はてなキーワード: けふとは
少年たちが「水の呼吸 弐ノ型」とかやっているのが微笑ましい云々のツイートがバズっていたけど、何を隠そう俺はリアルタイムで「水の呼吸」を使えるオッサンだ。
どういう時に使うか。通勤時の人混みで使うのだ。
通勤ラッシュでは、前を歩く人々のスピードがそれぞれであり、コース取りによっては前が詰まることがある。何度もスピードダウンしたり、あるいは強引に進路を変え、後ろに迷惑を掛けることもあるだろう。
ここで水の呼吸を使う。
だまされたと思って、「水の呼吸・・・拾壱ノ型、凪」とつぶやいてみてくれ。声に出すことが重要だ。心で思うだけじゃ駄目だ。
そうすると「ピキーン!」という音とともに、人混みを縫うようなコースが、赤い矢印で現れる。
あとは、いつもより少しだけふくらはぎに力を入れ、速力を増してそこをつむじ風のように通り抜けるだけだ。簡単だ。
ふう、と呼吸を戻す頃には、さっきまで人の頭しか見えていなかった視界が澄み渡っているという寸法よ。
俺は毎朝この「水の呼吸」で品川駅のドナドナを楽しくやり過ごしている。朝の通勤ラッシュでうんざりしているオッサン(に限らずだが)は、ぜひ試して欲しい。当方43歳。
ちなみに「拾壱ノ型 凪」は冨岡義勇というキャラが繰り出した技だが、特に上記のような効果があるわけではなく、どちらかというと敵の攻撃を無効化するようなスキルだ。
だが、名前などはどうでも良いのだ。なんなら君のオリジナルでも良い。
要は「水の呼吸」と声に出すことが大切なのだ。
「いつも日記や画像拝見してます。もしかして〇〇に住んでるんですか?」
ことの発端は、僕の住みを言い当てた、某SNSに届いたDMだった。彼女はA菜という年の近い女装男子だ。
「やっぱり! 私も〇〇なんですよー。今度女装同士で会ってみません? 私タチ女装ですけど」
すぐに返信すると、相手からも即返信。近場に同行の士が見つかってうれしい。
「いいですね。でも宅女装なんで外出できないんで、会うとしたら個室ですかね。ラブホでいいですか?」
「ぜひ! いつがいいですか?」
「私も土日休みなんで都合よかった。じゃあお願いします。受付ないラブホ知ってるんでそこでいいですか? 車出しますんで」
びっくりするほどとんとん拍子に決まる。夜勤から帰ってシャワー浴びて即寝。
夕方ごろ目覚めて再び風呂で髭や脇や腿の毛を処理して、衣装にアイロンがけ。それでもまだ約束の時間までかなりある。楽しみを待っている時間は長いなあ。と思いながら腹ごしらえ。
日も暮れかけたころ、集合場所の駅へ。ロータリーに伝えられていた番号の車を見つけ、ノックすると、パワーウィンドウを開け男が顔を出す。
髪を短めに整え、もみあげや口周りに剃り残しのない、一見すると「清潔感のある草食男子」といった風貌。それは、女装男子特有のムダ毛を残さない意思を感じられる顔だった。
「すみません、A菜さんでよろしいですか」
男性にA菜という女性名を尋ねるのは我ながら奇妙であったが、女装男子同士の初対面ではよくあることであった。車に乗り込むと、これまた女装男子特有の大きめキャリーバックが置かれていた。
「夕飯どうします?」
「食べてきました」
「じゃあ目的地に直で向かいますか。途中コンビニだけよりますね」
なんのことはない、よくある会話。事情を知らない人からすれば目的地でこれからオフパコするなんて思いもよらないだろう。
「ゴムとかは備え付けでありますし、予備も持ってきてます。ローションは現地にもありますけど、別料金だから用意してきました」
「詳しいですね。よく行くんですか?」
「デリヘルで。受け付けないから『ここ男同士でもいけるな』ってとこ選びました」
