はてなキーワード: モルモットとは
って、オタクが何でも過激な言葉(オタクミーム)で感想/批判/宣伝を語ったり、公式のキャラをねじ曲げてお花畑のゆるふわキャラにして愛でる気持ち悪さ、そのまま公式に凸する痛さと、
オタクもオタクで、公式と二次創作の区別がつかないオタクや、そういうオタク間のエコーチェンバーでねじ曲がった悪ノリや特定のキャラ虐めに公式が便乗する気持ち悪さに似たやつを感じて、公式批判に回ったんだろうなという、
オタクコンテンツにおける典型的な気持ち悪さが詰まってて、とても良かった
参考:
紐引くとモルカーがブルブル震える『ぶるぶるずぬいぐるみマスコット』の発売告知が出るも、テディの紐の先がごみになっているのに気付き人の業に震える人達 - Togetter https://togetter.com/li/1662133
(テディは好奇心でゴミを食べて飼い主が便乗した結果お腹を痛くしたのであって、
飼い主が便乗したのはダメ。いくらモルカーが食べたがってもお腹を痛くするなら野菜/おやつ/ゴミ/食べ過ぎどれも止めなきゃダメだ。
そういうダメな飼い主として描いてるし、
ああいうことをするとモルカーが可哀想だし、飼い主もひどい目に合いますよって一連の描写込みで本編は正しい描写。
幼児向けのアニメだから慎重すぎるほど慎重でいい、モルモットの生態を下敷きにしてるキャラにゴミを食べさせて何のペナルティもないグッズは出しちゃダメって批判、大人のオタクが喜ぶからって越えちゃいけない一線があるのは理解できる。
が、テディちゃん可哀想とか、にんじん食べさせてもらえて良かったねとかは意味わからん。
普通の野菜じゃなくてブーストにんじんなところはテディの破天荒さが現れててかなり好き。だから結果的には良かったかな、と思っている。)
こりゃひどいわ
https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/information/ethics/refhoshino/hoshino0052.htm
>「タスキギー梅毒実験」は、梅毒の治療とは無関係であった。新薬の効果を試すためでもなかった。報告された梅毒患者の無治療死亡の実験結果は、常に梅毒に罹患していない対照より高い死亡率を示しており、一九六九年の時点で、少なくとも二八人、恐らく一〇〇人にも及ぶ被験者が梅毒が直接の原因で死亡していた。そのほかの被験者は重篤な梅毒性心疾患に罹っており、それが直接の死因となったのかもしれない。
第三期に入ると、定型的な梅毒性ゴム腫ができて、身体の種々の部位の骨を侵したり、心臓循環器系を侵して死に至らせたり、脳神経系を侵して進行性麻痺や脊髄瘻、難聴、失明などを起こして、終末期を終えて死に至る。
治療しなかった場合に起こるこのような梅毒の症状の経過を研究するために、米国南部の無教育で貧乏な黒人を観察の対象(動物実験のモルモット代わり)として、この「タスキギー梅毒実験」が計画されて、一九三二年から実施されたのであった。
このような実験に、どうして黒人たちが協力したのか。実際には、これらの黒人たちには、全く梅毒実験のことは伝えられてなく、実験材料にされることも知らされてなかったので、被験者になることに同意をしていたわけではなかった。
アメリカ公衆衛生局が主導し1932年から1972年まで実施された梅毒の臨床研究である。医療倫理的に大きな問題を抱えており、これは非倫理的な人体実験の一つとされている。この研究調査の目的は、梅毒を治療しなかった場合の症状の進行を長期にわたり観察することであった。この研究に参加した黒人男性には、連邦政府が提供する医療が無償で受けられると説明されていた。
昨今はブームだ何だとかであいつを取り扱う店が増えてきて、街を出る度にうんざりする自分がいる。アレを目に入れるだけで不快になるから出かけるときはなるべく販売店近くを通らないルートにして自衛しているけれど、どうやら最近はショッピングモールの中でも販売フェアなどというものをやっているようだ。もうコンビニかスーパーしか行けなくなるかもしれない。
私の嫌いなものについて他人に話すと、大抵は苦笑いが返ってくる。
「何で?可愛いじゃん」
「わたし早くあれに乗りたくて急いで免許取ったのに、何も分かってない」
「誤解しているだけだよ。今度乗せてあげるよ」
何が可愛いだ馬鹿馬鹿しい、分かってないのはお前達の方だろうが。最も苦笑いして此方の考えを矯正させるようなことを言う輩と一生分かりあえる気はしないのだけど。
布団に潜り込み目を閉じる度、三年前の記憶がふつふつと蘇ってくる。
女手一つで私を育て上げた自慢の母が忙しい合間を縫ってファミレスに連れてってくれた。その日は丁度かんかん照りで、だから私と母の影がふたつ伸びていてカオナシみたいだねって笑った思い出があった。額に汗をたくさん滲ませていた私に、母は「じゃあ今日は特別にパフェ頼んでもいいよ」って笑って言ってくれた……
「お母さん、お母さん!!!ねえお母さん、目を開けてよ!!!」
明るくて優しくて、時に厳しくも温かく見守ってくれた母はあの夏の日、ファミレスに飛び込んできた複数のかたまりによって殺された。
「お母さん、お母さんってば……!!」
和やかに家族との時間を楽しんでいた私にとって、それは青天の霹靂の様な出来事だった。時速何キロで飛び込む私の背丈よりも大きいもの。飛び散る硝子の破片。衝撃によって崩された建物の一部。テーブルから落ちて粉々になる食器類。事故の三分前、卓に届いた母のオムライス。
世間は「あれ」を無害で善良なものだ、事故なんて起こらないなんて言う。確かにあれは生身でぶつかってもさして問題無いかもしれない。だがそれだけでどうして「無害だ」「安全だ」って言い切れる?
アレが店に突っ込まなかったら、母は事故の衝撃で頭を強く打たなくて済んだのに!
「前にもああいうことがあったんだよ」私をあの時保護してくれた警官は言っていた。
体内に猫を置き去りにした馬鹿な女がいて、だからその女の車は焦ってファミレスに突っ込んだらしい。その時は誰も怪我人などはおらず、寧ろ突っ込んだ方は猫を助けた功績だとかいって表彰までされたそうだ。
私はそれを聞いて心底怖くなってしまった。どうして世間は、あの肉の車を愛好する人々は話も通じない、予想出来ない行動を取る生き物に命を預けられるんだ?
「あの子たちを困らせることして、ああ人間は愚かだな」自分がいつ彼奴らの御機嫌を損ねる行動をするかも分からないのに、裏切られるか分からないのにどうしてそう平気に言えるんだ?
私は彼奴らが、「モルカー」と呼ばれる全ての個体を絶対に信用できない。もう鉄の塊が全盛期だったあの頃には戻れないけれど、もし叶うのならあの時代に早く戻ってほしいとも思う。
母の墓参りの帰り道、私は電車の中でモルカーに乗り込む親子二人組を見つけた。
運転手であろう若い女性も、彼女の子供である小さい女の子も、二人を迎え入れる黒いモルカーも全員幸せそうな顔をしていた様に見える。
そう言えば母は私と違って小さな動物、特にモルモットが好きだった。きっと母がまだ生きていたのなら、きっと近いうちに我が家にもあれがやって来てたのかもしれない。
最も、それはたらればの話なのだけれど。