はてなキーワード: 情報科学とは
「参加型宇宙」は、宇宙物理学者ジョン・ホイーラーが提唱した概念で、観測者(行為主体)が世界を捉える視点を重視し、世界の記述が必然的に主観的になるというものである。
この概念は量子ベイズ主義(QBism)という量子力学の新しい解釈とも関連がある。
量子ベイズ主義は量子力学に現れる「確率」の概念を、「客観的」なものではなく「主観的」なものとして解釈する。
量子ベイズ主義(QBism)、情報理論、量子観測、エントロピーの関係は非常に深く、それぞれが相互に影響を与えている。
関連ブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230822/k00/00m/040/214000c
アメリカと日本の大学における理系の研究で、盛んな分野のトップ5をそれぞれ箇条書きにしてお答えします。
一般的に言えば、アメリカの方が日本よりも大学の研究が経済に与える貢献度は高いと考えられます。その理由として、以下の点が挙げられます。
アメリカでは、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが整っており、特にベンチャー企業の創出や成長につながっています。例えば、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などは、シリコンバレーやボストンエリアといったイノベーションの中心地に位置し、多くのハイテク企業やスタートアップ企業と連携しています。また、大学発ベンチャーの成功事例としては、グーグルやフェイスブックなどが有名です。
日本では、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが十分ではなく、特にベンチャー企業の創出や成長につながっていません。例えば、日本の大学発ベンチャーは、アメリカや欧州と比べて少なく、また規模も小さいです。その原因としては、日本の大学の知的財産管理やライセンス交渉の能力が低いことや、日本の産業界が新技術や新製品に対する需要が低いことなどが挙げられます。
以上のことから、アメリカでは大学の研究が経済に与える貢献度は高く、日本では低いと言えるでしょう。もちろん、これはあくまで一般的な傾向であり、日本でも優れた大学発ベンチャーは存在しますし、アメリカでも大学の研究が経済に貢献しない場合もあります。しかし、日本はアメリカから学ぶべき点が多いと思います。
アメリカと日本において、お金を生みやすい研究の分野は、それぞれ異なる傾向があります。
一般的に、アメリカでは、医学・生命科学、コンピュータ・情報科学、工学などの分野が研究開発費の多くを占めており、高い経済効果や社会的影響力を持っています1。
日本では、自動車やロボットなどの製造業に関連する分野が研究開発費の大部分を占めており、国際競争力を高めています。しかし、日本の研究開発費は、GDP比で3.3%と先進国の中で低い水準にとどまっており、基礎研究や新領域の研究に対する投資が不足しているという課題があります。そのため、日本では、エネルギー・環境、生命科学・医療、人工知能・ビッグデータなどの分野において、イノベーションを生み出すための研究開発費の拡充が必要とされています。
10年くらい前、法学部を卒業し「学士(法学)(Bachelor of Law)」を得た。2年間の休学を挟んだので6年かかった。
修学自体は極めて順調だったので3年次までにほぼ単位は取り終えた。就活だるいし逃げるか〜人生の夏休みって今っしょ?とカジュアルに休学して遊び呆けたら2年経っていた。休学費用はタダだった。
ちなみに奨学金(学生支援機構)は休学中は支給停止されるが復学したらちゃんと支給再開してくれる。
何年か前、働きながら放送大学を卒業し「学士(教養)(Bachelor of Arts)」を得た。学士入学(3年次編入)したので最短2年で済むのだが4年かかった。
放送大学には社会と産業コース、情報コースなど現在6つのコースがあるが、すべて教養学部所属で学士(教養)だ。全コースを卒業すると「名誉学生」として表彰される制度がある。特典は改悪されショボい。
現在の放送大学は単位認定試験が会場でのリアル受験からWeb受験に切り替わったため格段に社会人に優しくなった(リアル受験も可能)。コロナ情勢に左右される一時的なものではなく恒常的な変更だ。オススメ。
