はてなキーワード: 代数幾何とは
社会人になってから代数幾何とかウィトゲンシュタインとかは勉強しないわけ
するが
ウィトゲンシュタインはやってないけど代数幾何はブローアップして特異点解消するとかそのくらいまでは勉強したわ
何かが役に立つかどうかって、あんまり決めつけないほうがいいと思うんだよね。
やりたいことをやろう、とか、好きに生きていこう、とかのジャマになるから。
子供のころから言われていて逆方向に何十年もかけて一周してきた感じがするから、ちょっとそれを書いてみる。役に立たないかもしれないけどね。
「勉強は役に立つからするのではありません。人生を豊かにするためにするのです」
中学生になってゲームセンターで遊んでいると、年上のお兄さんたちはみんなで考えて答えてくれた。
「ゲームなんか役に立つわけねぇだろ。オマエにはまだ分からね―だろうけど、だからいいんだよ」
「違うね。役に立てられるかどうかは自分次第なんだよ。それに、立つか立たないかで行動を決めないほうがいい。勉強だって同じさ」
「知識ってのはなぁ、役に立つかたたねぇかじゃねぇんだよ! 何度も言わせるな。役立てられるかどうかなんだ!!」
そんなの全部分かってると思ってたし、だけど実際には役に立つことと立たないことってたくさんあって、みんな心のなかで本当は順位を決めてると思ってた。
これがすごく上手く書きづらいから、伝えづらくて自分の中にもしっかり入らなかったんだと思う。
「みんな生きてるんだ」とか、「働くって尊いことなんだ」とか、「人は平等なんだ」とか、そういうのの一種だと思っていて、暇つぶしの無意味なことをバカにしてはいけないとか、あまり役に立たないことをしてるように見える人でも笑っちゃいけない、どこで何が役立つかなんて誰にもわからないことがあるんだから――、みたいに。
だってそうだよね? たくさん役に立つ人や仕事が偉くて、誰にでもできる仕事はそんなに偉くない、ってたいていの人がどこかで思ってない?
役に立たないなんて簡単に言うもんじゃないってお説教はもう中学生になるかならないかのころに聞き飽きてたし、おとなになって働くようになっても「職業に貴賎なし」とか『働かないアリには意義がある』とか、そんなのばっかりで、多様性の担保のための有用性指標を隠蔽するために、差別を助長させない社会的配慮としてこういう議論はずっと見てきたから、心の奥底ではどこかで嘘だなって思ってたんだよね。
How to本とかだってたくさんあって、売るためなのか売れるからなのか知らないけど偉い人が書いてる立派な本を出してる大きな出版社が競うように、『これさえ覚えれば安心』『今すぐ役立つ即戦力』『要らないものは捨てて楽になろう』みたいなのずーっと出してるじゃない。
「無能な人は**をする」とか、「役に立たない人の特徴は**」とか、「**で迷惑をかけない方法10選」とかさ、そんなのばっかりでしょ?
だけど、根本的に、もっと本質的に、徹底的に実は間違ってたんじゃないかなって思う。
中年になった父が呆れたり怒ったりしながら何度も何度も言っていたのは、差別とは話とは違って、「知識や技術や勉強は役に立つかどうかとは無関係」ってこと。
本当にこれって、表現するのが難しい。
データベースの存在は運用方法と無関係、って書いたらSEさんは理解してくれるかな。
詳しくないけど、ベースって書いたらだめかも。データ自体が役に立つかどうかは運用の仕方次第、とかのほうがいい?
知識という概念は、有用性とは無縁である。……って書いても分かりづらいでしょ?
勉強という行為の意味は、その活用法を定義してはいない。……とかじゃ、お説教みたいだよね?
技術は人次第、だと名言だけど……、役に立つかどうかの判断と技術は無関係って説明になってるかどうかちょっと疑問。
あ、そうだ。
役に立つ、ってどういうことか考えたらいいのかな。
有用である、効果的である、用を成すのに適している、とかって感じ?
