね。
キャリア系相手だと、互いに結婚における生活や金銭の変動が少ないから、割とそこに関してはハードル低く結婚できちゃうみたいで、周りでもそういう感じで結婚してる人が多い。二馬力状態で子供とか考えると、早めの方が良かったりするって聞いたから(女性の方が重要な役職に就いてからだと影響が大きすぎるので)そこら辺も関係してるのかも。(まあ、キャリア系でも高望みしたり機会がなかったりで、そのまま結婚しない路線で行っちゃってる人もいるけど、本人の稼ぎも上がってるし逆に理想が高くなってて、拗らせてる人が多いという気がする)
そして、そんな感じだと子供が大学卒業前に第一線から外れるような35以降ってまずターゲットとして考えられてないらしい。自分で稼いでるから、金に目も眩みにくい。「別に若くても二人で稼げば年収7、800万超えるし。。35って、男性は若いつもりだけど、みんな腹も出てるし立派なおっさんだよねえ…」だと。
結局、市場競争的な話で、男も女も、「中身」「経済力」「家事能力」あたりの要素は同じなんだよな。
で、キャリア系女子は「稼ぎはそこそこでも良いから、家事とか育児とかシェアできる、対等な人が良い」って思ってて、専業主婦系は「稼ぎは重要。頼れる優しい人が良い」って思ってる。
そうすると、自分みたいに『ある程度自分の生活を根本から覆されずにいたいなー。家事は苦にならない』というタイプは、年とって腹が出て年収が若干上がった状態になるよりかは、今の段階で仕事をしながら、ちゃんと自炊生活を続けて家事能力付けて、(たまたま今のご時世で人気が高まってる)ちゃんと稼げる女性と協力しながら生活していった方が良いのかな、と思った。このまま年とっても、人気出る可能性があるのは専業主婦志望系だけで、それは自分のニーズと違うし、その頃にはキャリア系は売り切れてるし。(いても、若いうちに結婚できなかった拗らせ系が多そう) 5年間独身生活が伸びるより、今のうちにちゃんと自分のニーズと合った女性と結婚した方が良いかな、と。
結婚って生活も絡んでるから、恋愛以上に「自分が相手の望む価値を提供できるか」が重要なんだろうな。
自分が「そこそこの稼ぎでそこそこの家事能力で非スイーツ」を求めるなら、こちらは「そこそこの稼ぎとそこそこの家事能力」が提供できないと駄目。
自分が「若くて可愛い子。当然、朝ご飯は和食で!部屋も綺麗にしてね!子供のおむつとか替えないよ!」と求めるなら、こちらは「それなりの年収」が提供出来なきゃ駄目。
自分が若さを求めるなら、自分も相手からそこまでは離れていない方が確率は高い。(なんだかんだ言っても、数歳違い程度までの結婚が周りを見ても多い)
それに競争率が加わる感じ。
今は、たまたま不景気で、キャリア系は人気があるから、そこを諦めれば相対的に美人などをゲットできる可能性は上がるかも知れない。
或いは、常に不動の人気を誇る「若くて可愛い」という条件を外せば、あんまり年収高くなくても完璧に美味しいご飯を作れる子がゲットできるかも知れない。
或いは、自分が相手以上に家事能力満点で子育てもしちゃうぜ!って感じで家事能力の条件を外せるなら、ちゃんと稼げる子を見つけやすい。
以上が、
「可愛くて、ちゃんと正社員で金稼いできて、ご飯作ってくれて、部屋も綺麗にしてくれる20代女子と、36くらいになったら結婚するんだー」みたいな夢物語語ってた自分の考え直した結果でした。実際36になる前に気付いて良かったと思う。なってからじゃ取り替えしつかない。
今の彼女(部屋ちらかってるけど正社員で顔そこそこ。気は合う)とも、あんまり現実的に結婚考えてなかったんだけど、意外と自分には今の生活の延長みたいに暮らせそうで、向いてるのかもなと思ったりした。
なんかもう、普通に「自炊」って言葉使われ始めてるよね。マジコンやiPadの登場でにわかに顕著になった印象もあるけど。
そこに俺は大いに違和感を覚えるわけだ。
一応断っておくと、俺自身は「自炊」行為自体の是非そのものについてあれこれ言う気は無いし、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶべきではないと他人に指図する気は無い。
