2014-03-17

煩わしさとのつきあい

地域ボランティア活動に長年定期的に参加しているが、時に人間関係に疲れて全てを投げ出したくなる。

集まった人達は、大きなテーマは同じでも、目指すところが必ずしも同じであるわけではない。

人それぞれ様々な角度から、そのテーマ自分の色で見上げている。

当然、課題クリアするための方法論もマチマチになる。

話し合いをして、団体方向性を大小その時々に決めて行くのだが、そこに人それぞれの様々な思惑が飛び交う。

それが、時としてものすごく煩わしい。

提示された課題に沿って、建設的な話し合いが十分にできれば、自分の考えと違う結果になってもストレスにはならない。

しかし、発言者に対する好き嫌いの感情や、

その集団の中で、自分立ち位置確立したいがために、

その場を利用しようとする人などの感情の渦にうっかり巻き込まれると、

ずっと消化できないモヤモヤが胸の底に溜まり、その日は眠れなくなったりする。

次の集まりで、その人と顔を合わすことを考えるだけで、その日一日が憂鬱になったりする。

離れたところに自分を置いて客観視していれば、煩わしさは無くなるがやり甲斐も薄くなる。

辞めてしまえばストレスはかからなくなるが、達成感や情報の共有や共感する楽しみも失うことになる。

結局、自分自身がその課題やそれを取り巻く人達と、どのような距離感で接して行くかを考えて、

どのような行動をとるかで、ストレスの度合いは変わっていく。

この煩わしさは、人と関わることで発生するが、実は人のせいではなく、そこに身を置く自分とどう向き合うかと言うことなのだ。

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