はてなキーワード: デジタルネイティブとは
インターネットは便利だ。行きたい場所への道を教えてくれるし、近くにどんなお店があるかもわかる。支払いだってスマホ1つでできるし、遠く離れた友達の近況だって見られる。わからないことを検索バーに打ち込めば、答えのある大体のことがわかる。
インターネットは本当に便利だと思うし、この恩恵を捨てようなんてさらさら思わない。
ただ最近、この大体「なんでも調べられること」に疲れてきた気がする。
私は中学生から携帯電話をもちはじめ、高校生の頃にはスマホももっていた。家にパソコンもあり、デジタルネイティブとは言わなくても、そこそこデジタルに染まってきた年代だと思う。
学校の調べ学習でもインターネットを使うのは当たり前だったし、大学も会社も、インターネットがあることが前提で回っている。なんなら受ける大学はインターネットで調べて決めたし(遠方だったからオープンキャンパスには行かず、学部と偏差値で決めた)、就職活動でも転職活動でもアプリを介してやりとりしていた。
こんなに恩恵を受けておきながら、何が不満なのか、何に疲れたのかといえば、「調べたらわかるかもしれない」という呪縛に、である。
例えば転職先。どこの会社にいったら本当に幸せになれるのかなんて誰にもわからない(そもそも幸せとは何か?の定義が曖昧である)。ただ、インターネットには「それらしい答え」がたくさんある。この業界がいい、この会社がいい、みんなは知らないけどこんな隠れ優良企業が!……調べたら調べるほど、書いた人が良いと信じている答えが出てくる。それが自分にとっての答えかなんてわからないのに、つい読んでしまう。そうして決断した後、会社に不満があったとき、他の人が書いた記事や意見を見て「もっと〇〇を重視すればよりよい会社が見つけられたかもしれない……」と思ってしまう。
恋愛や、人間関係も同様だ。どんな人と結婚したらいいか、みんなに好かれるにはどうしたらいいか……インターネットどころか、世界中の誰も正解なんてわからないのに、ついインターネットに答えを求め、うまく行かなかったときに「もっと調べればよかった」となる。調べてもわからないとわかっていても、心のどこかで「調べないと後悔しそう」と思ってしまうのである。そうして納得して決めたはずなのに、失敗すると調べが足りなかったと、無限にある情報から必要なものを見つけられなかった無能さに後悔してしまう。
明確な答えがあるものは、いくらでも調べたら良い。首相の名前とか、公園への行き方とか。
ただ、本来答えがないことも調べられてしまう現状に疲れてしまった。調べなければ良いだけだが、それだと怠惰だと言われてしまいそうで怖い。
社会がデジタルネイティブになり、非対面のコミュニケーションが増加したことで
「若い女」というステータスの価値が、人類史上最高に高まっている
街を歩けば若い女は掃いて捨てるほどいるが
そのほとんどはブス、チビ、デブなどで男が振り向くような女は1割もいない
ところがネットではそれを確認する術がないから、ただ「若い女」という情報が独り歩きする
SNSのプロフィールに「20代OL」「女子大生」などと書くだけで
ネット上のコミュニケーションにおいては竹馬のような高さの下駄を履くことが出来る
そういう女がコミュニティでのさばっているところを見るのが本当に腹立たしい
何より許しがたいのは、女もそれを書くことが得になるとわかっていて書いていることだ
男がそんなことを書いてもなんにもならないから誰も書かないのにも関わらず
最近AIだとか、ビッグデータだとか、そういう統計の延長線上にあるものがすごい盛り上がってて、IT革命だとかなんだとか言っていた辺りから理系の天下になった。
ただ、これは理系が優れている、文系が劣っている、というのではなく、そもそも数学の上に成り立っているコンピュータと理系という進路の相性がいいだけだ。
もうちょっと言うなれば、数学の式にできないことはコンピュータにはできない。
最近よくあるマッチングアプリは、要は数学の計算をしたときにこの二人の相性が最高得点を出しました、というだけであり、そのための計算式は業者の都合によって決められている。
当然いろんな研究者の助力のもと出来上がった式を使っていて、一見すると真実味もあるし、実際あたっていることが多いのかもしれないんだが、結局「あなた方二人がくっつくのがこの計算式に一番マッチしていますよ」ということでしか無い。
よくよく考えると、これって結構怖い話で、ディストピア系の物語にある巨大コンピュータに抽出された二人が結婚するというあれを地で行っている。
ただ、IT革命、2000年位かな、これから20年が経過し、デジタルネイティブが結婚とかをリアルに考えるようになったこの時期にこういうサービスが出るようになったのは興味深い。いや、昔からあったんだろうけど、こういった計算式で相性出されて、という感じの人間関係の作り方、っていう意味ね。