コンビニでの買い物を済ませ、現地に着く。駐車場から直接個室に入るような作りで、ホテルスタッフと顔を合わせる必要がない。なるほど、ラブホってこうなってるんだな。
ナチュラルに先に女装させるA菜さん。男女のカップルと違って一緒に入浴するのにやや抵抗がある人が多いところだが、夕飯という口実で先にシャワーを浴びさせるのはうまい手管だ。
「じゃあ、お先に失礼します」
とはいっても夜勤明け、昼寝明けですでに今日二回も入浴していた自分は、ほぼ行水に近い短時間で済ませ、水気だけふき取ってバスタオルだけ巻いて大荷物をもって鏡台の前へ。
ウィッグ、ファンデ、アイシャドウ、チーク、口紅。メイクで見慣れた顔が女性になっていくのはいつ見ても楽しい。オフパコ前はなおさらだ。「この鏡の中にいる子が今からエッチするんだ」と客観的に興奮できる。
今日の下着は白とピンクの横縞。胸はないが、細くてくびれのあるお腹。つかみ心地がよさそうだ。そして股間はすでに七分ほどのふくらみ。
「お待たせしました」
その姿でA菜さんの前に姿を見せる。
「おお。いいですね。僕も夕飯終わったんでお風呂行ってきます」
そういって荷物片手に風呂場へ消えたA菜さん。残された自分は自撮り。うむ、ラブホの雰囲気でエロくていい感じ。特にお腹がエロい。
でも下着からプレイを始めるのは早急な気もするからなんか着よう。……せっかくアイロンかけたしこの初音ミクがいいかな。緑のツインテウィッグはないけど、黒髪ミクもありやね。
しばらく自撮りしてたけど、なかなか出てこないA菜さん。手持無沙汰にテレビをつけると、アダルトビデオが複数チャンネル。これでもみて気分を高めるか。
気分が高まっていく。自分のものが大きくなっていく。パンツ越しに触れていると、お待たせ、と声が届いた。
風呂場から出てきたのは、バスローブを着た女性。茶色がかった肩につく程度の長さのウィッグと、ややブラウンが濃いファンデに明るめの目元と頬、ややギャルっぽい風貌で、先刻の草食男子とのギャップも相まって映える。
「AV見てたの? あたしも一緒に見よ」」
一人称があたしに変わり、口調もやや間延びした感じになっている。女はメイクで顔を変えられるから怖い、とはいうが、メイクで受ける変身の幅は断然、男のほうが広い。
さっきまで液晶の向こうのAV女優に食い入るように眺めていた自分が、今は隣にいるA菜さんに釘付けになっている。僕の視線に気づいたA菜さんも、身体だけテレビへ向けて目はこちらを向いている。
すると、A菜さんはベッドの下に手を伸ばしたと思うと、何かを取り出して
「えいっ」
と、僕の股間に何かを当ててきた。球体に持ち手を付けたような形状で振動している。デンマだった。
「んっ……」
「あは、いい声出すじゃん」
つい声をあげてしまった僕を茶化すA菜さん。負けじと僕も彼女の股間に手を伸ばすと、触りなれたモノの感触があった。
しばらくお互いの股間をいじりながらAVを横目に見ていると
「フェラって気持ちいいよね。コスローちゃんにしてもらいたいな」
と彼女からの申し出。そこで自分がビデオカメラを持ってきていたことを思い出す。
「ねえ、撮ってもらっていいですか?」
「え、なにを?」
「僕がA菜さんのをしゃぶってるとこ」
「撮影して、ってこと?」
「いいよー」
快諾してくれたA菜さんにビデオカメラを渡す。体勢は、今見ているAVと同じようにしゃぶられる側が仰向けになって足を広げ、しゃぶる側が股の間に顔を埋める形だ。
「じゃあ撮るよー」
その合図に合わせ、A菜さんのバスローブをはだけさせ、下着を露にさせる。上下とも黒で、バスローブの白とのコントラストになっていて奇麗だ。何度かパンツ越しに上下させた後、ずらす。
男性のモノが目の前で露になる瞬間は、磯溜まりで生物を見つけた時のような悪戯な楽しさがある。イソギンチャクとかヒトデとか形も似てるし。