主語がないんだけど、役に立つ、って言葉もそうだからややこしくて、将棋の技術や知識は将棋をする時にものすごく役に立つし、古文の勉強は古典を読むのに必須だし、ハキリアリの生態に対する知識は蟻や農業の研究をする時に役に立つ、みたいな。
外資系ファンドで通訳をする時に将棋の知識はきっと役に立たないし、サーバー構築に古文の勉強はたぶん必要ないし、定期運送用操縦士の免許を取るのに蟻の知識は役に立たない、みたいな。
何が言いたいか伝わってるかすごく不安だし、もっと言うと自分がしていた誤解と言葉に対する認識の溝を感じてもらえるか自信はないけど、無関係な概念だよね、って話。
きっと以前に指摘してくれた人はいるんだけど、関連付けること自体が間違った発想だよね、って。
『役に立つ知識』も『役に立たない知識』も存在しなくて、知識は単に知識なんだよね。
日本で日本人と日本語だけで話してる時に英語も中国語もドイツ語も役に立たないし、ごはんを作る時にサーバー構築技術はいらないし、眠れなくて落ち着きたい時にパイロットの免許は役に立たない。状況によって必要な技術も知識も勉強も違うから、役に立つ時も立たない時もあるのは当たり前で、それは技術や知識や勉強の有用性の指標には成り得ない、とか書くともっと回りくどくなる? ああ、自分の技術や知識に自身がある人だと「だったら役に立つ状況が多いほうが有益ってことだろ?」とか言いたくなるのかな…。
なんか凄く凄く溝を感じる。
通称としての知識体系やその象徴としての言語、みたいな方向からのがいい?
学科、って括りは現実世界には存在しないから、どこからどこまでが現代文で外来語で英語かってあんまり意味ないよね。
数学も確率統計から代数幾何とかあるけど、全部机上の話であって実在の構造を厳密に数値化するなら分子なの原子なの素粒子レベルなの? って話あるよね。
同じ理由で物理は袋小路な面があって、生物も化学も突き詰めれば物理と繋がっていて、地理や歴史は考古学ありきだから古典も外せないし、古典には外来語も入ってくるから知らないよりは知っていたほうがいいし、歴史は暦の面から天文学も重要だから数学が必要なこともある。どこからどこまで、って知識を学問で切り分けて必要不必要って決める意味あるの? って。
だって**学、って言葉では言うけどそんなもの実在しないでしょ?
ほんとうは役に立たない物だってそうで、この世界にあるもの、って、みんな人間のためにあるわけじゃないから、おかしな言い方だと思わない?
……違うかな。
人間が自分達のために作った物は、人間のためのものかもしれない。でも、これも境界は曖昧かな。コンピューターは計算するためのものだから(たぶん2,30年は)役に立つけど、農家の人が(たぶん何年も品種改良して)作った野菜は人間のために人間の作ったものかどうかよく分からない。だからか知らないけど、「役に立たない野菜」っておかしな言い方でしょ?
変なたとえだけど、もし人間がいなければ、世界にあるものはみんな役に立つかどうかは関係ない気がするんだよね。それでもきっと存在してると思うけど。
サバイバルナイフはサバイバルする時に役立てるために作ったもので、バケットホイールエクスカベーターは鉱石を採掘する時に役立つ機械で、黒曜石は小さな肉や植物を切る時に役に立つ。
でも、黒曜石が役に立つ石だからって、石を役に立つか立たないかで分類するのはおかしい。
乗り物が好きな人が近くで笑ってるけど、少なくともバケットホイールエクスカベーターはお庭に近所の人からもらったテッポウユリを移植するのには役に立たない。ナイフや黒曜石のほうがまだいい。
「それでも、誰がどう見ても役に立たない知識や物ってあるだろ?」
って言われると困っちゃうかな。
何かまちがってるような気がするけど、ずっと考えてたらよく分からなくなってきちゃったかな。
人間ってすごく特殊な一部の人を除けば、誕生時から何かをする為に産まれた、って決められている存在ではなくて、「何をするか」だよね?
