はてなキーワード: ランニングとは
※最後に追記有り
そろそろ2010年も6分の1が終わろうとしているぜ。元日に立てた今年の目標はどうよ?今年こそTOEICで900点?今年こそ海外留学する?そんな目標は日々の生活に追われてすっかり忘れ去ってることだろう。社会人にとって最も重大な敵は日々の生活が忙しすぎることなんだよな。学生の頃はまだ自分が怠惰であることに自覚できる。「オレ(私)はだめなやつだ…」そんな自己嫌悪にも浸ってられるんだ。でも、社会人はそれがどんなにしょうもない仕事の内容であっても、「オレは毎日、仕事をしてるんだ!今日は英語の勉強をしなくてもいいことにしよう。週末にいっぱいやればいいや」って思うことができるわけだ。
まず、英語を学習する理由なんだけど、それが昇進に繋がる、とか年収増加に反映される、なんてせこいことを考えるのはやめようぜ。本当に大変なことを行うとき、その先にご褒美が待っているという考え方は実はうまくいかないんだ。日々の仕事ならば嫌な上司ややりたくない仕事もなんとかがんばれるかもしれない。でも、ステップアップやスキルアップである英語学習っていうのは「あれば良いけど、なくても本当のところ困らない」ものでもあるわけだ。そういうなくても本当のところ困らない物っていうのは、それによって年収が100万円上がるよ、というご褒美じゃ人間動けない。これは行動経済学や認知心理学の研究からも明らかで、人は容易い方に流れやすく、勝手に言い訳を見つけてしまう生き物ってことをまず認識しよう。
では、どう考えるべきか。それはもっと子どもの時に戻って、ただ「字幕を見ずに映画を見たい」だとか「海外旅行中に入ったバーやカフェでマスターとぺらぺらおしゃべりしたい」といった、そういうのかっこいいよな、って素直に思えることが重要なんだよ。
次に、回収しなきゃって思うことが重要。上にも書いたように、将来100万円もらえる、と考えてももらわなくても満足な現状で止まってしまうんだけど、先に100万円投資しておけば、死ぬ気でやらざるを得ない。もちろん100万円という金額は大げさだけど、自分が先に痛みを感じておくことが長続きする秘訣なんだよ。
たとえば、以下のようなエントリーがものすごくはてブがいっぱい付いてる。
英語コンプの馬鹿でも投資ゼロでTOEIC900に達するたったひとつの方法
http://anond.hatelabo.jp/20090716175613
これ読んだ人、すごく多いと思うんだけど、じゃあ結局TOEI900点に達したのか?達してない人が9割、いや98%だと断言しても良い。もちろんオレもここに書いてある方法は間違いなくTOEIC900点に達する方法だと思うんだよ。でもね、続かない。ネットで無料でできる。いつでもやれる。これは間違いなく続かない。これ心理。もし、対象が学生で、大学入試のために英語を勉強しなきゃいけないっていうのなら、お小遣い使わせるのかわいそうだし、そもそも彼らは大学入試っていう明確な目標があるからがんばれると思うんだけど、社会人は何度も言うように言い訳がたくさんできるわけ。にもかかわらず、無料でやろうなんてせこすぎ。もちろん無料でやれるほど精神力が強いならこんなエントリー読んでないし、既に英語はTOEIC900点どころか、TOEFL受けて海外の大学で留学してます罠。
だから、学生ならともかく、社会人は必ずお金を使うべき。これはダイエットと一緒。ジムのランニングマシーン使わなくても家の周り走ればいいんだよ、無料なんだから。でも、月会費払うからこそ、毎週火曜日は行かなきゃ!とか思えるわけよ。自分をやらざるを得ない環境に置くことがなによりも重要。
まずね、今日このエントリー読むじゃん。で、英語やろうとか思うじゃん。で、すぐ忘れるじゃん。で別の英語学習のエントリー読むじゃん、英語やろうとか思うじゃん、以下略の繰り返しから脱却することが重要。その抜け出す方法として、将来の自分へプレッシャーをかける方法をつくろう。
http://lapule.com/etc/miraimail/
http://www.remindermailer.com/
未来メールやリマインダーメールでは将来の自分にメールが送れるから、まず今年の3/1, 4/1, 5/1, 6/1, 7/1, 8/1, 9/1, 10/1, 11/1, 12/1の自分にメールを送ろう。「単語の勉強は終わったか?」「TOEIC申し込んだか?」「2回目のTOEICは1回目に比べて何点上がった?」「リスニングちゃんと聞いてる?」とか何でも良い。本当は下に書く勉強法に合わせて、書く内容を決めた方が良いけど、とりあえず送れ。今すぐ送れ。これによって今年は毎月1回、忘れた頃に自分から嫌みが届くようになる。Googleカレンダーの予定に入れるのでもいい。とにかく自分をコントロールしよう。
では単語の勉強を開始しようって言いたくなるし、みんなそう書いてあるんだけど、ちょっと待ってくれ。勉強始めるときは「単語から」とか書きたくなるんだけどさ、お前、昨日まで何にも英語とかやってきてないんだろ?で、急に単語帳とか買ってきたら2日で飽きちゃうよ。そういう人って体重計乗った後、やばいと思って急に腹筋とかし始めちゃって、で次の日筋肉痛になって、二度とやらなくなるタイプの人でしょ?まず、英語を勉強しようって感じの雰囲気作りからはじめなきゃ。
そこで、マーク・ピーターセンの『日本人の英語』『続・日本人の英語』を買おう。この2冊で1470円だ。それほど大金でもなく、手軽に買えちゃうだろ?いますぐ書店に走れ。もしくはamazonで買え。
今度はTSUTAYAに行って、とりあえずおもしろそうな海外ドラマを1シーズン全部借りてこよう。英語がわからないと続きの話についていけなくなると困るから「24」とか「プリズンブレイク」はあまりおすすめできない。できれば1話完結ものがいいぞ。「BONES」や「Numb3rs」はマイナーだが、一話完結なのでちょこっとした時間に見れるのでオススメだ。1シーズン全部借りてくると数千円くらいするよな?これでやっと英語に対するアップが終わる。マーク・ピーターセンの本も読んだし、1シーズン海外ドラマ見れば、なんか英語やらなきゃいかんなーという気持ちになるはずだ。ここまで2月中にやればかなりいいスタートが切れる。
3月に入ったら単語と文法をやれ。単語は『DUO 3.0』でいいんだよ、こんなエントリー読んで英語勉強しようとか思ってるやつは。もっとレベル高いことやりたい人はもっとレベルの高いエントリーを読んでくれ。上級者向けの英語学習法って他にもいっぱいあるから。まず『DUO 3.0』がきちんとマスターできてること。これが何よりも重要な基礎になるんだよ。だから、これができてないヤツは今すぐやろう。買っても1260円だ。よりお金を使うためにCDも買え。
文法は『FOREST』でいい。もし学生時代にきちんとやってる場合は流し読み程度して忘れてる感覚を取り戻すだけで良い。逆に学生時代にきちんと勉強できてない人はゆっくりとやるべき内容だ。大学受験用の参考書だから内容の割に安くて1575円。どんなに文法が苦手だったとしても3月中には読み終えろ。
本当はリーディングやリスニングをそろそろやりたいんだ。特にTOEICを受験するならなおさら。でもここで、もう人粘りしよう。次に買うべきは『みるみる英語力がアップする音読パッケージ』『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』『スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング』の3冊だ。でもこの3冊をまじめにやろうとすると2~3ヶ月はかかる。たぶん力尽きるならこの時期だ。でも、これまでに1万円ほど使ってるだろ?結構な時間を英語に割いてきたはずだ。ここで止めるともったいない。その気持ちで乗り切ろう。
この3冊は内容自体はものすごく簡単だ。たぶん今見ても意味が取れない英文はほとんどないんじゃないか?でもそれを音読しようとしたり、瞬間的に頭から出そうとする訓練をしたりするとまったくできない自分に気がつくはずだ。日本人は座学で英語を勉強しすぎているため、理屈で英語を考えようとする。文法はその最たる例だ。だからこそ、FORESTで頭に入れた理屈を理屈として考えながら出すんじゃなくて、自然に出てくるまでこの3冊をやるといい。体で覚えるんだ。これは理屈としての文法が不要だと言ってるんじゃない。むしろ逆だ!でも理屈だけにするのはもったいないから、瞬間的に声で出せるのが重要なんだ。