まずは唇でキス。鈴口と口を合わせる。そのあと舌先でちょんちょんと何回か触れたあと、かぷっ、と咥える。口の中で、舌の前面で撫でる。
「楽しそうだねーこっち向いて」
そう言われて、いったん口を離してA菜さんに向かって笑顔を向ける。
(後でビデオで見て確認したら、この時の自分の笑顔が人生の中で最高の笑顔だと思う)
その後も飴を舐めるような愛撫から麺をすするような勢いをつけていく。これは初めてフェラした相手が教えてくれた技で、今でも心掛けている。
「おいしい?」
そう尋ねるA菜さん。実際おいしいわけではないが、硬さが変わっていったり、ビクンと跳ねたり、生命を感じる動きが楽しい。ただうなづいて愛撫を続けるが、急に撮られていることが恥ずかしくなっていったん止めてもらう。
「え、やめちゃうの?」
一旦体を離して、テレビに目線を移すと、フェラシーンから本番シーンになっていた。
「じゃああたしたちも本番しようか。こっちがいれるほうでいいよね」
「……はい」
「好きな恰好ってある?」
「……後ろからが好きです」
そうつげて、僕はうつ伏せで肘を立てて上半身をやや受かせた姿勢になって彼女に背を向ける。枕もとの鏡には、緊張と興奮が入り混じった自分の顔が映る。メスの顔だ。
「じゃあ失礼して」
オスの顔をしたA菜さんが僕のスカートをめくり、尻肉をいじったり、穴に指を入れて広げたりしてくる。声をあげたり、歯を食いしばったりする鏡の中の自分に列状を催す。
「そろそろいいかな」
僕の腰を両手でがっしりと固定し、股間のモノを差し込んできた。思いのほかすんなり入り、不意に声をあげてしまう。ゲームのダメージボイスみたいだった。
「ごめんね、痛かった?」
「大丈夫、です。動いてください」
お願いすると、腰をゆっくりと前後に動かしてきた。そしてA菜さんも上半身をやや倒し、上着をはだけさせて両手で僕の乳首をつまんだり、二の腕から肩甲骨のあたりを撫でたりする。
背面を撫でられて、はめられているのになぜか安らぐ。背中を預けられるような相手を見つけられたからだろうか。背中どころか後ろの穴まで預けてるが。
「あ、そろそろいきそう。ゴムしてるから中でそのまま出していい?」
言葉は尋ねているが、身体では有無を言わせないように体重を勢いをかけてくる。そして、ゴム越しでも後ろの穴から全身に伝わる脈動と射精。
「……うん、早かった」
不満ではなく、自分の中でいってくれたことに対する感謝を込めて告げた。彼女が出したゴムを処理している間、僕は恍惚と横たわっていたが、すぐに今度は自分もイキタイという欲望が噴出してきた。
ベットの端に腰掛けるA菜さんの手をつかんで、自分のモノに導くと、意を得たように握ってくれた。
「ごめん、あたしタチでフェラとか本番とかできないけど、手でいい?」
「うん、できることだけでいいよ」
彼女は勢いをつけて僕のモノを上下してくる。他人に手でしてもらうのは自分でするときと力加減が違ってもどかしいが心地いい。
「出そうになったら言ってくださいね」
「ごめん、もう出そう」
「え、ちょっと待って」
A菜さんは右手で握ったまま左手でティッシュを抜き取り、僕のモノにかぶせてきた。発射するのはほぼ同時だった。
「すごい量、でてますね」
「やっぱり前立腺突かれた後だとたくさん出るみたいですね」
などと会話を交わして出てしまったものを処理する。二人とも射精したばかりでしばらく呆然と流したままのAVを眺めていた。そして、メイクを落とす時間を考慮して早めに身支度を始める。
「さて、そろそろ行きますか」
「いえこちらこそ」
「そうですね。まあ百円均一のだからなくしても買いなおすだけですけどね」