ちなみに奨学金は社会人学生(科目履修生や聴講生ではない正科生のみ)になると返済猶予できる。返済総額は変わらない単なる先送りだが、手元の現金は最強だし投資してもいい。以前は社会人学生を続ける限り無限に猶予できるガバ制度だっだが改悪されその時点から最長10年間のみとなった。
さてlawとartsを修めたし次はscienceと行きたかったが残念なことに通信制の理系大学は壊滅状態だ。
学士(IT総合学)、学士(情報マネジメント)、学士(経営情報学)みたいなエセ理系(超失礼)はいくつかある中で、ザ・理系感があるのは帝京大学理工学部情報科学科の「学士(工学)(Bachelor of Engineering)」が唯一の存在である。
愛知産業大学は建築学科だが造形学部所属のため学士(芸術)となる。
放送大学含め上記大学の中から理数系単位をかき集めて大学改革支援・学位授与機構で学位(理学)などを得る方法もあるがちょっとハードルが高いな。卒業さえすればいい帝京大学が無難と言える。
ところで大学に編入学する際の単位認定にはザックリ2種類ある。
・個別認定:過去の履修科目の中でカリキュラム上と同等の科目を個別に認定。「あなたは過去に"コンピュータ科学"を履修してるからうちの専門科目"情報基礎"の2単位を認定するよ」出身専攻が違うと認定数も少ない。
放送大学のような教養系の大学だと卒業要件全体で一括認定されて大卒3年次編入は62単位認定のようなスタートダッシュになる。
帝京大学のような教養科目+専門科目だと前者は一括認定されるが文系出身なら個別認定が少なく専門科目はゼロスタートのようなものだ。先は長い。自分にコンピュータサイエンスの適性があるかもわからない。
というわけで逃げを打つ。資格合格による履修免除システムだ。入学前に資格を掻き集めて負担軽減する作戦。
入学後の合格でも申請で免除なのだが単位試験と資格試験の二兎を追うより入学前の方が気楽だろう。でも履修免除すると成績表上の評価がSABCでなくN(認定)になるらしい。うーんこれは…GPA的にどうなんだ…
以下の資格に合格している場合は、履修が免除される科目があります。
ITパスポート、基本情報技術者、応用情報技術者、データベーススペシャリスト、 ネットワークスペシャリスト、ドットコムマスター(アドバンス)、CGエンジニア検定(ベーシック・エキスパート)、陸上無線技術士、電気通信主任技術者(伝送交換)、(電気通信に関する)工事担任者
試験日程の自由が利くCBT受験で基本情報、工事担任者(2級アナログ通信、2級デジタル通信)に合格。関係ないけど電気工事士2種に合格。
電通主任の4月21日申込締切を失念してしまい悔しい。難関だから科目免除できる1陸特や工事担任者総合種を先に取るのがセオリーらしいから傷は浅い。ドットコムマスター、下級の陸上無線特殊技術士もCBTなので合間を見て受験したい。今気付いたけど履修免除科目がダブってると取っても意味ない資格もあるのでは?確認していなかった…
先の話すぎて鬼が大爆笑だが、学士(工学)を取れたら次は慶應通信で学士(哲学)かどこかの美大通信で学士(芸術)にでも挑戦してみたい。
後者はBachelor of Fine Artsだから学士(教養)のBachelor of Artsと並べて収まりが良さそうくらいの理由。
前者は実は帝京を考える前の本命だった。学歴コンプはあるのでいずれ慶應で上書きしたい。所詮は通信だが。コロナ最盛期は単位認定試験が中止になりレポート代替となる単位ボーナスステージだったのだが、決心がつかず指咥えて眺めてるうちに試験形式に戻ってしまった。
単位試験は難関らしいし(全体的に不親切ともいう)卒論もある。実は今まで卒論を含め論文自体を書いたことがない。下手したら卒業に10年かかってしまう。
それで尻込みして完全な趣味よりもまだ仕事(メーカー技術職)に関連のある学士(工学)を先に選んだというわけだ。
学士ばっか集めてないで修士に挑戦しろと自分でも思うが、そもそも勉強したいが研究したいわけではない。研究テーマとか何も考えられない。与えられたカリキュラムに沿って学問を修めた気になりたいだけだ。学位や資格のような証がないと勉強にも身が入らない。自分でもその怠惰さはわかっている。
上記理由で修論にもビビりまくり。働きながらの修学もキツそうだ。夜勤もするシフト勤務だから夜間通学もできないので通信制頼りとなる。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
ChatGPTの出現と更なるAIの進化が予想される社会で生きていく若者(18歳未満)って、進路選択の幅がなくね?
