はてなキーワード: 五体不満足とは
ベッキーのタイキックと、そもそも笑ってはいけないの罰ゲームがどうこうというのは趣旨がずれるので、今回はエディ・マーフィーの件のみについて。
生放送で見てた時は正直笑った。アメリカンポリスという設定でエディ・マーフィーというボケは、ビバリーヒルズコップを知っている世代にとっては見事なツボだった。
そしてその後の報道を見て改めて考えた。果たして浜ちゃんが顔を黒くせず、かつらやひげ、服装だけで登場してたら同じくらい面白かっただろうか。そこに面白さの違いがあるとしたら「顔を黒く塗っている」ことが面白さなのであって、各種報道を踏まえて考えるなら黒塗りで黒人を演出するということはよくないことだったのだろう。
もう少し考えを巡らせた時に、今回の報道で「これは差別だ」と発言して取り上げられている人が1人なのがちょっと気になった。数が少ないから気にするなと言うわけではないし、話題になったということはそれだけの人がこの意見を支持したんだとは思うが、とはいえ一部の声が世の中のすべての声、みたいに拡大解釈されてないだろうか。
以前に海外モデルが着物を着たときに文化の盗用だ、と海外では炎上したけど、当の日本人は全然気にしてないどころかむしろ好印象、みたいな雰囲気だったと記憶している。ミンストレルショーは問題だとして、黒塗りした時点で差別だ、と切り捨てていいのだろうか。むしろこういう事件が起きたからこそ、お互いの文化の違いをすり合わせていくいい機会にならないものだろうか。
そして最後に、こうやって差別の名の下に言葉や表現を抑制していくことこそが差別につながってやしないだろうかいう危惧もある。五体不満足の乙武さんが「自分の手足がないことを笑ってくれる世の中がいい」みたいな趣旨のことを言っていたけど(うろ覚えなのでソースがあったら教えてくれ)、相手の肌の色も背の高さも体型も何もかも口に出せて、それはただ単に人それぞれ違うだけでまったく気にしないで言い合えることこそが理想論かもしれないけれど本当に差別がない世の中なんじゃないだろうか。言葉や表現をどんどん刈っていくこの流れこそが差別を助長している側面はないかなとちょっと気になっている。
http://www.sankei.com/entertainments/news/161127/ent1611270010-n2.html
について。
「これだけ身体的にハンディキャップあってバッシングされるのもすごいですね」というのはその通りで、このバッシングは、障害者という弱者に対するイジメ、というよりははるかに、強者に対するやっかみに近いと思います。乙武さんがそこまでの存在になったことに関しては、本当にスゴイな、と思います。
記事には出てきませんが番組では、乙武さんが実は話したかった話題、として相模原事件、パラリンピックの他に、24時間テレビのバリバラも挙げていました。かなり面白い話になったはずです。他にも今年は乙武さんに語ってもらうべき話題が多かったと思うので、非常に残念に思います。
まあ、まだ怒っている方もおられると思うので申し訳ありませんが、個人的には人の家庭の不倫とかどうでも良いのですみません。
あと、これは前から言いたかったことで、ついでに書いてしまいますが、『五体不満足』は今、是非とも読むべき、読み直すべき本だと思います。
というのも、私がこれを初めて読んだのは、Twitterで「手も足も出ない。あ、初めからなかった」みたいな障害自虐ネタを連発しているのを知った後で、その頃にはすでに乙武さんは成功者であり強者側でした。
そうなってから読んでみると、スゴイな、とか、面白いな、とは思いましたが、感動する、とかましてや、号泣する、というような感じはありませんでした。というか、どちらかと言えば、一言でいうとあの本は「自慢」ですよね。My Way的な。
もちろん、それだけではないのはわかりますし、あえてそのような面を強調している意図も理解しているつもりです。それでもさすがに号泣はしない。
そう考えると、本が出始めの頃に感動して号泣していた人がいたとすれば、それはおそらく、障害者を弱者としてみなして、いわば感動ポルノを自分で勝手に作っていたのではないか。そんな疑念があるのです。