なので、以下はあくまでも「トリビア」的なものだと思って欲しい。その上で、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶかどうかは各自の判断に任せる。ただ俺は(少なくとも当分は)使わず、代わりに「コピー」「スキャン」などと呼ぶだろう。
「自炊」が「自ら炊くこと」に由来する事は、その言葉を使っている人なら知っていると思う。しかし、ゲームや書籍をコピー、データ化する行為と「炊く」という行為は今ひとつ馴染まないと思う人も多いんじゃないだろうか。
その疑問は当然である。そもそもこの言葉は、ゲーム基盤や書籍の電子化とは殆ど無関係な分野の生活用語だったのだから。
では本来の分野は一体何だったのか。ずばり、家事である。
三十代後半よりも上の世代であれば、「KOME」と呼ばれるジャパニーズソウルフードと、それに付け合わせる野菜のお総菜、及びそれらをやりとりするご近所コミュニティの存在は、聞いた事くらいはあるはず。
このKOMEを特殊な機械(羽釜・かまど)でKOMEからGOHANへ炊く行為こそが「自炊」の原点と言える。イメージ的には昔話のおばあさんの仕事に近い。
なので本来の意味での「自炊」とは、取れたての新米およびそれらを炊きあげる機材、炊きあげるノウハウを全て揃えた人のみが可能な行為で、およそ一般人が手軽に出来る事ではなかったのだ。
その後、家庭用炊飯器などもその対象となり、米を中心とする和食からパン、パスタなどへと食事が変化していった事や、それと同時期の白物家電の普及に合わせるかのように登場したIH炊飯ジャーによって、料理のレシピの共有と拡散は急激に進み(*1)、やがてはそれ以外の分野の食材の調理(ここでは家庭で食べられる状態にする事)にまで「自炊」という名前が付くようになっていった。
つまり、パスタをゆでたり、インスタントラーメン、インスタントカレー、その他レトルト食品を湯煎、もしくは電子レンジで暖める行為なども、一時期は十把一絡げに「自炊」と呼ばれていたわけだ。おそらく今でもそう呼んでる人はそれなりにいると思う。炊飯にこだわらない方が、より「炊事する」行為にイメージ的に近いだろうしね。
それを踏まえた上で、白米を炊きあげること「以外」を「自炊」と呼ぶ事に違和感を覚える人がそれなりにいるという事を、最近「自炊」という言葉を使い始めた人達には出来れば理解して欲しい。何十年以上日本で暮らしてる俺みたいな人間には「自炊」なんてのは「柴刈り」とか「掃除」とか「洗濯」とか「子育て」とか「介護」とかと同じレベルの言葉なわけ。
(*1) 炊飯器のレシピ 12539品 [クックパッド] http://cookpad.com/%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94/%E7%82%8A%E9%A3%AF%E5%99%A8
こんな時間に起きてしまい、とても暇だ。
することもないし寝ることもできないので、タッチタイピングの練習を兼ねて増田で日記を書いてみる。
学生なので1年を振り返るには結構良い時期だから、お題は、今年度の総括と新年度の目標。
今年度も相も変わらずのキリンさんで始まった。まぁ、もう諦めていたのでそんなことは気にしていなかった。今年度も昨年度と変わらない日々が続くのだろうと、然して特別に意識することもなく、ぼんやりと感じていた。本読んで、テレビ見て、そんなに多くない友人と時々遊んで、緊張しながら美容院で髪切って、吐きそうな値段見ながら服買って、成績落とさないようにそれなりに頑張って。
事実最初の半年くらいはその通りに進んでいった。そんな状況に変化がもたらされたのが夏休みも終盤のことだ。
確か、ジュンク堂だったか三省堂だったか……もしかするとアニメイトとかとらのあなだったかもしれないが、どこかの書店で本を買って帰ろうとしているときに電話がかかってきた。相手は、知り合いの中では恋愛の経験とかがある方の友人。「今から飲もう」との誘いだった。女性もいるということだった。いつもなら断るような急な誘い+知らない女性の参加だったのに、何か良い本にでも巡り合えて気分が向上していたのか、なぜか誘いにのっていた。一旦、自分の家に帰り、買った物を置いて友人の家に歩いて行った。
