心温まる交流をしたいという名目で、部下数人をコソコソと連れ出しては陰口を連発している。
だいたい、15分くらい、でもひどいときはランチを含めて5時間なんてときもあった。
しかも、それが終わった後、そのメンバーで露骨に陰口の対象を見て笑う(笑わないと敵認定される)から、そのせいで潰れた部下が何人もいる。
毎回おなじメンバーというわけでもなく、そのときどきの、上司の気分で気に入るか気に入らないかで流動的だから、イジメだとは言えないけれど、仲間同士に信頼感はなくって息が詰まる。
こないだ、上司から課のみんなに「数日休みをとって福岡の実家に帰ります」とメールで連絡があった。
みんなすこしホッとした様子で、黙々と仕事に打ち込んでいた。
その日は、普段よりも早く終わった。その上で、質もかなり良かったらしく、上司の上司にめちゃくちゃ褒められた。
こうなると、モチベーションがアップする。
みんな唖然としていた。
「出勤しなきゃいけなくなった」と宣言しながら、いつものように、数人連れ出して、どっか出て行った。
しばらくして、上司が顔をこわばらせて戻ってきた。
連れ出されたメンバーの中に、親しい人がいたから後で聞いたところによると、「わたしの悪口いう人はいなかった?」と気にしているのに対して、ある若手が、おまえ日頃嫌いな人を貶しておいてよくそんなこと言えるな、とボソッと呟いたそうだ。
それを聞いて、涙目になりながら、「これでもみんなが傷つくかもしれないと想像しながら、頑張って気を使って喋ってるのに!」と叫んだらしい。
自己愛性人格障害ってこういう人のことを言うんだろうなぁ。
こわいこわい。
仕事の合間に話題の図書館のツイートを耳に挟んだから久しぶりに思い出したことがあるの。
真っ当な理由があったわけじゃないのよ。人とお話しするよりも、空に浮かぶ雲を動物にたとえて遊んだり、みんなで校庭で鬼ごっこするよりも図書室でサーカス団にはいって冒険するのが好きだっただけなの。それでも、今よりももっと“ふつう“が正しいという風潮だったから、“ふつう“じゃない私は先生にとってもクラスメイトにとっても、目の上のたんこぶだったみたい。5歳の時優しい母親と死別していたからね、忙しい父と二人きりの暮らしだったの。父は確かに私に愛情はあったのよ。私が1人にならないようにってシッターさんや家事手伝いのお姉さんたくさん来てくれたけれど、それも“ふつう“じゃない原因だったみたい。片親だから、ダメねって。隣の席の高橋くんのお母さんが言ってるのを聞いちゃったこともあったの。
今思えば、不登校なんて大したことじゃないわ。そうでしょう?学校で真っ当に学んだって人は失敗するもの。学校がそこまで偉い場所なんて思わない。それでも最初の頃は頑張ったの。それでも疲れちゃって、また悪口言われるのかな、とか。今日は何を隠されるんだろう、とか。朝起きると気持ちが悪くなっちゃって、足が震えちゃって、ベッドからでれなくなっちゃったの。だから、私逃げたわ。
結論から言うとね、逃げて正解だったわ。だって逃げなかったから潰れちゃっていたもの。ぺちゃんこにペラペラに空気が抜けたように潰れちゃっていたもの。学校に行かなくなってもね、勉強はきちんとしたわ。高校は偏差値の高いところへ行ったから、前よりは辛くなくなったの。それでも学校ってもの自体に苦手意識があったからね、休むことなく行ったなんて嘘はつけないけれども。でもテスト期間は行ったし読書好きな友達もできたの。大学はもっと楽しかったわ。だって勉強しかしなくてすむんだもの。みんな他人のことなんて気にしてないわ。あの赤門をくぐる時、初めて心地の良いドキドキを味わえたの。
私は今、読書好きを生かして翻訳家をしてるの。大学でちょっと珍しい言語に出会って、現地に行って、仕事をして、現地の素敵な人と結婚して、子供もいるわ。私は学生の青春を知らないわ。でも、そんなもの知らなくても私は今幸せよ。逃げることは攻撃よ。さぁ、逃げて。今辛いならそんなもの捨ててしまいなさい。
鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、27日に開かれた県の総合教育会議で、女性の高校教育のあり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と述べていたことが分かった。知事は28日の定例記者会見で「口が滑った。女性を蔑視しようということではない」と発言を撤回する考えを示した。
もちろん女性にかぎらず、男性においてもそうだが、すべての知識を覚えることは損ではないが、その知識を覚える時間が結果的に損になることはママある。
日本を見渡せば、そこらへんの小売店の連中なんぞが職場で三角関数なんか使うわけもなく、ましてや大学でも使ってないだろう(大学出てるだけの頭があればの話だが)
