はてなキーワード: デカルトとは
自己紹介ホームページ開設ブームなどを見ればわかるとおり、人間には、自己をアピールしたい、「私」を語りたい、という欲求があるわけです。
しかし、それには他者とは違った才能が必要であり、そして才能を得るためには努力が要求される。
飲み会で注目を集めるために「明日原爆を作って国会を破壊する!」とブチあげても、それには、発言が真実味を帯びるだけのリアリティが要求されますよね。
発言した人が理系の人間であるとか、裏ルートに通じているとか。
ライセンスがいるわけです。
だったらライセンスが要求されない……たとえば「明日パチンコに行く!」なんてことをアピールしてみる。
しかしこれはアピール度が低い。で、「自殺する」「手首を切ったことがある」というわけです。
自殺にはライセンスはいらないし、生き死にの話題なのでアピール度も高い。
このところ殺人や死体写真などのサブカルチャーが幅を利かせているのも、競争相手の多いメインカルチャーのなかで浮上するのがしんどい、という側面があると思うんですよ。
スノーボードがうまい私という個性を自分特有のものとして確立するのは難しいけれど、死体写真を集めている変わった私という個性は簡単に完成するわけです。
同じように、自殺したい・手首を切ったことがあるというのは、ゼロから生むことができる、安易かつ強力な武器であるわけです。
まあ、精神的とか経済的にネ、追い詰められて、真剣に自殺を考えている人はいるわけなんで、あまり軽々しくは言えないんだけどネ。若いのがネ、死ぬとかナントカ言うのはネ、要するにネ、ボクラが若い頃、哲学や政治にハマったのと同じですよ!
だからデカルトの言うことと多世界解釈は矛盾しないってことを俺は言いたかった!
量子力学の観測者と観測体の関係性は観測者自身も含んで考えていないことが多いからそれは違うんじゃないの?って言いたかった
結果の時点で二重スリット実験の結果は観測者含め結果ごとに分岐され、
その先の世界では観測者は1つの結果しか認識できず、平行宇宙を観ることができないから奇妙な結果になる
しかし4つの結果が出て4人の観測者がいるのならおかしくなくなる
修身の下敷きは儒教なんだが、儒教は、上が自分を引き締めて、下がそれに従えばうまくいくというもの。
ただし、頭足りてない奴は、下が上に従えばうまくいくという部分だけ切り取る。だから、森友幼稚園みたいなものが生まれる。
儒教には上に立つ人間がどうあるべきかというのも多いから、勉強する分にはいいと思うよ。
あ、でも、靖国あたりのことを持ち出すということは、そのあたりのことわかってなくて毒された浅いネトウヨかなという気もする。
デカルトの科学的立証以前は、世の中のわからないことはすべて「誰かが言ったから正しい」の世界だった。よって、宗教の範疇だった。
化学も、錬金術と地続きである。錬金術に途中から科学的検証が入ってきて、化学になったわけ。でも、錬金術時代に作られた薬品は今でも化学の主要な地位を占めている。
科学的立証がとことん進んで、解明しやすいこと、科学になじむことはどんどん科学の世界で検証され立証されていった。
けど、どう生きるか?と、死後の世界について、さらに言うと、ケースバイケースの経営判断は、科学では解明が困難である。困難であるだけで不可ではないが。
科学であれば、検証可能性と再現性が必要だが、どう生きるか、経営判断について検証可能性と再現性を作るのは困難。
死後の世界もまあ同様。
とすると、宗教に近いところで「誰かが言ったから正しい」の世界でやっていかざるを得ない。
本ひたすら読んだらいいんじゃない?
あと、宗教はあくまで道具に過ぎない。宗教家が言っていた中身こそが全て。
17世紀のデカルト以前は全部「誰かが言ったから正しい」の世界。
だから、昔は宗教が世界のすべての知識を担っていたが、次第に科学的検証で宗教の取り扱う世界が狭まっていった。
と言っても、科学は再現性が取れるように物事を取り扱うために、物事を細かく見るため、「心」のような複雑なものは苦手としている。
なので、昔宗教の聖人たちが言っていたことがそのままいまでもつかえる。
と言っても、自分の頭で考えて比較検討しないとならないけどね。
神への信心なんていらない。
というより、神というのは、自分の外のものを抽象的に取り扱うツールみたいなものだと考えてる。
例えば、なんか知らないけど山の木を切りまくったら洪水がいっぱい起こるようになった。
今でこそ植物の根の保水効果ということが言える。でも昔は原因なんて確かめようがなかったから、「山の神が怒っている」と抽象化して取り扱った。
たとえば、今通りすがりの人を助けたとしても、それが必ず君に帰ってくるとは帰らないが、そうやって助け合いが当たり前の社会になれば、君が困った時に誰かが助けてくれるかもしれない。
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【認知的節約】
人は、必要以上に認知資源を用いない傾向があることを示す。
【認知資源】
注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力。認知心理学では、「認知資源には一定の限界があり、そのために認知的節約が起こる」とする。— 社会心理学用語bot (@shakaiaku) 2015年2月5日
Amazon.co.jp: アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】: アトゥール ガワンデ
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「難しい作業」の慣れない要素に関しては、チェックリストを使うことで、使用する注意の量はぐっと減らせる。
デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った
ttp://www.huffingtonpost.jp/satoshi-nakajima/difficulity_problem_b_10325526.html
【認知的節約】 人は、必要以上に認知資源を用いない傾向があることを示す。 【認知資源】 注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力。認知心理学では、「認知資源には一定の限界があり、そのために認知的節約が起こる」とする。
ttps://twitter.com/shakaiaku/status/563371671277817856
「難しい作業」の慣れない要素に関しては、チェックリストを使うことで、使用する注意の量はぐっと減らせる。
デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った
ttp://www.huffingtonpost.jp/satoshi-nakajima/difficulity_problem_b_10325526.html
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ビル・ゲイツがいちいち顔を合わせて聞いていたら、膨大な時間がかかります。だから彼は、コストをかけてでも、説明を聞く時間を効率化するために専門のスタッフを雇っていたのです。
どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。
【認知的節約】 人は、必要以上に認知資源を用いない傾向があることを示す。 【認知資源】 注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力。認知心理学では、「認知資源には一定の限界があり、そのために認知的節約が起こる」とする。
ttps://twitter.com/shakaiaku/status/563371671277817856
悩みに対して「ストップ・ロス・オーダー」という歯止めを用いよう。一つの問題に対してどの程度まで気にかけるべきかを決めて、その限度を超えたら忘れてしまうこと。
『私の考えでは、①好きなことをやり、②それで食べることができ、③その上それが他人のためにもいささかの役にたった人生が自己実現の人生であり、理想の人生である。』
ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。: 本: マイク マクマナス,Mike McManus,ヒューイ 陽子
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