はてなキーワード: サリンとは
さすがにサリンと一緒にはできんかったやろ
少なくともオウム真理教って、CXと組んだ選挙キャンペーンで政府乗っ取りは未遂、TBSと組んで弁護士ぶっ殺したりとか警察庁長官狙撃や地下鉄サリンテロで国家転覆も失敗に終わったじゃん?
でも今起きてる事って既に中央も地方も乗っ取られてる状態じゃんね。
しかもしかもだ、なんか非国民(中国人?共産党員??)扱いで俺たちのせいに成ってね?!
既に文化人でモジャモジャなんかは国葬マンセーって寝返ったというか元々朝鮮シンパだったけど。
前々から出版や講演でライスワークして来た準信者?半信者?亜信者?が五輪少女も真っ青な電波で自信満々に曲芸飛行を繰り広げられるのも身の安全が保証されてるから?
いずれにしてもだ、ヤツラを追い込んでいるように見えて実は崖っ縁に立たされているのは俺たち日本人じゃないのかって事だわ。
たぶんな!
理由を挙げる。
まずはこれ。批判そのものが嫌いなので、批判する人も嫌う。さらには批判にさらされている団体や人を見ると、その人を助けたくなってしまう。立憲民主党や社民党や共産党に対する支持が雀の涙しかない理由でもある。
「誰が言っているか」を重視する世代である。統一教会批判者が有田ヨシフとかハッピーメール米山とかの時点で20代以下の層は共感しなくなる。
統一教会はサリンとか銃撃とかの物理的テロ行為はやってこない。また若者世代の勧誘を控えているため、1990年代に多発した「同級生が卒業後宗教にはまった。こないだ自分も勧誘された」という話が20代以下の世代で出てこない。だから自分たちに統一教会関連の被害が無いため、批判報道を見ても自分事として見ることが出来ない。「あの有田とか何必死こいてんの?選挙で国民から”要らない”と言われた人なのに」としか見ていない。
安倍晋三の味方は20代世代の味方である。そんな認識の若者世代はことのほか多い。
このまま統一教会批判が続けば続くほど、20代以下の世代は「統一教会支持」に回ってしまうのではなかろうか。報道や批判の工夫が求められる。
なぜアイドルに信者じみたファンがいるのかって、つまりこういうことだったんだな
まあ「アイドル」の元の意味からして、ある意味当然っちゃ当然なんだけど
アイドルも新興宗教も、まともな人間ならそんなものに信仰レベルで入れ込んだりはしない
ゆえにメンヘラ傾向のある信者が勝手にいろいろやらかさないよう、ファンネルやらせるにしても狙った相手をちゃんと叩けるよう
マインドコントロールはそりゃもう完璧にやっておかなければならない
むしろそうでもしないと、ヤバい信者はそのうち勝手に幻滅して反転アンチになっちゃうし、下手すりゃ教祖殺しちゃうんだよ
なぜ新興宗教はどこもあんなに教祖が絶対的なのか、サリン撒けと言われたら撒いちゃうのか
スメハラは体臭であったり、柔軟剤や香水の匂いであったり様々あると思う。
なんでもハラスメントになってしまう現代、ちょっと神経質すぎるのではと感じる部分はあるが、
一言で言うと、タバコは他のスメハラとは比較にならないレベルで臭すぎる。
確かに強烈な体臭や香水を放ってしまう人もいるだろうが、それはごく少数。
実際、自分の感覚では日常生活でスメハラを感じることは少ない。
住んでいる地域や普段の交通手段にもよるだろうが、「今の人臭かった」と感じることなどあまり無い。
それに対し喫煙者の場合は、歩きタバコ・自転車タバコ・会社の喫煙ルームから漂ってくるタバコ・近隣住民が吸うタバコ。
しかもニオイがかなり強い。
住宅の壁、ベランダを隔てて届くほど強烈なニオイが、タバコの他にあるのか?