今までだったら、色々な進路の選択肢がある中から「この仕事は向いてなさそう」、「この仕事は待遇が悪い」とか色々な要素を考慮して、勉強したり資格取ったりして職に就いてたわけだけどさ。
これから先に「実家が一生仕事しなくても生きていけるくらい資産がある」とかじゃない限り、進路の選択肢が「情報科学を専攻して学位とスキルを取得し、巨大テック企業のエンジニアになるか、起業して会社を巨大テック企業に売却して一生分の金を手に入れる」しか無い気がする。それ以外の仕事は全部ソフトウェアとそれに制御された機械が賄う。その利益は全てテック企業に配分される。租税回避地の手数料は潤うかもしれないが、国の税収にはならないため再配分もされない。
タレントやYouTuber、芸人になるって選択肢もあるのかもしれないけど、全員がその選択肢を取れるわけでは無い。
生きていくだけなら生活保護などもあるしこれから先ベーシックインカムなども整備されるかもしれないが、やはり生きるなら尊厳を持って生きたいと思うのが普通だろうし。
情報科学を専攻し、エンジニアになるかスタートアップ売却で一攫千金かって言う「唯一の生存ルート」を巡って壮絶な勉強サバイバルを繰り広げ、落ちこぼれた者の一部はタレントやYouTuberとして成功し、それ以外の大多数は生活保護やベーシックインカムで米ともやしと卵で空腹を凌ぎながら成功者を羨む生活をするってことだよな?しかも世界レベルで。
これってマジで李氏朝鮮時代の「大多数の庶民が道端で寝そべりながら貧しい生活を送り、一部の王族や特権階級が庶民の嫉妬や憎しみを浴びながらも豊かな生活を送る」って世界だよな。
誰がこんな世界にした。
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
すりゃいいじゃん、って話なんだけど。そうするために必要な行動をする気力もなくなってて、もう呼吸だけして1日が終わるだけで疲れる。
老人か?
疲れたよ、もう。いろいろと。
まず、なんで中退したいのかというと「研究がまったく進まない」からだ。まっさらな白紙のほうが価値がある気がする。おそらくそうだろう。だって綺麗だもん。
(寸劇 はじめ)
一応、1報は。
え、足りなくない?
(寸劇 おわり)
という状態だ。もうやだ、泣きたい、泣いてる。
ぼかして書くけど、学際的なことしてたんだ、修士で。例えば情報科学と生物科学とか、これはバイオインフォマティクスっていわれてる。こんな感じで複数の学問分野をまたいだような研究をね、やってたの。
それで博士課程では修士までとは専門が違う大学院の研究科に進学した。さっきの例を使うと修士(情報科学)→博士(生物科学)となる。軸足を移そうと考えての行動だった。
結果的にいうと、これが大失敗。
もうね、無理。やれると思った、あの自信はどこからきてたんだろう。
最大の原因は能力不足だと認識してるけど、それだけじゃなかった。
1つめ、新型コロナウイルス感染症。(計算したらズレてない? ってなると思うけど、テキトーに補完して)
放置。
そして何もできないまま2ヶ月経った。何もしてねぇ。でも大学へは行けるようになった。とりあえず机を手に入れて、片付けて、PC等の設置や設定などなどして。
始まった新しい大学院での生活。この年は、そんなに順調ではないにしても酷くはなかった。順調ではなかった、主に人間関係が。
授業はリモートがメインになったので人間が研究室に来ない。会話、ほぼなし。たまに学部生とかくるけど、顔も名前もわかんない。あっちもそうだったと思うけど。会話がないと人間って関係が構築されないんだなって思った。
研究とは関係ない部分での衝突があった。細かく書くと愚痴が長くなるから控える(=この件に関しては、相手が悪いと心の中で結論が出ているので議論しない)。