はっきり言ってこの段階まで来れれば次に何の教材をやろうと何の問題もない。ネットでそこそこ良い教材を調べて買えばいいんじゃないかと思う。でも、勉強ばっかりで飽きただろう。1回TOEICでも受けて、自分に何が足りないのかをチェックすればいいんじゃないだろうか?そうすればそのために必要なことが何かを自分の頭で考えて対策を立てることができる。TOEICで高得点が取りたい人は『公式問題集』を、文法問題が苦手な人は文法問題の教材を、リスニングが苦手な人はその教材を買えばいいと思う。
今から間に合うTOEICの試験は5/30(日)の試験で申し込みは3/1~4/20だ。まずここを一つのペースメーカーにすればいいだろう。たまに英語の得意な人がTOEICなんて英語力を測定するのに何にも役に立たないって言う人がいる。オレも本心ではそう思う。でも、それとは別の観点として人間が身近な目標がなければすぐにだれてしまうことも知っている。だからTOEICで990点を取ることが目標という人がいれば心から軽蔑するが、TOEICをペースメーカーに仕事をしながら英語の勉強をしていて、行く行くは海外留学をしたいという人であれば心から応援したいと思う。ただ通過点を設定することをそれほどに批判することもないのではないかと思う。
ここまでやってきていれば、そこからは自力で走り出せるだろう。この段階での教材についてはネット上にもいろいろ情報があるので詳しくは書かないが、また時間があれば書きたいと思う。
■追記
予想以上にはてブがついて驚いた!こんな汚い文章なのに読んでくれてありがたい。
この内容はもともと昨日、会社の後輩が英語を勉強するする言う割に全くやろうとしていないので、その説教をした内容がベースになっている。後輩にはそのままTSUTAYAに海外ドラマのDVDを借りに行かせたんだが、今朝後輩から「なに増田に書いてるんすかwww」ってメールが来たwホッテントリにしてもらったので、その感謝を込めてより詳しく内容を書いたので参考にできる部分は参考にして欲しい。いろいろ批判もあると思うが、オレは英語教育者でも何でもないので、そのあたりはオレよりも偉い先生が言うことを信用してもらった方がいいように思う。
http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-1.html
http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-2.html
社会人のための本気の英語学習(3)TOEIC 1回目の受験後編
http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-3.html
http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-4.html
なんという俺。あまりに俺すぎるので今から俺はランニング行ってくることにした。
日記を書く。私は日記を書く。最近私は日記を書いている。最近私は、日記を書くことに理由を見出しかけていて、その理由とは、精神の解放、というか、ストレスの発散、というか、ランニングして汗をかくのと似てる感じの、まぁ大体そういう理由。書く内容は特に決めない。最終的にどんな内容になるかは誰にもわからない。
で、増田は一応ダイアリーというだけあって日記だ。議論したりしてる人も多いけどね。だから私は増田に日記を書く。ね?いいでしょ?誰も文句言わないでしょ?っていちいち聞くすら必要ない。ワンダフル。
それにしても私は日記を書く。文章を書くのはすごく楽しい。解放される。歌を歌っているときと近いけどちょっと違う。歌っている時の私の心は音楽になっている。文章を書いているときの私の心は文章になっている。理想的には、ね。
はっきり言うと私は、来年度から自分が何をやるか、何も決まっていないし何も決めていない。私はそれに対して何とも思っていないけれど、まぁ何も思っていない訳では無いけれど、私も一応人間であるので、周りの人間に対して色々思う事がある。
私としては、まぁ何となくやりたいと思った事とかやるべきだと思った事をやればそれでいいんじゃないかと思ってるんだけど、それに対して私の家族はどう思うか。世話をしてくれた先生達はどう思うか。仲の良かった数少ない友達はどう思うか。気になるあの人はどう思うか。そんな事を考えるとほとんど絶望してしまう。
普通そういう時って、自分で自分のやることを決めるべきであり、自分のことは自分を基準にして考えるべきなのかもしれない。
でも、本当に正直な気持ちで、本当に本当の自分の気持ちで考えてみれば、私は自分の事を自分で決める、という事に対して、ほとんど興味を持っていない。結構そういう人っているんじゃないかな。
ってここまで書いた時点で、もう私の文章はさっき読んだライ麦畑の文体に近づいていってる気がする。それぐらい私は自分というものにこだわりがないのかもしれない。
ライ麦ついでにもう一つそれっぽく言えば、どうして世の中の人々はあんなに自分をよく見せることばかりに気を使っているのだろう。これは多分、そういう風に他人を見ている私の心に何かがあるんじゃないかなって気がする。
ともあれ私は何をすればいいんだろう。先生が勧めるとおり、大学院に行くべきなんだろうか。それよりも別の方法でやりたい事、やるべき事を探すべきなんだろうか。でもそれってフリーターかニートだよね。別に私としてはフリーターでも構わないんだけど、やっぱり怖いんだよね、貧困とか世間体とか。
いずれにせよ私は文章を書いていきたい。もしそれで身を立てていければ、それは素晴らしい事か忌むべき事かその中間のどれかなんだろうけど、そんな事とは関係なく、私は文章を書いていく。理由は始めに書いたのもそうだけど、私が愛する文章を書いた人に1㎜でも近づきたいってのもある。
もしくは、もう取り返しのつかないくらいアホーな事をやりたいね。ひたすらキュウリを刻み続けるとか。そういうアホーな事を、真剣に全力でやったら、何かが生まれるんじゃないかって気がする。あらびき団を見てたらますますそう思った。そんなことを、いい年こいて半ば本気で思っている。一人で思ってる。
だれか、アホーな事を全力でやる方法を教えてくれませんか?まぁ教えてくれなくてもいいんですけど。だってここは増田だから。
なんか漠然と感じていることは、(本当にいい歳して痛いのだが)
仕事だろうが、趣味だろうが本当に自分のやりたいことと、自分の行動を一致させないと成果がでないし、欲求不満が溜まっていく。
資格試験の勉強、英語の勉強、プログラミングの勉強、ランニングして健康な体作りとかはやらなきゃいけないけど、やりたいことではないようだ。
何か自分のやりたいことやって欲求不満を解消しないと、やらなきゃいけないことも成果がでない。自己コントロールが下手だ。
とかそんなこと思っている。
でもヤリタイこと思いっきりやれるような歳でもないし、そもそも自分のやりたいことが何か分からない。
漠然とインターネット経由の情報ではなく、体験やら人との会話を通じて、
自分のやりたいことを探らなければいけないんじゃないかという思いがある。いわゆる自分探しの旅。
これって厨二病だよね。
この歳でかかるとは、本当に何してきたんだろうなぁ。。。
ネットで公開されていたので「トップをねらえ!」(1988年制作)というアニメを視聴した。
ガイナックスと庵野監督ということでよく聞くけど、見たことなかったので。
内容書いちゃうから注意。序盤はスポコンものとロボットものとがごっちゃになったような変な感じで、ロボットで校庭を50週ランニングとか意味わからん、ロボットに人工筋肉でも付いていて鍛えているのかななどと思った。
話が進むにつれてのスケールアップがすごいとか聞いていたけど、確かにそうだった。ロボットも武器も戦場の規模もスケールアップしていく。
スケールアップといえばグレンラガンも宇宙規模まで拡大してすごかったし、まあエヴァンゲリオンも少年の話から地球規模・(精神)世界規模にスケールアップするし、ガイナックスの伝統なのかなあ。
終盤になるにつれて強調されるテーマは、宇宙での高速航法による時差の話だった。つまり宇宙で戦ってた主人公たちの何百倍何千倍以上も地球で時がたっているということだけど想像力を刺激された。
戦いから帰還して1万2千年たってたなんて、どんな気分だろうか。だって、縄文時代から現代くらいの時が流れたっていうことだよ。人間の外見も違ってくるだろう。科学技術も桁違いの発達を見せているだろう。ひょっとして一度文明崩壊してやり直していたりして。しかしまあ、そんなに経っているのに地上の人々が主人公たちのことを語り継いでいるとは!