そういう観点で、『五体不満足』を今、もう一度読んでみて欲しいと思います。初めて読む人もそうですが、昔読んだ人には特に、以前との感想の違いを感じて欲しいと思います。
不幸に心が縛られることは最大の不幸だよ。
不幸ってのは本当に怖くてね、自分は不幸だと思っている人ばっかり捕まえて不幸にしてしまうんだ。
なぜかっていうと、自分は不幸だと思っていると、幸せへの入口を見逃してしまうんだよ。入口の見逃し方は様々。幸せになったことがないから幸せになるのが怖くて、幸せへの入口が見えていても不幸への道を選んでしまう人がいる。幸せへの入口が見える場合はまだマシで、どこが幸せへの入口なのかもわからない人も多い。幸せへの入口が見えていても、それは本当に幸せ?って疑って試してその挙句に幸せへの入口を壊してしまう人もいる。
じゃあ不幸な人は一生幸せになれないのか?っていうと、そんなことはない。ちゃんと幸せになれる道がある。それは、今すぐ幸せになること。
自分の中の気持ちに素直になろう。美味しいものを食べたら幸せだと思い、人と楽しく会話したら幸せだと思い、面白い物語を読んだら幸せだと思い、よく寝たら幸せだと思い、様々なことで幸せだと思うこと。
このときのポイントは、他の人と比べたら幸せだとは思わないこと。時々、自分は不幸だと思っていたけど五体不満足な人と比べたら幸せだと思う、なんて言っている人がいるけど、それは間違い。じゃあ美しい体に生まれた人と比べたらあなたは不幸ですか?五体不満足な人はあなたと比べたら不幸なんですか?ってことになる。どちらも違うでしょう?
不幸が不幸な人を好きなのと同じように、幸せは幸せな人が好きだから、そうやって幸せでいると何が幸せかもわかるし、幸せへの入口も見えるようになって、そこに飛び込む勇気もできて、どんどん幸せになれるよ。
A. 「『不倫する乙武さんに失望した』と言う人は"障害者"に対して"清廉潔白"なイメージを押し付けている差別主義者ではないか」とか言い出す人
C. 「逆に男として評価をあげたぞい」とか言って擁護するおっさん
D. AV出演
D1. 十年後、そこには第二の加藤鷹としてDMMでコラムを執筆する元気な乙武さんの姿が!
G. 絶版の嵐にもめげない乙武さん、『五体不満足なボクが教える本当に気持ちいいセックス』を出版して世界的なベストセラーに
H. 2042年、ノーベル文学賞を受賞(この年も村上春樹はおしくも受賞を逃す)
I. 2065年、最新鋭のハイテク義手義足を装備した乙武洋匡が、「われこそは新世代の人類――N.E.X.Tである」と宣言。五体満足の旧人類に対して反乱を起こす。
J. 2069年、乙武軍、人類との最終決戦に勝利。旧人類を奴隷にする。
L. 乙武軍、タイムトラベルを駆使して旧人類叛徒のリーダーを幼少時(2016年)まで遡って殺そうと計画
M. 旧人類反乱軍、乙武軍の計画を阻止しようと最強の五体不満足ロボ・オトターケネーターを2016年へ送り出す。
N. いろいろあって、オトターケネーターが溶鉱炉に沈む感動のラストで幕。
O. 五体不満足なので溶鉱炉に沈む間、オトターケネーターは親指をたてられなかった。
P. だが観客はたしか目撃したのである。ないはずの彼の親指を。そして、涙したのである。
Q. プレゼンター、レオナルド・ディカプリオ「2017年度アカデミー賞作品賞は……オーマイガッ! 『オトターケネーター2』だっ!」
R. 終。
スーパーマリオってゲームは不平等なわけ。俺は茶色い物体を飛び越えることができないの。
タイミングが合わない運動神経をもって生まれた人間からしたら、マリオこそ最高に不平等なゲームなわけ。
スプラトゥーンとかイカ臭いクズゲーで、指先コントロールテクニックを振りかざしてドヤ顔かましてる人間の皆様聞いてますか?
そもそも世の中は不平等なわけ。
そしてソシャゲというのは、ガチャという人類の能力差をリセットする機能を備えた最高に平等なゲームなわけ。
ちょっと操作がうまくて、ソシャゲになってドヤれなくなったからって騒ぐんじゃねえ!
その間に俺らは汗水たらして金稼いできたんだバカやろう!
