はてなキーワード: 歌手とは
Vocaloidは担当声優さんの協力の元作られてるのとその声優さんそのものの声では無かったこと、なにより初音ミク等のキャラクターが居るのがデカイと思うぞ
でもニコニコ動画全盛期では歌の方は「機械声何言ってんのかわからんし心がない」はわりと言われてた
許可ありオリキャラのVocaloidでも一般浸透は結構時間かかった
あとVocaloidはあくまで音楽活動支援で売り出していたっていうのと歌ってみたとかで生歌好きも楽しめたのと「これでもう歌手なんていらねぇぜ!!」っていう売り込みが無かったことが強いと思う
個人的には生成AIはずっと初動の絵描きなんてもういらねぇぜみたいなインフルエンサーみたいなのがいなかったらもう少しマシだったんじゃと思ってる
この増田以外にもSNKに関するブログにも触発されて、何年も前のちょっとしたエピソードだけどずっと心に残っている話を書いてみた。
彼女と知り合ったのは今から(※)年以上前、私が学生だった頃だ。当時、私は毎週のように近所の繁華街のクラブやバーで飲み歩いていた。いくつかあるなじみの店で私は彼女に出会った。お互い常連だったのでそのうち顔見知りになって会話も交わすようになった。特に連絡先を交換していた訳ではないし、ニックネームで呼び合ってたから本名も分からない上に、今となってはニックネームも忘れてしまってすごく残念。でも今でも顔はハッキリ覚えている。
そして、顔よりもハッキリ覚えている彼女とのエピソードがある。ある日とあるクラブにてイベントがあったので遊びに行った。大音量で音楽が流れている中で酒を飲んでいたんだけど、ふとステージに目を向けるとそれが生歌であると分かって驚いた。てっきりCD(当時はCDが音楽媒体の主流だった)を流しているのかと思ったぐらいとてもクオリティーの高い歌声だった。そしてそれを歌っていたのがその彼女だと分かりさらに驚いた。彼女と話すことはあったけど、こんなプロ級の歌が歌えるとはまったく知らなかった。彼女の歌声にとても感動した。
彼女の歌を聞いた後、座っている彼女を見つけた。この感動を是非伝えたいと思ったので話しかけた。「歌めっちゃうまいね!こんなすごい歌が歌えるなんて知らなかった!感動した!」と話して言葉をいくつか交わしたと思う。その会話の中で彼女は私にこう話してくれた。「私、歌のトレーニングのために(※)へ行こうと思ってる。歌手になりたいんだ。」と自分の夢を教えてくれた。
彼女とはそれを最後に会っていない気がする。でも(※)へ行ってまで歌手になりたいという大きな夢を語ってくれたこのエピソードはずっと忘れることはなかった。その後、私自身の夢について考える時、学生時代を思い出す時、(※)に関するコンテンツを見た時、など何かきっかけがある度に私は彼女の事を思い出し、彼女は(※)へ行けたんだろうか?歌手になれたんだろうか?などと思いを馳せていた。でも私はすでに引っ越していたし、彼女の連絡先も分からないし、その問いの答えを得る術はなく、歌手になれてたら良いなとただ願うだけだった。
そして彼女と最後に会ってから十数年後のある日、私は何気なくテレビを見ていた。歌番組だ。曲名と歌手の名前が紹介され、今から歌が始まろうとしている。私は音楽に疎いので初めて聞く名前だ。そしてイントロが流れ、間もなく歌い始めようというタイミングで歌手が映し出された。ここまで書くともうバレてしまうが、そう、テレビの中に映し出されたのはあの彼女だった。顔はハッキリ覚えている。一目で彼女と分かった。とても胸が熱くなった。そしてそれは曲名も分からない私でも聞いたことがあるヒット曲だった。
私の知らない十数年の間、彼女は努力を続けていて、そしてあの大きな夢を私が想像した以上に大きく叶えていた。私の心の奥でずっと漂っていた問いは、突然に答えを得た。そして「夢って叶うんだ」と思った。強く感じたというより、十数年という重みをもって私の心の奥深くに届いた。彼女ぐらい歌が上手い人はほとんどいない。でもそれ以上に、彼女ほど私を感動させてくれた歌手は他にはいない。たまたま昔の彼女を知っていたという個人的な理由だが、この感動は彼女から勝手にもらった私の人生の宝物だ。
私もそれなりに子供の頃の夢に近い職業に就けた。それでも自分に失望したりすることは多い。残念なことに、もう今から大きな夢を語るような歳でも地位でもない。それでもまだ小さな夢を持っていて、それに向かって努力をしている。彼女ほど大きな夢でもないし、彼女ほどの努力でもないとは思うけど、こうやって私がまだ夢に向かって進んでいけるのは、彼女からもらったこの宝物のおかげだと思う。彼女にはとても感謝している。本当にありがとう!