またマンションの場合、ベランダで吸おうが自宅を閉め切って吸おうが、タバコの煙はどうしたって隣家の中へ流れ込む。
住宅と言えば排便や夕飯の臭いもあるが、それはお互い様だし一時的なもの。
一日に何本吸えば気が済むんだよ。こっちはずっと我慢しているのに、終わりが来ない。
しかもガス成分が有害。そんなもん毎日吸わされて黙っていられるはずもない。
喫煙派の方々は、例えば隣人から低濃度とはいえサリン等の毒ガスを毎日自宅に送り込まれたとしても、黙って受け入れるのだろうか。
望む人全員が禁煙物件に住めるわけじゃない。皆が裕福なわけじゃない。
地方都市に住んでいるが、「禁煙物件」で検索しても高額な新築マンションしか出てこない。
なぜ迷惑をまき散らす害悪側、元凶のマイノリティーがでかい顔できるんだ。
タバコ嫌いVSスモーカーの戦いが繰り広げられているが、そりゃ戦いたくもなる。だって臭すぎし、頻度もすごいから。
喫煙者は、自分が加害者である自覚をもっと持ってほしいと思う。
周囲に迷惑をかけていないのなら、好きなだけタバコを吸ってもらって構わない。
ただ、本人が思っている以上に煙は周りに被害を与えていると自覚してほしいし、
周りから迷惑だと言われたら、早めに対応する気概は持って欲しい。
被害者意識を持っていると思う。
しかしそれは違う。
喫煙者が思っている以上に周囲の人々に
迷惑をまき散らしてきたのだと分かって欲しい。
まず、今後どれだけマスコミやひろゆきやエイトなどが煽っても、少なくともオウムみたいに思いっきり隅に追いやられることにはならない。
何故なら、統一教会はサリン事件や爆破事件などの物理的な破壊行為をやっていない。もしやってたら破防法適用一直線だが、統一教会に対してはそれを適用する根拠がない。
それと、旧来から日本人はお金の被害者に冷たい。以前振り込め詐欺が広まっても「だまされるジジババが悪い」「どうせ使わず溜め込んでる金なら放出したほうが良い」という意見が少なくない。献金被害がうんたらと言われても「出す方が悪い」と考える民族なのだ。
山上の乱に近い事件としては豊田商事事件がある。巨額詐欺被害を起こした会社の社長がいざ逮捕されるという段階でマスコミ記者達の目の前で刺殺されたというものだが、事件を境にその社長への国民からの批判はパッタリ止み、刺殺事件を止められずむしろ煽ってすらいたマスコミへの批判にすり替わった。社長に対しては「自転車操業で所持金は711円しかなかった」「大きな野望があったが道半ばで凶刃に倒れた」などの同情論すら出るようになったのだ。
それを考えると山上の乱でもそのうち統一教会への同情論が主流になっていくのが予想される。その動きを加速させるために、統一教会側は山上の母を出して記者会見させるのだろう。テロ行為を犯すような息子にしてしまって申し訳ありません、と言えばかなりの同情が集まるだろう。
・理系は危ない、サリンとか変な電気ヘルメット作りそうだとかというレッテルが貼られて理系を志す人が大幅減。一度志してもその時の家族や彼女に強く引き止められて文系に鞍替えするケースすら多発していた。
カルト宗教団体員「みんながそんなに叩いたら、人を騙して数千万円とか一億円とか奪えないじゃないか!」
と読めた。
本来宗教は人を救うためのものであり、救われたら宗教は不要になるもの。まあ飯の食い上げという側面もあるからカルト宗教は、最初は救いは与えるが教祖に依存させる。苦しんでなければ飯の食い上げだからな。その結果数千万円と家屋とか寄付させて、その家族も含めて不幸にする。
カルト宗教に属した時点で幽遊白書の戸愚呂兄みたいに永久に救われないんだよ。反社会的組織なんだよ。暴力団もだろうがヤクザにとっては飯食うために欠かせない組織だな。害悪極まりないが。
憲法でまず第一に家族を置こうとするのも、家族の一人を潰してしまえば残りの家族を潰して餌にできるようにしか見えないな。
百歩譲って当人の信仰はどうしようもないとしよう。社会に害為す外形的な行為は法律を決めてしまえば止めれる。信教の自由があるからサリン撒いても許すべきってか?害為す行為は害為す行為で罰を与えないとならないんだよ。
騙されて高額献金をして他の家族も巻き添えにする以上、裁判で成年被後見人にしてその後の献金は一切させないようにはするべきだろう。
山上母を成年被後見人にして、山上伯父が山上を育てていたら、こんな事態にはならなかっただろう。
お前の言い分は正しく間違ってる。
そりゃ対話で解決出来りゃその方が良いけれど国会質疑でのあの態度見てるだろ?
