いや、相手先担当者女性が客なわけじゃないだろ。相手先会社が客だろ?
スケジュール遅れて困るのは相手先会社なんだから、担当者に問題があって遅れそうであれば相手先会社に担当者変更を要求する。それが責任ってもんじゃないのか?俺がおかしいのか?
条文が削除されたのはデマではなかろう。意味がない、と言うが、意味がないなら削る意味もないだろう。意味がないということにしたい勢力がいるのではないか? と疑われかねない他の文言改正とあわせて読めばさらに。例えば人権が自由への努力の成果ではなく、「おカミによって与えられ(また奪われる)もの」としているように個人的には感じた(そしてそれは許し難い)。14条は差別の禁止しか言ってないし、11条はわざわざ「将来の国民」から権利を奪うことを明示しているとも読める。
その上、「公益及び公の秩序に反しない限り」だ。
最初のうちは、友達の日常を知ったり久しぶりに連絡がとれたりして楽しかったFacebook。
仕事や趣味やボランティアや子育てに充実している皆の書き込みを見ていると
自分のしょーもない毎日を晒すことがしのびなくなってきてしまった。
「お前も打ち込める何かをもてー」
「そんな一生でいいのかー」
って言われる強迫サイトになってきた。
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
ブコメでも書いたが典型的なプロ市民による低俗な煽りに釣られるはてなユーザーが続出だったので。
97条が削除されたことで「日本国憲法から基本的人権が削除されてる!やばい!」とかどんだけ馬鹿かよ。小学生か。憲法において基本的人権が定められているのは97条ではない。97条は正直憲法の中でも存在意義があまり無い条文の代表例だ。
基本的人権が国民に与えられた普遍の権利である、と定めているのは11条であり、また個々の基本的人権について(平等権・生存権など)は14条とかその他の箇所で詳細に定められている。つまり97条が無くなったからといって「自民党は国民の基本的人権を一切剥奪した」などと解釈するのは畜生にも劣る知性と言わざるを得ない。
つーか草案全部読んでないだろ?あの手の活動家が自分たちの都合のいいように解釈した「解説文」しか読まないからこうやってミスリードする人が続出する。ちゃんと全部読めよ。
俺自身、自民草案については一部不可解なところもあるし賛成できないところもある。ただ基本的人権が削除されたなどという意味不明な誤解が広まるのは本当によくない。酷い話だ。あの手の活動家の主張を鵜呑みにするような奴が前回の総選挙で民主党の嘘マニフェストに釣られて投票したんじゃないのかよ。もっと自分の頭で考えろよ。人の言う事を鵜呑みにするなよ。低俗で下品な活動家のまとめに釣られんなよ。あほか。
ただの思春期なので問題ない。
http://anond.hatelabo.jp/20121125014605
「うつ」の前兆。なんとなく、だるい。やる気が出ない。こんなことしてて何になるんだ。と、衝動的に自殺したりね。衝動なんだから、生き延びれば、それなりに(生きててよかったー)と思うんだろうが。ホントに死んじゃう思春期の子、けっこういるよね。
10代だと、よほど身体に気をつけなくちゃならない事情が無い限り、睡眠不足、休息不足で普段突っ走ってる(本人はまったく自覚がないんで、周りの大人に訊いてみてもいいかも)もんだから、15時間くらい爆睡すれば、欲も回復するかもね。
ネタで答えるなら。
『性欲』も無いってのかーーーー! ダウトーーー!
30 目前のオッサン予備軍 (または既にオッサン) ですが、欲を感じなくなるというか、色々とどうでも良くなる感情を持つことはあります。「なにもやる気がなくなって死んでも良いって思う瞬間」に近い感情なのかも知れません。
人生に悲観している訳ではないと思う (自画自賛に聞こえるかも知れないけれど、それなりに学歴もあるし、一応社会的には成功している方だと思う)。私個人は、守る人間がいないためこういう感情を抱いているのかも知れないと考えている。愛する子供やパートナーがいれば、「簡単に死ぬわけにはいかない」と思えるようになるかも知れないし、人生の意味なんて考えるような時間は無くなるかも知れないと考えたり…。
戦前は政治家の警護とかやってたし、戦後は芸能・スポーツ関係のタニマチや底辺労務者の管理に携わってたよ(因みに山口組は港湾労働者の互助会が発祥)。
特に力道山全盛期のプロレス界(これは正力松太郎と東スポも一枚噛んでるけど)、演歌界は暴力団の絶大な支援を受けてると言っても過言じゃないぐらいだったし(興行の際の人手と騒動抑止の為)。
ただ警察と違うのは「業務の為なら触法行為すら厭わない」点かな。
北朝鮮からヒロポンのジェネリック薬品を「輸入」したり、夜逃げした会社の後片付けや曰くつき物件の占有とか真っ当な企業や組織じゃ出来ない事もやってのけるしね。
ただ、改正暴対法施行以降、「半グレ」って独立愚連隊的な集団が無茶してるみたいだから、そっちへの抑止力が弱まるのが懸念される所だね。
とりあえずどうしてもエヴァをループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、
巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、
ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。
たしかにエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。
新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ。
それは序、破ではみんなわかっていたはずで、
かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。
でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。
繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。
そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。
前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。
エヴァQという作品の肝心な部分は、
碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。
正直行って第壱話からぼくはなんでシンジがエヴァに乗ったのかわからなかった。
そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、
その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。
時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。
そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメのリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。
どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。
もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。
それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、
旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。
それとベクトルは真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。
「綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。
僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。
こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。
でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブな綾波やアスカも快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。
そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。
14年後って設定もヴンダーのデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。
面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。
見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。
見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。
というより、自分が映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、
とてもしっくりいくことに気付いた。
起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。
あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感。
冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。
24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。
そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、
そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。
なにもかもが手に取るようにわかったのだ。
いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。
でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。
そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。
ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』
みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル。
もしくは親からも先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。
エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。
逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジの視点によってあげてほしい。
いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる?
いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。
伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、
そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、
学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ。
しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。
観ることで自分の現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。
そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか。
なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。
僕は、エヴァQは一つアニメの新天地を切り開いたと思っている。
少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。
生活保護の話になると集団生活をさせるべきだという意見が出てくる
それを俺はコストがかかるという理由で反対した
だが、知的障碍者をメインに受け入れている共働学舎という施設では一人当たり6万円程度の負担で済んでいる
もっとも、この手の施設がある場所はド田舎で、人数も非常に少ない
全施設合わせても50人程度しかおらず、仕事は農作業やパン作り・酪農・陶芸などがメインだ
しかも、6万程度の負担で済んでいるのには農作業やパン作り・酪農を通じて得たものを販売し、
賛助会員という形で金を集めているからだ
この形態を全国に広めたとしても、都市部で同じことをやるのは非常に難しいと思う
(それができるなら、作業所の工賃が200円前後という低水準で推移するはずない)
ただ、一人当たり6万円というのは非常に魅力的だ
ちょっとだけ文句を言いたい。けれども、言えない。もにょもにょして終わる。
化粧と整形に関して、化粧には同意出来るけど、整形は……う~ん。自分の贔屓目もある。けれども、バリバリの整形顔と言われると、ん?言うほど顔変わってなくね?っていう気持ちになる。
女の子が自分の顔写真を自分で撮って保存して残したりSNSにアップするのって凄いよな
可愛いと思ってるんでしょ?じゃなきゃできないでしょ?
俺は自分の顔なんて見たくもないし自分が写った写真も見たくないし鏡だって日ごろ視界に入ってほしくない
可愛い娘は自画撮りを発信することでさらに男が寄ってくると。いいなー。
やっぱり外見が第一なんだから整形するってのもあながち悪いとは言えないわな。
あとは、そこに切り込めるだけのコミュ力だね。
俺はその人の後身しか知らないんだけど(なんとなくお気に入りに入れてるんだけど)
「セルクマ以外ほとんどブクマがつかない映画ブログをそれでもずっと更新してるまめな人(映画秘宝クラスタ?)」にしか見えない。
むしろその人以外の、
映画秘宝クラスタ一般って固まっててナイーブでちょっと気持ち悪い。
なんか無頼漢っぽい喋り方やスタイルで揃えてるようなとこあるけど
実はすごいナイーブな人が多くね。
なんだかな。「おきゃくさん」という生き物は基本的に何しようが責任は負わないらしいんだよな。ああ、ものすごく同じ理由で愚痴りたいが、いかんせん文章だとうまく書けない。