勝手にもらって勝手に感謝しているので良い迷惑かもしれないが、この感謝の増田がどこかへ流れ着いて彼女の目に届いてくれたらうれしいと思う。十数年後に届くかもしれないと実は本気で思ってる。そんな彼女は紅白歌合戦にも複数回出演するなど、今も活躍を続けている。そして彼女からもらった宝物も輝きを増している。
他者の賞賛が必要な何者病の子が必要なのは、基本的に精神科医やカウンセラーのアドバイスか親との和解だと思うけど、
最近、推してるアーティストが『何者にも〜』+『地を這う感覚が消えない』って言ってるのとか見て、
確かにアーティストの場合は、有名になって、とにかく聴いたり・見たりしてもらわないと、何も始まらないので、
何者かになりたいと熱望するのはそりゃそうだなって思いました
でも、自分の作品を知ってもらうために、本業とは違うことして仮に大成功収めても、果たして幸せなのかな?って思う
ヒカキンなんぞ、もう常人の10周分以上のお金稼いでるのに、『僕って何者なんですかね?』とかやってるぞ
171cm、65kg
女性に魅力を感じるから恋愛対象は女性だと思うんだけど、結婚する理由がない。
推しの歌手や友人が結婚したり、恋愛系の話を聞いて微笑ましい気持ちになる。
好きな人が別の人と結婚して幸せそうにしていたら、自分と結婚するよりはその方が幸せだったんだろうと素直に喜べると思う。
貯金が多少あるとはいえ、この程度では国民年金も貰えないであろう将来に不安が残る。
しかも数年後に親がリタイアすれば、ローンと生活費すべてを自分一人の給料では賄える自信がない。
でも親が一人で自分ともう一人の兄弟を大学まで卒業させてくれたから、自分のできる範囲で親の面倒は見たい。
そんな負債ばかりあって相手の欲を満たせず、異性との付き合い方も分からないモンスター、選ばれるわけがない。
だから、自分には結婚ができないんだろうなと思っている。そう思えば、自分から探す気にもならない。
とはいえ、どなたか好いてくれる人がいても、きっとその愛に報いるだけのモノを返せないんだ。返せる自信がないんだ。
だから、もう数年前から思ってはいるが、云十年後に一人で生活して云十年後に一人で野垂れ死ぬ事実は、もう目と鼻の先の現実。
でもそれは絶対苦しいし寂しいだろうなと思う。
いくらインターネットで誰かとつながっていても、一度遮断すると一人だ。寝るときは必ず一人。
誰か一緒に将来を歩んでくれないか、性欲がないから別に同性でもいいんだ。
今のままでは、自分が生きていた事実は何も残らないんだ。それが怖い。
誰か一人の胸の中にでも存在が残ってくれ。
きっと自分はもう上に書いた通り、将来一人で死ぬことになる。多分もう手遅れだ。なんならとうの昔に手遅れだ。
これを読んで共感する君、まだ手遅れじゃなかったら足掻いた方がいい。自分は多分、首が締まっていることに気づかなかったんだ。
一人でも助かった人の記憶に残ったら本望だな。
https://twitter.com/seikouotakujp/status/1759760451578269727
『成功したオタク』って映画、出てくる女たちが小太りでもさくてえらいリアルなオタク役者だなーとPV見て思ったが
ドキュメンタリー賞取ったってことは役者じゃなくてガチでオタクな一般人たちなのか
アイドルやインフルエンサーばかり見て弱者女性を認知外に置いてる奴らよ、これが本物の弱者女性だぞ
>あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。
>突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱した。受け入れ難いその現実に苦悩し、様々な感情が入り乱れ葛藤した。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。
>信頼し、応援していたからこそ許せないという人もいれば、最後まで寄り添うべきだと言う人もいる。ファンであり続けることができるのか。いや、ファンを辞めるべきか。彼を推していた私も加害者なのではないか。かつて、彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。
https://alfazbetmovie.com/otaku/
「正しいオタク」で検索すると「誰」「元ネタ」とサジェストされる割に答えが書かれてない
PV中で顔は隠されてるが、イベントシーンの背景の韓国語はそのままだったのでGoogleレンズさんに翻訳してもらって特定
チョン・ジュニョンという歌手だ
全然知らなかったけど「バーニング・サン事件」というのが大統領が言及するほどの大事件になったそうだ
バーニング・サン事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
芸能人や富豪の集まる高級クラブ「バーニング・サン」で、セクハラされた女性客を守ろうとした男性客が暴行される事件が発生
店も警察も暴行犯の味方をしてもみ消されそうになったのを男性がネット上で告発、店で行われている売春斡旋・違法薬物・賭博なども発覚し騒動に
チョン・ジュニョンは店自体には関与してないようだが、逮捕された客のスマホからチョン・ジュニョンのグループチャットが見つかる
彼は、女性たちとのセックスを盗撮し、それを金持ちたちに頒布するという違法行為をしていた
集団強姦したわりには軽い気がするが、日本の猥褻行為が韓国だと強姦の一種扱いだからまた違うのか?