お前のその考え方は「"悪い意味で"良い子」の考え方なんだよ。それこそ、カルトにとって一番都合の良い発想だよ。地下鉄にサリンをばら蒔いた連中だって、あの狂った世界、というか麻原にしてみれば優等生だった筈だ。
ここに宮台真司(1995)『終わりなき日常を生きろ――オウム完全克服マニュアル』がある。社会学的観点からオウムがなぜのさばり、オウム的なものに立ち向かうにはどうすればよいかを記した本で、少なくとも10年ほど前は哲学・批評・(現代)社会学近辺では必読文献だった気がする。
そんなわけで本棚にたまたまぶっ刺さっていたので「終わりなき日常を生きなきゃならないんだよなあ」ぐらいしか覚えてない状態で再読した。以下では、この本の要約ではなく、気になったポイントを断片的に取り上げていく。ちなみに私自身は特に宮台のファンではなく、ほかに宮台の本は『権力の予期理論』『サブカルチャー神話解体』しか読んでないと思う。宮台が今回何を言ってるのかもほとんど把握していない。
まず読み始めて思ったのは、知識人の対応がどうやらオウムと今回ではだいぶ異なるのだなあということだ。冒頭で宮台は、オウム事件がそれまでの歴史における過去から理解する、言ってしまえばそれまでの歴史の延長線上におけるものとして理解することを激しく拒絶することにまるまる一章を割いている。オウム事件を(それまでの文学等々より悪しき・劣った)オタク文化の影響とか、連合赤軍の二の舞であるとか、そのように理解する知識人を批判する。
この辺りは論壇における立ち位置を示すパフォーマンスが結構含まれている気もするが、そもそもオウムについて語りたいわけではないので内容には深入りしない。ここで問題にしたいのは歴史と出来事の間の関係である。
今回の事件について、いまのところ過去の歴史と連続的に語る言説は私の見る限り絶無といってよいのではないかと思う。右派にせよ左派にせよ、「これまでの日本では起きたことがないたぐいの出来事」として捕らえているようにみえる。流れた川の水が戻ることはないので、むろんそれはある程度正しい。しかし完全に歴史から切り離された出来事が可能なものか、という点に関しては議論があるだろうし、宮台自身かれの歴史の中で取り組んできたことだろうから、とにかく歴史との連続性を強調する言説がないこと、それがオウムのときとは逆であるらしいことだけを指摘しておく。
宮台は「普通の若者が普通にオウムに入ってサリンを蒔いた」という見立てを行う。そのため、「マインドコントロール」(宮台は使っていないようだが「洗脳」もここでは同義語としていいと思う)について、何か特殊な技術であったり、明確な必要十分条件を定義できるものではないことを強調する(自分の講義だってある種のマインドコントロールだと言いながら)。これは社会学・社会心理学近辺ではわりと常識的な考え方であると思う。なので被害弁護団が「洗脳」をかぎかっこ抜きで自明な用語として使っているのには、少なくとも私は少し抵抗を覚えないでもない(「洗脳」と言いたくなるような事実があることを否定しているのではなく、あくまで用語法の問題)。
本全体の骨子となる主張として、宮台はオウムに関わった若者が抱える問題は「『終わらない日常』に耐えかねて『輝かしきハルマゲドン』を夢想し、キツさに耐えかねて『夢想を現実化』しようと」した点にあると主張する。その処方箋として「終わらない日常を生きる知恵」が必要とされるが、その知恵を持っているのがブルセラ女子高生なのだそうだ。なぜならブルセラ女子高生は決してオウムに入ってサリンを蒔いたりしないから、とのこと。まあ妥当性については何も言うまい。
すでに見たようにこの本は世代論の本でもある。宮台は江藤淳やその後の加藤典洋、あるいは宮台と同世代の大塚英志も含め、年長世代が新しい世代を「何かが欠けた存在」とみなすことを強く批判する。「あんたがただって年長世代におんなじこと言われてただろう」というわけであるばかりか、そうした言説は不要なきらきらしさを持った「幻想」を下の世代に押しつける有害なものである、というのが宮台の主張だ。そして大塚に対して「われわれ新人類世代はまだ何かを諦めたが、ブルセラ=ポスト団塊ジュニア世代はようやく諦めるべきものを最初から持たず、そのため何も諦めていない。なのにまた旧世代の幻想に彼女たちを縛り付ける気か」的な批判を行っている。どうでもいいが大塚英志が軽く30年以上同じスタンスを取り続けているのを見ると本当に安心する(20冊かそこらは読んでる程度にはファン)。大塚のツイッター(ていつから本人がつぶやくようになったの? 俺の知ってる大塚はタイピングができなかった気がするが)を見ると、メディアなり知識人なりが統一教会と自民党―安倍との関係を追求しないことにブチ切れてて、やはり信用できるなと思った。政教分離の観点から国葬にも激しく反対していて、こっちは大塚が立憲主義の観点からそう言うのは分かるが、私が政教分離についてよく分かっていないので(天と地の分離ってけっこうキリスト教特有の考えだったりしない?というレベル)、問題意識は共有できていない。こういう場合は経験上5~10年くらい経ってから共感できるようになることが多いが、今回はどうだろうか。
話が逸れた。宮台は可能かもしれない処方箋として(異性を念頭に置いた)コミュニケーションを検討する。「全面的包括欲求」に対して応えることが可能なのは宗教と恋愛だけだからだそうだ。そして恋愛は社会の再生産を行う家族システムへの動機でもあるため、社会は宗教より恋愛をプッシュする。にもかかわらず恋愛からはじき出されて宗教に飲み込まれる若者が多いのだから、恋愛は処方箋ではあるが「やれるなら最初からやってる」程度のものでしかないと宮台は言う。
だから現実的な処方箋としては、旧世代が押しつけてくる「輝かしさ」など忘れて「まったり終わりなき日常を生きろ」ということになる。
「処方箋」の妥当性はさておくとしても、少なくとも統一教会は「若者問題」ではない(原理研については詳しく知らないが)という一点においてすでにそのまま転用はできないなあというのが第一の感想であるし、さておいた妥当性をほじくりたくなるなあというのが第二の感想である。