そういや、正義であり善であると思い込んでいた我らこそ宇宙の悪玉菌見たいな発想は、このころからあるんだなあ。ナウシカのポスターが主人公の部屋にはってあったけど・・・Wikipediaによるとナウシカはアニメージュ誌上で1982年に連載が開始されたそうだから、それもそうか。
そこには、友人から借りたCDから落としたり、ネットから拾ってきたりした多くのオタク系の曲が入っていた。
ついさっき私は、その中に入っている曲をジャンルや元作品ごとのグループに分ける作業をしていた。
作業開始から数分して一つ目のアニメ作品のプレイリストを作り終わり、『その他』フォルダからそれらの曲を削除しようとした。
いつも通りのやり方で削除をして、次の作業に取りかかろうとするが、『その他』フォルダが見当たらない。
目の前が真っ暗になりながらも必至で復元方法をググるが、Macに対応した復元ソフトがなかなか見つからない。
もう死ぬしかないか...と思った瞬間、私の頭にあるひらめきが降り立った。
iPhoneを使うようになってからはほとんど使わなくなっていたiPod shuffleの存在を思い出したのだ。
使わなくなったとはいえshuffleはランニングに行くときはよく使っているので、その中身の曲もかなり新しいはずだと思ったのだ。
案の定、最新の『その他』フォルダ(iPhoneには残っているので何の曲が入っているかは見て分かる)の数曲が欠けているだけで、ほとんど変わらなかった。
・白い靴下を履かない。
・穴が開きそうな靴下は躊躇無く捨て、履かない。
・座ったときに靴下とスーツのズボンからすねが露出しないよう、なるべく長い靴下を履く。
・靴の踵を踏まない。
・靴の踵はすり減ったら駅前の修理屋などで修理する。
・暗いスーツに明るい茶色の靴を履かない。
・靴の装飾は少ないものを選ぶ。
・つま先の尖がった靴を履かない。
・毎日同じ靴を履かない。
・ベルトと靴の色は同じにする。
・ベルトのバックル(中心のところ)はデザインの無いものにする。
・ワイシャツの襟にボタンが付いている場合は、ボタンをとめる。
・ネクタイをしないのであれば、首元から丸首のTシャツが見えないようにVネックのTシャツとかにする。
・ネクタイはベルトに少し触れるぐらいの長さになるように結ぶ。
・毎日同じネクタイをしない。
・スーツの肩の埃を払っておく。
・スーツのポケットに物を入れない。(内ポケットはOK)
・スーツは脱いだらハンガーにかける。
・毎日同じスーツを着ない。
・アクセサリーをつけない。
・鞄を肩から掛けない。
・リュックはやめる。
おまけ
・百貨店のおばちゃん店員のいうことはあまり信じないこと。
どのチームもディフェンスを強化している為か、オフェンスが苦しんでいる。その中で、なんとかディフェンスをコントロールしようとすると、オフェンスチームがワイルドキャットフォーメーションを多用するという展開になる。しかも、ランニングバックが、受け取ったボールを、クオーターバックの代わりにワイドレシーバーにパスを投げるという展開を混ぜると、かなり効果がある。
ディフェンスは、ショットガンフォーメーションの対策であるブリッツパターンを取ると、パスターゲットのマークがゆるくなってしまい、ロングパスを通されやすくなる。
それを防ぐ為に、クオーターバックとランニングバックの両方にブリッツをかけるというパターンと、パスターゲットへのマークをきつくするという展開があるが、このどちらも、今度はミドルレンジへのランニングプレイを防げなくなる。
敵のディフェンスチームが強く、オフェンスのラインだけではクオーターバックを守りきれないならば、オフェンスラインの人数を減らして、その分を攻撃に回す事で、結果的に、ディフェンスチームのプレッシャーを無力化するという発想である。
何をしてくるかわからないオフェンスを押さえ込まなければならないというディフェンスチームのプレッシャーは、意外と大きい。そこで、ディフェンスチームは、オフェンスの攻撃パターンを限定する為に、ブリッツを弱くしてパスターゲットを潰し、オーソドックスなランプレイに誘導して時間をコントロール。攻撃回数が増えて集中力が切れてきた隙を見てブリッツというパターンになる。
もちろん、敵のオフェンスがワイルドキャットから予想外のパスというトリックプレイをやれないということがわかっているならば、早々に潰して攻撃権を奪い、味方のオフェンスチームに自由にやらせるという展開もありえる。
バリエーションを多く持った方が有利になるのがフットボールの特徴である。どんなプランでも、選択肢を持っておくと、戦力が近い状態であればあるほど、有効に使う局面が生まれてくるのであった。
[2009.9.24] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html
http://anond.hatelabo.jp/20090401200113
ども、↑の元増田です。
僕はイデオローグでも何でもなく、個人の体験談として書いただけで、それがこんなにブクマされるとは思っていませんでした。ただ、これだけブクマされたら少しは補足しないと変なことになりそうなので、昨日までに自己レスで書いた分もふくめてタイトルをつけて書きます。トラバだけだと読んでもらえないようなので。
p_shirokumaさんの指摘ですが、客観的に見て正しい指摘だと思います。ただ、観点が当然違うのでそこを指摘させてください。
これはたしかにそうなんですけど、むしろ、僕にとってはこれは前提で、僕みたいな症状の人は低血糖症を疑ってはどうでしょうか?と言いたかったというのがあります。これは書き方が悪かったかもしれません。
おっしゃる通りです。参考にします。炭水化物を少しずつとっているというのはその通りです。なんで炭水化物を完全に絶つって短絡されるかな。
このポイントは重要だと思います。治験やなんかでエビデンスがない以上、そうであると医者の人は言ってはいけないと思います。僕もエンジニアなのでそれが科学的な態度だと思います。僕の場合、5年前に強烈な鬱病になりました。その時の感覚は、ホワイトノイズにつぶされているようで、腕を上げることもできませんでした。なので、もとのエントリーの最初に書いた症状は、その鬱病が治ったあとの症状です。「20年来のつらさ」なんていうと、メンタルをずっと病んでいたのが治ったみたいですが、そうじゃなくて、体の症状とそれにともなう、ひどいうつ病に比べたらまだましな精神症状が良くなったと言っています。エントリーの最後に「長期のうつ病」と書いてしまったのでそうとられてしまったんだと思います(これは言いすぎです)。そういう意味で食事っていうか、血糖値で気分が変わるというのは、DSM-IVの一般身体疾患による精神疾患に分類するのは正しくて明快ですね。テクニカルにはまったく私も同意します。
ただ問題は、現場の医師がそこまで意識しているかどうかです。私の知っている心療内科の医師でそういう判断をする人はいません。食事で気分が変わるんですがと言ったとしても、単に抗鬱剤や安定剤を出されるだけでしょう。その原因は、低血糖症に対する理解が日本ではほとんどないからだと思います。本当にしつこいですが、糖尿病の人がなる低血糖と低血糖症は別です。http://d.hatena.ne.jp/yachimon/20090403/1238685142にあるような感じで血糖値が食事でおかしくなる現象です。私はここのグラフで上が200以上、下が50くらいで、山は一つです(yachimonさんは山が二つあって気分の動きが相当つらいだろうなと思います)。
トンデモとか疑似科学とか言われてもプラクティカルに効果があればどうでもいいんですが、英語だとDummiesシリーズの本が出ています。