他にも、三角関数は第三次産業の連中ほど使われないものといえる。次数がふえるに従って、低能でもできるように設計されているから裾野が広く生産性の低い低能連中で成り立ってる
業界なんぞに理系教育は一切不要。その時間を使って他のことを、低能が少しでもマシに使えるようになる教育をすべきだという提言は、当然されるべきであろう。
第三次産業に従事するのがだいたいは因数分解も解けない低能な中卒高卒と文系なので、そういう連中のためにマシな教育を施してやろうというのは理解できる。
それ頭がいいとか悪いとか言う話じゃないやん。
リンゴを買う。
安くなったからだ。
これまでは安いリンゴで4個600円オーバーという普通ではない値段で手が出なかったのだが
今日スーパーをみかけたところ4個398円だったのでこれならと買ったのだ。
高ければ高いほど美味しいかというと必ずしもそうとも限らない。
酸味と甘みのバランスがなにより重要。そしてリンゴにおける甘さと酸味のバランスは値段だけでは見分けられないところがある。
長い時間をかけて1コ100円前後のリンゴには「当たり」が多いと発見した。
この当たりの感覚は私個人のものなので万人のそれとはちがうとは思う。
そして見かけだけでもわからない。
季節は重要だ。やはりこれから冬にかけてリンゴはどんどん美味しくなっていく。
今日食べたリンゴはその走りでまだまだ伸びしろのある未完成な味がした。ただそれがいい。
季節が変わった。それを教えてくれる味だ。
きんきん死んで悲しみにくれているけろんぱ。多分今日もまだ。きんようび~。
罰則規定がないだけじゃなかったっけ?
妻の家事を手伝った夫の不満としてよく語られる「手伝ったのに文句を言われる」「言われる文句がどうでもいいものだったりする」。それで、本業でも同じこと言えんの?
例えばの話、本業である案件を一人で抱えているとする。忙しすぎる所に「手伝ってあげるよ」と手伝ってくれる同僚がいたとする。ちょっとだけ手伝ってくれる。
その同僚の手伝いが「確かにそこは手伝っているが、その続きを引き取る自分の負担が増えるやり方をしている」として、感謝だけを言うべきだと言えますか?
その同僚が手伝ったやり方が、そこだけ見ると「どっちでもいい」のであれば、引き取った自分が普段と違うやり方でやらないといけなくても、感謝だけを言うべきだと言えますか?
乱暴に言えばそんなもんケースバイケースに決まってるし、仕事を手伝ってもらう側が仕事を切り出す際に配慮が何もいらないって話じゃあない。が、家事を夫が手伝う時の不満の話の時、今書いたような観点を考えてますか?お手伝い気分で仕事手伝われて腹立ったりすることありませんか?
普段プロの仕事について、個人プレーの完成度の高さについてこだわって主張したり他人を批判したりする人が、家事のプロフェッショナリズムを見ないで、お手伝い感覚で家事を手伝う時のことは気にしてないっぽいことって結構あんだけど。
あまり相手と同じレベルで会話をせず、言葉遣いもまともできちんと他とは違った意見を言える
quick_past
tikani_nemuru_M
Gl17
scopedog
TakamoriTarou
kowyoshi(やや相手憎しで論理が飛躍しがちだがフォロワーも多くて使いやすい)
shea(このメンバーだと少し違う感じだが)
タグや発言がその相手と同じくらい痛々しいなどの問題を抱える&それほど中身があること言わないフォロワー的位置
usi4444
k-noto3
haruhiwai18
uchya_x
zmoi
u-chan
Wallerstein
Prodigal_So
inumash
bogus-simotukare
ksaitou
watto
結果、B君とC君はめでたく兄弟となった訳です。
以上を踏まえまして。
「俺はすしが嫌いだ」と言っていました。
そういう人は、玉子とかうなぎならいけるという事はよく聞きます。
生ものが嫌いということではありません。
「すしってのはおっさんが握ってるやろ、
ちんこ握った手で握ったすしなんて食われへんわ。」
なるほど、と。
言うてる事はよくわかります。
でも、僕はすしが好きだからそんなことはお構いなしに
当然はまちもです。
そして、思うのです。
AさんはBというちんこを握りました。
その後、AさんはCというまぐろも握りました。
おっさんの息子(ちんこ)の兄弟を食した僕もおっさんの息子になる訳です。
僕はおっさんをお父さんと呼ぶッッ。
「お父さん、はまち一つ。」
「あいよっ!はまち一丁っ!!」
何か割と普通に返ってきました。
ちんこのくせに。
○○界隈にはこういう変な人いますよ、っていう注意喚起という名の善意を装ってますけど、本人の文面をまるまるさらしちゃうのってどうなの?
