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はてなキーワード: 天下一武道会とは

2017-11-05

舞踏会天下一武道会

男子小学生の時、アンパンマンを見ていたら「舞踏会」という言葉が出てきた。

それを聞いて私は「武道会?なんでアンパンマン天下一武道会の話が出てくるんだ?」と思いました。

男子小学生らしい勘違いですかね。

2017-09-11

週刊少年ジャンプ連載漫画トーナメント展開まとめ

アニメ化作品のみ。スポーツ漫画は除外(キン肉マンスポーツ?)。

元祖としてリングにかけろ(1977)は入れてもいいかもしれない。

キン肉マン(1979)…超人オリンピック宇宙超人タッグトーナメント・キン肉星王位争奪戦

Dr.スランプ(1980)…世界一つおいのだーれだ大会

ハイスクール!奇面組(1982)…校内異種格闘技戦

ドラゴンボール1984)…天下一武道会

魁!!男塾(1985)…天挑五輪大武會

聖闘士星矢(1986)…銀河戦

ジャングルの王者ターちゃん(1988)…ユンケル帝国トーナメント中国西派トーナメントなど

まじかる☆タルるートくん(1988)…得意技南野小で一番は誰だ決定戦

幽☆遊☆白書(1990)…暗黒武術会・魔界統一トーナメント

とっても! ラッキーマン(1993)…H-1グランプリ・大宇宙統一トーナメント

セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん(1995)…全日本セクシーコマンドーフェスティバル

遊☆戯☆王(1996)…決闘者の王国バトルシティ

ONE PIECE(1997)…コリーコロシアム

HUNTER×HUNTER(1998)…ハンター試験

シャーマンキング(1998)…シャーマンファイト

NARUTO-ナルト-(1999)…中忍試験本戦

トリコ(2008)…クッキングフェスティバル

食戟のソーマ(2012)…秋の選抜

僕のヒーローアカデミア(2014)…雄英体育祭

ブラッククローバー(2015)…魔晶石破壊バトルトーナメント

2017-05-29

政治に夢を持つのはやめろ 政治を見るな 投票に行くな

未だに理解できてない人もいるのが驚きだけど

日本の政治自民党という与党と最大野党であった公明党が連立した時点で

政権交代可能性も立ち消えたし与党是正できる実務能力のある野党も立ち消えたか政党応援するだけ無駄

ベジータカカロットポタラでくっついてる状態ヤムチャクリリンで勝てるわけがない

仮に元気玉を送って奇跡的にヤムチャ勝利したとしてもヤムチャじゃセル魔人ブウ時間稼ぎすらできないことが露呈したか

この先100年はベジット政治約束されてる

政治的思想対立しないといけない同士が連立して平気な国民性が異常なんだけど

実は裏の政治的思想対立してなくて「老人の票を獲得する」という宗教意気投合してるから成り立ってる

完全に自分らのオマンマのための勝ち戦を開始したのが日本の政治

これに対して野党は下手に政権取ったら実務能力ないせいで失策して経歴に傷がつくのを民主党勉強たか

まともな反論や対案をせずに形だけ有権者アピールする方向に切り替わった

言ったら責任取らされるから核心を付いた言及はしない

から馬鹿に見えるけどあれはわざとやってるだけ

わざとIQを下げてキン肉マンを読んでるのと同じで、建設的な議論にもっていかないようにしてるだけ

政治をしてるようで何年も前から誰も政治をしてない

国会中継はどうやったら投票数稼げるか安寧とオマンマ食えるかのゲームを見ているだけ

 