もう少し有意義なことを言うのであれば、この「まったりしたコミュニケーション」こそが統一教会の本質なのではないか、という気が脱会者や現信者のブログやツイッターなどを見てるとするのだ。10年代に流行った「居場所」の問題はいまだ解決していない。
https://anond.hatelabo.jp/20220713203406
ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。
視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。
しかし2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景からの作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログや考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。
一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラがモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。
■95というモチーフ
1995年のことだ。バブルは崩壊したが残り香がある時期。世間は2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。
モデルの事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。
村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。
同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。
この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。
作中で出てくるキーワードだ。
これは神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。
この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。
■カレー
98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。
アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラを考察するならまずこれを読めというものでもある。
登場人物の名前から、関係性、台詞などアニメの構成自体のベースにあるものだ。
ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治が宗教観で父親と対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。
聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。
幾原監督の根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年生まれの監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。
■南極物語
銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物に名前に注目してみてほしい。
■リンゴの受け渡し
この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます。最終回後にどうぞ。
まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeとかにもあがってたりするので。
本作の見方で個人的におすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察を鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから…
やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃうと宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。
あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメのファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。
統一教会と同じで、何らかの政治的な事情でスケープゴートにされたんだろ
は?
マジでそう思ってるなら今すぐwikipediaでもいいから全て読み直せ
そんな事言ってたら本当に後悔する日が来るぞ
https://twitter.com/333_hill/with_replies
2022年4月頃「安倍が統一教会系団体にメッセージビデオを出していたことを知りターゲットにキメる」 春頃「銃が完成」 5月「職場を退職」
3月下旬の投稿に安倍政権での日露外交や北方領土二等返還での合意について支持するものがある。政治的反発は一切見られない。逆に立憲民主党や反安倍勢力に対しては辛辣な投稿が複数ある。
2021年9月に安倍元首相の統一教会系団体へのビデオメッセージが公開され10月の衆院選時期にはTwitterの選挙クラスタでは「安倍は統一教会と繋がってる」「統一教会の何が悪いの?」と統一教会についてかなりバズってたと思うが、その時期に一切投稿がないのが不思議である。この空白期間をどうしていたのか。
個人的に印象深いのは、統一教会の何が悪いのかわからないという投稿を引用リツイートしたこのツイートである。(2022年6月23日に投稿され自分で引用リツイートをしその後削除)
silent hill 333@333_hill
https://web.archive.org/web/20220629145045/https://twitter.com/333_hill/status/1539936971060961282