1 そこそこ良い企業に就職し、仕事は大変なこともあるけど家族や友人からは「大手企業に入れて優秀だね!」と言われ、そのうち結婚してそこそこ幸せな家庭を築く。
2 ある日突然、とある海外の小国の王様になる。もちろん小国内ではちやほやされる。現地の女性にはモテモテ(ただし黒髪の日本美人はいない)。現地のうまいもん食い放題(ただし和食屋はない)。年に1度くらいは日本に帰れるけど、小国の知名度は日本ではものすごく低く、友人の間では「あいつ海外のなんとかって部族で偉くなってるらしいんだけど」「なにそれ聞いたことなーいwww」という反応しか得られない。
どちらが幸せかって話。もちろん正解はない。価値観は人それぞれ。
2のほうが幸せだと思うなら、海外就職も良いかもしれなし。だが、俺は日本大好き、日本の友人大好き、日本の女の子大好き、日本食大好きなので、1のほうが幸せに感じる。
海外経験がないわけではない。学生の時、交換留学に行ったことあるし、就職してからも出張で合計数ヶ月海外に滞在したことがある。海外旅行なら20回近く行っている。
でも、俺にとってそれらの海外経験は、あくまで日本で成功するための手段だ。海外旅行に行くのは、帰国してから日本の友人たちと土産話に花を咲かせたり、日本の女の子に「増田さんって海外に詳しくて凄いですねー」と言われたりしたいがためだ。全ては、最終的に日本の友人に、日本社会に認められないと嬉しくない。いくら海外で評価されたとしても、日本において「尻尾巻いて逃げ出した奴」という評価だったら負け組のままなのだ。
不合理な感情であることは分かっている。日本で評価されることと、海外の現地で評価されることは客観的には等価のはずだ。でも、俺にとっては違う。なぜなら俺は日本人なのだ。郷里を愛することに合理的な理由なんてない。
恐らく、ニートの海外就職日記を読んでもピンとこない人は、俺みたいな考え方の人間が多いんじゃないだろうか。「へー、海外で就職できて良かったね。で、その後日本に帰ってきたらどうするの?」と。
俺が海外の小国の王様になるとしたら、現地でちやほやされるだけでなく、来日して、天皇陛下との夕食会に招かれて、その様子がテレビで放映されて、日本の友人たちに「へー、あいつ、偉くなったんだな」と言われなかったら意味がない。
また、仮に海外でミュージシャンとしてデビューして大ブレイクしたとしても、その後日本に逆輸入されて日本でもブレイクしなかったら、デビューしなかったのと同じなのだ。
そして、そのような気持ちでは、実際に海外で成功することは不可能だろう。だから俺は、海外に「出張」や「旅行」をすることはあっても、骨を埋めるのは日本以外にあり得ないと思っている。
現実は「海外で評価されると日本でやたら過大評価されるようになる」んだよね。 だから、「海外で成功する」というのは実は「日本で評価される」のに有効な手段であるわけだ。 増田...