はてなキーワード: 単身赴任とは
今回、災害対処が後手後手という新聞記事を見て涙目になっているので愚痴らせていただきたく候。
今回の地震は1月1日っつー最悪のタイミングで起こったのが根本的なところで、一番みんな緩んでる時、しかも酒の入りはじめた時間で起こったのが問題なのよ。
ふつーの平日だったら対策室の立ち上げから参集かけて集まるのにそんな時間かからないのが、みんな実家や単身赴任者は帰郷地に帰っちゃってた、つまり指揮統制できる金沢に人がいなかったんだよね。
GWの時にみんなうっすら「あーまだよかった」ってなってたと思うんだけど、弱点は薄々気づいてたと思う。
フェラチオ得意ですか?
と尋ね返すのはどうだろう?
たとえば隣家や同僚に年収を尋ねられないのと同じで性生活も尋ねることはできないですよね普通
ふたつ並べてみると、答えないと不誠実に感じるではありませんか
もはや男が稼いで女が家を守る時代ではないですよね
ふたりで良い家庭を築くことです
「フェラチオは得意ですか?」という質問に対する答えはたくさんのことがわかります
家庭を築くにあたって避けて通れないとてつもなく大事な性生活への取り組みがわかります
子供を何人欲しいといういにしえにあるクッション質問の答えにもつながりますが、相変わらず人間にとって大きな娯楽としてセックスがあります
子作りのためのセックスとふたりの仲を高めるためのセックスと快楽のためのセックス
それぞれの考えや思いがあります
年収は高いですが、勤務時間が長いとか、週に2日は帰ることができない、単身赴任があり得る、(家族揃って)転勤ありき、かように様々な業種や労働形態があります
「フェラチオ得意ですか?」と尋ねた場合にうれしい回答はなにか?と考えると案外千差万別ではないかと想像します
嫌いですという答えが返ってきても、これまでご相手された方には好評ですと答えがきても、それを受けていろいろと考えるじゃないですか
嫌いならばこれから上手に調教しようとか、あまりセックスに興味はないのかなとか
得意なら経験豊富だから満足させる自信がないからいやだなとか、ビッチなのかとか、あるいはその技を試したいから結婚したいと思うかもしれないじゃないですか
経験がないので下手ですが興味がありますでもいいし、好きじゃないしそればかり強要する元彼のお陰でトラウマですでもいい
それも年収を答えたあとの女の顔同様です
「どういう家庭を作っていきたいですか?」に匹敵するくらい千差万別であることでしょう
だから結婚する上でとても重要でいい質問ではないかと真面目に思います
お金持ちの男のねるとんパーティなどから流行らせて一般化するといいなと夢想しております
参照ネタ元 5ch 【たすけて】フェラチオ大好きな嫁もちの人【しんじゃう】
(ここの自慢が羨ましいし、とても幸せそうなのです)
数日前に単身赴任で帰省しない(仕事柄帰ってこられないことは理解している)夫と電話で喧嘩した際「じゃあ浮気相手でも見つければ?」と言われた。
「知らないと思うけど前にDNA鑑定してる。〇〇と〇〇が自分の子供だってわかってるから今更お前が浮気しても構わない。むしろ他の男が機嫌取ってくれるなら好都合」と言われた。
謝って欲しくて「同窓会行くから浮気しちゃうかもね」と伝えた。
「別に良いって言ってるじゃん」と返された。
泣いた。
同窓会であからさまに色んな女の子に話しかけてた同級生と話した。
ホテル行った。
同級生から「旦那さんとするより気持ちいい?」と聞かれて気持ち悪くなった。
果てる時にビクビク揺れてる同級生の姿が気持ち悪くなって事後に吐いた。
落ち着いてからスマホ見たら母から「子供たちもう寝たからたまには〇〇ちゃん(仲良い同級生)とかとゆっくりしておいで☺️」とLINEが来てた。
「大丈夫?酔い覚めた?もう一回する?」って言ってキスしようとして来た同級生突き飛ばして着替えて部屋を出て、今タクシーに乗ってる。
なんだかすごい惨めになった。
はっきり言って良い?めちゃくちゃ差つけてる。
まず、衣類。受験があるからってのもあるんだけど、娘にはブランド品着せるけど息子は完全に安物。
次に習い事。娘には楽器と体操。あと小学校受験のための塾。息子は公立通ってる。習い事は無し。スポーツやりたいらしいけど割と親の負担大きいやつで、娘の受験でそれどころじゃないから拒否した。
正直女の子には早いうちから私立入って欲しい。毛並みのいい友達に囲まれて意識高く勉強して欲しいし、ちゃんと勉強して良い大学行ってほしい。今のところ習い事も受験塾も前向きに取り組んでる。
あと、息子の時は正規で仕事してたからずっと公立保育園入れてたけど、娘が生まれてからは仕事を辞めてお受験用の幼稚園に入れて習い事に付き添ってお勉強見てる。元々女の子が欲しかったってのもあるけど、圧倒的に娘の方が可愛い。男尊女卑の強い地域で育ったのもあって、男の子を崇める家庭環境に辟易してたから、正直その恨みもあってか息子よりも娘!って感じになっちゃうんだよね。どうしてもあんまり可愛いと思えない。
因みに旦那は今年度いっぱい単身赴任中だから息子が習い事やりたがってることは多分知らないし、娘の受験が落ち着くまでは何もやらせる気はない。
子供帯同で転勤してるって話がちらほらあるけど、それって子供が大きくなると詰みだよね
高校や中学受験するなら中学から、子供を学校やめさせて転勤帯同させるのは難しくなる
そうでなくても子供にも人間関係があるので親の都合で転校は可哀想だ
かと言って実家に頼るとしてもその頃には親も年食ってる
夫が一人で責任を持って子供の世話する事が出来るなら単身赴任で良いけど
妻が子供帯同で転勤してる時点で夫は子供の世話しない前提だろうし
子供だって今まで同居もしてない、ろくに世話もしてくれなかった父親と共に残されるのも嫌だろう
今の時代なら割と男性も子育てはできるから、他の人も書いてるが男性側が時短勤務か定時で帰れる仕事のいずれかでは?
正直バリキャリ×バリキャリの外部サポートなし子育てはほぼムリだし、逆にその形態で今できてるなら片方が単身赴任でいなくなってもそんなに変わらなく育児継続できるだろうね。
専業主夫のパターンも無しじゃないが、子どもをもう作らない(産休や育休など、世帯収入が下がらざるを得ない状況になり得ない)じゃないと結構厳しいというか、心のどこかで金銭的な不安に怯えながら育児すんのは双方しんどいんじゃないかと言う気はする。
