こういった人々はどうも、生に価値がないという主観に基づいた曖昧な論拠を基に、相対的に死が価値を持っていると言いたいかのようである
と言いたいかのようである。
生きていることには価値はないと思っているが、同時に死んでいることにも価値はないと思う。
両方価値が無いという前提の上で、それでもどちらかを選ばなければならないので、
しょうがなく自分の周囲を判断基準にしているだけ。それを
あくまで生という範疇に価値をおいた発言だ。
と言われてもなぁ。
まぁ、色んな考えがあると思うので、「こういった人々」でくくるのはやめたほうが良いと思う。
そりゃあ、当たり前だろう
現状、具体的なソフトの話なんか出来ないんだから
Kindleは公式には日本語対応していないし、iPadの電子書籍機能もアメリカでしか提供しないと言っている
今騒いでいる奴らは、気が早いとしか言いようがない
てす
綺麗な・・・と言うよりも雑誌に良くありがちな「あーばんらいふ」をしようと思ったら、必要なことはひとつ。
【物を持たない】
ただそれだけ。
片付けの上手下手はあまり関係なくて、物が無い暮らしが平気かどうかだけだね。
むしろ過去の男は、ただ老いてデブっていくだけの女の面倒を見ること無く、
美味しいところ(女のカラダ)だけしゃぶり尽くした勝ち組だろwww
亀田のボクシングはよく知らないが(ってかどの亀田よ。兄弟でまとめるのは失礼)、朝青龍の相撲は圧倒的に面白かったから。
ボクシングと違って相撲は階級に分かれていなくて、朝青龍は体格的には力士の中でもかなり小柄な部類に入る。
だけども、スピードと技術とメンタルの強さで勝つ。朝青龍がいるから、「日本人力士は体格的に外国人力士に勝てない」みたいな言い訳は利かない。
亀田の上2人は、どっちもそれなりに強いしテクニックもあるんだけど、ボクシングのルール上、同じ体格の奴としかやらないから、そうするとあの性格が「弱い者いじめが好きな」悪童に見えてしまうってのが悲劇かもしれんね。
こういう自己承認って、思春期~20歳前後くらいに形成されるんじゃないかと思う。
若いころに承認されなかった奴が社会人になってから承認を受けたとしても
かえってその承認に対して懐疑的になってしまう。もっといえば、表面的な承認を拒絶してしまう。
よく「歳とってからモテても仕方ない」という非モテの主張があるが、
別に彼らは「中古女」や「婚活女」を嫌悪しているわけではなく、「承認されない自分」という
一度形成されたアイデンティティを否定されることに拒否反応を示しているのだ。
どこをどう読んでも「とっとと死ね」以外の何物でもない意見だろう。何自己弁護してんの。
恋かぁ。
相手は随分若くてこれからの人で
自分は年齢も行っているけど色々問題あるから
恋をしているなんて考えてもみなかった。
チャットしなくなってから二週間か。
結構こたえる。
知人は元増田レベルに太ってるけど彼氏がいる。ちなみに一回痩せて45迄落とした。
彼氏とはデブ時代からの付き合いであるそうな。見る限りふつーの人だった。
片付けすぎると綾波部屋になる。
散らかりすぎると汚い部屋になる。
快適なインテリア、というのはある程度デザイン性と美術的感性が必要だ。
しかし、IKEAや無印の展示するようなオサレな部屋に住むと疲れる。
綺麗な部屋に住める人というのは、自分が許容できるだけのオサレな空間で疲れないで住める人だ。
ある意味で、このインテリアに自分が似合う、と信じるだけのナルシズムを持たないとやってられない気がする。
綺麗な部屋への道は遠い。
俺が非モテ・非コミュなのは、結局は自己承認ができないからなんだろうな。
容姿とか服装とか収入とかは、自己承認を補強する材料でしかない。
「この世のどこかに必ず自分を好きになってくれる人がいる」という自信。
「俺が『好きだ』と言えば、言われた相手は嬉しいはずだ」という自信。
どんなにブサイクで貧乏な奴でも、こういう自信があればフラれても立ち直れるし、
いろんな人にアタックしていくうちにそのうち付き合えることもあるだろう。
そういう自信がない奴は、誰かを好きになったところで、
「俺なんかが『好きだ』とか言ったら、迷惑だよな」とか、
「俺を好きになる奴なんかこの世にいるはずがない」という発想になる。
自分に自信をつけるには成功体験が必要で、成功体験を得るにはまずアタックして、
トライアンドエラーを繰り返すしかないんだろうけど、それができない。
「やっぱり俺を好きになる奴はいないんだな」と、自己否定が補強されてしまう。
こういう自己承認って、思春期~20歳前後くらいに形成されるんじゃないかと思う。
オレ女、または男x男か。
ちょっと目線落として話してたら
後輩から「先輩、胸ばっかり見るんですねww」と笑われた
謝ったけど「胸に謝っても意味ないですよww」とまた笑われた
それから後輩と急に仲良くなって、
今じゃ毎朝彼の顔を見て「いってきます」って言ってる
いや、痩せろよwww
問題がわかってて、しかも改善できない問題じゃないんだから楽なものだろ。
生きていることに価値などない……などと未熟なニヒリズムをひけらかすように言っている人が多いように思えるのだが
こういった人々はどうも、生に価値がないという主観に基づいた曖昧な論拠を基に、相対的に死が価値を持っていると言いたいかのようである
でも死のうとしない、コレははっきり言って発言が矛盾しているとしか思えない
周りに迷惑がかかるから、とか、死ぬ勇気がないから……とか、様々な理由を付けて死を回避しようとしているが
それは相対的に生というものに価値をおいているということに他ならないのではないだろうか
「周りに迷惑がかかるから……」これは自身の周囲に価値をおいている、あくまで生という範疇に価値をおいた発言だ。
また、「死ぬ際の苦痛が怖い……勇気がない……」こういった発言も、同様である。
生の範疇にある苦痛に価値をおいている、というのは、結局のところ死ぬより生きている方がマシだ、と言っているのと同じである。この場合も、より生に価値をおいているとしか言いようがない。
ジョジョじゃないが、やりたいと思っているということは既に実行しているということなんじゃないのか
とっとと死ねとは言わないが、彼らにはせめてその辺りの矛盾をちゃんと把握してほしいと思う
腐った肉を食べないからといって草食呼ばわりするのはおかしい