うん、そうだね。
コーランには敵を殺せって書いてあるからイスラム教の預言者には責任がある事になるし、オウムの件を考えれば大抵の宗教は規制するべきだし、北野武や深作欣二も重罪。
マルクスレーニン毛沢東も犯罪者だし、三島由紀夫だってダメだし、大江健三郎も天皇爆殺本を書いてたよね。見沢知廉もアウトだ。
俺を殺してくれ
IT業界、特にゲーム業界は、流行りのネタ、ビジネスモデル、技術などはものすごい速さで変わっていってます。
たまたま、あるゲームがヒットし、人を増やし、そのゲームに適応した会社の仕組みを整えたとしても、すぐに時流に乗れなくなっていく、終いにはいつまで同じ昔のを焼き直しているんだ、というのを経験しました。
会社に必要なのは、変化できる、時流に乗っていける、欲を言うならば新しい時流を作り出せる仕組みこそ整えるべきと感じました。
例えばC社が強いのは、ゲーム/非ゲームに限らず、グループ内ですら競争させ、時流に乗れるグループが生き残る仕組みがあるからなのかな、と感じています。
あるいは、時流に関係ない他社を圧倒するノウハウ/コアバリューを持つ会社も強いのか、と感じました。
あと、VR/AR/MRへの予想。一部の会社はよく投資しますが厳しいのではと感じています。
ゲームエンジンの普及のおかげで少しは楽になりましたが、VRには3Dのノウハウがとても必要で、たまたまヒットできたとしても、3Dのノウハウの持っている据置系の会社にネタ/ビジネスモデルだけ拝借されて、すぐに追い越されそうな気がします。
例えばソーシャル系の会社は、据置系の会社が得意でないWebGLとかクラウドとかに投資した方が、いいんじゃないかと思っています。
いや、増田はすごく純粋だし幸せな人生を送ってきたんだと思うぞ。
オレも会ってみたりしたが、相手の方がいい生活してたりすると妬みの気持ちが湧いてきてしまった。
何が辛いって、そういう自分がいやで会わなくなるんだよ。
そして別の人を思い出しても、もう連絡を取るきがなくなってしまう。
夏祭りの的屋(出店)が暴力団とつながっていることはよく知られている。全部がそうとは言わないが、一部がつながっていることは否定できない。これから夏祭りの時期だが、夏祭りの出店で物を買う奴は、暴力団に金が流れる可能性を分かっていながら、夏祭りを楽しみたいという自分の私利私欲のために金を流しているわけだ。犯罪集団に金が流れる可能性を理解していながら、金を払う行為、これはどう考えても共謀だろう。同意している証拠が的屋に払った金だ。だから、共謀罪が成立したら、夏祭りで物買う奴は、皆、犯罪者だ。
もう古いけど、ハルヒにも、らき☆すたにも、夏祭りで物を買うシーンがある。だから、ハルヒもこなたも共謀罪が成立したら犯罪者だ。らき☆すたには、警察官である「ゆい姉さん」が夏祭りの的屋で物を買いまくって夏祭りを楽しむシーンがあるが、ゆい姉さんも犯罪者だ。
高みを目指すのをやめ多くの人と同じことをすれば普通に暮らすことができる。自分にはそれができない。自分のことを特別だとは思っていないが、その他大勢の中に埋もれてしまうことがひどく恐ろしい。どうすればこの性格を直すことができるだろうか。
例の事件を受けてクジラックスの「がいがぁかうんたぁ」を読んでみた。と言うよりネットに普通に落ちてた。これは犯罪を誘発させると思った。
感情論で創作物は規制するべきではないと思うが実際に犯罪に影響があるのであればロリエログロを問わず公共の福祉に則り規制されるべきだと思う。
日本国憲法で保障されている「表現の自由」は対国家権力に対しては絶対的に保障されるべきであって、ロリコン漫画は実際に犯罪を誘発し罪のない子供を傷つけるのだから無制限に保障されるべきではないと思う。
わかりやすく言えば安倍総理批判は無制限に保障されるべきだがクジラックスの漫画は実際に犯罪を誘発させるから規制ということ。
現にクジラックスの漫画に誘発されて20人もの被害者がいるという事実、これはたまたまではない。クジラックスの漫画がなければこんなに被害者は出ない。
私も東京都青少年育成保護条例とか児童ポルノ法改正の際はばりばり規制反対派で連日2ちゃんねるやTwitter等に表現の自由を侵害するな!と書いていたものだが。
規制反対派から賛成派になったのはロリコン漫画規制反対を唱えるネトウヨの存在。
ネット右翼さんの主張はホント感情的だ、タバコは自分が吸わないから規制しろと唱えるし酒も自分は飲まないからと規制しろと言うしパチンコは北朝鮮に金が流れているから規制しろと言うし。
でもアニメや漫画を規制しようとする政治家がいたら「感情論で規制するな!好き嫌いで規制するな!これだから女は!」と言うくせして自分のやらないものに対して、嫌いなものに対して規制しろと感情論全開で連呼するネトウヨ。そんなダブスタ理論には付き合えない、擁護する価値はないと思い規制賛成派に転身した。
私には親友がいる。同い年で小学校からの付き合いだから、もう20年は超える付き合いだ。
彼女と私は、たまたま家が近くだったからたまたまよく遊ぶようになっただけだ。中学高校くらいまではそう思っていた。