行ってみると、友人3人ともちろん見知らぬ女性2人もがいた。すぐにそこに行ったことを激しく後悔し帰りたくなっていた。「3、2の男3の現場にもう1人男が入る必要ないよな。うん。帰らないと」とか意味のわからないことを考えたりもしたが、そんなこと出来るわけもく、苦笑いを浮かべながら必死に対応していたように思う。お酒を飲んでも酔えずテンションが上がらないのでいつまで経ってもその状況に慣れることが出来ない。
「あ~帰りたい。あ~帰りたい」そんなことを思っていると、友人2人が酒を買い足しに出かけた。そこで残ったのは、私と同じく女性が苦手な友人と見知らぬ女性2人。その時の気まずさと言ったら。買い出しに出かけた友人たちが帰ってくるまでの途中で、残った友人は耐えきれなくなったのか「ちょっと部屋帰る」とか言って同じマンションの自分の部屋になぜか戻るし、1人の女性はトイレに行くしで、私の見知らぬ女性のの2人きりになってしまった。その時間は時計上ではほんの短い時間だったのだろうが、私の中では果てしなく長い時間だった。
その女性とその後付き合うことになるのだが、その時話したことは全く覚えていない。覚えていることといえば必死にスティックカラムーチョを食べていたことぐらいだ。このことを付き合ってから彼女に言うと、「そんなに緊張しているようには見えなかった」と笑いながら言われた。緊張が顔に出やすいとよく言われるのだが、どうやら私は極度に緊張し限界を超えると人にはわからなくなるらしい。
果てしなく長かった時間は、もう1人の女性のトイレが終わるのと同じくらいに、買い出しに出かけた友人たちが帰ってくることで幕が閉じられた。友人たちが救いの神に見えたのは言うまでもない。もし、友人たちの帰りが遅ければ、2人の見知らぬ女性と自分1人でいなければならなかったのだ。それを考えるとぞっとする。
それからは、女性のことは友人2人にまかせて、私は部屋から戻ってきた同類の友人ともっぱら話していた。そして、この日は女性たちを家まで送りとどけ、その後また男だけで飲んだ。この時に先ほど救いの神に見えた友人達や同類でありかつ裏切り者でもある友人に愚痴を言ったことも言うまでもない。
次の日からまたいつも通りの日常が続いた。だが、それは学校が始まるまでの1週間ほどしか続かなかった。学校が始まると、なぜか2人きりにされた女性と授業が被ることがあったのである。しかも、友人達とではなく1人で受けている授業で、である。彼女を見たときは、声をかければ良いのか何もしない方が良いのか一瞬迷ったが、すぐに何もしない方を選択した。しかし、彼女の方が私に気付き声をかけ、さらに隣の席に座り一緒に授業を受ける状況を作り出してしまった。そこからは正直地獄であった。彼女は楽しそうに話しているが、こちらは相槌を打つのに精一杯だった。いや、たぶん相槌さえもしっかりと出来ていなかったであろう。「あ……ぅん……そ、だね……」
なぜ、彼女が楽しそうなのかわからなかった。私は異常なほどに緊張しているのに。こんなに緊張している奴と話しても楽しいはずがないのに。なぜか彼女は楽しそうだった。彼女は誰に対しても笑顔でいられる人なんだろう。そんな事はわかっていたが、その笑顔を見るたびに私は彼女を好きになっていた。笑顔が見たくて必死で彼女の顔を見ようとした。もっと見たくて彼女の目と自分の目を合わせようとした。挙動不審な男だったろう。彼女も不思議そうな笑顔を浮かべていたように思う。可愛かった。
それから、彼女との授業が緊張して苦痛でもあったのだが、待ち遠しくもあった。回数をこなせばこんな自分でも慣れるようで彼女と会話が出来るようになった。会話が出来るようになるともっと彼女を好きになった。でも、もちろん告白なんてしない。考えはした。「振られる。このままでいたい。そもそもなんで好きになったの。自分なんかと笑顔で話してくれたから好きになったんじゃ。他の女性でも話してくれたら好きになるんじゃ。それは失礼」こんなことは考えていたように思う。