ガチャの前では五体不満足の乙武もプロ・ゲーマーウメハラも平等なんだ。
ファシズムよろしく排外的思考で弱者を排除しようとしている○○○○○ちろうは死ね!
調べる方法などないのに過去の偉人を発達障害認定するな、という主張は一見正しく思える。しかし本当にそうだろうか?
何故ならば現代に生きる人間においては、脳をMRIなどで調べる事すらなく、単に人付き合いが苦手だというだけの根拠で発達障害の認定を受けるからだ。なぜ過去の人間に同じ基準を当てはめてはいけないのだろうか?
発達障害だから人付き合いが苦手なのではない、人付き合いが苦手だから発達障害と呼ばれるのだ。
そして障碍が本当に障碍であるのならば、それは社会的成功の度合いに左右されない筈だ。
本がベストセラーであっても乙武さんは五体不満足であるし、点字が読めてもヘレン・ケラーは盲聾唖だ。
一定の評価を得た成功者を発達障害と呼んではならないというのならば、発達障害なる概念が偽科学で作られた偏見の産物である事を認める事に他ならないのではないか。
BLGTとか在日とかに対して意味もなく嫌悪感抱くやつなんて格好悪くて、そんなのに偏見なんか自分はないと思ってたけど
全部ポーズだった。
すげー偏見持ってた。
日本人以上に日本語うまい外人と話してても「この人日本のことどう思ってんだろ」とか
職場にいる中国人ぽい名字の人とやりとりしてると、頭のどっかでその意識があるし。
そう思ったからって付き合い方変えたり、邪見にしたりするわけじゃないけど
マイノリティの人と相対すると、その人のマイノリティ部分を常に意識しながら話してる自分がいる。
本当に偏見無い人って、そういうの知ってても全然意識すること無いんだよねきっと。
特に自分で感じたのが、その人が自分より優位に立ったりすると「何だよ所詮○○のくせに」って思っちゃうこと。
一瞬だけど。
すぐ打ち消すけど、でもどうしても考えちゃうんだよね、一瞬。
多分、乙武氏に論破されたら「でもこいつ五体不満足だし」とか思うんだろなきっと。
書いてて自己嫌悪。
↓
女の子連れて入店しようとしたが、入れないので介助をお願いしに行った
↓
↓
連れの女の子を泣かされたことで怒っている客を宥めて食事をさせる余裕はないと考えたとしても仕方ないだろうと私は思いました。
ところが相手が悪かった。
普通の客でも口論の挙句に「訴えてやる!」となることはありますよね?
この場合乙武さんが訴えたのはしりあいの弁護士ではなく、60万人いるツイッターのフォロワーでした。
本人は愚痴りたかったとコメントしていますが、数が数だけに私刑では済まなかった。
乙武さんは重ねてコメントを出しているけれど、店主との直接のやりとりではなく、自分の非を認めて譲歩しているとは私には受け取れなかった。
乙武さんの言う「障害は個性」という考えは素晴らしいと思います。
どんな人も障害を持つ可能性、身近な人が車椅子になる可能性、
ベビーカーで飲食店に入りたいと思うことやアレルギーになることを考えたら
コミュニケーションが足りなかったためにささやかな願望が果たされなかったのは残念です。
お互いに譲り合う社会がいい。と皆が思ってると思うけど
皆が自分ばっかり我慢してると思っているからこういう騒ぎになったのだろうな。
乙武さんは四肢を持ってないことに満足せず挑戦して色んなものを獲得した人なのだから、欲望が強いんだろうなと思います。
欲望がなければ経済は発展しないから、店は利潤を追求するために客の要求を呑まなければならない、と、多くの人が思っているかも知れないが、
店をやっている人の多くはサービスの対価としてお金だけを望んでいるのではなく、客の喜ぶ顔が見たいと思っているのではないでしょうかね?
俺イタリア人拒否ってないし、拒否ったのは乙武さんとその連れだけだし。
車いす客を排除するのか。障がい者差別だ。人権問題だ。なんて騒がれてるけど、
連れの態度、乙武さんの態度が俺の許容範囲を超えたからなんだけど。
ということで以下言い分(言い訳?)
