「シヴィライゼーション」を含む日記 RSS

はてなキーワード: シヴィライゼーションとは

2013-05-29

価値観の壁を超えられないのは、何かを絶対だと信じてるから

http://anond.hatelabo.jp/20130528133141

世の中には色々な考え方があるのに、立場や状況によってモノの見方が変わることを理解できない原因が想像力の欠如にあるというのは、そうだと思います。でも読書をしないと想像力が欠如するというのは、違うんじゃないかなー。読書ばかりしてる人は、それはそれで想像力が欠如するんじゃないかなー。この方の書いた記事を読んで、そう思いました。

この記事を書いた方は、「時間を消費した代わりに、現実世界で役立つ知識が得られないと、意味がない」という考えが根底にあるように感じます。そして、現実世界で役立つ知識を得るには、読書が最も効率良いと考えてるのではないでしょうか。

実際に体験せずとも、いつでもどこでも知識を得られるというのは読書の良い点ですし、効率が良いとも思います。でも本以外にも、テレビラジオ映画インターネット、その他のメディアも、充分に効率が良いんじゃないですかね。また読書では得がたい、実体から会得できるような知識もたくさんあるんじゃないですか。それに、何らかの体験から得られるものは知識以外にも、富とか名誉とか、その他の何かとか、それらにも価値がありますよね。

実際には体験せず、擬似体験で知識を得ることもできます。私はビデオゲームが大好きなんですが、ビデオゲームにはそういう可能性があるように思ってます。わかりやすい例だと、シリアスゲームと呼ばれてるようなやつですね。『シムシティ』とか、そういう可能性を感じます

ところで近ごろ私は、『銃・病原菌・鉄』の文庫版が出てたので再読してるんですけど、いやー、面白い。この本を読んでると、『シヴィライゼーション』というビデオゲームは実にうまく人類史デフォルメしてるなあと思えてきます

「肥沃三日月地帯とかズルくね? メソポタミアの連中はチートだろ、チート最初に建てた都市の周りに、小麦と牛と馬と豚と羊と、全部あるじゃねえか。ワシの周囲にはトウモロコシしかありゃしねえ!」(インカ帝国のワイナ・カパックさん談)

読書以外で価値観の壁を超える方法が理解できないという点で、えらく狭量な方だなあと思いました。この方が書いてるのは結局、「趣味が合わないと話ができない。自分趣味に合わせてみんな本を読め」ということじゃないですかね。

ゲーム新興宗教も、それ自体はコミュニケーションの妨げにはならないはず。コミュニケーションの妨げになるのは、自分の見える範囲しか見ず、それを絶対だと根拠なく信じこもうとする心持ちじゃないでしょうか。定番の決まり文句を言うと、書を捨てよ、町へ出ようってことですかね。そしてビデオゲームを買って家に帰ろう。今なら、『真・女神転生IV』が面白いらしいですよ。

2011-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20110812175415

今までどんなゲームを遊んできて、その中のどれが面白いと感じた?

それを挙げてくれないと提言は無理。シヴィライゼーションとか勧めちゃうぞ。

2009-10-20

日本の政治が拙いのはKOEIの責任

タイトルは半分本気、半分冗談

http://anond.hatelabo.jp/20091020061931

政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。

施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)

予算が限られている以上、企業経済ではなく国民へ直接に施した分のお金に相当する分の開発が、犠牲になる。

君のおかげで日本人政治観に関する面白い発見をした。

 

たぶんKOEIの「三国志シリーズや「信長の野望シリーズを念頭においていると思うけど、そうしたシミュレーションゲームって維持費に関する考えに乏しいよね。せいぜい、軍の維持費ぐらいしかない。

つまり、大軍を保有すれば、それだけの軍を維持するための兵糧と金が定期的にかかるという考えはあるが、馬や鉄砲の保管にかかる維持費の概念はない。城壁の耐久度を上げる工事お金はかかるが、城壁の維持費という概念はない。

都市住民の君主に対する忠誠度は、税率と施しによってほぼ単純に決まる。一度施しをすれば、徴兵をしたりや災害が起こらない限り忠誠度が下がることはない。つまり、忠誠度の維持費という概念がない。(マキャベリがこれを聞いたら憤死すると思う)

こうしたシミュレーションゲームでは基本的には、開発すればするほど、徴税によって得られる兵糧と金は増える。しかも線形的に。そして都市人口・開発度は予め決められた上限まで上昇するが、その上限を左右するような選択肢は通常存在しない。

 

これは、単純にこうしたシミュレーションゲーム合戦シミュレーションゲームだからだと思う。

国力・内政に関する項目を極力単純化して、プレイヤー合戦フォーカスさせているわけだ。

 

ところが、もっと俯瞰的シミュレーションゲームである「シヴィライゼーション」を見ていくと、国力・内政に関する考えがより複雑化されている。

例えば、都市人口加速度を増やすために穀物倉庫が必要だ(もちろん維持費がかかる)。また、人口を一定以上に増やすためには都市水道を敷かないといけない(もちろん維持費がかかる)。

人口が増えれば、税収もあがり、都市生産力や科学力が向上するが、人口が増えることは、必ずしも良いことではない。

人口が増えると都市で暴動が発生しやすくなる。暴動を抑えるために、都市常設軍を増やして不満を押さえ込む(もちろん維持費がかかる)か、宗教施設(もちろん維持費がかかる)や娯楽施設(もちろん維持費がかかる)を増やさないといけない。人口が増えたら環境汚染も起こる。これを取り除くためには厚生施設(もちろん維持費がかかる)が必要だ。

 

こういったシミュレーションゲームリアルさっていうのは、やっぱり欧米のそれに劣るところがあるんじゃないだろうか。外交政策にしたって、KOEIのゲームでは、せいぜい同盟とか政略結婚ぐらいしかない。謀略もあってないようなもの。しかも満寵さんの人材登用能力は異常だ。

 

つまるところ、増田が想定しているシミュレーションゲームである「三国志シリーズや「信長の野望シリーズは、合戦国士無双武将や知将が大活躍するゲームだ。

あれ、これって・・・。

そう、「大艦巨砲主義」的なのだ。

「巨大な国力、優れた人材」というドグマに囚われすぎているゲームなのだ。

巨大な国家の維持は難しいし、優れた人材だけで戦争をするわけではないのに、だ。

日本人政治観は未だに「大艦巨砲主義」だし、維持費に関する視点も乏しい。開発すれば税収は増えると思い込んでいる。

 

こうした「大艦巨砲主義シミュレーションキャラクターゲーム日本の政治を拙くさせているのではないか。KOEIにしても、こういう形のゲームにしないと売れないと思っているのだろうけども。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん