「妻の相手をしなかったら、相手にして欲しい時に相手にされなくなった。」の方がよく聞く話だね。
世の中生まれるべき人間ばかりじゃないだろ。
社会不適応な人間が、自分みたいなのを増やしても生まれた子どもも社会も迷惑なだけだからという理由で子どもを作らないのは理に適った淘汰だろ。
別にそれを羨んだりずるいとか言ったりしないし、こちとら社会にまともに適応できないことでカツカツの生活で苦しんでるんだから、その上更に子どもを作ってもっと苦労しないなんてひどいとかこれ以上責めてくれんなよ。
「旦那の相手をしなかったら、相手にして欲しい時に相手にされなくなった。」って至極当然な事だと思うんだが。
これを読んで思ったんだけど、バリキャリ女性の夫って浮気されたらすぱっと離婚するんだろうか?
専業主婦の妻に浮気されたら「ふざけんな穀潰しビッチが!」って感じで即捨てるだろうし、
捨てたら妻を養わなくていいぶん経済的にはかえって有利になるだろうけど、
「低収入夫×高収入妻」の場合、離婚は夫にとって経済的に不利だよね。
メンタル病んでて妻に養われている夫なんていう話もぼちぼち聞くけど、そんな状況で妻が浮気して夫が傷ついたとして、
離婚したら夫の生活って困窮しちゃうよね。慰謝料は男女ともに踏み倒す人が多いと聞くし。
どうするんだろう。養ってもらうために許すんだろうか。
自分は彼女とサプライズで何かを贈り合うときは、互いにさりげなく調べるか聞くかして値段が釣り合ってるかどうか確認するよ。
(同レベルの稼ぎがあるカップルなので、男のほうが多く出さないのは甲斐性無しとかそういう反論はさておいてくれ。)
自分の方が格段に安かったと知ったときは、後日別にちょっとしたものをプレゼントするとか、
普段買わないような高めの酒とつまみを持って行ったりして埋め合わせを図るし
もし彼女の方が格段に安ければ彼女も同様にして埋め合わせてくれる。
お互いに、相手に多く出費させたら悪いなと思っているからね。
金額を重視しすぎれば財布を開けて「この金額から好きに買え」という身も蓋もない展開になるのはもっともな話だが、
じゃあ逆にお前がそのへんの川で拾った石コロに惚れ込んで心から彼女に贈りたいと思ったならそれをプレゼントにしていいってわけでもないだろう。
彼女から、元増田に似合うし喜んで愛用できるものなんだけど、バーゲンで500円で手に入れたものをもらった。
という状況だったら「百分の一かよ」とか思わない?極端な金額差ではあるけどさ。
気持ちが全てなら、それでも満足できるはずなんだけど。
とあるブログで、海外出張もこなすバリバリのキャリアウーマン然とした女性が
「夫が女性としてみてくれずセックスレスだ、別に男を作ってセックスしたい」というような事を書いていたが
私は、彼女が仕事を優先してあまり家庭を顧みていないような印象を受ける。
「金くれ」を乙女心フィルターに通すと「高額プレゼントくれ」になるんだよ。
まぁ話し合いで納得させられないならそんな女とは別れればいいだろう。
ただしそういう条件を課すと見た目の良さで彼女を選ぶのが大変になる。
トレードオフだね。
先日のクリスマスイブに彼女とデートし、プレゼントを渡し合った。
もしこれでリア充認定されるのであれば爆発してお詫びするところだが、そうは問屋が卸さない話になってしまった。
交換したとき、彼女は俺のプレゼントにすごく喜んでいた。その日の彼女の装いにびっくりするほど似合っていて、お互い感激した。
それなのに、後になってお互いのプレゼントの値段に大きな差がある(言い換えれば俺のプレゼントが安すぎる)ことを知り、不満を伝えてきたのだ。
そんなところをツッコんでくるとは思いもよらなかった俺は仰天し、「君を大事にしている想いが伝わるようにと一生懸命選んだ」「軽く見てるとか絶対にない」と必死に返答。
これを聞いて、彼女はこう言った。「気持ちはとても嬉しい」「でも依然として怒りは収まらない」と。
一体どうなっているんだろう。
俺の気持ち全然伝わってないのかよ。
正直、世の中にこんな人種がいることが信じられないと言っていい。
プレゼントって、第一に気持ちが大事で、その気持ちを伝えるためにまず考えるべきは「この人に似合うだろうか」「この人が喜んで愛用してくれるか、あるいは家に飾ってくれるか」じゃないのか?
その上でどうしても高額品を買わなきゃいけないときは買うし、そうじゃないときは懐具合と相談する。
そしてクリスマスプレゼントは「どうしても高額品じゃなきゃダメな代物」だと俺は思っていない。
そう思って選んだ結果がこれだ。
大体、もし金額=気持ちの重さというのだったら、極端な話、品物である必要すらないじゃんか。
封筒にお札入れて渡して「その中に入っているお金で好きなの買っていいよ」になってしまう。
バカバカしい。
ともかく、本当にくだらないことで彼女を想う気持ちに水を差され、戸惑っている。
普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、
大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、
何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は
つまり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物に
常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。
もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。
この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。
例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。
つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。
たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。
人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンのインストラクター、
さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームやプログラムの制作、各種インターネットビジネス、
そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。
女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。
それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。
有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか。
そしてそれは大部分が正しい。
この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。
何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。
「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルなメイクで、
作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、
人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、
「普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは
つまらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。
「普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。
「普通の大人」というのは今までの「日本の典型的な大人」と言うことだろう。
それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが
「典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ
其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。
この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊を証明している。
オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、
神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビやメディアはそういったネガティブな人たちを
「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。
もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。
「普通」はシャープな感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。
それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。
訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。
それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。
この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしましたか。」とはほとんど聞かない。
成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、
まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。
確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。
語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、
それがいくら単調でも「苦労」にはならない。
だから長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。
どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。
それを、見つけることができたかあるいはできなかったか、人生はそこで二つに、分かれる。
見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。
見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。
「わたしはね、才能はあったのでも努力や勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、
だからあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。
今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」
そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。
努力を好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。
訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。
語学の学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから、
25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生を趣味でごまかすぐらいのことしか残されていない。
趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。
それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。
つまらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。
つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。
「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、
学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。
営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は
どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、
それはまた別の問題である。
君が誰なのかは分からないが、人を傷つけているのは自分が相手している人の方からだよ。
というより、
これは只の状況対人論証だろう。
主張する相手が「どういう状況に身を置く人間か」で相手のしている主張が正しいか正しくないかを決め付けるような判断をしてはいけない。
それは誤謬に繋がる。
(信用金庫の営業課の課長だったらしいが、実際に「嫌な上司」だったんじゃないかと思っている。
笑ってしまうが、なんか会社の人から「死ね」という内容のイタズラ電話が掛かってきたり、プライベートでも何かとトラブルメーカーな人だったので……。)
中学生くらいの頃から家を出る時まで、毎日ネチネチネチネチと暴言を吐かれ続けていたことがストレスとなって精神を病んでしまった。
なぜそんなことをされる羽目になったのかと言えば、父親が別の仕事で失敗してしまって自己破産を起こした辺りから始まったことなので、それが原因なんじゃないかと思う。
それで自分をターゲットにして、八つ当たりをするようになったんじゃないかな、と。
本当の所はなにも分からないけどね。
どうであれ自分の感じた事を正直に言えば、辛かったとしか言えない毎日だった。
父親は自分にどれだけネチネチとしつこく嫌味を吐き続けても、それは全て「お前の為だ」とか「お前が悪いから俺はこうしてるんだ。別にしたくてやってる訳じゃねえんだよ。」というようなセリフで全て自分のせいにされてしまっていた。
というか、あの手の人間と対峙したことのある人になら分かると思うけど、ああいうタイプは基本的に「直接的な暴力や暴言」を振るってこない。
だからこそとてもタチが悪い……。やり返される隙を与えるような攻撃はしてこない。
というよりも、そもそも人の話に聞く耳をまったく持ってくれないので、何をどう言っても会話にならない。
とにかく会話がまったく成立しない。何を言っても「自分が正しくてお前が間違ってる」の一辺倒でどうにもならない。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/morahara/morahara.htm
まあ、全然うまく説明できていないけど、↑ここに書かれている事には、本当によく思い当たるフシがある。
当時は「親の言うことなんだから自分が悪いに決まっているんだろう」という気がしてならなかったが、今では判断能力も身について父親がしてきたことは暴力だということが分かるようになっている。
そういう経験があるからこそ、「子供の立場を無視した親にとって都合の良すぎる主張」は許せない。
理不尽な目に遭ってきた親もたくさん居るのだろうけど、それと同様に、私のように親から理不尽な目に遭わされて人生を壊されているような人も世の中にはたくさん居るということも頭に入れておいてくれれば、自分のような人間は助かる。
同じ事は凄く感じる
おんなじ様な事が起きてる
二次裏では同じ話題のスレを同時に複数立てるのは「乱立」って言って嫌われる
その話題に興味がない人には目障りになるし、
その話題に興味がある人にとっても話者が分散するから良い事は無いわけ
そのスレ立てる人自身にとっても損だしね
なので真面目にその話題を論じたい人ならスレ乱立はしない
で、
スレ立て者の発言は必ずバカっぽくて、真面目に何かを語る為に立てた気配が全然無い
何より前述の通り、真面目に「ステマ」を糾弾したい人なら乱立なんか絶対やらないわけよ
でも乱立してる
たまに本当に真面目に語りたい人が
書き込み者のipが表示されるシステム(特定少人数による自演とか荒らしとかがバレバレになるシステム)
でスレッドを立てると
他のスレとは全く違う真面目な会話になる
「ステマ」という単語のレスが急激に増えまくって、もはや本来の掲示板として機能されていない。
この祭りは、ある事を隠すためにあらゆる企業が自らの利益のために動いている。
登場人物としては、「広告主」「広告代理店」「掲示板監視業者」などである。
それに加え「ただの祭り好きの人」「日頃からニュース速報板を潰したいと思っていた人」
などの一般人も面白半分にこの祭りに参加しているが、今回の件の発端としては無関係である。
今回の騒動は以下のような計画で行われている。
ステマ連呼する
↓
一般人が「ステマ」という単語をみるだけでうんざりするようになる
「ステマ」発言している奴=バカという図式になる
↓
今後この騒動が収まったとしても、
↓
全て暴露すると俺の命が危ないので、ヒントだけを残しておく。
http://www.google.com/insights/search/?hl=ja#q=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%9E&cmpt=q&geo=JP
正月実家に帰って、たまってる録画番組をきまぐれに見てたんだけど、
人志松本の○○な話?だったかで、デヴィ夫人がこんな話をしてた。
あるあまり器量のよくないアメリカ人の女が有名な会社の社長と結婚した。
彼女はしばらくしてお金持ちと再婚したのだが、再婚相手もまた死んでしまった。
結局彼女は4回結婚し、4回とも未亡人になり、その度に裕福になっていった。
その話は結局ゾッとする話の認定をされて、
デヴィ夫人はゲストに「あなた達も気をつけなさい」ってなことを言って終わった。
二十代前半にしてもう既に三人、彼女と交際した男が死んでいる。
その彼女は裕福になったりはしていないし、もちろん殺人もしていない。
保険金を受け取ったりもしていない。
死因はそれぞれ病気だったり事故だったりと彼女に関係のないことだった。
言葉を借りるならば「器量よしとは言えない」ような、つまりそんな感じ。
性格は、何か不思議な感じがする。賢い女であると思うし、話していて面白い。
女性にこの言葉を使うことは珍しいかもしれないけれど、包容力がある感じ。
家庭的とか優しいとか謙虚とかサバサバとかクールとか子どもっぽいとか、
色んな形容詞はあるのだけれどそのどれもに当てはまるような気もするし、
どれにも当てはまらないような気もする。そういうちょっと変な女。
ただ、恋愛対象にはならない。そんな女。
それでも、彼女はいわゆるエリートだったり、レベルの高い男だったりに好かれる。
実際にその死んだ元恋人たちも、突出した才能をもっていたりするのだ。
そういう人達を呼び寄せ、虜にし、最終的には死に至らせる毒でも持っているのだろうか。
diebuster
お前は理解できなくとも実際に浮気する女は腐るほどいるだろう
「それが原因で少子化になっている云々」という主張についてはあまりにも下らないのでスルーしている。
これについては同意する面もある。
そもそも「そんなことを頼りにした社会保障制度ってどうなの」という疑問もあるが、
それについてウダウダ言うのは現実的じゃないので度外視することにする。
「先天的な理由」で子供がマトモに育たなかったのであれば、もちろん責任を求めるつもりはない。
そんなの求めたって仕方がないから当然の話だな。
だが、「後天的な理由」でそうなったのなら話は全く別だ。
例えば、親の「虐待」や「子供に対する間違った接し方」が原因で、子供が人格形成に支障をきたしてしまった場合の「親の責任」すらも、お前は問わないと言っているんだぞ??
そんなのは、ただ「親を甘やかしてる」だけだろう。
悪いことをしても咎められないのなら、人は成長しない。
付け上がってモンペみたいになるのがオチだ。
お前の目には世間がそう見えるらしいが、私の目にはそういう風に見えないな。
加藤智大みたいに親に原因があることが明らかな場合を除いては、犯罪者自身に罵声が浴びせられることの方が圧倒的に多い。
他にもニートやひきこもりみたいな場合に関しても親が責められることよりニートやひきこもり自身が責められることの方が多いように見えるね。
少なくとも、
世の99%の人間は精査しない。
これは有り得ない。お前の被害妄想だ。
一度、頭をよく冷やして冷静に世の中を見てみろ。
お前が「親を批判する人」のことを目の敵にしている為に、そういう人ばかり目に付くようになって多いと錯覚してしまっているだけだ。
それより、そんな愚痴を俺に言ってどうしたいんだ?
人を怒りの捌け口に利用しないでくれ。