軽率だった。のか。
やっぱり俺。
なぜ俺はあのとき、彼の言った「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
同情されるような愚挙に至ったのか、
ここに記しておきたい。
うちは基本的に食事の店だ。来客は18:30~20:00に集中する。
予約も18:30~19:30の間というのがほとんど。
今日は土曜日、席数の少ない当店は今日はほぼ予約のお客様で満席だ。
予約で満席ってのはお店にとって非常にありがたい。
売上がたつってのもあるが、
事前に段取りが出来るのは本当に助かる。
しかし、その反面、予約して来て頂くってことは、
接客、料理の提供時間等、ベストを尽くさなけばお客様に失礼だ。
「満席だから忙しくて最適なサービスが出来ない。料理の提供が遅れる」
なんて言い訳出来やしない。
お恥ずかしい話だが、俺は結構短気だ。
まあ料理を提供して食って行こうって人間がのんきでは絶対にやっていけない。
と俺は思っている。
お客様だけじゃない。
お客様が店内にいらっしゃる間に、スタッフがもたもたしている。
スマートじゃないってことも頭では理解している。
とくに今は店を出して間もないし、
ついいらだった対応が出ることもある。
スタッフもあまり居心地がよくなくって、ずいぶんつらいんじゃないだろうか。
募集は常にかけてるけど、なかなか思うようにいかない。
普段は、それでも理解してくださるお客様(本当に申し訳ない)と、
スタッフ(我慢してね)のおかげで何とかやってる。
どんなに忙しくても、永遠じゃない。
ある程度の料理を提供したら、飲み物の追加が主で、手待ち時間もできる。
そこでお客様とコミュニケーションしたり、常連さんの個別の提案も受け入れる余裕もできる。
だが、この日はすべてのタイミングが悪かった。
19時過ぎ、早めのお客様へのサービスで店はすでに戦場のような忙しさ。
予約のお客様だ。
うちのスタッフと何やら話し込んでいる。
俺はすでに取り掛かった調理から手が離せないんだ。
もちろん、忙しい、手が離せないのはお客様のためとはいえすべてこちらの都合だ。
まだ話してる。
予約のキャンセル?
当日キャンセルなんて困ったもんだ、だが店に来て報告ならましなほうか。
時間変更?
よくあるけど、仕方がない。お客様あっての商売だ。
人数変更?
さすがに、今は人数増えても席がないぞ。
・・・・・
どうもおかしい。
来店したばかりで、うち(スタッフ含め)に落ち度があるはずないのに、女性の態度が不自然だ。
言い方は丁寧なようだが、なんか非難されてるのか?
時々我儘なお客様はいるけど、今日はちょっと勘弁してほしいな。
っと、女性が帰って行った?
スタッフに、何言ってたんだ?と聞くと、
「連れの方が、車いすで自力で店に上がれないから、手伝ってくれってことです」
今かよ。この忙しいときに
何て答えたんだ。
その時の会話はこうだったらしい。
「うちは、エレベーターが2階に止まらないんですぐには難しいんですよ」
「車いすの人は入れないんですか?」
「いや、そういう訳じゃないんですが」
「じゃあ、いいでしょ。お願いします」
「予約の時に車いすって連絡されました?」
「っ今まで、そんなこと言わなくても、他のお店の方はみんな快く対応してもらってるんですが」
「本人の体だけですからお手間は取らせません」
「ちょっと今忙しいから、手が空いたら下まで迎えに行くんで待ってください」
と言ったらしい。
「何か、やってもらわなきゃ私が困るっ。
やってくれて当たり前っ。みたいな感じでした。
何か僕が悪いことしてるみたいになって
手が空いたら迎えに行くって言っておきました」
俺はその場にいたわけではないので、
どこまで彼らのやり取りを忠実に再現できているかはわからない。
だが、とにかく彼(スタッフ)は、何か非難されているように感じたらしい。
これは彼ならではの感性かもしれない。
このやりとりに疲れた彼は憮然とした表情で俺に報告した。
予約の時に言ってもらわなきゃ、突然そんな対応は難しい。
他のお客さんを待たせるわけにはいかないし。
言い方は悪いが、連絡しなかった方も悪いってことで、待ってもらうのもしょうがない。
すぐに(10分後らしい)女性が入ってきた。
えっもう?(これは俺だけの感性かもしれないが)
(目前のお客様のために急いでサービスをしていると時間の感覚は分からなくなる)
ちょっとまだ無理だろう。
彼女は何か店内をじろじろ見まわしてる。
手際が悪いって非難されているようだ。
今にも泣きだしそうな顔だ。どんだけ大切な人が待ってんだ。
そんなに大切な人なら、予約の時に車いすですって言ってくれよ。
俺は、あの今にも泣きだしそうな顔、視線が苦手なんだよ。
さっきは、彼女の非難的な態度はスタッフだけの感性かもしれないと言ったが、
やっぱり俺でも感じる。
当人は非難じゃなく、懇願のつもりかもしれないが、
そんな視線を受けたら、
大体こっちが悪いってことになるんだよな。
やな感じ。お客様に対して失礼だが、
既にこのねーちゃん(もうねーちゃんでいいっ)に対し、
いい印象を抱いていなかった。(人間だもの)
店せまいし、スタッフ少ないし、
何で突然やってきて手伝うのが当然、
俺が手が空いたら出て行って、一応一言、言っておこう。
と思ってるうちに、スタッフの手が空き、迎えに行こうとした。
あいつじゃちゃんと伝わらない。
この後の段取りがあるんで時間はないが一言くらい言えるだろう。
ねーちゃんの前に出る。
長話するとこっちが悪者になる。端的に言おう。
「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど」
何で、あんたはこっちの言葉が終わらないうちに被せてくるんだよ。
(対応が難しいけど、手が空いたら何とかなるんで)
って言おうとしたのに。
何か友人ってとこの言い方がひっかかるし、
微妙に特別感が漂ってる。
ねーちゃんにとっては特別なひとりかもしれないけど、
俺にとっては店に来てくれるお客様の一人であり、
特別な何かじゃないんだ。
ねーちゃんの友人ってだけで特別扱いできないし。
大体、本当の友人なら、言葉に発するときは「友だち」っていうぞ。
俺だけの感性かもしれないが。
やっぱりこの手の人は苦手だな。なんかカチンとくる。
もう嫌だ。
あっ言っちゃった。
迷惑客に対する伝家の宝刀「ほかのお客様も~」つい出ちゃった。
こっちの言い分を聞いてから答えろよ。
テーブルの配置を検討するし、
頑張って上がってもらってから、
無理です帰ってくださいとか、待たせるわけにはいかないんだから)
ってことが言いたかったのに。
つい出ちゃった。でもそれが言いたいんじゃないんだけどな。
あきらめた、うちのような小さな店では、2名分の売上は大事なんだけど、もういい。
人目に付かないウチの店じゃ通り客なんて難しい。でももういい。
俺口下手だから、きっと態度に出る。
「とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」
言っちゃった。とうとう言っちゃった。
あーあ、降りて行っちゃった。
無理だ、こんな状態では。
また頑張ろう。
でも、あのねーちゃんはいけ好かないけど、
何といっても問題は事前に車いすってことを言ってくれなかったことなのだから。
お連れの車いすの人にもちゃんと、
事前に連絡してくれたら対応できるって言った方がいいかもしれない。
一応追いかけてみようと下に降りることにした。
時間にして数十秒だが、降りるときにちょっとした葛藤があった。
車いすの人はどんなひとだろう。
そうだったらお客様の顔をつぶしちゃったかな。まずかったかな。
何か重要な記念日にウチを選んででくれたありがたい人かもしれない。
そうだったら、悲しんでおられるかもしれない。申し訳ない。
あの雰囲気はあるかもしれない。「友だち」じゃなくて「友人」だもんな。
そうだったら、俺怒られるのか。ヤバいのか。
居なくなってたらいいのに。諦めがつくから。
あっ、見たことある。
なんだ。と思った瞬間。
ねーちゃんの態度が思い出され、無性に腹ただしくなってきた。
ねーちゃんの「やってくれて当たり前感」は、この人が原因なのだ。
確かに有名人だよな。俺も事前に知ってたら無理してでも受け入れたよ。
満面の笑みを浮かべて対応するよ。
乙武さん好きでも嫌いでもないけど、
親切にしたら後でいいことありそうだから。
無くて当たり前、いいことあったらラッキー。ってな具合に。
常連にでもなってもらったら、
普通の芸能人と違って、彼ならこっちもミーハーって風に受け止められないし。
でもね。だめだ。
きっとこの人たちは、ずっとこうやって来たんだ。
悪気はないのかもしれない。当たり前のことかもしれない。
他の店はみんな親切に対応してくれるのかもしれない。
でも予約の時に車いすでって教えてくれってのはそんなに無粋なことなのか。
お客様は、確かにそれだけの価値を受け取った。だから次も来るよ。
改善してもらうか、さもなければもう来ないよ。
ってことだろ。
俺は車いすで行くんだ。お前んとこ最適なサービスができるのか?