そう言う意味だと男性の方がこう、おじさんになってもパッと働ける?仕組みみたいなの、あんまりないよなあってイメージだ。女性だと事務員とかレジ打ちとかのパートがありそうなんだけど、ああいうのって男性でも断られないものなのかな。建前上ではなくて実採用ベースで差がないなら、そんなに困難な感じもしないけど、ああいうのってなぜか主婦のほうが(職場が円滑に回るとかで)有利なイメージがなんとなくある。
この人わざわざ単身赴任してるんだぞ、片親より今の方がマシだろ
おれ、レスってる夫側。
旦那様も性嫌悪症の可能性はどうだろう。俺はそう。性欲強い嫁に強制的に性行為をされ続け、知らん間にゴムに穴開けられて知らん間に子作りさせられた、そしたらダメになった。
祖父のような人が、昨日死んだ。
血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。
母方の祖父は、母親が子供の頃に祖母と離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というものを意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。
「祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から、祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分も子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ。
将棋のルール、司馬遼太郎、池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。
むしろ、祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母のお金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。
祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。
陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。
祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。
ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。
父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子どもの自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。
父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。
母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察や学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。
母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシーの運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校の先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会」から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。
自分が中学生か高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。
それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神を病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的な統合失調症の症状が出始めた。
この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。
それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚の理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。
知り合い、昔からの友人である大学の同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。
お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。
彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたか分からないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。
祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。
この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。
彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学で落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋の社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分の着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議な気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。
思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物をしまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母のマンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母と暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。