"Hypoglycemia for DUMMIES" Cheryl Chow and James Chow, MD
この本にも、symptonとしてanxietyとDepression/mood swingsがあります。もちろん医学書ではありませんが、アメリカの本屋だったら絶対にあるDummiesシリーズになるくらい一般的なんだろうと思います。
で、病院に行かずに素人の浅知恵なんてコメントをする人もいますが、まず病院には行っているし、この本もふくめ学術的ではないけど相当研究はしました。普通に血液検査をしても標準値内に入ってしまうし、運動(筋トレとランニング)もしているし、いい妻にも恵まれているのに、なんでいつまでも朝は憂鬱で、昼食後はだるくてイライラして不安と焦燥感に駆られるのか、が不思議でしょうがなく、、あとは元のエントリーに書いたとおりです。
もしかして、以下のサイクル自体が信じられないという人も多いのかも知れません。
糖質とる→(糖尿病になりかけているせいで)血糖値上がりすぎる→眠くなり、インスリン出過ぎる→血糖値が急に下がりすぎる→血糖値を上げようとアドレナリンとノルアドレナリンが出る→イライラしたり、不安になったり、無気力になったり
↓
糖質減らす→血糖値上がらない→眠くならず、インスリンもあまり出ない→血糖値下がらない→アドレナリンとノルアドレナリンが出ない→いい気分
毎食後勝手に飢餓状態に置かれてしまうこの現象と解決法を否定されたら意味がないんですが、p_shirokumaさんやfinalventさんの指摘はここではなく、この現象がメンタルヘルスの対象である精神疾患かどうか?ということであるととらえています。
もともと言いたかったことの一つは、もし同じような症状っていうか現象が出ているなら、この食事はそんなに大変じゃないからちょっとためしてみてはどうですか?ということです。一度寝る前に無糖ヨーグルトやSoyJoyを食べてみてそれで朝が楽になるならそれだけでもいいし、昼食を軽めにして卵やチーズや豆の間食をしたら夕方が楽になるならそれでもいいでしょう、ということです。その変化が劇的だったら、医者に行って詳しく見てもらうといいでしょう。ただほとんどの医者は低血糖症を知りませんが。あと、食事の取り方はindividualizeしないといけない、というのは別のhypoglycemiaの本なんかにも書いてありました。確かに腎臓が悪い人がこの食事は良くないでしょうね。
少し覚悟はしていたけど、左右両方に曲解されて極端なコメント(メンヘラがマクロビやったらすべてがうまくいった!のレベルの賛否になっていたりする)をもらうのはちょっと疲れたので、こういうことを増田に書くのはやっぱよくないですね。なのでこれでおしまいにします。
個人的にうれしかったのは、文章がうまいと数名の方に言ってもらえたことです。それだけで十分かも。
ども、元増田です。
ブクマの数にびっくりしました。一応言っておきますが、エイプリルフールのネタじゃありません。その他ランダムに補足します。ここに書いても本文しか読まれないみたいですが。
疑似科学って言うか、別に効けばなんでもいいんでこだわっていません。ただ、低血糖症は日本ではまだ保険適用の症状になっていませんが、一応英語でhypoglycemiaをググると2,790,000件出てきますので。
このサイトの写真の女性の様子は低血糖症をよくあらわしていると思います。
あと、マクロビって言葉を出しただけでなんで信者だって思われるかな。肉食べてんのに。
低血糖症は糖尿病の人がなる低血糖とは別です。あれは本当にその時に砂糖を食べないと死んでしまいます。親族にインスリン注射をしている糖尿病患者がいてそうなったのを何度か見ました。そのせいで糖代謝系を疑ったというのもあります。
アメリカでしばらく仕事をしていた時に、アジア人は昼飯を食べると寝てしまうという共通の特徴を見つけたこともありますし、アメリカ育ちでない一時的に来ているアジア人のほうが鬱屈しているなとも思いました。それはやっぱ糖代謝の関係なのかなぁと考えています。
僕の体質の話もあるので、この通りにやればなんでもOKなんて思っていませんし、たまたま当たってつらいのがなくなったら嬉しいです。あそこに書いた通りだとビタミンやミネラルが不足するかなとも思うので、海藻系をたくさん食べるともっといいかもしれません。僕はランニングをやっていたので改善が早かったのかもしれません。医者のガイドでは3か月くらかけてとあったし、ウォーキングのような軽い運動と組み合わせるのも必須みたいです。
あの食生活は個人的には全然つらくないです。小食なのはすぐ慣れるし、足りなくてもすぐ食べれるからです。だから気軽にどうですか?のノリだったんですが、意外なところが反響を呼んでしまったみたいです。
ちなみに、朝がつらい人が簡単に試すとしたら、一度寝る前にSoyJoyか無糖のヨーグルトを食べてみたらいいかもしれません。それで朝が楽になるならずっとそれでもいいし、それから医者で調べてもいいでしょう。昼を少しだけ軽くして3時に卵かなんかを食べてみて、それで夕方が楽になるならそれでもいいでしょうし。僕は指摘されているみたいに症状が極端だったので、改善も極端なんでしょうか。いっぺん休日の朝に何も食べないでいきなり砂糖を大匙いっぱい食べてみてどうなるか試してみたい誘惑に駆られます。今日は昼食のサラダドレッシングを油断して食べてしまって、3時までふらふらでした。
繰り返しますが、普通の医者じゃ認知度がとても低いので、検査を受けるなら紹介はしませんが5時間糖負荷試験で探して行ってください。ちなみに、日本の医者は厚労省に甘やかされてまったく勉強しないから、保険適用の流れ作業しかできない人が多すぎると思います。ドラマのERを10年以上見ていますが、アメリカはあのレベルが普通なのかとうらやましいです。ドイツにいた人に聞いても同じ感想でした。
幸せのくだりはちょっと誤解を招くような表現かなと反省しています。20年来のつらさはほぼなくなったけど、他の日常のつらいことなんかがなくなるなんて思っていません。ただ、ベースが楽になったので、それなりにつらいことがあってもつぶれないくらいにはなれたかなというのがあります。何もしていない時がつらい、から、何もしていなくても楽しい、に変わったのは大きいです。
もともと十分アクティブじゃんという指摘については、むしろつらいから昔からエキセントリックな方向に行く傾向があって、それでなんとかやってきていた、というのはあります。でも常に無理をしていたのでますますつらかったです。
妻に関しては、僕の人生で一番ラッキーなことだと思っています。心理的に健康で情が深い人に出会えたのは幸運以外の何物でもありません。彼女のおかげで僕のイライラは僕の中が原因なんだとわかって調べる気になれました。本当に感謝です。
ども、元増田です。
個人的なエントリーのつもりが反響が大きくてびっくりしています。どこの利益も代表していないし、自分のやりかたを押し付けるつもりもないのですが、簡単に補足します。
血糖値が50近くまで落ちたのは空腹時ではなくて、5時間糖負荷試験時です。空腹時は90くらいでした。
別に自然な料理が好きなわけではないです。作ってあってもおいしければいいんですが、それだと高いというのがあります。そもそもそうだとしたらコンビニで買わないし、肉も食べないと思います。
あと、玄米やライ麦パンもまだましだから食べているというレベルで好きではないです。それらも食べ過ぎると血糖値は上がってしまいます。
糖質制限はしていますが、ふらふらはしないです。多分たんぱく質をエネルギーにするのがうまくいっているんだと思います。これはランニングのおかげかもしれません。低GIだったらたんぱく質でなくてもいいかもしれません。一時SoyJoyばかり食べていましたが、調子はよかったです。やめたのは飽きたからです。
