はてなキーワード: 親孝行とは
いわゆる長屋だ。
今は築50年くらいだろうか。実家を出て四半世紀経ったが今も両親が住んでいる。
ご飯もたくさん食べさせてもらったしゲームも買ってもらったし旅行も連れて行ってもらってたので、あまり貧乏だったつもりはない。ただ、今思うとそんなにお金はかかってなかったのかも。ゲームも最新ではなかったし、旅行も親戚のところだったり車中泊で温泉とかだった。ジャンプもずっと拾い読みしてた。友達とゲーセンに行っても1ゲーム100円払うのが信じられなかった。
両親ともずっと働き詰めで、今思うと放置子だったのかもしれない。ずっと友達の家に居て、友達が夕飯食べてる時も部屋で待たせてもらったりしてた。就職して実家を出るときに父親の年収が250万と知って若干ショックだった。数年で父親の年収も抜いてしまったが特に親孝行してないな。最近やっと年収一千万届いたので何かしら親孝行したい。
親も中卒だし親戚の中で大学に行った人もいないしで大学に行くという発想がなかったので、高卒で就職して上京するか自衛隊に入るかで迷って就職することにした。高校に来てる求人票から名前を聞いたことがある会社に面接して拾ってもらった。少し話が逸れるが、その当時(99年)は複数同時応募できず一社しか受けさせてもらえなかった。複数内定もらった人が辞退することで学校の名前に傷がついて求人票が来なくなるためだとか。そのせいで自分より品行方正な子達が就職失敗して専門学校に行かざるをえなくなるとかあったのでなんだかなと思った。今もそうなのかな。はてなでは最下層の高卒就職だがホワイトでお給料もいいし、もし大学行ってたらこんないいところに潜り込めなかっただろうなと思う。
自分の人生に不満はないが、家が長屋であることがコンプレックスで、アパートにとても憧れを持っていた。もう家も建ててしまったのでアパートに住むことはなさそうだけど、憧れは変わらない。
先日も旅行に行ってきたけど、もう年に一回とか、もうやめようかな、と思った。楽しかったと言えば楽しかったが、何だか気を使うし、嫌な発言が多いし、考え方がそもそも合わない事が多い。
なんか色々ありすぎたけど、何点かあげてく。
・機内持ち込みの荷物
私の身長は高くないので、飛行機の荷物入れの出し入れはなるべく避けたいし、父親がせっかちだから、上げ下ろしを急かされるのが嫌だった。
だから、せめて自分の分だけは、前の座席の下に収まるリュックを用意するね、と言ったのだが、こぞって反対され、なんで新しく買ったキャリーを持っていかないのか、せっかく買ったのに、と言われて、あまりにもうるさいし、面倒なのでキャリーを持っていく事にした。
なら、キャリーを2つだけにしようよ、と言っても却下で、とても上げ下げに苦労した。
本当に空気悪くするからやめてほしい。本当にやめてほしい。うるさい。一度でいいから接客業やってくれよ、本当にさ。あと渋滞とか遠いとか文句言わないでくれ。私のせいではない。あと事前説明したりしたことだよ…
・父が人前で母の尻を触る
これはずっと小さい頃から嫌で嫌で仕方なくて、なんで母が嫌がってるのに触るのだろうと思ってた。気持ち悪い。本当に気持ち悪い。どんな気持ちで触ってるんだろう。母の体は父のものではない。
・父と母が店員さんへ思いやりがない
ちょっと待っててってさっき言われたばっかりなのに、すぐ忘れちゃったのかなぁ、って大きな声で言うのやめてほしい。接客業経験して…
・店を貶すのはやめて欲しい
地元の人が利用してる店って、結構古くて乱雑としてることが多いけど、それも一つの味だったり、外観から分かるのだから選ばなきゃ良いわけだし、文句を言うの食事が終わってから、外に出てから言えばいいのに、「凄い店だね」「◯◯さんなら耐えられないよね」とか地元の人が座ってるのに言わないで欲しい。それとなく注意したり、話を逸らしたりはするけど、やめてほしい。
・せっかちすぎるし、何でもかんでも自分達が優先されるべき!ってなんで思うのか。その根拠はどこからでてくる?
