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2024-11-04

日本現代小売業界における10大事

2024年現在から過去数十年を振り返った際の重要イベントトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。

1位 大店法の緩和と廃止 1991年

大型店舗新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され

2000年廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本進出したのがトイザらスであるしかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイドである。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外風景は、これによってもたらされた。

2位 主要EC各社によるサービス開始 1996年

楽天市場サービス提供1996年Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマース食品スーパーコンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。

3位 ジャスコ設立 1970年

岡田卓也社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社誕生

大店法緩和以降(第1位参照)の小売業郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。

4位 セブンイレブン豊洲開業 1974年

米サウスランドから前年にライセンスを取得したイトーヨーカドー国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装オープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデル確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。

5位 海外大手小売業進出撤退 2000年

2000年フランス大手スーパーマーケットカルフール日本進出千葉県幕張市に店舗オープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマート日本進出した。しかカルフール2005年イオンに売却され、ウォルマート2018年西友経営から手を引いた。

両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内リアル小売業日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。 

6位 ユニクロの全国進出 1998年

ユニクロフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールユニクロファンには懐かしい店舗スタイル1985年にすでに最初店舗オープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿オープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的ブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品ジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスジーンズとか売っていたのだ。

7位 スマートフォンによるECモバイル化 2010年

スマートフォン発売当初は、国内はいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話主体であったが、2010年iPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、EC担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。

今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。

ネットリアル統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。

また、このモバイル化とほぼ同じタイミング東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないか個人的に思う。

8位 ペガサスクラブ設立 1962年

小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である高度経済成長期以降、アメリカ小売業モデルとした、日本小売業組織化大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。

9位 ダイエー松下戦争 1964年

松下(現在パナソニック)製のテレビを、ダイエーメーカー設定を下回る価格販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。

10位 百貨店各社の統合 2007年

大丸松坂屋統合によるJ.フロント リテイリング阪急百貨店阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越伊勢丹経営統合した。この一連のイベントは、統合のものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。

今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位百貨店であったが、売上高としては1991年12兆円をピークとして現在まで半減している。

ランク

スーパーマーケット紀伊国屋オープン 1953年

日本における初のPOSシステム開発 1971年

マツモトキヨシ 上野アメ横オープン 1987年

マイカル経営破綻 2001年

主婦の店運動 1949年

2024-07-18

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(1) 室町時代

  商品行商人が売り歩く。たまに市がたつ

(2) 江戸時代

  固定店舗商店ができる。商品の代金は掛け売り。年に何回かまとめて払う。信用がないやつにはうらない。

(3) 昭和

  全国津々浦々に商店街に小さい商店ができる。問屋が発達。

(4) 昭和後期から平成

  流通革命。大規模小売業者が勃興し、問屋商社が滅びる。

(5) 令和

  IT革命小売業者が滅びて直接自宅に届くようになる。

2021-02-17

日本人の4%には河童の血が流れてる

ベトナム戦争米国にとって二重に痛手だった。

1つは戦費。そしてもう1つは流通革命

 

第二次世界大戦米軍尋常じゃない数の船を作った。

国を挙げて作って作って作りまくった。本当に膨大な数の船を作って物量で日本を圧倒した。

そして戦争が終わり、あまりに余りまくった船は超格安民間に払い下げられた。

行き場を失った船だが、その船はまた太平洋を行き交うことになる。ベトナム戦争だ。

ベトナム戦争でも米軍は大量の物資必要とした。

今度は民間の船を使って、米軍は大量の物資ベトナムに送った。

大量の船がベトナムに行き、同じだけベトナムから帰ってきた。

行きはたくさん荷物を積んで、帰りは空っぽで帰ってくる。

これでは勿体ない。そこで船は日本に寄った。

物資ベトナムに送り、日本から商品を輸入する。

このサイクルがベトナム戦争の間続いた。つまり20年続いた。

タダ同然の運賃米国に輸入されたメイドインジャパンは、米国産業破壊した。

そして先進国から途上国への産業移転の流れは今も止まらない。

日本の後は韓国中国ベトナム繁栄バトンは誰のもとにも留まらず渡っていく。

2018-11-19

食品ロス」ロボットで挑む=高校生世界大会出場へ

https://www.jiji.com/sp/article?k=2018111500727

店員さんのかわりにロボットアームね。

私なら、単純に消費期限で分類して価格を安くするなあ。

今も値引きシール貼り換えして店員さん大忙しだけど(鮮度CHKや陳列整頓がてら…)、製造日〇〇日(あるいはロットとかシールマークとか)は幾ら、と価格表を掲示することで、奥から取ったりされて徒労に終わったりしないし、なにしろ我々お客的に公平でしょう?

生鮮中食なら、価格表を数時間おきに書き換え・張り替えすればよいし。

いちばん大変なのはレジレジ装置)との連動よね(インストアコード価格入力とか無理になるからレジこそクラサバ型とかデータプログラマブルものかに改良すべし)

アイデア次第で新潮流になるでしょう。ちょっとした流通革命といって過言ではないでしょうよ。

2018-01-23

日本人はほんとうにカッコよくなった

大学教員をやっていて、毎年ある程度の若者と知り合うのだが、

自分大学生をやっていたころに比べて、おしゃれな若者が本当に増えたと思う。

おそらくここ20年ほどの情報革命流通革命ファッション美容にも効いていて、

おしゃれな服の情報を手軽に入手できるようになり、

ファストファッションの全面化によってどんな服が自分に似合うかの高速学習可能になったのだろう。

おいおい、モデルじゃねえか?みたいな若者は以前は学年に5人いればいいほうだったが、今は各教室に5人はいる。

日本人は生まれながらにしてブサイクだ、日本人自分たちの顔が嫌いだから欧米に憧れるのだ、

という議論があったことを思い出すが、今ならそれを否定することができる。

日本人がカッコ悪く、欧米人がカッコよく見えていたのは単に豊かさと学習量の違いだったのだ。

一重まぶたでのっぺりとした顔なのに、それでもファッショナブルに見える、そんな学生を見ながらそう思った。

2012-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20121020122657

ああ、それも書こうと思ってたのよ。オナニーの件も。そこも(例外)にちゃんと含んでて、それでもなお満たされてないんだという。

でもなんでこれを、含まれてて当然のものを説明しなきゃならないんだという気持ちでいっぱいだ。

単純に言って、過去時代のある段階で性的に満たされてしまっていたのであれば、それ以上性産業を発展させる必要はないってこと。

オナニー材料想像浮世絵とか(これも普及率低いか考慮に入れる必要はないが)→写真によるエロ(これも普及率低いから)→大量生産流通革命による安価(ここから普及開始)→エロ動画初期→エロ動画高画質化

というよう流れは、想像オナニー人間がまったくそれ以上を必要としないなら、必要のない流れであったはずなんだよね。

例えば昔、「ブルーフィルム」というのがあって、それの存在を知ったサラリーマンがひたすら悶々とするという話が藤子不二雄Aのむかーしのマンガにあってだな、実はそれはある世代以上の人にはそれなりの共感性があるんだが、この感覚を後の世代に伝えるのはおそらく難しい。むしろ逆にその「ブルーフィルム」あったという事実が、「みんなブルーフィルム日常的に愛用していた」というような誤解に持っていかれる可能性すらある。昔のことを伝えるのは難しいな。

 
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