けれども社会に出て10年ほど経ち、それでも付き合いは続いている。生徒の頃のように毎日顔をあわせるわけではなくなったけど、半年に1回くらいは一緒に飲みに行っている。
これがとんでもなく貴重なものだとわかってきたのが5年くらい前からだ。
私と彼女は、多分、特別気が合うわけでは無いと思う。趣味に共通点は一切ない。仕事も全く違う仕事をしている。今はお互い結婚して、そんなに遠くはないけど別の場所に住んでいる。
けれども、会えば話は尽きない。
ここまで長い付き合いになったせいなのか、歳をとってきたせいなのかはわからないけれど、お互いに過ごしてきた時間そのものが話の肴になったりする。いわゆる思い出話というやつで、飲みながらそんな話をしていると、ついしみじみしてしまう。
大人になったら、友達はいなくなるものだと思っていた。私の両親には友達がいた様子はなかったからだ。
私の夫も、自分には今も友達と言える人がいないから大切にするといいよ、と言ったりする。
けれども、私は思う。両親にも夫にも友達はいると。そのご縁は遠くなっているだけで、実は今でも切れていないご縁というのはあるのではないかと思うのだ。
彼女とは、20代の頃2年くらい全く連絡を取らない期間があった。彼女だけではない。その他の友人たちとも縁が切れていると思っていた2年間だった。両親と同じように、私も大人になって友達がいなくなったのだと思っていた。
けれども違った。数年ぶりであろうと連絡は簡単に取れた。そして会ってみると、普通に友達であった。時間は何の壁にもならなかった。
この経験からするに、友達のご縁とは遠くはなっても切ろうと思わずに切れるものでもなく、何かのきっかけで元どおり近づくものなのだと思う。
でも、その何かのきっかけというのが本当に貴重で、つまるところ有難い。
そう、本当に本当に有難いのだ。
毎日寝るときに、目が覚めたら100年、200年経ってたら楽しいだろうなと思いながら眠りにつく
無理だとわかっちゃいるけれど、未来の世界を自分の目で見てみたい。
知り合い全員墓の下?多分大丈夫な気がする。
35歳、2児の主婦。
惚れっぽいほうではないけど、彼は俳優並にかっこ良い。
粗茶を出して少しの世間話の後、彼が帰社。
あろうことか、そのコップに新しいお茶を入れて飲むという、
夫よ、スマン。
ひどすぎる。
しかし、残念ながら同じ業界で仕事をしている人間として、充分にありえるだろうなという感想である。
この作者が嘘をついてるとは思わないし、事実を誇張して書いているとも思えない。
(もちろん、そうでない編集さんの方が多い。と、信じたい。)
「俺が●●の編集長だとわかっていて物を言っているのか!」と恫喝に近いことを言われたこともある。
基本的に、編集と漫画家というのは一対一の関係であり、いわばそこは密室である。
もちろん編集者には同僚や上司がいるわけだが、漫画家とのやりとりは一対一になるので、
いちいち同僚がどんなやりとりをしているか共有しているわけではないのだ。
だから、編集が漫画家にパワハラをしていても、セクハラをしていても、
間違った常識を刷り込んでいても、周りは気がつかないのである。
同じ編集にはいい同僚でも、漫画家に対してどういう態度に出ているかはわからないはずだ。
漫画家の方が周囲に相談する等して、助けを求めなければ、事実は一生闇の中となる。
ではもっと漫画家が大声で被害を訴えればいいのではないか、という意見もあると思う。
それこそ潰されるのではないか、二度とどこからも声がかからないのではないか。
「そんなめんどくさい漫画家に二度と仕事は来ないかもしれない」という恐怖が、漫画家側にはある。
読者だってそのイメージが邪魔して作品を楽しめなくなるかもしれない。
だから、佐倉色さんがしたことは、とてもとても勇敢なことだと自分は思う。
しかし、1人の作家が、嘘をついてまであそこまで大きい会社にたてつくような真似をして、なんになるというのか。
あのエッセイを発表するのに、どれだけの勇気が必要だったろう。
「こんな編集ばかりではない」という声がある。
まともな人、仕事ができる人、優しい人、いい人、たくさんいると知っている。
しかし今回のようなことが数え切れないほど闇の中に葬られてきたというのも、また事実なのだ。
考えてみてほしい。
もしこれが、他の業界での不祥事であったなら、該当の会社はどうしただろうか。
今回の本の内容が事実であろうがなかろうが、角川は何かしらの声明を出すべきであろう。
事実を確認し、二度とこのようなことが起きないよう、改めて社内で徹底する。
事実でないなら、ねとらぼのようにはっきりと責任の所在を明らかにした上で抗議すべきだし、
ボーノ氏がまったくの無罪であるならそこはきちんとボーノ氏を擁護するべきだ。
事実なら、今後このようなことが起きないよう対策をとる旨を、たとえ方便でいいから発表するべきだ。
何の声明も出さないということは、今後もこういうことがあるかもしれない、
しかしそれに対しての対策は全く練らないと、暗に言っているようなものである。
それでは同じ会社に在籍する他のまともな編集者の仕事にだって差し障りがあるのではないだろうか。
「こんな編集ばかりではない」ということは、筆者である佐倉色さんや、他の漫画家ではなく、