昔は親の言うこと、神様の言うこと、偉い人の言うこと、を聞いて結婚していたのが、昭和くらいになると自由恋愛で結婚スべきっていう時期があっだけど、こんな時でもこういう男はモテる、とかそういったものの言うことを聞いていた。今は神様、親、偉い人、ノウハウ本の代わりに業者が提供するアルゴリズムに従っている。当然目指すゴールも結婚、恋愛、その場限りのお茶飲み友達まで様々だろう。
当然どれにも得手不得手はあるだろう。もしかしたら短期的な成功率は親の言うことを聞くと低いが、長期的には幸せかもしれない、コンピュータのアルゴリズムもそうかもしれない。どの方法論がいいかとかではなく、過去の人々が直感とか、勘と経験とか言っていたものが数式に置き換えられる時代になった。
俺は、同じ結果になっても計算式で出されたものよりは勘と経験で出されたもののほうがなんか人情味があっていい、と思うが、デジタルネイティブは勘と経験みたいなあやふやなものよりも、多くのものに適合する数式で導かれた結果のほうがブレが少なくていいと思うのかもしれない。
当初は何がITだ、計算式で出された人間関係に血なんか通うかボケとか言いたくて始めたんだが、書いているうちにまぁ大差ないかなとか思うようになっていった。これだから文章を書くのは苦手だ。小論文じゃ0点だ。
僕は実は最近まで知らなかった。ゲームオタクの知り合いの話に出てきて知ったんだが……日本の闇を覗き込んだような心地になったよ。
日本でこの10年位……大問題になっている事件。ネットユーザーの問題行為をネタに複数の人物の誹謗中傷行為や個人情報の収集を繰り返し、住宅などに不正侵入するなどして撮影した画像・動画をネタにして、インスタントメッセージや匿名掲示板のチャットを使って公開する。最初に被害者となった男性が助けを求めた弁護士が所属する法律事務所の名前から「恒心教」と呼ばれているらしい。
世間では報道により単発程度の事件と思われているようだが、実際には既に100人単位の被害者が発生しているような状況だそうで、その中でも、2020年の高知大学・高知県立大学の爆破予告事件では一時期ニュースでも取り上げられる騒動となった。
とにかく、被害者の人数があまりに多過ぎること(すでに100人以上の被害者が発生しているとか)、被害者の多くがデジタルネイティブ世代位からの年齢層であること、加害者側も若い人物が多いこと、そして何より、この組織構造が未だ解明されていないこと……いやー、闇が深過ぎ。こんなことがあった、というか、あるんだなあ。
私は20代後半女性。恩師であるE先生は今は50代になるだろうか、親より少し下の世代の女性。私立女子校の保健室の先生で、私の進路決定に大きく影響を与えた存在である。
私がその学校で生徒だったのは10年ほど前のこと。中学受験で入った学校に1時間かけて通学したものの他の生徒と馬が合わず、クラスや部活で馴染めないどころか「場面寡黙」のような状態になってしまった。気は強かったので、そんなことで不登校になってたまるか、と踏ん張っていたが遂に中学2年の初夏に心が折れてしまい、保健室に入り浸るようになった。
そのとき様々な声かけをし心理的ケアをしてくれたのがE先生で、私は彼女に憧れて看護学部を受験し、現在は看護師をしている。
看護師を数年したら養護教員(保健室の先生)になるだろうと高校時代は思っていたものだが、大学時代に就活をするときには一度そのことは消し去ってみた。だけど一度夢にまでみたこと、資格は“一応“持っているので、叶えてみるのが過去の自分のためだと思い転職活動を開始したのがここ1年のことである。そして新型コロナウイルスの流行があり、学校保健においては大変なことであろうと思い、E先生のことが思い浮かび、お元気だろうか、と様子伺いを兼ねて近況報告を送ることにした。
E先生はクールな方だけど、内面はとても豊かな人だったと思う。
ただ、さっぱりしすぎていてなのか、仕事上(教科・学級担任と異なり全校生徒を相手にする)致し方ないのか、年賀状を送りたいだとかEメールアドレスを教えてほしいだとかお願いしても、全く個人的な連絡先を教えてくださらなかった。
「学校に送ればいいわよ」とか「学校に来れば私はいつでもいるわよ」とか仰っていた。他の教師たちはというと、携帯やSNS禁止の古風な学校のくせに、数年前に訪問してみるとLINE交換を迫ってきた、なんてこともあった。
そういうわけで、E先生宛に手紙を書いた。もちろん個人的な連絡先を知らないので、宛先の住所は学校にした。私学だから転勤もないし、ほかの先生から消息は伺っている。
同じ県内に住んでいるので、1日もあれば届くだろう。
お返事は週明けには来るだろうか?
そんなことを考えた。
が、1週間経っても、2週間経っても、シルバーウィークを挟んでも、返事は来ない。
前述の通り、クールなお方だから、と思って、松任谷由実の「返事はいらない」さながら、返事は期待せずに手紙を書いたし、ポストに投函した。
だけども、どうしても、返事がこないとソワソワしてしまう。
私は平成1桁生まれ、とはいえ、ジャストなデジタルネイティブ世代で、物心がついたときにはダイヤル回線でポストペットがメールを運んでくれるような環境だった。
大学に入って最初の数ヶ月こそ「メーリス」を多用したが、だんだんLINEが普及しはじめ、LINEが主流の通信手段である。
仕事を始めれば職場ではメールを使うが、いま私の周囲で即時性のないやりとりはその程度。
別件で、他の恩師からコロナ禍で病院で働く私の身を案じるお手紙をいただいた時には、速攻でお返事を書いて出したくらいの即レス魔なのである。
E先生から返事が来ず悶々とし、私はインターネットの大海から「手紙」の返事を「待つ」という行為についての記事を探しまくった。スマホに穴が開くほど、といいたいところだが実際には私はかなりの睡眠時間を犠牲にした。
LINE、Twitter、4G通信、メールですら「センターに問い合わせ」をしなくても届く時代。
即時的な現代でわざわざ手紙を送るという行為は、待つ時間をも味わい、愉しむ必要があるようだ。
そして、手紙というものは、一方通行であることをある程度覚悟する必要があるらしい。
こういう話は、文化人類学にでもなるのだろうか?
毎日ポストを、封筒が入っているのを十分想像しながら開ける。そんなことをして早1ヶ月。
そういえば、E先生はお勧めの本でミヒャエルエンデの「モモ」を紹介していたっけ。時間の大切さを題材にした物語だったと思う。
E先生が返事を送ってこないのは、メッセージがあってかどうかは知らない。が、もう少し待ちながら、自分のことをまた一生懸命やってみようではないか。
比較的上の世代の経営者層の方と話をしていると、よくタイトルのような話題が出る。「来てくれない」ということについては、自分はたまたま周囲に若者が多い環境なのであまり実感は無いのだが、まあ実際若者人口が絶対的に減少しているというのもあるし、「やる気がない」とか「考えていることがわからない」ということについては、多分いつの時代も言われていたことだろうなーというくらいに思っていた。
ただ、最近もうひとつの可能性を深く考えている。それは、時代の急激な変化にあわせて、近現代においては稀なレベルで世代間の価値観に大きな分断が生まれているのでは無いか、ということ。
例えば2008年のリーマンショック。そして2011年の東日本大震災。それらでこれまで積み上げていたものがあっさりと崩れ落ちる体験。そして、少子高齢化がもはや打つ手なくなって日本は衰退の一途をたどるしかないということが共通認識になってきたのも、震災前後と記憶している。
多感な時期にこれらを経験した層が、今「若者」と呼ばれている。その結果、例えば、以下のようなことをぼんやりと考えている人が多いのではないか(仮説1)。
●がむしゃらに働いてもどうせ報われない
●今が一番幸せ。将来は、暗い
逆に言えば、以下のようなことも考えているとも言える(仮説2)。
●経済優先にこだわりすぎず、もっと多様な価値観を大切にしたい。
●大企業も倒産する世の中で、本当に安心できる生き方を探したい。
●暗い未来を、なんとか変えたい。
この感覚は、旧来の価値観を捨てられないと、なかなかに理解しにくいのでは無いか。