どちらにせよファンは辛いだろう
映画見たいな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/45027695e530e051763275a72d54d44c1509526a
昆布(自然?)と味の素(化学?)が対立概念である、という図式をスンナリ受け入れている人々が多いようだけれど、そういう人々はいまだに味の素を石油化学合成食品だと考えているのだろうか。
味の素が化学合成を中止して発酵製法に切り替えたのは1973年のことだ。
1973年5月14日にMSGの最終晶析、23日に最終分割を行い、試運転開始以来10年10カ月にわたり続けてきた合成法によるMSG生産に終止符を打った。
(※MSG = グルタミン酸ナトリウム)
60年代~70年代の日本では公害が大きな社会問題となっていて、石油化学工業全体に対する消費者からの風当たりは非常に強かった。四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)を小学校で習った人も多いだろう。
味の素の基幹工場は、ほかならぬ四日市市にある。上の資料でも、石油化学製品を過剰に警戒する消費者の忌避感に逆らえなかった苦衷が(かなりあけすけに)綴られている。
1960年代前半には高い評価を得ていた技術が、わずか10年余りのうちに一転して受容されにくい技術になった。その背景には、化学に対する消費者の劇的な意識変化があった。化学合成技術を最先端技術としてもてはやす時代から、公害の元凶として排撃する時代に変わったのであれば、食品を化学合成で作るというコンセプトは受け入れられない。
「化学調味料は得体の知れない身体に悪いモノ」という風評やマイナスイメージは70年代にはすでに一般的だったのだ。時代はPCBや水銀やカドミウムが重大な食害事件を起こしている真っ最中である。化合物食品や食品添加物に対する不信感は、現代のオーガニック信仰などとはまったく次元の違う切実さがあったはずだ。
味の素の失敗は、せっかく製法を切り替えたのに商品名を変えなかったことに尽きると思う。すでにブランドを確立していて手放しがたかったのだろうが、味も成分も商品名も同じままだったら、誰も作り方が変わったなんて思わない。新・味の素とか味の素ネオとか、あるいは全然違う名前をつけた化学じゃない方の旨味調味料を売り出して、オリジナルの味の素は静かにフェードアウトさせるべきだったろう。令和の今に至っても味の素を「化学調味料」「化調」と呼ぶ人がたくさんいることが失敗をよく物語っている。
味の素系のブクマでコメントを見ていると「親が味の素を嫌いだったから自分にも使う習慣がない」という2世アンチも散見される。事実を知らないまま「味の素は悪者」というイメージだけが親から子へ、子から孫へと語り継がれてしまった結果である。
古いイメージをアップデートできていないだけならまだいい。それは無知なだけだ。
『美味しんぼ』には、露骨に旨味調味料を貶めるエピソードがある。山岡たちは(現在は味の素が発酵食品だと知りながら)わざと「化学調味料」という言葉を使い、味の素が化学合成していた時代のままの主張を展開する。まるで電気自動車の排気ガスが汚いと言っているようなものだ。
味の素の味が嫌いなら使わなければいいし、昆布の味が好きならば昆布を使えばいいし、「身体に悪いって言ってる人がちょいちょいいるから」くらいのよくわからん理由で使わないのもその人の自由だと思う。
私は基本的に増田に追記ってしないんだけど、スカタンなブコメひとつだけ晒し上げときます
安全とわかっているのだけど、遠慮したいのだね。味の素を愛好していた歌手・タレントの方が「がん」で亡くなった。生前に特製ソースと謳って、味の素を大量に投入していたのテレビで観ていた。
木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。
別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。
彼が敬愛する歌手のコンサートのチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体がほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。
隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。
楽しかった。
時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。
ついぞ果たされることは無かったが。
木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。
私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。
告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ。小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。
その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこからは恋人が出来ても長く続くことは無かった。
もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。
私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。
彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。
僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。
嬉しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。
間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱が最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。
「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。
それからの日々は怒涛だった。仕事、洗濯、食事の支度、お風呂、睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。
食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。
なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。
それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。
でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた────。
私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。
「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。
付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。
私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。
そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。
一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫も電子レンジも全て譲ってしまった。
彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。
「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。
ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたがシングルをもうひとつ買えば?」
私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか。
何故そんなに自分のシングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。
私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。
この人は一つも、私たちの生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。
それから、こう続いた。
新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。
あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。
…ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。
もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。
買った。
でも直ぐに許せなくなってしまった。
詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。
交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。
もう終わっていたんだなと、ふと思った。
ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。
同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。
来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。
手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。
フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。
彼は賢いと思う。
本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。
この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。
友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。
終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。
マットレスが届いたら。
まっさらのダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。
ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。