偉い人とか平凡な人っていうのも実は同じで、区別とか差別ってそういうものなのかもしれない。
心残りがある。
ホッジ作用素とか、アインシュタイン方程式、群環体、微分幾何、集合と位相くらいは理解した(つまり、e-MANや物理のかぎしっぽくらいのサイトを眺めるレベル)
でも、
って感じの、学部中級レベルしか物理や数学は理解できていない。
東大まで行って、これかよっていう。
ってか、工学系でも、これらの知識使ってるところは使ってる研究室あって、普通に研究してるわけで。
自分がいた研究室は、そんなに高度な数学も物理も使わなかった。せいぜい、微分幾何学とかチョロっとだけルベーグもあったかなーくらい。ほとんど何もまともな頭を使う議論はなかった。ルベーグってのも、別にルベーグじゃなくて、ノルムがどうこうでちょろっと。
物性系なら、超電導とか相転移とか。あるいは、核物理とかなら、普通に素粒子とかで数学バリバリできたんかなあ。
もう就職しちゃったけど、博士やれるなら、純粋数学か、素粒子物理やりたいなあ。。。
数学の理論の研究過程には、多くの具体的な実例があって、ほとんどの数学者はそういう実例のイメージを頼りに理論を理解している。
IUT理論が多くの数学者に受容されないのは、その中間的な成果として、既存の数学理論を説明しないためと思われる。
よく、「他人がやらないことを研究せよ」と言われる。学者はオリジナルな成果を出すことが仕事だから、それは当然と言える。
では、ここで安易に「誰もIUT理論を研究しないから、自分が研究してみよう」と考えるべきだろうか。
IUT理論を研究するというのは、今の段階では、IUT理論の成果や論法から、既存の数学の主要な成果または未解決の成果を導くということになる。
だが、よく考えてみると、そんなことをするにはIUT理論を理解するのに加えて、やはり既存の数学を深く理解していなければいけない。
たとえば、仮にIUT理論の成果からBSD予想やTate予想などの数論幾何の超重要な結果が得られるとして、それを導くにはやはりBSD予想等の同値な言い換えや十分条件を深く理解していなければいけないだろう。そして、それは現代の数論幾何や代数幾何を専門的に研究することに等しい。
そして、そもそもIUT理論は「誰もやらない」のではなくて、「多くの人が研究しようと試みて結局諦めたもの」というのが正確である。
だから、IUT理論を用いて何かできる人というのは、別の研究を数年やれば、それなりの結果が出せるのではないだろうか。だったら、最初からそっちをやろうと思うのが普通の感覚ではないだろうか。
Fラン私立大卒業後、しばらく資格職で働いたのちに、30歳目の前で東大理系院に潜り込んだ。
学部はド文系だったため、入試に受かるか不安だったが、あっさり受かった。
働いていて、こんなものが世界なのかと、人付き合い含めて嫌になっていた。
理系に関して憧れがあった。技術で人間は救われるんじゃないかと思った。
研究分野に関していえば、さらに絶望が深まった感があるんだけど。
まず、入学当初に期待していた数学や理論物理に関しては、少しガッカリだった。
東大の数学科や理論物理科(数理科学院)の研究を眺めたが、これらが直接世界をよくするイメージがイマイチわかなかった。
もちろん、カラビヤウだの、ヤンミルズだの、M理論だのはあまりわからなかったニワカで語っている。
しかし、代数幾何や数え上げ幾何やルベーグ関数解析、アインシュタイン方程式くらいは理解した。
もう少し勉強すれば深い感動はあったのかな?