おう上等だ。車いすでも何でも、値段に見合ったサービスはしてやるから来てみろ。
いや、うちにはあんたに金を払ってまで来てもらうだけのサービスは出来ない。他を当たってくれ。
これが予約の時のコミュニケーションだと思う。
いいから席を取ってけ。
当日に
車いすで来たけどどうだ。出来るのか?
なんて戦いを求めてない。
エレベーターの止まらない2階の店舗でやっとこさ店をやってるんだ。
こんな店がやりたかったんだと言ってるけど、
出来ればもうちょっといい条件の立地で店をやりたい。
たくさんのお客さんに味わっていただきたいってのが人情でしょ。
有名人はそんなに偉いのか。
有名人の「友人」を持つってのは特別なことなのか。
みじめだ。あーいやだ。
車いすの人物が、乙武さんであることは想像だにしていなかったので、
想定していた言葉、
「車いすの方は事前に連絡していただかないと、
なかなか対応できずにご迷惑をおかけするので、次回から(あるならば)ぜひ連絡を」
がまるで飛んで行った。
つい言い訳がましく
「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」
なんて言った。
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『食べログ』を見てお電話したので……」
あっ、そんな返しが来るとは思わなかった。
でも。アンタが電話したのか。
なら何で車いすですって、
あの乙武ですって言ってくれなかったのか。
既に頭に血が上っていたので、今さら後には引けない。
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」
予約の時点で車いすって言うのは間違ってない。どうだ。
ちょっと対等な話になっただろう。
そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
何で、そんな風な返し?
予約の時に言わないの。何で言わないの。
少なくとも入店を手伝ってほしいって
こっちの想定を超える対応を求める時点で事前に伝えろよ。
普通言うよ、言うよ。俺間違ってないし
「いや、常識でしょ」
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
何でそう来るの?何で俺とあんたらの問題じゃなくて世間が問題なの?
「ええ、どうぞ」
好きにしろよ。もう知らね。
一見で通り客が、いきなり言ってきたんならわかるよ。
それならこっちは、ちょっと頭のおかしい人なんだろうなって思って
まあ、暇だったり、その人に好感を抱けば、
お手伝いして入店してもらうかもしれない(人間だもの)
でもね。予約よ。予約。
あんたらは、うちの情報調べれば分かるじゃん。
絶対調べろよって言ってるんじゃないよ。
文句言うくらいなら調べろよってこと。
って確認しなきゃいけないのか。
って言わなきゃならないのか。
あ、これは何か言ってもいい感じがする。
まあ置いといて。
とにかく事前に言ってくれてりゃ問題なかったのに。
車いすの人を断るんじゃなくて、
事前に連絡いただけないにもかかわらず、
お断りします。
「これが俺の生き方なんで」
以上が当日の経緯です。
ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。
俺は、いきなりやってきて無理難題を吹っかけられて、
それに逆切れしたのではない。
店主とか、客とか、そんな関係性を抜きにして、
はなからやってもらって当たり前だろ。
相手を非難するような、あの態度が許せなかったのだ。
彼女、彼の本意がどこにあるにせよ。
こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、
俺は深く傷つき、
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
という挑発に
「ええ、どうぞ」なんて言ってしまったのだ。
もう、この頃になると、俺は思考停止状態だった。
こんなに冷静さを失ったのは、
まあちょくちょくある。
関係ねーよ。
うちは60万人も入れねーし。
分かる人は分かってくれる。
って強がってみたけど、何か問題大きくなってる。
残念ながら俺の負けだ。
一応謝っとこう。
車いすの人は無下にことわる
これが「うちのスタイル」なんて言ってないよ。