これは全てにおいてそうだった。とくに父。すぐに前来た時は〜とか、以前は〜とか。一回や何回か来ただけでVIPにはなれないんだよ…
とにかくこんな事言いたくないんだけど、父が老害化してて、一緒にいて恥ずかしい時がすごく多いし、言う事聞いてくれないし、すぐ怒るし。母は空気読めないというか、なんでそんなこと言うの??って言う発言ぽんぽん言うし。私もこうなるのかなぁ、と思うと絶望しかない。とにかく父よ、荷物の上げ下ろし手伝ってよ…
行かなきゃいいのに、って本当にそう。だから2人で行っておいで、仕事もあるし、お金ないしと濁すことが多いんだけど、楽しい時は楽しいし、親孝行の一環でもあるし、たまにはいっかと思ってだけど、やっぱりなんか色々気を使うからなぁ。
「なんでそんなにキモい顔なんだよ、存在自体が不愉快だから視界に入ってくんな消えろよ」
「うっわー、お前の触れたもんとか絶対触りたくねぇ、キモいのが伝染るわ」
ぼくは容姿がこの上なく醜く歪んでいる。それこそぼく自身ですら認めるほどにだ。
ぼくの人生の中でぼく以上に醜い容姿をした人は一切の誇張なく一人も見たことがない。これからも見ることはないだろう。
冒頭に書いたような言葉を投げかけられなかったことは小学生の頃から中学時代、高校時代、社会人になってから今に至るまでと人生の場面において一度もない。
ぼくと10人が接すれば2人はいじめて7人は顔をしかめ引き攣らせたりあからさまに距離を置いて1人は庇ってくれる…といったところだ。
これでも頭では理解は出来るのだ。ヒトは社会的動物である以上、劣った遺伝子を集団を乱すものとして排除したい本能がある。
ヒトという種から見れば、劣った遺伝子のシグナルである醜い容姿を持つぼくは白血球に攻撃されるウイルスのようなものなんだろう。
けれど、あからさまに仲間外れにされたり殴られ蹴られ水を頭からかけられ暴言を吐かれといったことが年単位で、それもどんな集団に所属していようとほぼ必ず虐げられるといったことが続けば、心がズタズタに切り裂かれていくのだ。
どんなに勉強や仕事を頑張ろうとしても、度重なるいじめの記憶がフラッシュバックして何も手につかずうまくいかずの負のループ。
美容にお金と時間をかけても、元の遺伝子が悪すぎるからどうにもならないという現実を突きつけられるのみだった。
包み隠さず言えば、自分の存在自体もさることながら、生まれてきたこの世を心から呪った。一度に限らず、幾度となく何年にもわたって。
生まれてこなければよかった、存在自体を消してしまいたいと思った、だが実行する勇気すらもない。
被害者だけでなく加害者にもなった。いじめから庇ってくれ、人間は容姿だけじゃないよと優しい言葉をかけてくれた人にすら「お前に俺の苦しみの何が分かるんだ!!」と暴言を吐くような有様だった。
今思えば加害者に反撃する勇気もないから庇ってくれた人に八つ当たりしていたということだ。こんな人格ではいじめを受けた原因も容姿だけとは言い切れないかもしれない。
呪って呪って呪って呪い疲れて、ようやく受け入れた。
受け入れた後で、ぼくの心の中にほんのわずかに残ったものがあったことを思い出した。まるで災厄が飛び出していった後のパンドラの箱の中にたった一つ残った希望のように。
それは両親がくれた愛情だった。
どんなにぼくが失敗して迷惑をかけても「大丈夫、あなたは生まれてきてくれただけで親孝行なのよ。」と言ってくれた母。
子供の頃に小遣いを貯めてプレゼントしたマグカップをずっと大事にしてくれ、何度も野球観戦に連れて行ってくれて、「お前がどうなろうと俺達はお前の味方だ。」と言ってくれた父。
曇った目では見えなかっただけで、ぼくの心の中には生まれた時から二人が注ぎ続けてくれた無償の愛が確かにあったのだ。
ぼくが不幸だったのは容姿が醜いからというより、自分にないものに執着して不平不満ばかりに目を向け、あるものにはまるで目を向けようとしなかったから。自己憐憫ばかりに浸って本当に温かく手を差し伸べてくれる人の存在を無視し拒絶したからだ。