そんな風に過ごしていると、唐突に彼女から告白された。
私は唐突だと感じたのだが、周りの人間から言わせるとそれは私が超の付く鈍感野郎だかららしい。しかし、それは間違っている。鈍感なのではない。私に対する恋愛感情としての好きというものが存在すると考えていないだけだ。
その告白に対して緊張しすぎて頭がおかしくなったのか「時間をください」と答えてしまった。即答で。そんな私に彼女はいつもの笑顔で「わかった。でも、期間を決めて欲しいな」と言ってくれた。期間を聞かれているにも関わらず、おかしくなった私の頭は「付き合うってどういうこと。なぜ付き合うの。どうなったら付き合うの」というおかしな質問を発することを決定してしまった。それに、彼女はまた笑顔で彼女の答えを教えてくれた。その後も色々質問していたと思うが、思い出せない。とても恥ずかしい質問だっと思う。だが、そんな質問に彼女は全て答えてくれた。
「付き合って下さい」と私は言っていた。
まだまだ短い期間だが、その日から今まで彼女と大きな喧嘩もしながら付き合ってきた。彼女の笑顔がもっと見たくて頑張った時もあった。彼女のことを見たくなくなった時もあった。今、彼女が横で寝ている。寝言を言いながら。
今、私は幸せだ。
慣れないタッチタイピングで思い出しながら書いていたら予想以上に時間を使ってしまい、時間が無くなってしまった。今年度の総括は上の1点でもう充分なのだが、新年度の目標は書いておきたかった。ちょっとだけ書いておこう。
朝早く起きてしまって暇だったらまた増田をよごしに来るかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの広島大学版。前期試験の合格発表はまだだけど一応書いておく。
以下に書いてあるのは東広島キャンパスのこと。だいたいの学部はここにある。
市内にキャンパスがある医,歯,看,夜間のことはよく知らないんだ。
①住居
なるべく生協があっせんしている物件にすること。キャンパス向かいの某不動産はあまり評判がよくない。
安い。最近は高いのもあるけどやっぱり安い。3万5千~4万弱で6畳一間が平均的。
おすすめはやっぱり大学に近い下見地区。大学からやや離れている寺家(じげ)地区はひとくくりに判断できない。
良いのも悪いのもある。八本松地区は自転車では遠すぎるので上級者向け。
田口地区は知らん。
大学から近いとたまり場になる…なんてことはあまりない。みんな真面目。…たぶん。
②食事
1年生はミーラーが多い。先に1年分を一括購入しておけば、1日上限800円または1000円で
食堂メニューが好き放題食える。他大学に比べればメニュー数は少ないかもしれないがそれなりに食べられる。
おすすめは朝食の和食。320円でたらふく食える。朝飯を食堂で済ませば1コマにも遅れることはない。
自炊しようとはりきらなくていい。とりあえず毎日ご飯を炊いとけ。
③通学手段
④サークル
かなり重要。入らなくてもやっていけるがやっぱり楽しくない。4月5月のうちに決めてしまおう。
部活でなければ掛け持ちしたほうがいいかも。サークル棟にボックスがあるサークルに入るとなおいい。
理系の男どもへ。女の子はわりと文系サークルに多い。特に音楽系。
⑤バイト
やってないから知らん。前は大学のサイトで募集されてたけど今は別のところにうつったらしい。
先輩や友達に聞いてみて。
⑥勉強
英語は落とすな。1・2セメで絶対にとること。
TOEICのスコアが良いと英語が免除されるらしいので合格が決まって暇だったらとってみてもいい。
⑦ぼっち
あまりよろしくない。でも群れすぎるのもつまらない。
テスト前にノートを貸し借りできるくらいの関係は保っておく。あとはどうでもいい。
あれは広島焼きではない。広島風お好み焼きだ。大学の近くにも10くらいの店がある。
暇なら食べ比べるのも悪くない。もちチーズやそばタブルがおすすめ。新勧のときにいやというほど食わされるけど。
⑨カープ
好きな人は好き。俺はあまり詳しくない。去年広島市内に新球場ができたので行ってみるといい。