その土壌を根底から覆してしまう唯一が投票率の低下なので

己のオマンマのためにベジットが勝つのが決まってる天下一武道会に見に来いという

2017-04-19

単行本の巻数をドラゴンボールに換算してしまう癖

単行本3巻…悟空クリリン天下一武道会に初出場した頃やな

単行本8巻…レッドリボン軍が全滅した頃やな

単行本14巻…ピッコロ大魔王が倒されて悟空青年になった頃やな

単行本17巻…ラディッツと戦った頃やな

単行本21巻…地球に来たベジータを追い払った頃やな

単行本27巻…悟空スーパーサイヤ人になった頃やな

単行本30巻…神様ピッコロが融合した頃やな

単行本35巻…セルが倒された頃やな

単行本39巻…ベジータがブゥを道連れに自爆した頃やな

単行本42巻…最終刊やな

2016-11-14

ドラゴンボール歴代悪党が負けたのは他人に甘いか

タオパイパイオーバーキルしとけば勝てた。

ベジータ悟空が来る前にナッパと一緒にザコを始末しとけば元気玉を食らうこともなく勝てた。

フリーザ:ザコを始末せずにさっさと星をぶっ壊しとけば勝てた。

セル天下一武道会を開催せずにとどめを刺しとけば勝てた。

魔人ブウもっと頭が良ければ勝てた。

鳥山明ドラゴンボール超なんていうドラゴンボールブランドを汚すクソアニメを出さなければ視聴者に勝てた。

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928053429

別に読者は努力する主人公が嫌いなわけじゃない。

主人公が下手な負け方する」のが嫌なんだ。

努力する主人公」というのは、必然的に苦戦する事も負ける事もある。

苦戦も負けもしないのなら、何のために努力してるか判らんからね。

ジャンル的に、努力する主人公は負けもする物なのだ

しかし、当たり前だが主人公が敗れるというのは割と読者的にはキツい展開だ。

別に自己投影してなかったとしても、

贔屓のチームがライバルチームに惜敗したりボロ負けしたりしたらアンチクショウって感じがするだろう。

主人公が負けてなお、読者にストレスを溜めないというのは非常に高い手腕が要求される。

多くの作品はここでしくじって、読者(の一部)にフルボッコにされる。

スポーツなら相手チームの悪口を言えばいいが、創作物主人公が負けたら戦犯は作者だからだ。

アンチ大量発生させる失敗パターンとしては、ぱっと思いつく代表的ものとして

・「同格または格下(に見える相手)に負ける」

・「性格の悪い嫌味な敵キャラに負ける」

・「長々と戦った末に負ける」

・「一度勝った相手に負ける」

・「再戦してまた負ける」

・「滅茶苦茶強くなったはずなのに新キャラに負ける」

・「普通に戦えば勝てる相手なのに、何か無理矢理な展開で負ける」

・「負けたついでに主人公がド凹みする」

・「負けて周囲の評価も下がる」

といった物がある。

この辺やっちゃうと、感想欄とかAmazonの星とか見るも無残だね。

その点、H×Hとか北斗の拳とかは上手いね

基本的に格上にしか負けないし、戦闘が短いから「延々じらされた挙句に負ける」というストレスフルな事にならない。

しかも、負ける前に一矢報いて相手や観客を驚かせるのも忘れない。

スパっと負けて、すぐ立ち直る。

こういう、負ける時の作法をちゃんと守ってれば、努力修行が読者に嫌われる事もない。

ドラゴンボール天下一武道会天津飯に負ける所とか、凄く上手かった。

試合としては負けだけど、実質的には勝ってたと言ってもいいし、相手もそれを認めてる」という状態を上手く作って読者のストレスを逃している。

そして、修行した後は圧倒的に強くなっていて、それまでの強敵簡単に屠りさっている。

※そうなると次に「ストレスなく苦戦する」ためには圧倒的に強い相手自然に登場させる必要がある。

フリーザまではそれが上手く回っていたのだが、

宇宙最強」であるはずのフリーザの後に「実はもっと強いやつが地球にいた」という無理矢理な展開を持ってきてしまったため、割と叩かれる事になったのは避けようがなかったとも言える。

だってフリーザより弱いやつ今更出して苦戦するわけに行かんだろ・・・

まあ要するに、「努力する主人公を書きたいなら、苦戦や負けをよっぽど上手くやれ」って話よ。

2016-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20160505110404

ドラゴンボールというアニメで、天下一武道会という武術大会が開かれています

第22回の大会では、天津飯孫悟空が決勝で戦い、天津飯が勝ちました。

この試合を見て楽しむのがプロレスを見て楽しむ感覚に近いです。

これは原作通りの展開ですから台本通りと考えることもできますし、

天津飯孫悟空は本気で闘ったとも言えます

実際のプロレスでは興業サイドが勝ち負けを事前に決めていますが、それは企業秘密です。

2013-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20130822093717

マジレスすると、数学上、その様な記述が可能だというだけ、と言うのが現状。

その体型を拡張してビッグバンにつなげ、現宇宙に無矛盾につなげることが出来る。

その"あわ"みたいな状態をキチンとイメージ出来るやつなんて居ない。

この"あわ"ではないが、ホーキング自身、自身も用いている余剰次元と言った物を信じるが、

具体的にイメージは出来ない、と話している。(それでも"イメージ図"は出している。ただ、それは無理矢理図式したもので、真の余剰次元は表していない)