マクロビは思い込みっぽいところがあってあまり好きではないんですが、自分で工夫するのが面倒なので参考にしています。
スペックが半端でないと言っていただけるのは素直にうれしいですが、結婚には一度失敗していますし、煙草をやめるまでは楽しみもないすごく惨めな人生でした。床で寝るのもよくありました。それから少しずつ良くなって、この食生活で一気に良くなった感じです。
学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基本的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。
中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと鬱状態だった。
何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとかなったし、結構業績もあげたので30前半も20代の貯金でなんとかやっていけていた。けれど30半ばになって全く新しい仕事をやらなくてはならなくなり、そこでクラッシュして休職した。復職してからは自分の頭や体の調子を冷静に見るようになって、ヘビースモーカーだったのを禁煙したり、ランニングを始めたり、食べ物に気をつけたりしたところ、少しずつだけど調子は上向きになっていったけど、根本的に何かおかしいと思っていた。以下ここまでで出ていた症状。
(追記)
仕事は、失敗するのが怖くて異常にワークロードをかけてやる。だからうまくいくときはいいけど、失敗すると目も当てられない。うまくいってもうまくいかなくても疲弊してしまう。うまくいった仕事は、人の手助けとか責任がなくて気軽にやったものがほとんど。
こういう状態だから、とても悩んでいろんなメンヘルの本や啓発系の本を読んだけど解決にはならなかった(違う意味で色んな示唆は受けたけど、特に瞑想とか)。ある時アメリカ人の書いた本を読んだところこんなことが書いてあった。
炭水化物を減らす
炭水化物は"全粒"がキーワードです。白いパンや白いご飯、白いパスタなどの精製された炭水化物は血糖値を急激に変化させ、気分をコロコロ変えてしまいます。
「脳にいいことだけをやりなさい」マーシー・シャイモフ、三笠書房
アメリカの啓発系の本は説教くさくなくプラクティカルなので好き(追記:個人的にこの本全体を評価するわけではありません。最後のほうにはカルトっぽい記述もありましたし。要は部分的にでも役立てばなんでもいいということです。)なんだけど、早速玄米やライ麦パンを試してみたところ、頭がすっきりした感じがした。のでさらに調べてみたところ「低血糖症」のキーワードにたどりついた。特にこの本には驚いた。
「低血糖症と精神疾患治療の手引き」マリヤ・クリニック院長 柏崎良子、イーグレープ
この本によると、低血糖症患者(反応性低血糖症の場合))は食後の血糖値が急激に上昇するために、インスリンが出過ぎてしまい3-4時間後に血糖値が異常に低くなってしまうとのこと。血糖値が低くなりすぎたりすると、血糖値を上げるためにアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、
分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンが情動を司る脳の分野(大脳辺縁系)を刺激し、感情的興奮(怒り、憎しみ、敵意、焦燥感、恐怖感、落ち込み、悪夢、不眠、自殺観念)を引き起こすため、脳全体の機能のバランスが悪くなり、感情をコントロールできずに「キレる」症状を起こす原因の一つともなります。
攻撃的行動、うつ的衝動、性格の異常化、感情の抑制ができない、判断の統合ができない、引きこもり、自律神経失調症、完璧主義になる、健康の認識基準が低い、自責の念が強い、過度に目的志向型になる、幻聴幻覚の症状、不眠と悪夢、「キレて」止まらない症状、ストレスへの対応、感情表現の欠如
また、コルチゾールも分泌されるが、血糖値を上げるためだけに使われてしまい、アレルギーや炎症が出るとのこと。これも症状ぴったり。
極め付けはこの文章。
青少年期から低血糖症の患者は、低血糖の異常状態に慣れていて、それを通常の状態であると誤認していることもあります。低血糖症がもたらす他の症状のために来院し、検査の結果、低血糖症であることがわかり、治療して後、体質も性格も変わり、自分の健康状態、正常な状態を知って驚くことも多くあります。
これだけ言われたら試すしかないと思い、これで駄目だったら田舎にでも引っ込んで低位安定の人生を送ろうと決心して食生活を試行錯誤の末こんな風に変えてみた。
朝食:ライ麦パン、生野菜、卵、カフェイン抜きコーヒー、果物少し、ジュースなし
間食1:コンビニのミックスナッツを150kcalくらい
昼食:肉か魚でご飯は2口くらい、玄米が選べたら茶碗半分くらい
間食2:ゆで卵
間食3:プロテインとナッツの残り
間食4:寝る前にナッツとプロテイン
(追記:最適な食べ方は人によって違います。低GIで少量頻食にするのがポイントですが、ミネラルバランスを気にして、内臓疾患がないか検査は必要でしょう。)
ポイントは、お腹半分でまでしか食べないことと、空腹のタイミングを作らないことと、ソースも含め砂糖とブドウ糖果糖液を徹底的に避けること。食べるものは基本的にマクロビオティクスに肉と卵を足したものだと思えばいい。最初はSoyJoyも食べていた(症状が重くなければ十分効果があると思う)。酒は翌日に残っていたのが残らなくなったのであんまりセーブしていない(追記:飲む種類は蒸留酒と赤ワインがメインになりました。ビールを飲むととたんにおかしくなるので)。むしろ野菜と肉と魚で飲むと眠くならないし飲むのが楽しくなってきた(甘いつまみは厳禁だけど)。ちなみに、頭が働かない時にブドウ糖や甘いものを、と宣伝されているけど、あれは砂糖業界の陰謀だとしか思えない。その一瞬はいいけど、すぐに悪循環に入ってむしろ悪化する。たんぱく質だって脂肪だって時間はかかるけどブドウ糖に分解される(追記:厳密に言うと糖新生ですね)ので最終的な効果は一緒で、いきなり吸収されないぶん血糖値を上げず安全だったりする。だから泰葉みたいに砂糖を食べてはいけなくて、ふらふらする前にたんぱく質か低GI食品を食べるのが正解。
効果は笑っちゃうくらいすぐ(2-3日で)出た。まず仕事の集中力が圧倒的に戻ってきて、いい資料は作れるし、ミーティングで効果的な発言はできるし、客に嫌味を言われてもこたえない(冷静に指摘としてとらえる)ようになった。寝る前に食べるせいだろうけど、朝は気持ちよく目覚めるし、いらいらすることがないから性格も丸くなった。なによりうれしいのは、以前だったら調子のいい時に思いついたアイデア(プライベート、仕事を問わず)が、昼食をとるとリセットされて全然進展しなかったのが、継続して発展させられること。結構ややこしい問題に関する説明資料を1ヵ月かけてつくって客のお偉方に説明したりなんてことが簡単ではないにしても充実してできるようになって、もしもう少し若い時に同じことができたら、高給取りのコンサルになれたのになと思ったりした。今や仕事の企画を考えるのが楽しくて仕方がない。
ランニングも調子よく、以前だったらハーフマラソンに出るたびに怪我をしていたのが、今回はフルマラソンを走っても3日後には練習が再開できるくらい。胃腸については、お腹を壊すことはほぼなくなり、肉を大量に食べても難なく消化できるようになった。
おまけに、インスリンダイエットとプロテインダイエットを同時にやっているようなものだからいい感じにやせてきた。(追記:もともとやせていましたが、体型は良くありませんでした)
