はてなキーワード: ヒトラーとは
ポリコレはポリティカル・コレクトネスの略で日本語だと「政治的な正しさ」と訳される。ここで注目するべきなのは「政治的な」という部分だ。そうだ。政治的なんだ。どこまでいっても政治的。倫理的に正しいわけでも絶対的に正しいわけでも世間的に正しいわけでもない。あくまで政治的。どういう為政者が権力の側にいるか。それでポリコレも時代によって変わる。例えば日本の戦時中の敵性言語排除なんかもポリコレだ。ストライク!ボール!と言うと攻撃されるのは完全にポリコレである。そもそもポリコレというのはナチスのヒトラーや旧ソ連のスターリンが好んで悪用していた概念である。気に入らない言説を全てポリコレに反するとして幾千もの書物を焼いたし人間を焼いた。君たちが普段軽々しくバカにしているポリコレは実は非常に怖いものだ。ポリコレは全力で排除しなければならない。
https://anond.hatelabo.jp/20220729194901
さえぼう先生はかなりまともなフェミニストだということは確認しておきたい。
確かに呉座さんの一件では明らかにおかしかった。個と公の区別がつかなくなって愚にもつかないオープンレターを出した上、批判にもまともに向き合わなかったのでMUGEN フェミトーナメントにおける狂キャラみたいな扱いになっちゃったけど、あの一件を持って全否定するのは反対だ。
あれは沖さやかさんなど他の人も絡んできたせいで自分一人でうまくコントロールできなかっただけで、個人の活動としては結構真っ当なことを言ってる。
男全殺し委員会の件なんかても叩かれてるけど、あれかルワンダ虐殺の扇動と同じくらいの大罪として語られてるのは納得いかん。他人の学術論文を翻訳しただけでそんなこと言われたらヒトラーの研究やってる人全員縛り首やん。私はこの点でさえぼう先生批判してる人には反対やで。
統一教会みたいな政治団体は美女をスリーパーセルとして育てるだろうと思うんだ
教導政策や血縁利用政策は昔からあって、米国独立戦争時代の「マサチューセッツの歌の教師たち」とか、第二次世界大戦ではヒトラーやゲッペルスの子どもたちの話が著名
親切な美女は男の性質と利用して金持ちの息子などと結婚し、男が協力しなければマイクロアグレッションを駆使して破綻させる
山上父も理由は知らないが破綻しているから、山上もスリーパーセルの子どもたちの一人かもしれん
ついでにスリーパーセルはその配偶者の子を産むとは限らないと思う
大きな組織だったら配偶者に似たような別の男を与えて、その子を伴侶の子として産ませることもできなくはなさそうだ
ただ教導能力(洗脳能力)を駆使するほうがリスクは少ないだろうし、スリーパーセルの子が育ったら再びスリーパーセルを与えるという方がリスクは少ないだろう
『自由主義だから人を殺す自由も認めろよ』ということは当然にない。そこで重要なのは他者危害の概念だ。
殺人は生きる権利を奪うから罰せられ、窃盗は財産を奪うから罰せられる。今の犯罪はそのように考えられている。
そう考えた時、たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだとリベラルは主張しているの。
オタクがけしからんって思う人が世の中のたくさんいるのはそれはそうだと思うし別に糾弾する文章を書くのは良いとは思うんだけど
「チンドン屋」扱いってのはなんかどうしても違和感があるんだよな、チンドン屋さんに失礼って方向で。
確かに例の文章はそもそもチンドン屋についても批判するような文献を引いた上で言っているから、
世の中の凡百のチンドン屋扱い暴言に比べたらマシではあるんだろうけど、
でも当該文章における「オタク」のけしからんと扱われているレベルは社会に対する悪とかいうそういうレベルであって、
チンドン屋さんの広告屋さんとしてどうしても発生してしまうしかたない部分のようなものと同列視したらそれは尚「チンドン屋さんに失礼」とおもってしまうんよ。
勿論自分のチンドン屋さんへの理解や読解力が不足しているがゆえにこういうことを言ってしまう可能性は高いと思うけど、
すくなくとも自分にはあの文章で書かれている内容ではそこまでチンドン屋さんが「悪い」とは思えなかった。
よく政治的な敵を「ヒトラー扱い」することは多いわけだけどあれが許され得るのはヒトラーはヒトラーに失礼とか考えなくて良い「絶対悪」だからなわけで。
像や彫刻を飾るのも当然に表現の自由だ。ましてや私有地ならばなおさらだ。
たとえば人口の2%のみを占める『マイノリティA民族記念館』があり、その記念館の入口にA民族を代表する彫刻の『A民族の子孫繁栄を願う彫刻』があることについて、
「露出が多いわけでもないし性器や乳房が強調されているわけでもないが、子孫繁栄という時点で性的な要素を感じて不快になるから撤去せよ」とマジョリティの大半が言い出しても撤去されるべきではないのは明らかだ。
だが一方で、ネオナチの金持ちが町の至るところに土地を買い、その土地に誇示するようにヒトラーの銅像をあちこちに設置して、そのことへの不快感をユダヤ人たちが訴えても、市長や市議会議員もネオナチではないにせようっすらと反ユダヤ的な考えを持っていて「そうは言っても私有地に設置されている私有財産ではどうにも」とのらりくらりと躱し続けたら。それは事実上の「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであり、不当である。条例で撤去させない町は差別主義の町である。
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」というメッセージになる。撤去させない方が不当である。
でも、それだと被害を受ける人がいるから、ヘイトスピーチ解消法とか侮辱罪厳罰化など別の切り口で規制するんだ。表現の自由の範囲を狭めるわけではない。
表現自体を止めさせる権限は恣意的に運用されやすくものすごく危険な権力で、めちゃくちゃ慎重に運用して適用範囲も最小限にすべきなんだ。
たとえば、ヒトラーのナチズム満載の「我が闘争」の出版を禁止すべきか、というと現代では注釈をつけて攻撃的で偏った思想だということを明確にして出版すべきというスタンスの国が多い。加虐性を無害化して記録としては残す。「我が闘争」が悪書だとしても悪書の出版を禁止した前例を作ると、お前のこの本も悪書だから禁止という恣意的な判断を防げない。