実際、容姿の醜さは何も変わっていないのにこうして自分の中にあるものに目を向け、生き方を変えようと決意しただけでこれだけ前向きになっている。
人間が生きる期間は80年程度、独身男性に至っては60代中盤程度らしいので、ぼくに残された期間は40年もないといったところか。
でもどちらにせよ宇宙全体の歴史からすれば誤差のようなもの、生きた期間の長さよりも何をどれだけ残すかの方が重要だ。
今後の人生の目標は、いじめから庇ってくれた一人一人に深く謝罪し感謝の言葉を述べること、両親がくれたこの無償の愛を出来る限り多くの人に渡すことだ。
最近読んだ本に「あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、『他者に貢献するのだ』という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」という言葉があった。
その通り、世の中には心無い暴言を吐く人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かい言葉をかけるようにしよう。
暴力をふるう人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かく手を差し伸べるようにしよう。
容姿が醜いということで差別を受けるかもしれないが、ぼくはどんな人にも無条件に心からの信頼を寄せよう。
弱っている人を馬鹿にし更に搾取しようとする人もいるかもしれないが、ぼくは真っ先に駆け付けて自分の出来る限りの助力をしよう。
受けた痛みの分だけ、他者に共感し寄り添えるようになった。いじめを受けた経験も必要なことだった。そう言えるようにしよう。
もう世の中を散々呪うだけ呪った。これ以上世の中に呪いは残さない。
そう遠くない内に迎えるであろう最期の時は、両親から貰った愛情や思いやりを何十倍にも増やしてこの世への置き土産にした上で、笑いながら旅立っていくつもりだ。
その背景には凄まじい男性嫌悪があるって話
あれ理解できない
兵役で国を守って勉強もして親孝行で見た目にも気を遣って、女性へのアプローチがうまくてレディーファーストもできて顔もいいし背も高い
家事も知的能力もアプローチもコミュニケーションも顔も身長も全て劣っててそれにも関わらず自分を偉いと思ってる訳じゃん
それなのに、男性嫌悪してる女性って私の周りではいなくてみんな男ウケやら彼氏欲しいとか言ってるわけよ
学生時代から現在の職場までずっと日本人男性にストレス抱えさせられて自宅にて韓国人男性に癒されてる私からすると日本人男性が思ったほど自国内で嫌悪されてなくて、韓国人男性が韓国で異常に嫌悪されてるのか理解できない
教えてくれ
増田です
んーー、やはり自己愛とかの延長線上かな
以下は悪口の一例
・(本人は天職だと毎日楽しく健全に働いてる)キャバクラで働いている
→キャバクラといえば薬物とヤクザの温床!ヤクザと付き合ってるシャブ中女!
・父親が急逝し、広大な農地を相続せず農業廃業選択した(畑は生前から枯れてるところが多かった)
→継がないなんて無能!!
・(身内に重度な障がい者がいるから、生まれる子供にもその障害が出ることを考えて)小梨選択した夫婦
・中学の時ソフト不登校だったが、高校卒業後ちゃんと就職(親孝行もしている)
→いじめを受けるようなしょーもない人間だから、就職先も賃金低い底辺
…こんな感じです
訂正してもすぐ忘れるっぽい
私は親の面倒を見たり,親へ仕送りをする気はまったくない.
前提として,親には感謝をしているし,私は親を心から愛している.
私の親は素晴らしい子育てをしてくれたと思う.
国立大に進学させてくれたし,大企業に入ることができたし,彼女もできた.
真面目で正直な人間に育ててくれた.