謝ろうと思ったのにだんだん腹立ってきた。
何で「僕のように、こんな悲しい、
人間としての尊厳を傷つけられるような車いすユーザーが一人でも減るように」
なんだよ。
大げさなんだよ。
あんた確か自分は障がい者ではない、個性でありちょっと不便なだけ
って言ってなかっか。うろ覚えなので間違ってたらすまん。
俺はあんたを常識人として扱おうと思っただけだよ。
上にも書いたが、
俺にとっては、相手に予期しない労を求めるなら事前に知らせることが常識だ。
その常識を守れない人とは付き合えない。これが「俺の生き方(スタイル)」って
ことなんだけどね。
乙武さん相手には何か言い訳じみて聞こえるかもしれないけど、これが本音。
店の名前を公開したことを謝っているようだけど、
公開することは俺が認めたんだからいいよ。
こんなに問題になるとは思ってなかったけど。
でも、話しの主旨を変えているのはやめてくれ。
作為的なのか誤解してるのか知らないけど。
俺は人の尊厳を傷つけるようなことはするつもりもないし、
あんたとあんたの連れに対し
個人的に誤解、行き違い感情の亀裂があったと言いたいだけだ。
今回の件で俺に対して批判的な皆さんが、
この文章を読んで考えを変えてくれるとは思ってない。
間違っていることは伝えたい。
少なくとも俺は、
人間代表、車いすユーザー代表の乙武さんと争ったつもりはない。
会話部分は録音された物であり、
双方が認める会話を文章にすべきだし、
背景、状況も双方の事情を記すべきだと思う。
自分の得意分野に引っ張り込んで勝負を持ちかけるなんて
こんなことなら
どっちが旨いイタリアンを作れるか勝負に持ち込めばよかった。
ここまで書いたことが、あの夜の思ったことすべて。
これ以上でも、以下でもありません。
乙武さんが出来ればウチに再訪してみたいって?
そしたら、丁重にこう伝えるよ。
当店はエレベータがないので
車いすの方には多少不便をかけるかもしれないですが
そしたら、だれも文句ないだろ。
P.Sでも、やっぱり時が元に戻せるんなら、せめて
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
なんて言いたいな。
だって、せっかく始めたお店だもん。できれば悪口言われたくないから。
えー、当たり前ですが、上記は全部創作です。
この2日ほど乙武さんの件をあっちこっちで見かけたので作文しました。
どちらかというと好意的に見てました。
というか、いまでも見ています。
ただ信者ではありません。
なんてのに感心しておりました。
ある種の尊敬の念でした。
そういえば、乙武さんはすごい人だけど、きっと友だちにはなれないなー。
なんて思っていたことを思い出しました。
どうでもいい情報ですが。
どこかで見かけましたが、
本人や、信者の方が認める認めないにかかわらず、
なんか字数制限に引っかかったみたいなんで、続きは
まぁ、店主に差別的な意図があったかは微妙だな。少なくとも、同行の女性が強いショックを受けるような言動があったんだろうけど、店の運営の妨げになる(と主観的に思った)客にきつく当たる類の「頑固オヤジ」は存在するし、店内では彼女だけで乙武氏の姿を見てないわけで、降りていったら相手が「たまたま」五体不満足の著名人だったと。
とはいえ、だ。「頑固オヤジ」を「スタイル」として消費する風潮がやはり歪んだものであることは、今回の一件で明らかになったのではないか。「頑固オヤジ」とはつまるところ、その本質は「排除の論理」だから。それを「社会からの排除」を切実な問題として引き受けている障害者に対して向けたら、相手はどう思うか。
客を選ぶのは、もちろん構わない。しかし、「頑固オヤジというスタイル」が発する攻撃性や排他性、そしてそれに対してリアルに身の危険を感じ取る人々が存在するということを、少しばかり自覚しておくべきだったと、後知恵だとしても言わざるを得ないだろう。
店の事情をきちんと説いて引き取ってもらう、それだけで今回の問題は回避できたはずだ。
もちろん、これは単純に店主の責任に帰して済む問題ではない。「頑固オヤジ」を肯定的に消費してきた我々の態度こそが、一番に問われていると考えるべきだろう。
PS:
乙武氏の反応は褒められたものではないけど、あまり責める気にはならない。だって、女性が泣いて出てきてオロオロしてるところに、その後から泣かせた張本人が上から降りてきたら、ラスボス感が漂いまくりだろうし。
PS2: