はてなキーワード: 貧乏とは
苦手というと毒親や、貧乏な家庭だと思うかもしれないが、私の親は裕福で理解のある親だった。私は何不自由ない教育を与えられて、それなりに評価される大学に入り、それなりに社会からも認められる会社に入った。まさに今の言葉で言えば親ガチャ成功だと思う。親が苦手とは何事かと思われるかもしれない。まさにその通りで私は親不孝な息子なのだ。
なんとも言えない親への思いは歳を経るごとに増していった。なぜだか全くわからないが、親と話すたびに、苦手意識が増していくのだ。
自分の親は愛すべきである。兄弟は助け合うべきである。私は強くそう思う。そう思うからこそ、どこかむず痒く、脂っこいものを食べて胃酸が上がってくるような気持ちに襲われるのだ。そして時には胃が痛くなるほどの胸焼けを起こすのだ。
思い起こせば高校生の頃からそうだった。親とは何を話しても面白いとは思えない。むしろ窮屈になる。視野が狭窄して自分というものが何かわからなくなる。こんな気分になるのは親と話している時だけだ。
社会に出て実家に帰るたびに、この思いに駆られては押しつぶすを繰り返している。30歳をすぎて、そろそろこの思いに決着をつけなくてはいけない。
実家から帰る新幹線のホームでぼんやりとそんなことを考えながら、電車に乗り込み窓際の席に座った。今日はとても空いているようだった。
思い起こすと、私の親は自分というものが一切なく透明に見えるのだ。自分の意思よりも、家族の意思を優先する。家族の意思よりも、社会の意思を優先する。自分の意思が全くなく、何かに決められているようだった。
そうやって生きてきた人なのだ。よく親が言っているのはこんな言葉だ。「親はこうあるべきだ。子はこうあるべきだ。親戚なのに何もしてくれない。医者は真摯に病人に向き合うべきだ。女性はこうだ。男性はこうだ。良い歳して何してるんだ。」そんなことを口にしながら、泣いたり、怒ったり、苦しんだりしている。それを聞くたびに私は頭が痛くなるのだ。他人のことなんて放っておけば良いのにと思う。誰がなんと言おうとやりたいようにやれば良いのにと思う。
私が進路を選ぶ時もそうだった。社会が決めた基準を遂行できる洋服を着飾るために一生懸命だった。親心という名の善意の名を借りて何かに決められた基準を私に諭しているだけだった。塾にももちろん通ったし試験のために必死に勉強もした。
「あなたのためを思って言っている」と口癖のようにいう。今もそうだ。だけどそれは、あなたのためを思って[社会的に間違えてない正解]を諭しているにすぎないのだ。それが愛というのだろうか。そんな生き方は窮屈じゃないのだろうか。
こうして言語化してしまうと、たちまち親への思いがただの苦手から嫌いに変容しそうになり、自分が嫌になった。普通なら感謝すべきだろと思うし、どれだけ自分に投資したかを考えると頭は上がらない。だからこそ辛いのだ。なんとなく苦手で終わらせておけばよかった。終わらせれば良いのだ。私は高校時代に、親に向かって「絶対に友達にはなれない性格」と言っていたらしい。なんてひどい奴だと思った。そんな自分を自覚したくなくて、必死に隠そうとしていたのかもしれない。
まったく行き場のない、終着点のない思いを抱えて、新幹線は見慣れた高層ビルの合間を縫って東京駅へと着いた。誰も私のことなど気にしてない、気にかけてない、横糸も縦糸もない。ふらふらと行く宛もないまま、高架下を通って寂れた飲み屋に入った。終着しない思いを抱えて、浴びるように酒を飲んだ。このまま記憶がなくなって、全く別な人間として生きていければ良いのにと思った。記憶がなくなるほど飲んで、夜の街をふらついた。夜中の12時を回っていたと思う。
ふと気がつくと目の前には知らない女性がいた。見ず知らずの会ったこともない女性だった。身元もわからないただ性を売る女性と、何を質問されても嘘ばかり答えている自分が遠くから見える。そこに存在するのは、ただお金のつながりだけで、お金を得たい女性と、性を買いたい男の汚くて生臭くて、目を背けたくなるような関係しかなかった。「こうあるべきだ」という呪縛から、社会が決めたドレスコードを守るだけの生活から、なんとか抜け出そうとして、ここに辿り着いたのかもしれない。全くの間違いだったとしてもそんな自分を許して欲しい。良い歳してこんなことするなんて馬鹿だと親にな言われるだろう。
過去にも同じようなことがあった。酔っ払って大学時代の友人に出鱈目ばっかり喋ってたと言われたことがある。何かになりたくて、何者にもならなくて、結局そんな自分が嫌いで、自分を消し去ってしまいたいと思っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。
