はてなキーワード: 神様とは
神様がいるかいないかは知らんけど、とりあえず言えるのは神様は現代の人は助けることはない。
神事で賑わうと『うるさい』『騒音だ』『意味あるの?』なんていう考えの奴がいるわけで。
俺は神様がいるかいないか分からないが、神様を信じる人は馬鹿にしない。
信じる人の中にはいるんだしな。そういうもんでしょ。
が、信じない以前に馬鹿にする奴が居るわけで、例え本当にいても絶対こんなのを助けようとはしないだろうなって感じだ。
そもそも冠婚葬祭を馬鹿にし、正月の初詣を馬鹿にし、祭りすら馬鹿にするような奴らに神様が助けるわけがない。
神様から見れば『ろくでなしの獣』が布まとって生きてるようにしか見えてないと思うね。
面白いのは、神様を信じないっていう奴らに限って友人からお参り行こうよって言われると行く所。
もちろんお参りは別にどうでもいいって感じで、単に友人らとワイワイできればいいという罰当たりな考えなだけなんだろうが。
そういう奴らがお参りにいって金を投げている姿は滑稽だ。もちろん神は助けないだろう。純粋に参ってないんだから。
現代は神事に携わる人も減り、祭りは若者が参加しない、大晦日の除夜の鐘すら中止しろという老害も居て
神様なんて居たとしても、この日本を助ける気なんて起きないと思える。
だからといって、過剰な信仰や宗教勧誘しているようなやつも同様に救おうとしないだろう。
昨夜、遺書を書いていた。
本気で死ぬための遺書じゃない。遺書を書いてみるとすっきりして生きられるというのを期待して書いていたのだ。
遺書を書いてみるといろいろなことを考える。
思えば物心ついたころからずっと死にたいと思って生きてきた気がする。
あの頃はなぜ死にたいのかが明確で、そう思わせるものからは逃げるようにして生きてきた。
私はお金に困っているわけじゃない。結婚し子どももいて、家族関係は良好だと思う。少ないが友達もいるし、趣味だって多趣味な方だ。
そうしたものを手に入れてきて、自分が不幸だと思っているわけじゃない。
もうどうしたらいいのか分からない。
助けてください、助けてください。
そう思った。
そうだ、私は生きていたいのだ。生きるための遺書を書いたのも、生きていたいからだ。
生きているうちに神様のところに行くには、宗教を信じるしかない。
私は宗教に頼って生きていくのはある種の思考停止だと考えていた。でも、分かった。思考停止でいいのだ。
宗教は、自分の考えで生きようとすると生きていられない人のためにあるのだ。
だから、自分で考えるのをやめて、心を神様にささげて、その代わりに生きていけるようになるのだと思う。
遺書を書きながらそこまで気づいて、近場にある教会の宗派を調べて昨夜はパソコンを閉じた。
でも、本当は生きていたいってことが分かっただけでも、遺書を書いてみてよかったと思う。
俺はずーっと悩んでいた、「俺は愛されていない」ことをなぜこんなにも悩んでいるのか分からないから。
で、昨日、『I アイ(いがらしみきお)』って漫画を読んでたら、いきなり気づいた。
「女性に愛されないと、遺伝子を残せない」⇨「神様が愛していないと、この世に生存できないし遺伝子も残せない」
つまり、神様に愛されるかどうかと女性に愛されるかどうかは繋がっているんだと。
遺伝子を残せるか残せないかの、女性からの好悪の基準は遺伝子に書き込まれている。そして、そのような遺伝子から弾かれた人間は、人間という種族カラしたら、「ハズレ」である。
人間を作った神がいるかは分からないが、「人間という種族のシステムのプログラムからハズレたら、それは人間として『終わり』なんだ」と。
今まで、女性を恨んだこともあったが、最終的には、「女性の遺伝子に刻まれた本能であり、ライオンがシマウマを善悪抜きにして食べてしまうだけなんだ」くらいには思っていたが。
女性が酷いのでは無い、女性も男性も含めた、「人間という種族のシステム」の中で、単に自分が「ハズレ」であっただけだと。
神様を恨んだこともあった、なんでブサイクな発達障害(診断されると社会生活に不利になるので診断を受けてないが、未診断だが間違いないと思われる。自分自身も医者である)な170cm無い人権なしを世界に誕生させたのかと。
だが、理解した。
人間という種族において、神様は女性であり、男性は遺伝子がちゃで当たり外れが出て、女性に愛されていないことが、つまり人間という種族の中でハズレであり、「神様に愛されなかった、生きる意味がなかった人間」なんだなあと。
女性の本能は男性にとって迷惑だと思ってきたが、そうじゃない。女性の本能は神の意思で、神に愛されなかった自分は、単に人間としてはずれなだけなんだと。
この年寄りばかりの地区に引っ越して5年。今年自治会長に任命されてから色々とやっているのだが、昔から惰性でやってることが多くて辟易する。
神社の一角にある石室に丈六様というのが祀られていて、何の神様かもわからないまま例年自治会費から一括で一世帯300円を納めていた。
周辺地域の自治会からも同様に貰っているとするならば、1世帯300円とは言え、そこそこの金額が神社に入金されている。
返礼としてその神社から紙のお札と人型を頂戴するのだが、丈六様とやらの祭事も特に大きな告知も無く、神主と自治会長数名が参加するのみで正直お粗末な感じだ。
本殿での祭事ならいざ知らず、境内の麓にある小さな祠のイベント。
せめて由緒とか具体的にして回覧でもすればいいのに。
神主とかが神社を拠点に地域を盛り上げようとやる気があるんなら派手なイベントにするんだろうけど、供物も準備も自治会持ちで、ただの集金イベントだから細々適当にやって身銭を稼いでいるようにしか感じられない。
少し離れた地域の神社なんか結構(インスタ映えとかも取り込んで)地域を巻き込んだイベントを派手にやっているのを見て尚更そう思ってしまう。
そういった神社ほど境内も綺麗だし参拝客も多い。周辺自治体のパワーもあるんかな?