一応病院にも行って、保険適用外の5時間糖負荷検査というのを受けた。検査の最中から慣れ親しんだ嫌な身体的心理的症状が出て、結果は見事に反応性低血糖症(200以上に上がった血糖値が4時間後に50近くまで落ちた)だった。念のためこれも保険適用外のサプリ(結構高い)も買ったけど、なくても食事だけで十分効果があるのはわかっているのでいつでもやめられる。低血糖症を治療することでうつ病だけでなく、統合失調症も良くなるらしいとのこと。統合失調症になったことはないのでよくわからないけど。ただ、不定愁訴系はかなり治るような気がするし、いらいらしてキレやすい犯罪者やDQNは、自分もそうだったから治療可能だと思う。
何をやったらいいかわからなくて無為に時間を過ごして、無力感と自責感にさいなまれながらだらだら遅くまでいた以前とは大違い。一日集中できるということがいかに素晴らしいか痛感する。マネージャーだったころに人系のぐだぐだでとても疲れたことがあったけど、そういう仕事も懐深くできるような気がする(あくまで気がするだけだけど)。
プライベートでもランニングがこれまで以上に楽しくなったほか、もともと好きだった音楽や映画も心の底から楽しめる感覚が本当に久しぶりに戻ってきた。今はドアーズを聞きなおして曲の良さにほれぼれしているところ。味覚も鋭くなって、豆や野菜の自然なおいしさがよくわかる。自然のおいしさを理解して生かしている料理を食べると嬉しい。二度とチェーンの居酒屋なんか行けないけど。妻や友人と過ごす時間も増え、こんな簡単に幸せになっていいんだろうかと思う。経済的な不安はまだまだあるけど、幸せっていうのは結局自分の状態のことなんだなと実感した。
ともかく空腹感や満腹感で良くも悪くも気分や体調が変わってしまう人は試したほうがいいかも。症状が治まった目で見るとそういう人がとても多いように見える。アメリカでは保険適用で、4,000万人くらい潜在患者がいるとのこと。日本で普通の治療になったら、長期のうつ病や進行した結果としての糖尿病やメタボが過去のものになるかもしれないと思う。
(凄い久々の追記)
基本的に同じ食生活を続けていい調子ですが、最近もしかしてセリアック病なんじゃないかと考えだしました。セリアック病による自己免疫不全でお腹の具合が悪く、小腸から栄養が吸収できないということなのかもしれません。糖尿病の併発も多いようで、結局は低血糖症で言われているのと同じ現象が発生し、治療法もほぼ同じとのことです。将来的にここらへんが統一的に説明がつくようになるのかもしれません。
(またまた追記)
セリアック病のテストではネガティブでした。ただセリアック病を疑うのと前後して、ハーフマラソン後に誤って飲んだオレンジジュース(炭水化物30g)で体が発狂(痙攣と胃腸障害)したので炭水化物不耐性なのだろうなと思います。炭水化物不耐性→現象としての低血糖症という感じです。
社交辞令を、マジに受け取ってしまい、すれ違い、ってのは、そこまでKYじゃない人でもたまにありえる事だと思う。
そこまでは多分「仕方の無いこと」で、「すみません、あれは社交辞令でたいした意味はありませんでした」とネタばらししたところで、普通はここで、「え、そうだったの」「すみません」「あ、いや、こっちも勘違いしてました」みたいな感じで終わるはずだ。
この相手の人間が「どこか怖い」のは、「社交辞令を勘違いした」こと自体じゃなく、その後の処理。
「あ、そうだったんだ(笑)ゴメンゴメンw」で済むところを、「俺は本気だったのに君は適当だったんだね」とか言ってしまう。これが怖いところ。単なる「社交辞令の勘違い」の話が、結婚前提に付き合ってた男と遊びだった女、みたいな、物凄く重い話になっている。この人の中で。その意味不明な重さが怖いんだよ。
で、更に次の日、まるで仕返しのごとく、「って言えばいいんですよね」なんてあてつけがましく言う。
何度も言うけど「勘違いした」ことは別に全然KYじゃないし、怖くない。この男が「怖い」とさせる要因は、その後の処理。「勘違い」を中心に語ってる人が多いけどそこは重要じゃないんだよ!そんな事は普通の人でも年に一度くらいはやってしまうことだから。
『なんでそう大袈裟なんだ!?単にお互い勘違いしちゃった、それだけの話なのに!後日あてつけがましく言って仕返しじみたまねをするほどの話か!?何がそんなにショックだったんだ!?』と普通の人は感じる。そこが怖くなるんだよ。
あまりにナイーブすぎて、下手にちょっとでも会話をしたらよく分からないところでブチ切れて殴られたりされそうな、意味不明な怖さをそこから感じるわけ。下手に挨拶でもしたらそれにすら「あ、俺に対しては『おはようございます』じゃなく『おはよざいまーす』なんですね、短縮してるんですね……」とか言われかねない。人は理由が分からないものは怖いんだよ。満員電車で、ゲームの事注意したら突然殴ってきたってニュースあっただろ。あれと通じるもの(通じる、というだけで、こういう人間は突然殴るんだと言ってるんじゃないことに注意な)がある怖さ。ああいう類の怖さなんだよ。
勘違いは別にいいけど、この後の処理みたいな事をよくやってしまう、って奴は気をつけた方がいい。そういうのは周囲の人間にとって恐怖だし、どんな拍子に傷つけてしまうか全然分からなくなるから、結果、誰もよりつかなくなる。「こういう処理、よくやっちゃう」「それでいて、何故か嫌われがち」って奴!確実にそれ怖がられてるぞ。
非モテとか、非コミュとか自称する奴っていうのは、たいがいこの男と同じような間違いに陥っている気がする。
別に、勘違いしたり、ミスってしまったりするのはいいんだよ。でも自称非コミュたちはそういうのをなくそうなくそうとして、力入りすぎて空回ったり、その結果、「もう全然分からないから誰とも話さない」って極端に走ったりする。
問題は寧ろミスのあとの処理であることが多い。そこでもう「ミスしてしまったから」といって自暴自棄気味に走ってはいけない。素直に「勘違いしてました/変なこといっちゃいました」と認める。それで軽くゴメン、みたいな、それでいいわけだ。間違ってもそこで「拗ね」てはいけない!これは基本ネガティブで強く言えない自称非コミュがやりがちなんだが「拗ねる」のは確実にアウト。どう転んでもうまくいかない対応。大人が拗ねてることほど気持ちが悪いものはないし、ものすごく幼児性を感じさせる。拗ねるってのは最悪の対応。最も子供の対応。要するに「自分が傷ついているor怒っていることを、こっちから言いはしないけど、でも感じ取って、そっちがフォローしてください」という態度だから。まだ怒るほうが全然マシなくらい(それでも変なところで大袈裟に怒ればアウトだが)。怒っているということを言うこともできない、それすらも「そちらがボクの思いを感じ取ってください」と丸投げしているその余りの幼児性。これがアウト。オタクがいまいち世間からは一人前の大人と見なされないのも、オタクはそういう感じで世間に対して拗ねているイメージが(あくまでイメージがあるだけで、実際には色々だが)世間にはあるから。自虐癖がありながら、でもプライドは結構高い、みたいなイメージが。本当に傷つけられたくない奥底のプライドを守るために、敢えて表面上は自虐して傷つけながら防衛している感じ。自称非コミュあたりもこうした傾向が実際あって、その複雑なプライド守護システムがおそらく普通の人と噛みあわない。結果、「あ、ごめん勘違いしてたわw」「いえいえwすみませんw」で済む会話を「ボクは真面目だったのに…遊びだったんだ」→「こうすればいいんですよね…w」とか複雑怪奇にしてしまう。表面上過剰に傷ついておくことが、多分奥底のプライドを守るために必要なんだろうな。要するに言ってしまうと素直になれない、ってやつなんだが。多分、究極のツンデレは非コミュ。人と仲よくなってみたいのにどうしてもここぞという時にはハリネズミのように、自分を守るため他人に針を向けてしまう。