目の前の女性はとても暖かかった。水槽の中で飼われた魚のように思えた。複雑な世界から、生臭くて汚くて煩わしいものを引き抜いた、美しい世界だと思った。誰かを愛したり愛されたり、面倒で煩わしくてこんがらがった関係を自分は築ける人間になれるのだろうか?それを受け入れて、複雑な社会で透明になって生きていくことはできるだろうか。プラスチックのような、テトリスのブロックを積み上げるような、機械的な会話をして外に出た。10月とは思えないほど外は肌寒かった。
X(旧twitter)にて
「人口というのは階級を考えたらピラミッドになるべきで、大企業正社員とか医師とかだけが子孫を残せる国とか、どうみても凄い崩れ方するでしょ。彼らの子がダム建設とかマンホール作業員やるの?」という主張を見た。
残酷な現実と偉い人の本音を感じた。少しだけ知恵を付けた愚かな人間がこの事態を招いている、と感じた。
会社を経営してる知人が「最近はみんな自分が知らなくていいことを知っている。知りたがる、そしてなりたがる。それがこちらには都合が悪い」と言っていた。
あまりに情報が多すぎて、入りすぎて、見なくていいものが見えている。
例えばダム建設をしている人が休憩時間にtiktokをのぞく。キラキラしていて豊かで華やかな瞬間を見る。自分に疑問を持つ。妬ましく感じる。
取るに足るとはよく言ったものだ。
【日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。】
今行われてる少子化対策とか、その他の政策もなんだかどれもイマイチで最低だ。これじゃSNSみたいな裕福な生活はいつまでもできない。
でもこれってわざとで、ピラミッドの一番下を作って明確な線を引こうとしてるんじゃないのか。
諦めてもらって、働いてもらって、余計なことを考えられなくなるくらい働かせて、それでも裕福にはなり得なくて、どこかで諦めて妥協して取るに足るを知れるように。
SNSのキラキラやタワーマンションや豪華な生活はディズニーみたいなフィクションで、自分には縁のない、どうにも届かないって思わせれば勝ち。
生活を変えれば、努力すればああなれるかもだなんて淡い期待をさせちゃだめだ。
あんな生活は出来ないけどさ、可愛い子供がいて、家族があって、仕事は大変だけどこれが幸せさ。とか言ってくれたら楽だよね。
ピラミッドの上の部分、もういっぱいなんで!国に裕福にしてもらえると思ってる?w君たちは下で満足しなよ!これは棲み分けだよ
と政治家が言ってる気がした。
そういうニュアンスで使われているのか? 女に相手にされないわけではないが貧乏なので結婚にまでは至らないような男を指すのに「弱者男性」とは言わないだろ。それは単なる貧乏な男としか言わん。
ここで言う「弱者男性」ってのは要するに非モテで女に(つまりセックスに)ありつけない男のことだろ。金があっても健康でも
「弱者男性」。
子孫を残せないのは弱者男性
安い飲食チェーン店だったりスーパーで売ってるレトルト食品のCMに出てる、俳優や芸人のことだけどよぉ
あいつらバラエティ番組で寿司や焼肉を食ってたエピソードを話してたりするじゃん
しかも、CMに出演してるってことは、たんまりと稼いでるんだろうしさ
だからCMで宣伝してるやっすい店や商品なんて、そいつらは実際に利用するわけないよなぁ?
金持ちだから普段は高級料亭でメシ食ってたり家政婦に料理作らせたりしてるけど、仕事だから下々の民に向けて下賤な料理を紹介しますって、言葉に出してなくても顔で語ってるのが見え見えなんだよ
人と付き合わないことが一番の節約とドヤってた貧乏人、年を取るごとにどん詰まりになっていってるのをよく見る。
友人知人がほとんどいないからなんのコネもなく、困ったときに相談したり動いてくれる人がいない。
人と付き合わなくて世界が狭いから思考の切り替えができないように見える。
そこそこ多くの知り合いがいると、自分が思いもよらないような考え方を知っていたり実践したりしてる人に出会える確率が高いので、悩み事や問題を抱えていても意外な突破口を見つける助けになりやすいんだけどね。
友人も情報もネットがあれば事足りるようなこといってたけど、ネットの友人が具体的になにかしてくれることはないし、情報も自分の世界が狭かったら取りに行ける範囲はたかが知れてる。
どん詰まってるからSNSに書いてることも鬱っぽい愚痴が多くて、ますます人が近寄らなくなってる。
一人が好き、一人でも平気みたいなこといってたけど、今となっては他人からは淋しいおじさんおばさんにしか見えない。
そもそも一人でもなんでも平気でいたかったら金がないと無理なんでは。
本人が満足ならそれでいいじゃない、で済む話だが、どう見ても満足はしていなさそう。
年取ってもそれなりに気楽にやっていきたいなら、そこそこの人付き合いはキープしておいたほうがいいんじゃないかな。
そっちのほうが自分が人のために役に立てる機会も増えるし。