そもそも人間4次元世界に生きているので余剰次元は"イメージ出来ない存在"なのかもしれない。

同様に、ビッグバン前は、人間存在し得ないので、人間ビッグバン以前を"知る事が"出来ない存在なのかもしれない。

これもまた人間原理の1つ。



まりドラゴンボール世界では悟空存在し、大猿になり、ナメック人が攻めてきて、セル天下一武道会をやっちゃう、なんてことは事実で、認識出来ている人間は居る。

一方、我々の世界ではそれらを漫画の中のものとしてなんとなく見ることはできるが、それらが実際に存在し、破壊が行われる、などということは現実として受け入れられない。

ちょっとずれてる気もするが、"ビッグバン前"とか"宇宙の外"の世界の話ってのは、現在はそのレベルの話であると考えても良いくらいなもの

2012-06-19

はてな非モテは話題のネタだったが、それこそ最も価値あることだった


ずいぶんご無沙汰していますid:Masao_hateです。


自分のことを覚えている方がどれだけ居るのかわかりませんが、

懐かしのはてな非モテ論壇について、id:amamako氏、id:republic1943氏が興味深い議論をしているので、

非モテ論壇」の一人だった人間として、思ったことを横から少々。

http://d.hatena.ne.jp/amamako/20120615/1339729240

まり「人々がその言葉について好き勝手言える」ものなら、彼らはなんでも良かったのだ。

彼らにとって「非モテ」とはただのマクガフィンに過ぎず、

から時が流れ別の言葉流行すればそちらに移っていく。なぜならそれが「人々の求めること」であるから


確かに、はてな非モテ論壇にとって、「非モテ」ははマクガフィン(ってどういう意味なのか、私にはいひとつ解らないのですが、

『話題のネタ』みたいな意味なんだと解釈することにします)であり、キャッチーな「ネタ」であったことは、間違いありません。

しかし、そのネタが「何でもよかった」と言われてしまっていることに対しては、それは違うと反論しておきたいところです。

当時、非モテ論壇でブログを書いていた人間には、「非モテネタ」以外、興味深い話題をほとんどなにも提供できない人間が多く居たように思います自分がその代表ですが・・・)。

コミュニケーション能力に劣り、リアル社会の主流派に馴染めず、自分の居場所を持つことができなかったり、居心地の悪さを感じている。

そんな人間が唯一語ることができるネタが、非モテ自分の実体験をベースにした「自意識ネタ」「自分語り」です。

当時のはてなは、非モテネタが人気を集めるという、リアルとは全く逆のヒエラルキーが発生する、不思議場所でした。

リアルではコミュニティ価値提供できず、はみ出している人間でも、ここでは自分の語りが批判にしろ賛同にしろ、

なんらかの意味を持って受け入れられる空気がある。そういう土壌が当時のはてなにはありました。

「非モ天下一武道会」は、そのネタ非モテだったからこそ、非モテな人々にとっての貴重な「居場所」や「救い」になり得たのです。

他のネタではダメだったのです。

もし、はてな非モテネタが盛り上がっていなければ、「非モテブロガー」として当時活躍していた人々が、

あそこまでPVを集めることもなかったでしょう。

「顔が普通以下では彼女ができない」 自らの書き込みを解説

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110116/trl11011618550107-n3.htm

  • 被告「そうではありません。あくまでネタです」
  • 被告「本当にそんなことを思っているのではなく、私のネタネタをかぶせて返してきている。その程度のものです」
  • 弁護人「書き込みの内容はその後どうなっていきましたか
  • 弁護人自分が見かけのことで悩んでいたのですか?」
  • 被告「そうではないです」

この記事によると、加藤は本当に非モテで悩んでいたのではなく、ネットで受けるネタだったから、

そういうキャラを作り上げて書き込みを行っていたということのようです。

僕は、加藤が「非モテネタ」を呟いていた場所が、ネットの辺境の匿名掲示板だったことが、残念でなりません。

もしも、当時加藤はてなに辿りつき、非モテブログを書いていたら?

