あの博士論文のイントロ、もし文章がそのままだとしたらあり得ない。
そもそも、参考文献が全くないイントロなんてあり得ないわけで。
後は、その学生が英語の論文書いたことあったりすればその癖と、
少なくとも他の章と比べて明らかにおかしいとか、読んだら普通に分かる。
これだけ画期的な、新しい結果、さらにNatureに投稿、と言うレベルになれば、
身内としては、まず、徹底的に疑う、ということから始めるでしょう。
嫌な意味ではなく、間違ったものを出すわけにはいかない時に、間違ってるということを前提であら捜しをする、というのは当たり前の話。
その上で、アヤシイところが1つもなくなった時点で初めて外に出せる。
今回、もし、若山さんとかが本当の事を言ってるんだとしたら、
彼の所では、100%矛盾点がない、と確信できていた、ということでしょう。(どうだか分からんが)
身内同様、まず、疑ってかかる。
少しでもおかしな所があればツッコミ、全部明らかになるまでやりとりする。
勿論、研究者としての経験から、データがおかしいと思えば突っ込むけど、
上の、身内、の場合と同じ。まあ、必要なければそこまで突っ込んだりしないだろうけど、ある程度、査読して、みたいに頼まれたらまず疑う、と言う姿勢。
素直に読むけど、勿論、新しいものに関しては、おかしいな?と思う点があることはいくらでもある。
だからこそ追試をするわけだし。
実は自分は哲学の学部卒で、ああいう世界になると、「実験結果」「実証データ」は乏しくて、でっち上げどころか、妄想すれすれの論文が掲載されることもしばしば。最近は医療現場での臨床哲学などもあったりするので、必ずしもデータがない訳ではないけど、良い所、文章の出所をはっきりさせるくらいしかない訳です(あの本の何ページ、みたいな)。あとは、コピペを見抜くとか。不正と不正でないものの境界は必ずしも明瞭な訳ではありません。
いや、明らかでしょ。文章そのままパクったりして参考文献もなければ不正。
データなんかを持ってきて、それをさも自分で作ったかのようにしたら不正。
ソーカルの場合は、ポストモダニストたちが、数学や理論物理を、さも理解してるかのように取り入れた偉そうな論文を沢山書いてて、
でも、どう見ても理解してないだろ、と言う思いから(哲学的な思想に結び付けてる部分に関してはソーカル自身は門外漢だから指摘することが出来ないので)
それらの業界の人間は数学や物理を理解してるのか?ということを暴くためにデタラメ論文を投稿した。
その際、実は雑誌には査読の精度がなく、素人編集者がただ載せてただけなので、その雑誌自体が実はどうしようもないもので、ポストモダニスト自体を完全に否定できたものではない。
もし、査読者が居たら、その人はポストモダニストのエキスパートなはずで、その人が見逃したら明らかに数学を知らないやつらだwwwと言えたわけだけど。
つまり、研究者なら一瞬で分かるはずの間違いを投稿したわけ。一瞬で見抜けないような細かい捏造の様なことをしたわけではない。
今回の様な捏造は、いま、実際、それが捏造だった、とわかった所で、逆に誰もそれを証明することは出来ないわけで
(他の写真と一致した、と言う証明はできるけど、その写真がSTAP細胞ではない、とは言えないんでしょう、言えるとしたらそういう話が出てるわけで)
将来的に、全ての文献がデータベース化され、スキャンしてコピペ発見を確実に出来る、とか、にならない限りこんなのは性善説に頼るしか無い。
自分は研究者でも、ましては生物学の知見がある訳でもないのだけど。
小保方騒動について「なんで見抜けなかったんだ」という意見は多いけど、あそこまでコピペ、でっち上げを施した論文って、実は見抜くのって難しいんじゃないか。ああいう実験のデータって、普通は相手を信頼して受け取るだろうし、仮にも研究所のリーダー職についているような人が、まさか適当な内容で出してくるなんて、普通は思わないでしょう。良く知らないけど、ああいう査読って、「内容にインパクトがあるか」「記述上の問題点(内容の不足、結論の不明確)はないか」を確認するもので、「中身がでっち上げかどうか」を確認するものではないでしょう。一般企業の内部告発が難しいように、人の業績にケチを付けるのって、結構覚悟がいる。ましてや、共同研究者に十分な実績のある人がいれば、なおさら難しい。