一方で、予想していなかった分野では感動がたくさんあった。
情報幾何学、材料物性、光学、計算化学といった、実学のちょっと先の分野が大変面白いと思った。
数ヶ月ごとに、これまでの人類が刷新される成果がガンガン出てくる。
パワー半導体や、レアアース採掘、電池やエネルギー技術は、本当に2、3年でドンドン人類が根本的に変わる発明や実用化がガンガン出る。
このような分野を普通に理解できるようになったのは本当に楽しい。(別にこのくらいを楽しむ程度なら、東大行かなくても、youtubeで勉強とかでも最近ではいいのかもしれないけど正直)
こんなに東大生というのはチャンスがあるのだなと感動しっぱなしだったし。
いわゆる最先端というか、未来を変えうる技術を少しできるようにしたくらいの成果はできた。
また、この分野の研究や成果をどうやって作るのかの知見も得られた。
自分は、社会人に戻ったが、あの日々の経験は自分にとっては、「生きててよかった、世界は間違いなく変わる」ことを実感させてくれた。
技術が作る未来を見たいし、そこに、自分のようなブサイクで生きる価値のないキモい人間も生きていられる世界ができる気がするし、自分でも世界を作れると感じられるから。
まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者を貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象の本質を明らかにすることである。
まずIUT理論は決して数学(特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称「理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさらに理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。
もちろん、これは数学の研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想を解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。
繰り返しになるが、これはIUT理論そのもの、および望月氏とその関係者を貶める意図はない。
数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論を勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。
しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数と複素解析が好きなので代数幾何を研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式や作用素環論を研究したい」というように、既存の知識や経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題のキーワード」に反応しているだけじゃないのか。
IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報は
だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。
こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である。
しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論を既存の数学知識の類推で理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何の専門家を含めての話である。数論幾何の専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである。一般人がIUT理論の分かりやすい解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやすい解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである。
一方、数学界には既存の数学の伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生のセミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。
「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実を説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。
彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内で自由に解釈することを好む。むしろ、理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。
この構造は疑似科学や新興宗教と同じなのである(IUT理論が疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学を理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学や科学の知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。
3Dモデリングや3Dプリンタやラズベリーパイでモーター制御などは勉強した。
研究はロボットとかそういう感じなんだけど。一応何してもいい感じの研究室ではある。
周りの人は、機械学習使ってみたり、マトラボで統計解析したり、細胞使ったり、天体系望遠鏡の作成とかもあったりする。
これから研究で絶対やれそうなのは、アナログ電子回路、プログラミング、画像認識系の機械学習、センサー一通り、IOT機器組み込みの機械学習(ラズベリーパイで学ぶつもり)。