PVブクマを稼ぎまくる「アルファ非モテブロガー」として、はてな承認欲求を満たし、友人を作り、

あのような悲惨な事件を起こすまで追い詰められることもなかったかも知れません。

当時のはてなにおいて、「非モテ」は確かに話題のネタでした。

しかし、はてな非モテを話題にして盛り上がれる場所であったこそこそが、当時あそこに集っていた人間にとっては最も重要で、価値のあることだったのです。

そして、そのことで救われた人間は、確かに居たのではないかと僕は思っています

2011-05-19

失敗と向き合ってるのは自分だけ

http://anond.hatelabo.jp/20110519020819

忘れたい具体的な明確な失敗みたいなのって、俺はそんなにないんだけど。

たまに、過去のちょっとした失敗を1人思い出して、「あーっ」て叫びたくなってる。

恥ずかしすぎて半笑いになってる。

会社でも、山手線の中でも、おかまいなしに急に来るから困っちゃう。

あれ何なんだろうな?俺だけ?

きっとじいさんになっても、1人「あーっ」ってなるんだろう。嫌だな。

元増田の忘れたい失敗がどんなレベルかわからない。すげえ重いレベルだったらごめん。

俺は「脳」の奴が原因だと思う。

こんな事言うと、茂木とか言う人の本とかテレビかに影響されてそうだけど、一切見てない。

これまでの人生を考えると、感覚的に脳から「失敗」についての情報を忘れないように、連絡がくるイメージを持ってる。

携帯アラームみたいな機能が、脳には組み込まれてんじゃないかな。

それが、スヌーズ機能のように一定期間で、警鐘をならし続ける。

あんな嫌な思い、お前またしたくないよな?」と脳から言われてる気がする。

PKした選手だってすげえ悔しくて、次のPK外さないように練習するんだ。シンプルに考えると。

こうやって、人は成長していくんじゃないかな?

何度も脳が警鐘を鳴らしても、それを上回る欲望があったら、クスリとか常習犯なっちゃうんだろうけど。

後は、「他人の脳」に元増田の失敗が残っているかどうか。これも重要だな。

失敗を思い出したとき、一見、すげえ色んな人からクスクス見られてるような辱めにあってる、嫌な気分なんだけど。

結局「脳vs俺」みたいな「俺天下一武道会」だと思うんだ。

俺の失敗って、他人にとっては大きな存在じゃないんじゃないかな。

だって他人はその人の脳からまた、辱めを受けてるんだから

で、時間が経ってたら尚更、他人の脳の中では元増田の失敗は

「他人が元増田と同じ失敗をしないための情報」として処理されているんだと思う。

そこに付随していた辱めてやろうっていう他人の感情は時と共に無くなって、ただの情報に変わって行く。

から元増田が思ってるほど他人にとってはたいした事ないものなんだ。

俺くらいおっさんになってくると、むしろ寂しいけどね。他人の中でただの情報なっちゃうなんて。

「俺天下一武道会」の対戦相手は脳が作った過去の失敗達。

ニヤニヤ見ている観客なんてひとりもいない。

作者は俺なんだから、相手の弱点だって全部しってる。

めんどくさくなったら、富樫先生みたいに休載しちゃえば良いんじゃない。

2009-12-13

やったー!

天下一武道会の受付は当日の朝でオッケーだってー!

出れるやったー!