専門分野、担当する立場によって差があるだろうけど、不正を不正と判断する基準はどこにあるか、もしあなたの受け取った論文に不正があるわかったら、どう対処するか。研究職など、そういう立場の人だったら、ご回答いただけるとありがたいです。興味半分だけどさ。
いろいろあると思うけど、どういうパターンで、どう対処するのが望ましいのでしょうか。
実は自分は哲学の学部卒で、ああいう世界になると、「実験結果」「実証データ」は乏しくて、でっち上げどころか、妄想すれすれの論文が掲載されることもしばしば。最近は医療現場での臨床哲学などもあったりするので、必ずしもデータがない訳ではないけど、良い所、文章の出所をはっきりさせるくらいしかない訳です(あの本の何ページ、みたいな)。あとは、コピペを見抜くとか。不正と不正でないものの境界は必ずしも明瞭な訳ではありません。そういう意味で、生物学などのデータありきな業界であれば、こういうことははっきりするけど、分野によっては不正と思われるものでも、別の世界では堂々とまかり通ったりします。哲学なら、大抵は鼻で笑って終わっちゃう。こういうことに関心がある人なら、ソーカル事件とかご存知でしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20140316205332
「掲載拒否は人類にとって損失であった」
「小保方さんは天才だが」
「小保方晴子と下村脩には、共通点がある。どちらも『トンデモ』であったことだ。 この二人の偉大な学者(いずれもノーベル賞レベル)は、交通点がある。」
「『STAP細胞という現象が現実に存在すること』 これは小保方さんの実験によってほぼ完璧に証明されたといってもいい」
などと持ち上げまくってた Open ブログの人、ごちゃごちゃといいわけ書き連ねてないで、一言「見る目が無くて評価も定まらないうちからエキサイトしてました、ごめんなさい」
とでも言えばいいのにね。
報道規制がかかってるとか。なにせ共同著者に世界的研究者の若山や笹井が入ってる。
小保方一人ならいくらでも叩けるが、彼らも連帯責任なので叩こうにも歯切れが悪いのかと。
日曜日の穏やかな朝 車を走らせ宇都宮から渋谷へナンパしに行った。
安住紳一郎の日曜天国を聞きながら。
センター街で2時間ほど人間観察してたが、可愛い子が全くいない。
太りすぎかガリガリのギャルしかいなく、宇都宮のようなプレミアムな娘はいない。
無駄足だった。
垢抜けない、くさそうな女子がうじゃうじゃいる。
そしてゆるそう。
やっぱり「街」より「通り」
「109」より「しまむら」
好きなインディーズ曲を調べていたら、こんなページにたどり着いた。
http://h.hatena.ne.jp/target?word=%E5%90%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%9B%A4
私はここで、件の楽曲の作者がアルバムを出していたことを知った。とても有意義な情報だった。
はてなスペースはキャンペーンでしか訪れなかったが、こんな情報が得られるなら利用価値もあると考えた。
流し読みしたから間違いがあったら謝るけど
例えば純粋にバスケ漫画を好きで黒子のバスケを読んでいる人が、腐女子人気の増大により黒バスを読む際に同性愛者と思われるようになったら、通常なら強い憤りを感じる。
誰に同性愛者と思われるの?店員さん?漫喫にいる人?それとも腐女子?んで、仮にその人達が「同性愛者乙w」と思ったとして、面と向かって言うやつがどれだけいるよ?
乗せられたお前らバーカ!と言う増田も体外だが、
結果論だ!後出しジャンケンだ!を大合唱するブコメも相当キてるなと感じた
http://anond.hatelabo.jp/20140316205332
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140316205332
「ですよねーwwwww以上のものではない」とか「同意の意味」とか見えてなかったんですね
実際低レベルだとそういうことはありますよね。理論の根拠が実験である、というのはまたぜーんぜん別の話ですよ。
高レベルになると(低レベルと比較して)理論から確率を計算できるようなことが極めて少ない、ということに何か異論がありますか?