だが、これ以外だと何を身に着けるべきだろうか。
最先端だと海外に行かないと厳しいっぽいから、TOEFLでも勉強しようかなとも思っている。あと、個人的趣味で数学(代数幾何、数論幾何、測度論)は絶対やる予定。
でも、イマイチ、どうやって自分が食えるようになるかが分からない。
できれば、GAFAに就職して、凄い技術を作りたいなーと考えている。
あるいは、フリーになって勤めなくても暮らせるようになりたい。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/06/post-9d62.html
日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」とか聞いた風なことを言ってる割に、自分自身の学識のなさを暴露しているんだから噴飯ものだ。
上に挙げた東京大学の入試のように、高校までのカリキュラムに出題範囲を限定した上で、その中で人工的な難しさを追求した出題をしていると、大学入試が終わるまでは、高校生はそのカリキュラムの範囲に足踏みすることになる。
こいつ本当に、自分がリンク張ってる東大入試の問題見てみたのかと思う。どの科目も基本的な良問がおおむね揃っている(英語については言いたいこともあるがこれは日本の英語教育自体の問題になる)。専門家がこの辺の問題に全く歯が立たなければ「廃業しろ」と言われても仕方ない種の問題だ。専門から離れていたら思い出すまでに時間こそかかるだろうが、一度は身につけておかなければ教科書の内容を習得したとは言えないレベルの、基本的な知識と考え方を試す問題でしかない。この程度に深く掘り下げる能力がなければ大学での本格的な勉強になんかついて行けないだろう。
というか、アメリカの大学生の勉強量が多いのは、日本の受験勉強と同じような内容を学部教育に詰め込んでいるからという面もかなりある。日本の大学の1年後期や2年前期の電磁気学や解析力学で使う米国製の教科書の序文に「本書は学部上級生から大学院生を対象としている」とか書かれていることなんて結構ザラ。
本当は、さっさと量子力学や統計力学、線型代数か解析幾何の進んだ内容を修得すれば良いのに、18歳の段階では、いつまで経っても高校のカリキュラムの範囲であれこれと勉強をしなければならないことになる。
解析幾何wwwww知ったかぶりがもろばれなんですけど。
あのね、解析幾何っていうのは一口に言えば平面や空間に座標を引いて図形を扱うことで、思いっきり高校範囲です。せめて位相幾何とか微分幾何とか代数幾何とか言えないかね。門前の小僧でもそのぐらいの言葉は聞きかじっておいてくれよ。あんたこそ大学で何してたのかね。
それに、あの程度の数学や物理がわからない奴に量子力学や統計力学なんて理解できないよ。なんとかごまかして線型代数の試験で単位を取ることぐらいはまあできるかもしれないけど、線型代数なんて大学入学直後に習う「イロハのイ」なわけだからねえ。
学問というものは、ある程度の段階を超えると、標準化をすることが難しくなる。どの方向に伸びていくかは、分野によっても人によっても異なるからだ。
あのね、あなたが「進んだ内容」とか言ってる「線型代数」ですら「標準化」されたレベルの内容でしかないんですが何か?いわんや高校レベルをや。
「非可換代数」とか「無限集合論」とか素人臭い用語法(せめて「非可換環論」とか「公理的集合論」とかいえよ)が気になるが、東大や京大の数学科あたりに行けば、高校時代から大学レベルの数学に手を出している学生はかなり沢山いるよ。
だいいち、東大入試レベルの普通の数学を理解せずにそんなマニアックな分野(リー環論とかならマニアックとは言えないだろうが)に手を出してもありがたみが理解できないと思うのだがどうだろうか。つーかお前、非可換って言いたいだけちゃうんかと。
こんなんに釣られている奴がブクマ見ると結構いるのが驚きだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081031121513
を書いた、元増田。ちょっと愚痴っただけで、こんなに反響があるとは思わなかった。
大学入ってから2年間、自分は数学の才能がないから、と、一切勉強しなかったら、後ですごい苦労した。
学部時代にもっとマジメにやっておけばよかったと思うもの:
・数値計算
・確率過程論
・物理数学もっと勉強しておきゃよかった。物理もおもしろいよねー。
代数幾何使わないっていう意見あったけど、EMアルゴリズムを多様体の観点から理解する話とか、あの辺は、情報幾何の端くれではなかろうか・・・
あと学問という話では?暗号理論を学問としてやるのなら数学は必須だろう。
あと情報科学でやってるのは情報伝送(情報理論・符号理論)だけでなく,離散数学,言語情報解析,数値解析,情報セキュリティ,数値シュミレーション,アルゴリズム,人工知能,情報解析,計算機言語,ビジュアル系,離散数学,生命情報,データベース,金融工学など多種多様なので一概には語れない。
画像認識の分野しかあんまよくわかってないが少なくともこの分野では,相関法,オプティカルフロー,エッジ検出,特徴点抽出,正弦波パラメータ推定,逆問題などがあるので微積確率統計応用解析信号処理は最低限必須。使える程度に数値解析などはわかる。データベースや言語解析の人たちだとマッピングなどがあるので幾何数学は必須。数値解析とかやる人たちは凸解析法とか真剣に考えてるよね。
学部のころはとりあえず代数幾何解析確率統計情報理論信号処理論制御論コンピューターアーキテクチャあたりは一通りやったよ。複素解析とかめんどくさかったなぁ。ルベーグ積分とか面白いよね。
いやいや…それは単なるプログラマでしょ…情報科学を学問として勉強しようとなると代数幾何解析確率統計は最低限必須だぞ。プラスで物理や生物や化学やなどが必要になってくるけど,基本的に数学科並みに数学が必要。情報科学って一応応用数学だからね。
学問として勉強しないにしても情報理論は最低限必要になるわけでそうなると微積線形代数集合理論当たりぐらいはきっちり押さえておかないとついていけないよ。