そこで最初の話に戻ると、「いくらがんばっても若者が来てくれない」「今の若者はやる気が無い」「今の若者は何を考えているのかわからない」という悩みは、上記を理解し彼らの考えに深く寄り添うことで多くの場合解決できる。つまり、「やる気が無い」のではなく、「努力の方向性がこれまでの世代と全く違う」(仮説3)ことを受け入れる必要がある。具体的には、以下。
●お金や昇進だけでなく、別の希望も併せて叶えてあげたらいい。
●多様な価値観を認めて、受け入れたらいい。
そんなこと簡単にできっこない・・・と思うかもしれない。しかし、いずれはそういうことをナチュラルに求める今の若者層以降が多数派となって社会を創っていくようになる。厳しい言い方をすれば、そのときに世界から拒絶されるのは今の大人たちの方ということになる。(仮説4)
●処理すべき情報量の圧倒的増加
今の時代は変化が凄まじく早く、行き交う情報量が、20年前とは比べ物にならない。ビジネスの最前線で圧倒的な情報量を処理し続けるには、自ずとデジタルネイティブのほうが有利だと言える。スマホ中毒なんて否定的な言葉もあるが、これからの時代は水を飲んでご飯を食べると同レベルに情報を処理することはプライオリティが高い。
旧来の価値観に基づくニーズはあらゆる分野がすでにレッドオーシャンになっている。一方、上記のような新しい価値観に基づく分野は、ブルーオーシャンである可能性が高い。それらのニーズを実感として理解できている若者層のアンテナ感覚は、より価値がある。
世界に目を向ければ、コロナを前提とした経済の再構築やらDXやら米中の覇権争いや北極海シーレーンやら、混沌が加速することは明らか。
自分はまだ40代になったばかりの新米経営者だけど、もう引退準備を少しずつ進めようと思っている。その代わり、若手の育成に注力する。ノウハウを若手にどんどん移転することで、それらが加速し、より大きな価値が生み出せるのではないか、と思うから。(仮説5)
職業的なペルソナは生身が見えている上で演じるものだから、見る側も演ずる側もその人の容姿の印象に引きずられる。
一方、VRアバターも、ネトゲアバターも、SNSやネット掲示板上も、まったく別の姿かアイコンかあるいはそれすら存在しない状態から個性を一から構築できる。
普通の人はそれほど「自分」からかけ離れた表現をしようとしないから気づかないだけで、この2次元的な性質はものすごく強力で可能性があるもの。
これを従来の「自分」的なものを持たない、そもそも常時オンラインゆえに「自分」が希薄なデジタルネイティブ世代が操るようになると、良くも悪くもめちゃくちゃ面白い世の中になりそうだなって話だよ。
アバターを操ることを半ばビジネスにしている人たちを見ていくと、一般人の想像を絶するほどストイックにやっている人が多いことに気づくだろう。誰に言われるでもなく。それは、それが理想だからなんだよ。俺の理想じゃない。誰かの理想でもない。たぶんミームがそうさせている。でもリアルとバーチャルの間に致命的な歪みは生まれない気がしている。吸収して昇華していけるたくましさがあるに違いないと思うんだよ。SFで描かれる世界に首を突っ込みつつあるね。ホロ外装技術が完成したらますます現実はバーチャルに浸食されるだろう。2045年、キズナアイが1億人くらいに増殖してても不思議はない。今ネットで2ch語やなんJ語をみんなが使うようなノリで、キズナアイの姿と声と思考パターンを借り、ワイに扮するようにアイに扮する人が溢れてもおかしくはない。
自分は昔ネトゲをしていた時、リアルでの目立たない眼鏡キャラ的な個性とはかけ離れた、献身的で周りをよく見る世話焼きの人懐こいネカマキャラとしてロールプレイをしていたし、それで良い仲間に恵まれて楽しく過ごした。そうして過ごす時間が長くなるほど、そちらが自分の本来の個性なのではないかと思うようになった。