なにもないけど。
在学中に一度はいくことをおすすめする。
⑫おみやげ
もみじ饅頭はわりと有名だが、東広島キャンパスのある西条は有名な酒どころ。日本酒がおみやげというのもいいかも。
⑬彼女
がんばれ。
途中から文章書くのだるくなってしまった…。まーいいや。
1 そこそこ良い企業に就職し、仕事は大変なこともあるけど家族や友人からは「大手企業に入れて優秀だね!」と言われ、そのうち結婚してそこそこ幸せな家庭を築く。
2 ある日突然、とある海外の小国の王様になる。もちろん小国内ではちやほやされる。現地の女性にはモテモテ(ただし黒髪の日本美人はいない)。現地のうまいもん食い放題(ただし和食屋はない)。年に1度くらいは日本に帰れるけど、小国の知名度は日本ではものすごく低く、友人の間では「あいつ海外のなんとかって部族で偉くなってるらしいんだけど」「なにそれ聞いたことなーいwww」という反応しか得られない。
どちらが幸せかって話。もちろん正解はない。価値観は人それぞれ。
2のほうが幸せだと思うなら、海外就職も良いかもしれなし。だが、俺は日本大好き、日本の友人大好き、日本の女の子大好き、日本食大好きなので、1のほうが幸せに感じる。
海外経験がないわけではない。学生の時、交換留学に行ったことあるし、就職してからも出張で合計数ヶ月海外に滞在したことがある。海外旅行なら20回近く行っている。
でも、俺にとってそれらの海外経験は、あくまで日本で成功するための手段だ。海外旅行に行くのは、帰国してから日本の友人たちと土産話に花を咲かせたり、日本の女の子に「増田さんって海外に詳しくて凄いですねー」と言われたりしたいがためだ。全ては、最終的に日本の友人に、日本社会に認められないと嬉しくない。いくら海外で評価されたとしても、日本において「尻尾巻いて逃げ出した奴」という評価だったら負け組のままなのだ。
不合理な感情であることは分かっている。日本で評価されることと、海外の現地で評価されることは客観的には等価のはずだ。でも、俺にとっては違う。なぜなら俺は日本人なのだ。郷里を愛することに合理的な理由なんてない。
恐らく、ニートの海外就職日記を読んでもピンとこない人は、俺みたいな考え方の人間が多いんじゃないだろうか。「へー、海外で就職できて良かったね。で、その後日本に帰ってきたらどうするの?」と。
俺が海外の小国の王様になるとしたら、現地でちやほやされるだけでなく、来日して、天皇陛下との夕食会に招かれて、その様子がテレビで放映されて、日本の友人たちに「へー、あいつ、偉くなったんだな」と言われなかったら意味がない。
また、仮に海外でミュージシャンとしてデビューして大ブレイクしたとしても、その後日本に逆輸入されて日本でもブレイクしなかったら、デビューしなかったのと同じなのだ。
そして、そのような気持ちでは、実際に海外で成功することは不可能だろう。だから俺は、海外に「出張」や「旅行」をすることはあっても、骨を埋めるのは日本以外にあり得ないと思っている。
下記も同様である。
そもそも、服がカッコイイと、服を着た姿がカッコイイというのは別物であるのだ。
服、アクセサリーは調味料、着る人間が食材と考えると理解しやすい。
美味しい醤油をかければ、なんでも美味しくなるかというわけではない。
イケメンでも、イケメンだからこそ許されない組み合わせというものも、数少ないながら存在する。
顔がイマイチでも、なんとか食えるようになるという場合もあるのだ。
ファッションに興味を持ち始めた頃のことを思い出すと、納豆にジャムをかけていたようなものだった。
どこのブランドがいいとか、そういうことは、「米はコシヒカリ!」みたいなもんで、美味しい夕食を食べたい人にするアドバイスじゃない。
はたまた、お洒落は足元からとか、そういうことも美味しいコンソメの作り方みたいなもので、初心者的にはコンソメはキューブを使わせて欲しい。
初心者にすべきアドバイスというのは、汁物は塩分濃度が1%とか。
肉か魚にタメネギ一つ、それにトマト缶に小さじ1の塩で煮ればそこそこにイタリアン。
そういうものが欲しかったわけで。