蛇足だけど、思った事を書く。
で、なぜそんな拗ね方をしてしまうかというと、多分、「上手く怒ることができない」からであると思う。実は「怒る」ということは、意外と難しい。子供のときはダダこねてりゃよかったが、大人になると途端に「怒る」という事が困難になる。思春期あたりから、親などの親しい間柄でさえも「上手く怒る」ということは困難になる。ましてや、「知人」レベルではものすごく難しい。
子供のころは、ムカっときたら「うるさい!」「いやだ!」「バーカバーカ!」とただ言っていればよかった。しかし、大人になる過程で、そんな反応は「子供っぽい」「バカ」「恥ずかしい」ことだと学ぶ。しかし、理屈や何やらを置いておいて、とにかく反射的に来る「ムカっとくる感情」は、その後でも以前残ったまま。だからその「ムカっとくる感情」の処理が、大人になると難しくなる。ただギャーギャー子供のときのように喚くのは恥ずかしい。でもだからといって、全部飲み込めるほど器用でもない。そういう「ムカッ」は大人になると行き場がなくなる。それがそのまま単にストレスになることもあれば、今回のように当てこすりとして回りまわったぶつけ方をしてしまったり、大袈裟に傷ついてみせたりしてしまう。
先ほど書いた、自称非コミュのプライドというのは、おそらくは「素直に感情を出せない」というプライドなのだと思う。そしてそれは「自分を全部出す」ことの怖さ、自分を全部出して、そしてそれが否定されたらどうしようという怖さにつながっている。
だから有る意味、彼らは自分らで非コミュというけど、何も考えていないKYというより、どちらかというと他人の事や自分の事を考えすぎてしまった故の歪みといった方が正しいと思う。勿論、真の天然ともいうべき最強のKYも存在するが、そういう奴はそもそも自称非コミュなどと名乗ることすらしない。それにすら気付かなかったりそもそもそういった概念がなかったり、逆に自分は結構場をリードしてるとか思っていたりする節がある。がそういう奴はまぁそんなにいない。
ムカっときた場合に、例えばギャルのように「えー。んだよ、そうだったわけ?マジ腹立つんですけど」とか直球で自分の感情を伝えることができない。例えばギャル男のように「は?マジかよ、つーかうぜーんだよ」と言うことができない。
多分「できない」というより「そんな事は恥ずかしくてバカのすることだから、しないんだ」と本人は思っていると思う。が、そういう風に思ってしまうのも込みでここはあえてそれを「出来ない」と言う。要するに、「そう思ってしまって、できない」。
感情を出す、ということ自体が、非コミュの「人間の行動ヒエラルキー」の中で下層に属している。感情はできるだけ出さないのがカッコイイ。それこそ理知的な、常識的な人間のすること。だと思っている。非コミュは結構理系であることが多い。それは「論理的であること」が重視される・いいことだと称えられている理系と、そうした非コミュの思想は相性がよいから。もともとそういう性格だから理系に進むのか、理系だからそういう風になったのか、鳥が先か卵が先かは不明だが、まあおそらくは互いに干渉しあっているのだろう。
全ての動物の中で最も理知的な人間であるのだから、ムカっときたら喚くなど、そんな感情的な行動は恥ずべきもので、できるだけしないほうがよいのだ。感情をぶつけるなど倫理的に人間はしてはいけないことだ。等、文章にすると大袈裟だがおそらくそういった事を無意識的にでも思っている。だから非コミュはそういう自己に対する縛りによって、そもそも感情を上手く発することができない。そういうベースがある。それどころか、感情を抱いていることを認識するのがまず難しかったりする。「感情」→「感情的」→「バカっぽい」と思っているため、理知的であるはずの自分がそんなバカみたいな怒りや悲しみを抱いていることをなかなか認めたくない、というところがある。
それでそうした中、それでも人間ゆえどうしても「ムカッ」とすることは多々出てきてしまう。そこで問題が出てくる。上記の理由から、非コミュはとてもとても「つーかそれちげーだろお前らうぜー」とは恥ずかしくて言えない(その分匿名の2chなら言えるが)。でもこの「ムカッ」は消えない。といって飲み込めない。「うぜーよ!」と感情任せに言うことなく、なんとか相手にこの怒りをぶつけたい……。その歪みが、「いい年こいて拗ねる」として表れる。「僕は怒りました」とは言えない。しかし、といってただ引き下がれはできない。怒りました、とこちらから感情を直接伝えることなく、しかし相手に自分が怒っていることを理解してもらった上で謝罪が欲しい。それが「拗ね」の態度を生み出す。
「素直になれ」と言われてもその使い古されすぎた言葉に、多分いまいちピンと来ない非コミュが多いと思うが、ここでいう「素直になる」というのは、「自身が抱いている感情を自身に対して誤魔化すことなくまず認めること」だ。ここでは「倫理的にどうなんだ」とか「そんなこと思っちゃダメだろ」とか、そういう「判断」はまだしない。とにかくまずどんなにバカで幼稚な感情でも自分が何を思っているか、どう感じてしまっているのかをまず誤魔化さず認めるということ、それが素直になるということ。「社交辞令だったのかよ!てっきり俺に気があると思ってたのに!チクショー!」というような思いでもいいからまずそれを感じたのだということを自分が認識する。それに対する判断、その上でどうすべきか、などはその後に考えることだ。
「てっきり俺に気があると思ってたのにそうじゃなかったから、俺は悔しくて憎いと思ってるんだな」と、まず確認する。(これをするだけで結構冷静になれる)考えるのはそこから。さきほどはあえて「出来ない」といったが、勿論多くの非コミュが思っているようにただ感情的に「うぜーよ」とぶつけるのはやはりまぁよくはないことだ。(だが先に例にあげたギャル男タイプの人間は逆にそういうところですぐさま発散できるため、拗ねたりという回りまわった態度はしない)しかし「うぜーよ」でなく例えば今回のばあいなら「え、そうだったの?俺本当に教えてあげようとおもっていろいろここんとこ準備してたんだよ、それだったらもっと早く言って欲しかったな」くらいならストレートに「ちょっと怒ってるよ」ということを伝えても構わないだろう(拗ねるよりかなりマシ)。そういう「上手い怒り方」を学ぶ。あるいはそれもやはりできないということなら180度方向性を変えてランニングでもして「チクショー!」と忘れる。あるいは愚痴る。あるいは増田に書き発散する。などやり方は色々あるし多くの人はそれを試行錯誤しながら失敗しながら生きている。正解はこれとはなかなか言えないが知るだけでも違う。少なくとも「拗ねる」というのはどう足掻いてもその後うまくはいかない(相手がよほどの天使でない限り)ため、やめておくのが無難。しかしそれを寧ろ率先してやってしまうのが非コミュだったというわけだ。
さっきはてぶのコメントを見たが、本当に唖然とした。
はてな取締役であるという立場を離れて言うが、あのはてぶの批判コメントを読んで感動してスターをつける奴はバカだ。これは100%断言できる。
何であれがいいと思うの? なんであれにスターをつけるの? 本当に分からない。元々は本を紹介してるだけじゃん。本の紹介だよ? 誰だってあれ読んで本の紹介だって言うのは一瞬で分かる。それで紹介した本を読まずに自分の意見を書くって本気でバカなんじゃない?
あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。つまり、読んで書いた感想と読まずに書いたコメントの区別がつかなくなってるんだよ。だからいいと思ってスターをつける。これはバカとしか言い様がないだろう。日本の将来は大丈夫か?