それと同じことが、いまVtuberやVRの世界でアバターを着て過ごす人たちにも起きているし、なんならtwitterのアカウントごとに異なるペルソナを持って使い分ける――ロールプレイを日常のものとしている人も増えていることだろう。デジタルネイティブ世代は間違いなく、キャラクタライズされた多重のペルソナを使いこなすことが自然になっていく。そしてそれは現実の生臭い感性とはちょっとかけ離れた、見られることを意識してアニメナイズされた個性であることが少なくないはずだ。そう考えている。そこにジェンダーやら蔑視やらといった視点の批判は無用だ。すべて自分で望んで演じているものだから。もしかしたら、増田で蔑視やらなんやらに日頃口角泡を飛ばす言動をしている人たちも、それが素なのではなく、ネットの、増田上におけるペルソナなのではないか。こういうジャンルの人はこういう言動をするべき、というのを無自覚のうちに内面化して、ロールプレイしているだけではないか。俺が考えているのはそういうことなんだ。
なんせオタクはいまだにアニメアイコンなんか使っているからね。
若者は顔出しに抵抗がなく若者向きのSNSでは顔出し運用するスタイルが一般的なんだ。
それに比べてオタクは匿名アニメアイコンで「自衛」しないといけない時点でオタク界隈の民度が知れるね。
オタクが実名顔出しなんかすれば最後、厄介オタクに粘着されるのは目に見えている。
世間の人々は未だにアニメアイコンを捨てられないオタク界隈を冷ややかな目で見ているよ。
最近の若者は生まれた頃からネット社会に親しんだデジタルネイティブなんだ。
彼らはネット社会はリアル社会と地続きという正しい認識を持っている。
オタクのように「ネット社会は無礼講だ」というような歪んだ認識は持っていないんだ。
だから実名顔出しのYoutuberにも抵抗感を持たないし自然と受け入れられた結果大人気なんだ。
オタクが後追いでVTuberなんかを初めてさも「新しいこと」のように吹聴しているけど、おかしなことだよ。
なにをするにもアニメアイコンがないとなにもできないような閉塞感が表出しているだけなんだ。
主にアニオタ内で。
・熱狂者
アニメが大好きで、バイタリティ溢れ、他の趣味も人並みに色々やってきている中でやっぱりアニオタに落ち着いた層
同人誌書いたり、漫画家になったり、ゲーム会社に入ったり、漫画出版系に行ったり
能力は様々だが、能力がある上にイケメンなる人間も多く嫉妬を感じさせられることの多い層
1割以下くらいの印象
・賢しい系
お勉強が人並み程度以上できて
学校と学習塾予備校の往復の中、必然的に手にする娯楽が漫画アニメになっていくタイプ
小賢しくめんどくさい感じにもなるが、持ち味の良さと表裏一体
かつてのボリュームゾーン
4割くらい
オタク被差別階層だった頃は流行り物追ってスノボーしたりバーベキューしたりしてた層
ネットの普及により、アニオタ系のコンテンツが負のレッテルのない状態でデジタルネイティブ層に届くようになり一気に増えた
アニメも趣味の一つと捉え、コミュニケーションツールとして使っており、執着が少ない分、悪くいえば浅はかで面白みがない
4割くらい 若年層多し
・はみだし者
特別な能力を要さず、受動的にテレビの前に座っていれば、無料で一人で楽しめるローコストの趣味として
消去法的にアニメを見ることしか出来ることがなかったタイプのオタク
大半は気の良い無害なキャラだが、一部被害妄想に取り憑かれたようなとんでもない気違いがいる色気付く年齢で高校大学デビューすると
スーパーライト層がオタクを自称してきた頃から(相対的に?)減ってきた
1割くらい