じゃあ、自治会長が太鼓持ちで派手にやれよって言われるのかもしれない。
よそ者・若者・馬鹿者ではないけどさ、せめてどんな由緒があってどんなことを祭事するのか神主に効いて調べて、回覧板にして人集めしてみるつもりではあるけど。
なんか、SNSとかで一発当てればいいんだろうけど。
正直個人的には辞めてもさしあたって問題ないんじゃないかとも想ってる。
地元のジジババに愚痴ったら、『罰当たりな新参者』とか言われそうなのでここで吐き出した。
そのジジババもろくに由緒なんか知る由もないだろうけど。
文章が書けるかといえば書けないのだけど、今から絵の練習をするぐらいなら文章の練習をしたほうがマシな気がする。
文章の練習というと「気に入った作家のいいと思った文章を真似してみろ」なんてのが有名だけど、問題になるのは私が文章を読むのがあまり好きじゃないってことだ。
自分が件の練習法を聞いて思いつくのは梶井基次郎の「桜の樹の下には 屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。」ぐらいのものだ。
梶井基次郎も教科書に乗っていたから知っているだけで全文読んだことがあるのは教科書に全文載っていた檸檬ぐらいだ。
好きな作家といわれても恒川光太郎ぐらいしか思いつかないが、彼の世界観は好きだが文章が好きかと言われるとそうでもない。
練習のための資料探しに大して好きでもない本を必死に読むというのもなんだか阿呆らしい。
基本的に娯楽で本を読むときは漫画を読むし、勉強のための本は挿絵が多いものを選ぶ。
文字だけの本は苦手なのだが、文字による表現を学びたいなら文字だけの本を読んで気に入った文章を探す必要がある気がする。
私は趣味として創作がしたいので、出来ることならその行程の大部分は楽しい時間を過ごす形にしていきたい。
漫画を読むなら漫画を描けばいいという発想もあるのだが、前にそれをやって絵の練習で完全に躓いた。
とにかく手先が器用ではないので線がまともに引けなかったし、モノの輪郭や特徴の捉え方がよく分からない。
自分の美術の成績は概ね「2」だったことから才能がないのは知っていたが、まさか本当にモノを見るという機能自体がここまで劣っていると思わなかった。
そもそも絵を見ていいと思ったこと自体が実はあまりなく、自分の中で絵の美味い漫画家は大暮維人と荒木飛呂彦なのだが、それがどう上手いと感じるのか分析しようとしても「綺麗な線が沢山描かれてるから」ぐらいしか分からない。
美術や芸術を見てもピンとくることはなく、せいぜいがミュシャを見て「アニメの絵みたいで可愛い」と感じるのが精一杯なのは流石にどうかと思うがそうなのだからしょうがない。
眼高手低とはよくいったもので、こんな自分が「漫画を描いてみたい」と考えると脳裏に浮かぶのは藤本タツキのようなとんでもない作品だ。
藤本タツキがその昔新都社で描いていたよく分からない漫画ではなく、今現在描いているルックバックのような作品だ。
でも自分がアレを作ろうとするなら一生かかっても無理だろう。
もし突然神様が同じレベルの技術をくれても、背景を描くのがしんどくて無理だろうし、フリー素材の張り合わせで背景を代替しようとしても選ぶのが面倒で投げ出すだろう。
自分のやる気の範囲で出来るのはせいぜい背景が真っ白で棒人間が何かを喋っているような漫画でしかない。
そういったいわゆる「白ハゲ」とされるような漫画を描く場合は、たいてい世の中に訴えたい事がなければいけないと思うのだが、それがあるわけでもない。
何か作りたいものがあるのではなく「創るということをやってみたい」という気持ちだけがあるのだ。
行き詰まっている。
消費するという行為に飽きが来ているので創作を始めたいというただそれだけの動機から次はどこに行けば良いのかが分からない。
キャンプや釣りなんかは試したが、あれも結局は消費活動の一種であることに気づいてしまうとなんだか虚しくなって今は退屈さしか感じない。
そもそこれは鬱なのではないだろうかという気さえある。
行き詰まっている。
神様の治める国では、命がとても大切にされていてどんな生き物も死にません。
悪魔の治める国では、命の価値が低いので毎日、10人と10匹が殺されてしまいます。レイプも不倫もセックスもし放題なので毎日10人と10匹が生まれてきます。住民はいつ殺されるか、いつレイプされるかと脅えています。
善人の治める国では、命がとても大切にされていますが、住民には悪い人もいるので毎日4〜6人と4〜6匹が殺されてしまいます。レイプも不倫もセックスも規則で禁止されていますが、違反する人がいるので毎日4〜6人と4〜6匹が生まれてきます。住民はいつ殺されるかと脅えていますし、いつ自分が規則に違反して罪を犯して厳しい罰を受けるかと脅えています。住民はいつレイプされるか、いつ自分がレイプして厳しい罰を受けるかと脅えています。うまく殺される数と生まれる数が一致していると、そこそこなんとかなりますが、バランスが崩れると命の数が増えすぎたり減りすぎたりします。