なぜならば,親の生活は自身の責任なのだから,子は親に支援をする必要はないからだ.
大学時代,「親の家事を手伝うから遊びに行けない」という人がいた.
確かに,親を手伝うその親孝行な行動には感心する.しかし「子に労働を要求している親」がとても気持ち悪かった.
飲み会で「親に仕送りをいくら払っているか」というトピックになった.
確かに,仕送りをしているその親孝行な行動には感心する.しかし「子が稼いだ現金を受け取っている親」がとても気持ち悪かった.
それは「親の責任範囲にも関わらず,子が責任を負う(または子に責任を負わせる)」からだ.
親がどれだけ仕事で忙しくとも,家事を大学生の子に頼んではならない.
親がどれだけ貧乏でも,子は親に金銭的な援助をしてはならない.
この責任範囲の逆転の気持ち悪さは,仕事にたとえるとわかりやすい.
上司がミスをしたのに,「あなたのミスは私のミスです」などかばう部下.
親子共々,この理念を忘れてはならない.
私は、弟のことが心底嫌いだ。
泡みたいに、音もたてずに、誰にも迷惑をかけずに、
跡形もなくパチンと消えてなってくれたらいいのにと思っている。
弟には、自責という概念がない。自分がうまくいかないのはすべて他人のせいする。
それに、いまだに十年前の世界を生きている。
弟には、主体性が全くない。何かを自分で決めることができないのだ。
自分で決めたら、人のせいにできないからだと思う。ずっとそうだった。
自分の選択に自信がもてないってことは、そういう育てられ方をしたんじゃ?、
もしかして両親が毒親だったのでは?と思われてしまうかもしれないが、そんなことはない。
両親は、弟に対して強要したことは一度もない。私に対してもそうだ。
「どうしたいのか?」という希望を常に聞いてくれたし、その選択を尊重してくれていた。
岐路に立った時には、いつも弟のやりたいことを助けてくれていた。
そのせいで、両親の貯金は底をつきた。
それなのに、弟はいまだに、両親が、俺の話をきいてくれなかった、と言い続けている。
そのせいで、俺はうまくいっていないのだと言っている。
両親は、俺のことを愛していないのだといっては、消費者金融に行くだの、自殺するだのといって、
両親のことを脅し、何千万も搾り取ってきた。
それでも、まだ足りないそうだ。
どれだけ抱きしめて、目を見て話して、謝罪して、お金を払っても足りないそうだ。
毎月請求される何百万という借金のせいで、父親は、夢だったバイクを持つことをあきらめた。
私は、もう両親を"弟の親"であることから解放してあげたいと思う。
両親には、もう親としてではなく、両親自身の人生を歩んでほしいと思っている。
きっと両親は、弟が生きているかぎりずっとこのまま搾り取られていくのだと思うと、
本当にやるせない。
弟よ、あなたの両親は、お前に搾り取られるために生まれたわけじゃない。
両親への罪悪感があるのなら、もう両親に連絡しないでほしい。
あなたの方から、両親との縁をきることが、今あなたのできる一番の親孝行だと思う。
買い物に付き合うとか居てはるうちにたくさん親孝行しいや
私は4月に北の方の某市に引越し、6月から今の職場で働き始めた20代の主婦です。
休職した主な原因は先輩からの付き纏いから始まりました。職員は出退勤時にマイカーに他の職員を乗せてはいけない決まりがあり、徒歩通勤の私はそれを知らずに、「送っていくよ」と声をかけてくれた半年先輩のAさん(女性、40代独身)の厚意に甘え、何度か退勤時に送ってもらい、私はお礼の品を何度か渡したりなどの関係が続いていました。
毎日「送っていくよ」声をかけてくれるので申し訳ない気持ちもあり、「今日は帰りに用事があるので」などと何度か断っていたのですが、あまり断り過ぎると「その用事嘘でしょ」「私の事嫌いになったの」「そんな用事後日でいい」などと、私に乗ることを強要するような強い言葉で返されるようになりました。
少ししてから、上記のマイカー送迎禁止の事を知り、私は少し安堵しながら「今まで知らなくてすみません、ありがとうございました。これからはちゃんと徒歩で帰ります」とAさんにお伝えしたところ「次からは職場の駐車場ではなく少し離れたところで待ち合わせしよう」と言われました。
(そこまでして送りたいのか)と思いながら断り、Aさんの車に乗るのは辞めましたが、その後退勤後にたまに寄るスーパーの前で待ち伏せされたり、私が徒歩で帰っていると車で追いかけてクラクションを鳴らされたりすることがありました。
流石に怖くなり直属の上司に相談して、朝礼の時間にそれとなく「出退勤時、マイカーに他の職員を乗せてはいけません」と直属の上司からお伝えしてもらいました。
その日からAさんの態度がガラッと変わりました。
Aさんが私を無視するようになり、Aさんと仲の良い人もAさんがいる時は私を無視するようになりました。
Aさんとロッカーが隣同士なのですが、退勤時私がロッカーを開けて荷物を出している時に迷惑そうに私を睨み、気付いた私が自分のロッカーを閉め、「すみません、開けていいですよ」と言っても無視、私がロッカー室から居なくなってから初めてロッカーを開けていかにも私が邪魔だったといわんばかりのムーブ(分かりにくくてすみません。)や、社内清掃の際に私が掃除機をかけている時にAさんに少し移動してほしくて「失礼します〜」と言っても無視し、微動だにせずだったり(これは私が言葉足らずだったかもしれません。)
送迎をどう断ろうかと悩んでる時期から謎の胃痛があり、内科の先生に精神科を勧められて精神科に通いだしたのですが、適応障害とストレス性胃炎と診断されました。
精神科に通い出して数ヶ月程経った前回の診察で「1ヶ月休職した方がいい」とお医者さんに言われ、診断書を書いてもらいました。
その診断書には「職場でのストレスにより(中略)療養期間を設ける」と書かれており、職場に提出したところ、翌日本社に呼び出されました。
「話を聞いてくれるんだ、ちゃんと話せるかな」と前日から話したいことのメモなどをキチンと整理して、当日は本社で80代の代表と話しました。そして、言われたのは以下の通りです。
・小さなトラブルを貴方がずっと引きずっているだけ、朝礼でルールについて話した時点で会社としての対応はキチンと終わっている
・君が心の病だから相手が嫌な態度をとっているように見えるだけ、相手は普通に接しているはず
・家庭が暗くならないように辛くても笑顔でいろ、無関係の夫が可哀想
・何回かしか話を聞いてもらってない医者に何がわかる、こんな診断書は信じるな
・人間はコミュニケーションの取り方に少なからず違いがあるんだからそれを許容出来ない君の問題
・経済産業省の優良健康経営なんとかに申請しているのに、診断書に「職場でのストレス」と書かれたら申請が通らないかもしれない。こんな事書かれて私の方がショックだ
正直その場で舌を噛み切って死のうかと思いました。
女叩きする暇あったら親孝行でもしてろよ
https://anond.hatelabo.jp/20230516151334 人生が詰んでしまったので年内には死ぬ予定なんだけど、その前に両親を旅行に連れて行こうと思ってる。 大学の英米文学研究会で出会ったうちの両親はイギリス文学が大好き。母は家にやって来た頃から家事をしながらウォルポールの「on modern gardening」やワーズワースの「Lucy Gray」を口ずさんでいた。父はシェイクスピアが大好きで、中学生の頃「お前は知らないだろうけど、母さんにはレディーマクベスのような冷酷さと残忍さがある。優しいだけ、綺麗なだけの女性には魅力なんてないんだ。覚えておけよ」と言われたのを今でも覚えている。 そんな2人だが、なんとイギリスに行ったことがない。俺が生まれたのは南ア・ハウテン州の郊外だったし、そこから東京を挟み母を加えてシンガポール、また東京を挟んでニューヨークと各地を転々とした。他にも様々な国を旅行で訪れているのに何故かイギリスだけは行ったことがない。予
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