「二日前くらいから入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃんが病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜しはるから、心の中で弔ってあげてな」
母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。
母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母と暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。
きっと、親である祖母が離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。
もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。
母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。
彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。
別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。
残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。
祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。
※長男(2歳8ヶ月)の発達障害(軽度知的障害:自閉症)を踏まえて
【今後するべきこと】
・年長始めまで、療育に注力
・ニガテを将来的にリストアップしておく
下記ライフプランを実行するか、会社の転勤に随伴し通常の学校に通学させるか決断する。
(入学後も中学高校等のタイミングで、下記に以降する可能性アリ)
・小学校普通学級に上がれない発達具合であれば、妻と子供達は東京へ引越してもらい、自分は単身赴任する。場合によっては関東甲信越エリアの地域総合職へ変更。(妻の実家近くで)
・以降は、特別支援学級や特別支援学校へ通学し、長男や子供の生活拠点を妻実家近隣にする。
・転勤に伴う家族の随伴は、障害がある長男には負担が大きい。転勤先で受入可能な学校も限定される事情、随伴には困難が予想されると思われる。
・会社側には育休明け時点で療育手帳含めて申告。年長となる年の10月までには、自分達の方針を固める必要あり。幼稚園の内は同伴での転勤も(したくはないが)可能性ありと思われる。
【デメリット】
おれが生まれたクソ田舎から大学に行ったあの娘と同い年になった
母が高校を卒業して就職して3年目で仕事を覚えて楽しかったんだと思い出を語っていたその頃と同い年になった
父がじいちゃんから事業を受け継いでキツかった頃と同い年になった
なんと同級生は愛しあう人ができたらしい
小学校5年の担任で音楽の先生でハゲを気にしていた彼と同い年になった
想像では子供がひとりかふたりいて家を買って楽しい家庭を築いていたころと同い年になった
いまも独身のおっちゃんが俺を高校まで車で送ってくれた頃のおっちゃんと同い年になった
コロナがあった
きついがたまの息抜きに一緒に酒を飲もうと言ってくれる上司は単身赴任で俺のワンルームの隣に住んでいた
上司と一緒に狭い焼鳥屋に飲みに行ったら上司の大学の同級生がいた
50を越えてもう定年が近いらしい
発覚後の両親は毎日電話で喧嘩していて、母は毎日泣き叫んでいた。父が一時的に帰ってきたとき、相手の病気を移されたりしたんだって、大人になってから聞いた。
私が高校生のとき、年の離れた姉が「好きになった人の子を妊娠したけどおろしてきた」とある日ぽつんといった。その後から姉は家にまともに帰ってこなくなった。
さて、わたしである。大学進学、就職の間、人を好きにはなって、振られることはあっても告白されることはなかった。異性の友達は今もほんとにただのいい友人。
会社に入ってから不倫の誘いはあるけど、一度会社の人に遊ばれてから(入社時に好きになった先輩に告白したら、俺を好きだというならやらせてくれといわれて応じてしまった)(阿呆である)
あんまり火遊び向いてないなと悟った。マジで10年くらい性行為をしていない。そのときくらいだし…。
初めてのときに避妊具を付けて貰えなくて、生理が遅れて冷や汗をかいたのもある。下手に遊んで、子どもできたら怖すぎるって凄く怯えてしまった。
そんなこんなで30半ば。結婚は多分しないしできない。
男の人を信用できない。そのうち他に女の人を作ってくるだろうと思う。
女の人だって信用できない。そのうち彼氏できた、って私を捨てると思う。
だけど性欲はきちんと自分の中にあって、それが辛い。でも性欲は解消したい。っていうのが最近の悩み。30すぎると女の性欲強くなるはほんとなんだなって感じ。
というわけで最近女性用風俗を使えばいいのか?って調べ始めている。
私みたいな人こそ、ヤリ目的のマッチングアプリ?みたいなのを使ってくるべきだったんだな~って今日思った。
普通の人のことは信用できないから付き合えないし、セックスフレンドを作ったら、相手が大事な人を見つけたら恨めしく思うし、社内だと言いふらされると思うと食指が動かない。
一期一会で、終わったら即お別れで二度と会えない、そういう方が多分向いてる。
一度人生がパァになってからというもの、勉強して受験して大学行って子育てして、毎日必死に生きてきたはずなのに、鬱病になった。生来新しい物好きで、抑うつ状態でも何か新しいことをしようとすると、必ず途中で失敗する。例えば、バイトの面接に落ちたりする。
これはわかりやすく失敗であり挫折であるが、始める前に挫折することもある。例えば、プログラミング学習なんかは、私の人生をパァにしたにもかかわらず今までのうのうと人生を謳歌している夫が得意とする分野であり、学習途中はどうしてもこの夫が思い起こされるので、意欲がそがれて、再び思考が暗闇に沈んでいく。
夫は大学・大学院時代から別居状態で、今年から社会人に。現在は関西に単身赴任中である。一方私は高校時代から両親とともに子育てをし、何とか大学に入学、しかし子育てと学修を両立できず鬱病になり休学する事態となった。非常に情けない。
夫は、大学・大学院で好きなことを研究し、見事一部上場に勤め始めた。いわゆる高給取りだ。