本人に見られて逆上されたらますます困ったことになるんじゃないの?という心配も含め、ちょっと軽率な気がします。
そういう釣芸なのかなーっていうのもあるけど。
人間同士のやりとりって基本思うようにいかなくて、傷ついたり腹が立つことたくさんあるよね。
無神経で信じられないと思わされることも、ホントたくさんあるよ、ヤになるよ。
でもそうやって私信を第三者に公開する人は、周囲のひとに「逆鱗に触れたら所構わず私信をまき散らしたりする人」って認識されちゃうよ?
注意喚起なら、ことのあらましをまとめて伝える方法もあるじゃん。
場合によっちゃ、「私信さらすほど腹をたてさせてやったww」って相手を喜ばせてるかもしれないよ。
いるよ、そういう頭のおかしい人。
文面丸さらしだと、書いた本人は間違いなく自分の書いた文だってわかるじゃん。
喜び倍増しじゃん。
数年前に畑中(仮名)さんというとても判断力の優れた人がいた。
「とりあえず後で考えよっか」と先延ばしにするのに、
本当に必要になる前に「そろそろアレを考えないとね」って持ち出してくる。
いつしか、尊敬と、「彼ほどうまくはできないけど」という自虐の意味も含めて、
先延ばしすることを 畑中メソッド と呼ぶようになったが、やがてそれも忘れられていた。
ある日の打ち合わせで、あるメンバー(数日前に偶然畑中さんに会ったらしい)が「じゃあ、畑中メソッドでいきましょう」と口にした。
古株たちは、すぐに理解して「ははは。いいね、畑中メソッド」「久しぶりに使うね」「若い子は分からないじゃない」と返した。
一方でキョトンとする新人たち。リーダーが説明しようとすると、新人の一人が
「たしかに畑中メソッドが使えますね、でもボクは実践したことがないので、誰か先輩に付いて担当したいです」
と、なんか知ったかぶりっぽいことをかましてきた。
(でもこのセリフから分かるように、先輩の意見を立てるし、向上心あるし、いい子なんだよ)
リーダー「えっと・・・畑中メソッドって説明したことあったっけ?」
古株一同(本?)
リーダー「あ、そうなんだ。さすが勉強家だね。でも、ボクたちが言う畑中メソッドとは違うと思うんだ」
新人「実践に合わせてアレンジが必要ですからね。具体的にはどう運用されているんですか?」
で、俺の知っているそのまま(先延ばしすることを我々が勝手にそれっぽい名称を付けただけ)話しちゃったんだけど、
あの場合はどうすれば正解だったのだろうか。
他のアビリティ相談として100メートルを10秒以内で走りたい悩みを君は足が速いんだからで答える人に相談するのは
相談相手を選択した人のほうが失敗してる気がする
そう考えると人間関係に悩んでいると相談して「君は頭がいいんだから」で返されてるということは
人間関係に必要なことは君のアビリティで解決可能だということを言っていて
それはつまり解決できている人は君のアビリティを持っていてかつそれを活用して人間関係を築いているか
それを活用して人間関係「も」築けているかもしくは相談にもならない相手に愚痴を言うことでアビリティ自慢をしに来た君を
相手にしていないかどれかではないか
そこのところその持ち合わせた膨大な知識とそれらを関連付け有意義に活用できる知性をもってしてみればどうみえるのだろうか
「頭のいい人」として何でも解決できるとその解決力を頼らないでくれという状況なのか
両方やってるキミは最低ドクズだね!
過去の日本の戦争を謝れと言うならば、「19xx年~xx年の○○国民に対して謝ります」と明示しよう。
結局、c国とk国は、今の自分の国内問題、国際問題として日本の過去を利用したいだけだから、しっかりと分からせてやればいい。
あと、国際社会も「なんだ、そんな何十年も前のことをc国k国はいつまでネチネチやってんだ」と分かってくれる。
「今」の問題にしたい奴等に騙されるな!
※謝罪なんてプライドや国家の尊厳が許さない!なんて方々も「70年前にウチのジイサンが、70年前のお宅の人にメイワクかけてごめんね」で終わるんだよ。「400年前にウチのチンギス・ハンが日本を襲来してごめんね」みたいなもんだ。
LINEスタンプ、大昔は基本無料なのに有料で買うなんて…と思っていたのに気づいたら有料で買ったものが18個になってた。
そのうち日常的に使っているものが14個。120円とか240円だから軽い気持ちで課金しちゃう。
何事も、一線を越えたら普通にできるようになるよね…