2009-09-16

補足と追記です。

http://anond.hatelabo.jp/20090916220018

たくさんのコメントトラバありがとうございます。それを読んで考えたことをいくつか。

まず、この表現に関しては語弊がありました。ごめんなさい。

そして「修行しない戦士」たち。「セルゲームなんて怖くていけない」、「天下一武道会なんてめんどくさい」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、修行をしないと外も歩けない(神経症的な意味で)人がいるのだから。修行をしなくても、強くならなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。

これだけだと、完全にこっちが勝手に傷ついてるだけですよね……ごめんなさい。飾らないZ戦士の中にもいろいろな思いがあるのだとわかっています。個人的な体験として、もうすこし直接的な言葉でそういう戦士から傷つけられた(「亀仙人って変身にだまされるんだね」とか「ヤジロベーはそんなに頑張れないわー」とか)ことがあったので書いてしまった、というのもあるなと反省してます。これは私怨でしかなかったですね。

いいわけになってしまいそうですが、わたしは「地球人(笑)の気持ちもわかってくれ」と単に言いたかっただけじゃありません(もちろん、そういう自己弁護的なところも多分にあるのですが)。

コメントのなかに「気にするな」とか「戦闘力競争から降りればいい」みたいな言葉があったのですが、戦闘力を上げる方向にしろ、そこから降りるにしろ、自分の中の戦士性を自覚して、それに無理に適応しようとしたり、抗おうとしたりする時点で、本当はどちらも間違いだし、負けなんです。自分自分のままでいい。戦士としてどうだ、なんてことは、できれば自分価値観の中から消えたほうがいい。戦士であることと自分らしさが一致する人はいいけど、それが一致しない時点で、どんな形であれ戦士は業を背負うんです。フュージョンとか、ポタラみたいな新しいカテゴリは、その二項対立から逃れようとする戦士の願望のあらわれじゃないかなって思ってます。つまり、元エントリにあったナメック星人も、わたしも、メンタル的にはまったく同じです(そういうコメントをつけてくださったかたもいて、ありがたい限りです)。

おそらくサイヤ人だと思うんですが、わたしのエントリを読んで「自分も同じだ」と感じてくださった方もいたみたいで、書いてよかったな、と思いました。

自分がZ戦士であることを自覚して、その戦士性と自分自身の折り合いをうまくつけられない人は、ギニュー特戦隊(笑)だろうと、Z戦士だろうと、鶴仙流だろうと、オトコスキー(天下一武道会で戦ってる友だちのなかには、女性性を過度に忌避したり、意識しすぎた反動でそういう道を選んだ子もいます)だろうと、全員同じ問題を抱えてます。元エントリを読んで、その問題を「Z戦士」や「亀仙流」だけのものとして認識してる人が多いのかな?と思ったので、先のようなエントリになりました。

わたしはいま、そこを見詰めるのにスカウターはどれくらい役に立ってくれるんだろう、と疑問に思いながらも、勉強中です。サイヤ人はもちろん、地球人の方もいろいろな可能性を一緒に考えませんか?って感じです。

最後に、すごく心に響いて、うれしかったコメントをふたつ。

y_arim オレに殺されるべきなんだ━━━━━━━━!!!!

florentine「サタンの実力について、当時一世を風靡したボブ・サップよりちょっと弱い程度」『ドラゴンボール フォーエバー 人造人間編~魔人ブウ編』より

こういう話が、もっといろんなところで議論されていけばいいなと思っています。

http://anond.hatelabo.jp/20090915082832

自分ブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも自分内面に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦闘力必要ないじゃん」とか「戦闘力は強敵モテるためのものorZ戦士同志のランク付け」という論調が多くて「戦闘力の高い戦士」、いわゆるサイヤ人(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。

わたしは武空術もするし、カメハメ波もするし、スカウター天下一武道会や「強い奴」のチェックもそれなりにします。妻もいるし、サイヤ人ではないけれど、おそらく外見上はそれほどヘタレに見えないでしょう。

だけど、内面は立派に戦闘力の低い戦士で、十分ヘタレです。

どうして強くなることを決めたかというと、自分の弱さにものすごいコンプレックスがあったから。とくに、中学生のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの戦士たちは大きくて逞しくてで髪の毛があるのに、わたしは背の低い童顔だったから、よく子供に間違えられた。「弱い」ということは、あたりまえだけど「勉強ができない」とか「運動ができない」と同レベルの単純なルサンチマンを生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは弱い自分が嫌いでしかたなかった。大人ならドラゴンボールも集められるし、「強くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、中学校という狭い世界のなかでは、弱い自分をどうしたって認めてあげることができなかった。

だから、「強く」なろうとした。単純な理屈です。

武空術と気円斬とカメハメ波で、それなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「強い」と言われたこともあったし、強敵に認められたりもした。

だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「強い」サイヤ人には勝てるはずもないんです。だって、彼らたちはもう内面が強い。強いという事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦闘力は仲間に認められるため? 強敵に認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、手足のように力を扱える、そこに不自然を感じない戦士はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「強く」なれなかった。

そして、「強い」と言われるようになった代わりに、仲間から逆の意味呪詛を吐かれることもありました。

修行して強くなった」とか「精神と時の部屋に入った」「ハゲ」ということが全部戦士受けを狙ってる、とか、軽薄だと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦士が少なからずいました(それなりに高レベルの戦士だったからかも)。どうせと悟空と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにサイヤ人(笑)なんでしょ、とか、Z戦士なんでしょ、みたいな。 

もちろん、ある程度仲良くなって内面を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。詩集が好き(中原中也とか)って言っても、え、銀色夏生?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプが仲間と認めるのは「普通地球人」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。

じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦闘力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 戦闘力だけでサイヤ人(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。

わたしは、戦闘力が低い=弱いことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、修行しない人はそれだけ素の自分に自信がある、強い人にみえてしまう(こういう戦士の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください)。わたしは弱いから修行してるだけなのに、外見だけで「戦闘力の高い、強い戦士」だと思われる。どういうことなんだろう、って。

今はもう、そんなふうに外見だけで人を判断する敵は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。

でも、やっぱり強敵には言いたい。

「戦闘力だけで人を判断しないでください」

あなたたちが「スーパーサイヤ人に限る」とかいう言葉で、暗に戦闘力で人を判断する戦士を批判するように、わたしもそういう強敵を批判します。そして、外見で戦士を判断しているのはいわゆるフリーザさんだとか、戦闘好きだけじゃない。非モテ草食系男子を自認・自称する人も、逆の意味でたくさん戦士を傷つけているんだということを、わかってほしい。「修行を積まないことを推奨する」ことを、「修行した戦士を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。戦闘力が多少高くてもでも、内面はあなたたちと同じように繊細で内向的な戦士って、思ってるよりたくさんいると思うんだ。

そして「修行しない戦士」たち。「セルゲームなんて怖くていけない」、「天下一武道会なんてめんどくさい」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、修行をしないと外も歩けない(神経症的な意味で)人がいるのだから。修行をしなくても、強くならなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。

自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういう女もいる、しかもそう少ない人数ではないということを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。

2008-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20080616093936

銀魂ギャグ漫画なんだから、北斗の拳と展開の速さで比べるのはどうかと思うんだが。銀魂は基本的に5話くらいで一つの話になってるけど、全体として話が先に進むとかそういうのじゃないし。比べるならNARUTO(最新42巻)・テニスの王子様(全42巻)とドラゴンボール(全42巻)とかもっと比べやすいのあるだろ。

NARUTOはいつまでもサスケサスケ言ってるから話が進んでないように思えるが、暁のメンバー何人かとか大蛇丸とかが死んでる。回想が多いから最近はそんなに話進んでないかも。

テニスの王子様は練習シーンや回想シーンがほとんどないので、試合数だけで言ったらかなりある。1校につき5試合あるからな。

ドラゴンボールは序盤と天下一武道会は次々と新キャラが出てくるけど、ピッコロ編あたりから一人の強大な敵を倒すための修行シーンが長くなってるし、戦った敵の数はそれほど多くない。

まあ、ドラゴンボールも無理に長期化させられた作品の一つだから、比べてもしょうがないのかもしれないけど。

2007-02-21

あなたは、この物語がどんなふうに進んでほしいと思いますか。

http://anond.hatelabo.jp/20070221163754

  1. 主人公と、男子に間違えられやすい女の子との間に起きるドタバタを描くラブコメディ
  2. 主人公を好きな女友達が登場し、3人で日本の全コンビニを束ねるまでを描く成り上がりマンガ
  3. 女の子男子と間違えて恋をした別の女の子が登場し、3人で天下一武道会を目指すスポ根マンガ
  4. 主人公の家とコンビニを中心にして突然始まる、神と悪魔最終戦争に巻き込まれていく悲劇もの
  5. 主人公女の子が、「イソシメ」「キチガイ」など難しい言葉意味を探っていく感動マンガ
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