が、これでメンタルの大部分がすり減った。ガラスより脆い。いや、豆腐より脆かったのかもしれない。大学のカウセリング室へ数回ほど通った。その後カウンセラーとも合わず、自力で復帰した。この間も、とくに研究の手が止まることはなかった(なお成果は……)。
これが1年目、2年目と続いた。
コロナの影響は大きかった。修士まではセミナーに参加するのが好きだったが、学内では開催されないこともあり孤立を深めていった。そもそも自分の研究と近いとはいえ別分野に飛び込んだ時点で孤立していた。孤独だった。
誰にも相談できなかった。今もだけど。話す相手がいない。話していると解決できることって何故か多いのだけれど、話す相手もいない。ぬいぐるみでも、用意するべきだったのかもしれない。
とにかく、1人ということに耐えられなくなった。
にもかかわらず精神を摩耗してきた結果、コミュニケーションにたいする積極性を、さらに失った。
もう出てきてるんだけど、ストレスがマッハ。こいつは加速することしか知らないらしい。帰ってくれないか、頼むから。
このストレスってやつは研究が進行しないということだけが起因ではなかった。
家庭環境ってやつもよくない。
うちは父親がアレでアレなもんだから、家には安らぎってもんは少ししかない。アレがいないときは安らぐ。永遠であれ。
しかも自分の問題のくせに、こちらに解決法を考えろ、弁護士とやりとりしろと言ってくる。消えてくれ。
こうしてストレスはとどまることをしらず、重く蓄積していく。
さて。ここまでくれば、中退するのは妥当じゃないか? となるわけである。進捗ないし、精神的疲労が酷いし。じゃあ何故、中退しないのか。
アレが関わってくる。
とにかくうるさい生き物なんだけど、やることなすこと文句を言ってくる傾向にある。中退なんぞすればもうゴジラのほうが静かかもしれない。どっか暖かいところにでも行ってパヤパヤしたいなぁ(現実逃避)。
進捗ないです<「うるせぇ生き物」の鳴き声()
となる。
もう気力がない。呼吸しかしたくない。
いや本当は遊びに出かけたいしゲームしたいし、楽しく生きたい。
どうしよ。
経済学者にあこがれて経済学部目指したのなら、いっそ博士まで行って博士号(Ph. D.)取得するのも一つの道じゃないかと。
その話と、現実的な就職のための話がイマイチ繋がらない感じはするけども。
憧れは憧れで、GAFAみたいな巨大テック企業のエンジニアになりたいって言うのだったら、
コンピュータサイエンス(情報科学)系の学部入り直す方がよさげ。特にGoogleのエンジニア採用はコンピュータサイエンスやってないとほぼ即死するような計算量やらの問題が出て来まくるんで、やっぱり情報科学系出身のエンジニアがめっちゃ多いし。
ちなみに、数学が得意であるが、高校数学が得意レベルである、つまり計算が得意レベルだったら、経済学者とかには向いてないとは思う。大学数学以降をある程度まともにやろうと思うと集合論ベースの現代数学の発想に頭を切り替えないといけないし、経済学で使う「数学」もある程度大学数学の素養がないときつい。
関係ないけど技術モナんもわからん馬鹿に限って広告ブロックするなそんなにサブスク金払いたくないのかとかフリーライダーがどうのとか言うんだよな
Webの歴史を見てきた人はそれこそ情報科学界の偉人ですらWeb広告の有り様は軒並み否定して己の人生のためにブロックを勧めてすらいるのに
こっちからするとそんなに大手プラットフォーマーに尻尾ふりたいのかと商業に媚びすぎる若者たちの堕落した精神に暗澹たる気持ちになるね
ネットの健全さを担保しようという気概はまるで感じられないし人の意識や思考を乗っ取るものに対する危機意識がなさすぎる
巨大テック企業がグルになった広告というのは世論すら操作できるもので実際アメリカなんかでは政治がそれで動かされたって例がいくつもあることを知らないんだろうか
技術に対する不信感なく諸手を挙げて受け入れてしまえるのはどれだけハァもういいわはてなすらこんな有り様になるのは見たくなかった