はてなキーワード: トトロとは
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そもそも宮崎と高畑のためのスタジオだ~黒澤明やスタンリー・キューブリック後継者なんていないとかいつものコメントが上がってるけど
あのな確かにラピュタからジブリ立ち上げてトトロまでは宮崎と高畑のためのスタジオだったんだよ。
宮崎がまだ売れてない頃に用意してた企画がトトロまでで、トトロ終わったら宮崎はジブリは解散するつもりだった。
でもそれはもったいないって鈴木が止めて、その時の宮崎の条件で【スタッフを正社員化する】ことになってそれ以降話が変わってくるんだよ。
これは社員の生活に責任を持つってことなんだから、アーティストぶって作りたいときに作って飽きたら引退するなんてありえないんだよ。
ここらへんのいきさつも人を雇う覚悟も宮崎がインタビューで語ってたことだろ。
だからジブリで演出家育成の試験やったり外部から望月、細田、森田って優秀な演出家を呼び寄せて撮らせてたのになんでそれを無かったことにしてんだよ。
今回身内の吾郎が世代交代失敗したって言ってんのに知ったかぶった奴らがいつものコメント残すだろ?
こいつらなにがしたいんだ?
1980年代から1990年代初頭に物心ついていたかた、ぜひ教えてください。
小学校低学年のとき、小学校で宮崎駿の天空の城ラピュタを見た記憶がある。
そのころすでに「宮崎駿作品は(もしくはジブリ作品は)子どもに見せてもOKなやつだ」という認識が世の中に広まっていたのでしょうか?
1988年のトトロのころまでは興行成績はあまり振るわず、宮崎駿は知る人ぞ知る存在、彼の作品が大ヒットするのは広告に力を入れた1989年の魔女の宅急便から…と聞いている。
そうなると以下のどれかなのかなあという気がする。
当時、私は幼かったので社会的に有名だったのかなどまったく分かりません。
どなたか、当時の雰囲気を覚えているかたがいたら教えてください。
宮崎駿は原作からかけ離れたアニメを作ることで有名だが、高畑勲はもっと恐ろしい。
高畑勲は原作と別の存在としてアニメを作るのではなく、原作を再解釈し、異なる意味を与えるアニメを作る。だから高畑勲アニメを視聴してから原作を読むと、「アニメとは別モノだね」ではなく、「アニメはおおむね原作通りだったね」という感想を抱きつつ、知らず知らずのうちにアニメの解釈で原作を読んでしまう。
『火垂るの墓』の原作は野坂昭如という作家の自伝的な小説で、それ故にこのアニメは3層構造の原作になっている。
清太=作者なのに、死んだはずの清太が戦後に小説を書いて直木賞を受賞し、歌手デビューしたり、国会議員になったり、テレビのレギュラー番組を多数抱えているのは明らかに矛盾している。
野坂昭如の妹は小説の通り亡くなったが、兄は小説と違い生きている。
高畑勲のアニメでは、そのあたりの冷ややかな視線をさり気なく盛り込まれている。
高畑勲は原作のメインプロットを尊重しながら、原作者に対しこれでもかと悪意をぶつけている。
アニメでは子供時代と大人時代が交互に描かれていたが、原作には大人時代が存在しない。
アニメ版の子供時代の描き方は高畑作品としては珍しく、キャラクターがとても『かわいく』描かれている。このかわいさはジブリアニメとしては異質で、悪く言えば観客に媚びた絵柄とも言える。
一方で大人時代の絵はだいぶ様相が異なる。27歳のタエ子は令和の基準で見ると40代から50代のように見える。成人した子供がいてもおかしくない顔をしている。
自分探しの旅に出て田舎体験する夢見がちなアラサー女と、幻想の世界の可愛らしい少女漫画のキャラクターを残酷に対比させ、「お前らの自己認識はこんな感じの少女漫画キャラだろうけど、現実はコレだよ」と突きつけ、夢から覚めない都会の女が最後は『農家の嫁』になるというハッピーエンドともバッドエンドとも分からない結末で物語は終わる。トトロで田舎を知った気になる人たちへの痛烈な皮肉とも言える。
ジブリの経営を傾かせるほど金と時間と才能を注ぎ込んだにも関わらず、作られたのは昔話そのままのかぐや姫で、公開当時の観客は拍子抜けした。
それは『かぐや姫の物語』というタイトル。教科書にも載ってる原作は『竹取の翁の物語』という題名だ。
竹取の翁の物語はタイトルの通り、竹取の翁が竹藪でかぐや姫を拾った、という形でお爺さん視点で物語が語られる。
一方かぐや姫の物語はストーリーの骨格こそ原作に忠実だが、感情移入する対象が かぐや姫になるように作られている。
『ドラえもん』をのび太視点で描くかドラえもん視点で描くかでぜんぜん違う話になるように、かぐや姫の物語はさり気なく視点をずらして「かぐや姫という異質な存在が周りのみんなを翻弄する話」から「かぐや姫が社会に翻弄される話」にすり替えている。
あまりに見事なテーマのすり替えで、多くの観客が昔話とは別物の作品を見せられているとは気付かなかった。それ故に映画の評価はイマイチで、「作画は凄かったよね」としか語られない映画となった。
しかし水木しげるが妖怪のイメージを上書きしたように、ウォルト・ディズニーがヨーロッパの民話をアニメ化してイメージを上書きしたように、今後数百年のかぐや姫の解釈は高畑解釈で上書きされるだろう。
家の息子も特撮系どころかジブリもトトロ以外は見たがらなかったよ。怖いのが嫌みたいだった。確かに周りと合わないし小学生の時は浮き気味だったし中3の今も若干趣味が幼めかなとも思う。今頃ドラえもん見てるから…。でも今ちゃんと友達もいるし、図書館行って自分で選んできた小説も読んでる。やっぱり心配したけど親がどうにかできることでもないからね。本人の成長を待つしかないんじゃないかな。お子さんの国語力心配してるけど、本とかより大事なのは親が話しかけるときの語彙量って言われてるよ。増田は多分語彙力ある方だろうからそんなに心配しなくても良さそうじゃない?うちは読めるけど正確には書けない状態で入学したけど、なんとかなったよ。学校で一から教えてもらって一年の終わりにはちゃんと漢字まで書けるようになってた。学校ってすごいよね。