ただの割合以上の意味を持たないごく少数のサンプルのものを「確率」と称するのはいくらもない。
どれくらいで成功したか、なんてのは
僕はそれが重要であることに異議を唱えていません。「た」ならね。
これが「た」か「る」かで全く意味が違うんですよ。観察による過去の事実として「何割だった」と割合を答えるのと、
「甘ったれ」とか「大人になる」とか「いい年して」は個人の魅力とはまた別なので自分が可愛くて自分が好きでいていいと思うけどな
母親は常に「お金がない」といい、父親はそんな母親に愛想を尽かしつつ、言われるままに給料を渡していた。
不幸の連鎖を断ち切るため、産まない。そう決めたけれど、やはり試したい気持ちもある。
妄想乙です。僕は「奇跡が起きて捏造が再現されちゃうかも」と言うコトで「奇跡なんて起きないから捏造はアホ」という旨のことを言おうとしただけです
もし、あんたの主張がそうであるなら最初から主張はこっちと同じだったってことね?そりゃ問違えて悪かった。
この話で、あんたは馬鹿なのかな、と思っただけなんだけど。
物理や化学、って出してるのは、それは、「理論から計算できる」確率のことを言いたいんだろうけど、
実験結果から出した「割合」も確率として提示するものはいくらでもあります。
そもそも、その「理論」に入ってる数値も、もともと観測値から来るものですので。
生物系の実験なんて、どれくらいで成功したか、なんてのは全く無意味、たまたまでも出来たらそれでOK、って、主張だと思ったんだけどな。少なくとも
地域のボランティア活動に長年定期的に参加しているが、時に人間関係に疲れて全てを投げ出したくなる。
集まった人達は、大きなテーマは同じでも、目指すところが必ずしも同じであるわけではない。
人それぞれ様々な角度から、そのテーマを自分の色で見上げている。
話し合いをして、団体の方向性を大小その時々に決めて行くのだが、そこに人それぞれの様々な思惑が飛び交う。
それが、時としてものすごく煩わしい。
提示された課題に沿って、建設的な話し合いが十分にできれば、自分の考えと違う結果になってもストレスにはならない。
その場を利用しようとする人などの感情の渦にうっかり巻き込まれると、
ずっと消化できないモヤモヤが胸の底に溜まり、その日は眠れなくなったりする。
次の集まりで、その人と顔を合わすことを考えるだけで、その日一日が憂鬱になったりする。
離れたところに自分を置いて客観視していれば、煩わしさは無くなるがやり甲斐も薄くなる。
辞めてしまえばストレスはかからなくなるが、達成感や情報の共有や共感する楽しみも失うことになる。
結局、自分自身がその課題やそれを取り巻く人達と、どのような距離感で接して行くかを考えて、
どのような行動をとるかで、ストレスの度合いは変わっていく。
えーとそんなこと言ってないけど。。。
「真の確率」ってのがどうあがいても人間には分からない、ってのはいいね?
そしたら、試行回数になんて何も依らない。
得られた試行から統計的手法で確率を導き出す方法は試行回数によらず一意に決まる(その導き方自体はいくつかあるけど)
誤差まできちんと理解していれば、どんなものでも「無意味」ではない。
この様な細胞実験がどれだけの量が行われてるか知らんが、少なくとも100回程度は同一実験を行ってるだろう、と思って「確率」として表現したほうが分かりやすいと思ったまでだが。
もし、2,3回だけやって、成功しました!っていう話なら、そりゃ、3回中1回成功しました!そういう割合です!でもいいけどさ。
なんでもいいけど、どれだけの確率(割合でもいいけど)で出来たか、というのは重要な情報。
それを指摘しただけなんだけど、なんで変な話に持ち込んで逃げようとするかね?
生まれてこのかた人様に告白したことがない。バレンタインにチョコをあげたこともない。付き合った男の子たちは(と言っても多くない)皆告白してくれた子。凄まじいマグロっぷりだと、自分でも思う。でも、どうすることもできない。
私は自分の容姿や性格に自信がない上、昔仲良かった男の子にいきなり無視をされるようになったのがかなりトラウマになってて、自分から恋愛感情を発することがものすごく苦手になってしまった。だから、人から好意を感じたり、必要とされたりすると、涙が出るほど嬉しくなって、その人のことを好きになる。
でも、いつもうまくいかない。君はそんなに僕のこと好きじゃないよねってふられてしまう。結局大好きな自分を好きだと言われる事が大事で、相手のことなんでこれっぽっちも見れてないんだな。ちゃんと向き合ってるつもりだったけど、相手をの気持ちを通して自分ばっかり見てたんだな、そりゃ、愛想つかされるよ。
どうしたら、よこしまな気持ち抜きで、人を好きになれて、相手を思いやれるのかな?そもそも、自分大好きな甘ったれ精神から、どうやったら大人になれるんだろう…年ばかりいい大人なのに、全然わからないよ…。