前にもちょっと近藤淳也の本が出た時、Amazonのレビュー(こんなもの見たくなかったが)を読んだが、なんであんなおすすめ度が高いんだろう。あとついでに 「へんな会社」のつくり方 のdankogaiの感想も読んだ。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然プロの評者とは比べるのも失礼な程だし、無料ならまあ一回読んでもいいかな、という程度だ。何回も読むほどではない。ただコメントは納得の嵐。アホか。本物を知らないニートばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないな。
俺ははっきり言うが、もっと人間が本気で書いてる文章を読むべきなんだよ。じゃないとおかしい。プロの物書きが毎日どれだけ苦労してるか知ってるか? 一日10kmのランニング、人間存在の根本にある毒素との戦い、膝や体調の管理、食事管理、書けばきりがない。大好きなタバコやジャズ喫茶の経営を我慢して頑張ってる人もいるし、サラリーマンみたく安定した職じゃないから毎日不安と戦ってる。そういう方が心を込めて書いた本を買わずに、素人の文章を読む。ほんと死にたくなるね。どうしてあんな素人の文章を読むかね。単著もないのに。わからない。世の中不思議だらけだ。
本当におまえら頭冷やして考え直せよ。おまえらはバカか、またはネガコメ5に乗せられてるだけだ。まあそれをバカと言うんだがな。
大衆が支持する政治でほんとうに大衆が幸せになれるかは別なんだよね。
だって、どんなに君のおかあさんが正しいとわかっていても、
「勉強しなさい!!」っていわれたときの気分ときたら幸せとは程遠いじゃない。
朝三暮四じゃないけど、多少不合理でも納得したほうが幸せになれるんだ。
政治にはうまく説得してもらってそれなりに機能する仕組みを導入してほしいんだけど、
残念ながら説得はまるでなされないし、アメも鞭も機能していない。
いまどきの子供は「けん玉」あげるから勉強しなさいじゃ勉強しないのよ。
せめてWiiぐらいぶらさげないと。
しかも勉強しなさいじゃなくて、タイヤに紐つけてランニングしなさいじゃ子供だってぐれるよね。
今はグレていい時期だと思うよ。
ま、子供がグレたところで親が矯正されることはないんだけどね。
親戚の小沢おじさんも腹黒そうだし、僕たちどうしたらいいの!っていう感じ。
どうしようね?
今年は松岡修三あたりが総理でいいとおもうんだ。
ブレーンに石破あたりつけておけばいいでしょ。
あっきらめんなよぉおおお!!
http://anond.hatelabo.jp/20080827024642
走り始めてから6ヶ月が経過した現在、まだ走ってます。走れてます。
あの時点で目標だった「30分で5km」は9月末に達成、その後徐々に時間と距離目標で「2時間走」「20km走」「ハーフ走」と達し、スピード目標の「1時間で10km」を昨年末に達成してきました。現在は「30km走」と「30分で6km」を遠い目標にしています。総走行距離は850kmを越えたところです。シューズを新調したら記録が伸びたり、目標は潰えません。
本当にここまで走れるようになるとは思いませんでした。前回の追記にも書いたように「だれもが認める運痴」でした。今はどうなのでしょう。少なくとも長距離走に関しては運痴と言われないはずです。まだフルマラソンの距離は無理ですが、この分ならば半年後には走れる気がしています。「だれでも半年でフルマラソンが走れるようになる」というのもウソでは無かったのですね。半年じゃ無理でしたが。(歩きを含めれば今でも可能でしょう)
出来事、思ったことを項目分けして幾つか書いてみます。所々「運痴が――」と書いていますが、あくまで僕個人の場合であって、運痴の人全てを対象として言ってるわけではないので悪しからず。
もちろん順調ではありませんでした。膝の痛み悩まされ、テーピングを覚えました。腹痛で途中ダウンしたこともあります。一度派手にコケて血まみれになったことも。運痴はちょっとのことでも故障するから動いちゃダメだ、みたいに考えてました。痛いのは嫌ですが、ちゃんと運動した結果なんだなぁ、と考えて嬉しく感じたりして不思議な気持ちです。大人になると転んで怪我することなんて滅多にないですし、子供の頃が懐かしいような感覚です。
Mなだけですかそうですか orz
走っていると撮りたいものが沢山見付かります。まだ体力付けの段階だと我慢していましたが、昨年末に風景夜間撮りに適したコンデジを購入し(一眼レフを持って走るのはさすがに厳しい)、週末のLSD時のみバックパックに背負って走るようになりました。
夕暮れの空と雲、見慣れない花や虫、山の遅い紅葉、街のイルミネーション。自分の足で自由に動けるからこそ撮れる物が沢山あります。毎週末にどこまで走ろうかと考えるのが楽しみです。今は物寂しい冬景色ばかりですが、これからの季節変化を考えるとワクワクしますね。トレイルランしたらもっと楽しそう。
こういう写真の楽しみ方って何て呼ぶのでしょう。「撮り歩き」ならぬ「撮り走り」です。自転車が「ポタリング」だとすれば「ジョギング」に含まれるのかな。
運痴として生きてると友人関係が「動かない人」で構成されてしまうのですよね。他のスポーツをやってみたら、というコメントが前回ありましたがチームスポーツはやろうにも難しいです。スポーツクラブとかに行けば、とも思うわけですが、30年間染み付いてしまった引き篭もり気質はその扉を叩く勇気を与えてくれません。人見知り激しいんです。
ランニングはソロスポーツだからこそ始めれたのだと思います。気楽で良いのです。
じゃぁランニングクラブはどうだろう、と調べてみると情報がサッパリ。市民駅伝のチームリストを見る限りは沢山ありそうなんですけど。活動がしっかりしてて情報得られるものは超初心者向けの教室か上級者向けのモノばかり。ペース4分30秒/キロでLSDとか、全力疾走したって僕には無理です。初心者歓迎、とのことですが足引っ張りそうで嫌だなぁ、と思ってしまうのが運痴思考なのでしょうか。体育の授業で足を引っ張りまくった過去はトラウマになってます。
まぁネット上で繋がり作ればいいか、と思ってますが僕のJogNoteは未だに友達0人です。(ノ∀`)
よく聞く名前のものを調べると制限時間が厳しいものばかり。制限のゆるい大会を見つけても、申し込もうかどうか気後れしてしまいます。人見知りなのもありますが、そもそも観戦したことすら無いのでどんな雰囲気なのかも分からないのです。運痴には関係のない世界だと思ってたので、TV中継すらまともに観たことが無いのです。なので今期中は観戦のみにしようかと思ってます。そう言いながら箱根駅伝は見逃しましたが。
先日、市民駅伝を観戦しました。応援の雰囲気や色々な走り方を見ることが出来て良かったです。駅伝なので1区6kmくらい、職場の人何人か誘えば……っと思って出場資格を調べたら「5kmを21分以内で走れる人」とか。これは市民レベルなのか……?
自転車のブームもスゴイですよね。僕の目的(写真)からすると移動距離が長く荷物を運びやすい自転車は適してると思います。しかも機械いじりが好きなもので、見てると興奮します。パーツ変えたり改造したり、すごく楽しそう!
でも今始めてしまうと走ることが中途半端になりそうだし、せっかく膝のトラブル等も克服して長距離走れるようになってきたし、何よりお金がかかるし、と思い止まっています。反射神経鈍いのでスピード出すのは怖いですし。将来的には購入すると思いますが、少なくとも1年は買わずに、走ることに専念すると決めています。
ダイエットは二の次目的だったので、食事制限はしていません。それどころか距離が伸びるにつれてスタミナ不足を感じるようになり、食事量は増えました。それでも当初から体重8kg、体脂肪5%ほど減少しています。おかげで最近周りから「痩せた?」とよく聞かれます。二の次目的とはいえ、やはり嬉しいものです。
しかしですね、8割方の人が二言目に「どこか悪いの? 何か病気?」と言うのです。夜ばかりなので日焼けせず色白のまま、僕が体を動かすなんて思ってもない周りの人たち。こうも僕の運痴は浸透してたんだなぁと。心配してくれるのは嬉しいですが、これまた複雑な気持ちです。
最初の頃は隠してはぐらかしていたものの、最近では続ける自信もついたので走ってることを話します。もちろん驚かれます。人間やれば出来るものですね、でも僕がこんなこと始めるなんてある意味病気で間違ってないですよ、と。
運痴思考で「自分は動けないもの」と思い込んで生きてきたのが勿体無く感じます。過去を悔やんでも仕方が無いですが、走る決心をしたことは大きな転換点になりました。仕事は不況で辛いですが、精神的に色々な自信を持つことができたと思います。
これからも自分の足で進んで行こうと思います。何事も。
長文失礼しました。