駅まで送ってくれたA菜さんに礼と「おやすみなさい」と告げてわかれる。
「内容をご確認ください。
大蛸:いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて、けふといふけふ、とうとうとらまへたア。てもむつくりとしたいいぼぼだ。いもよりハなをこうぶつだ。サアサア、すつてすつてすいつくして、たんのふさせてから、いつそりうぐうへつれていつてかこつておこうか。
女:アレにくいたこだのう。エエ、いつそ、アレアレ、おくのこつぼのくちをすハれるので、いきがはずんで、アエエモイツク、いぼで、エエウウ、いぼで、アウアウ、そらわれをいろいろと、アレアレ、こりやどうするのだ。ヨウヨウアレアレ、いい、いい。いままでわたしをば人が、アアフフウアアフウ、たこだたこだといったがの、もうもうどふして、どふして、エエ、この、ずずず
大蛸:ぐちやぐちやズウズウ、なんと八ほんのあしのからミあんばいハどうだどうだ。あれあれ、なかがふくれあがつて、ゆのやうないんすいぬらぬらどくどく
女:アアモウくすぐつたくなつて、ぞろぞろとこしにおぼへがなくなつて、きりもさかひもなく、のそのそといきつづけだな。アア、アア
小蛸:おやかたがしまふと、またおれがこのいぼでさねがしらからけもとのあなまでこすつてこすつてきをやらせたうへですいだしてやる
やめたい。
最近顔が丸くなってきた。腹も出てきた。
本当はカフェとかのクリームとかフルーツが一緒に乗っかった幸せなパンケーキが食べたい所だが
田舎にそんな洒落た店があるわけないから自分で焼いたホットケーキを延々と食べ続ける毎日だ。
牛乳と卵をよくかき混ぜてからミックスを混ぜて、だいたいよく混ざったら熱したフライパンに高い位置からおとして焼く。押さえつけたりとかはしない。
でもこれは私の理想ではない。本当に求めているパンケーキは六畳一間の薄ら寒いワンルームでは手に入らない。
ホットケーキがどれだけふわふわになっても、日々の中でふわふわが増してどんどんレベルが上がっていっても、それはパンケーキにはなり得ない。
そんなもんだから毎晩決して満たされないパンケーキへの欲に駆られてホットケーキを焼いてしまう。
今日も焼いた。ふわふわしてた。でもこれはパンケーキじゃない。
朝食を摂りに一階まで降りてみたところ、いつものようにリビングのテレビが意味もなく流れていた。
よく聞いていなかったから誰が死んだのかは知らないし、仮によく聞いていても社会不適合者の私は誰だか分からないだろう。
例えば私は阿藤快が死んだというのは知っているが、それを知ったのは今月のことだ。しかもTumblrで流れてきたからで、その偶然が無ければ私は阿藤快が死んだ事を向こう3年、いや5年知らなかったかもしれない。付け加えれば、阿藤快がいかなる人物であるのかについて私は何も知らない。失礼ながら、名前を少し入れ替えれば加藤愛とかいう人になるという系列のアレでしかお目にかかったことがないし、もっと言うとその加藤愛とかいうのが誰なのかについても勿論分からない。下の名前からして女性だろういう事はいくら私でも分かる。
まあ阿藤快のことはどうでもいいんだけど、さておき、Vtuberは全員合成音声でなければならないと思った。
想像してみて欲しい。何十年か後、我々がすっかりボケ老人と化して全国の介護施設でハルヒやらきすたやけいおんが延々流れている未来。「おじいちゃん、チョココロネの頭がどっちなのかの話はもう見たでしょう」「チョココロネ……横から食うか……下から食うか……」「はいはい」なんて会話がお茶の間で繰り広げられる地獄のいつかにおいて、ある日突然キズナアイの中の人が死ぬ。
アナウンサーが伝える。電脳少女シロの中の人が死にました、電脳少女少女シロの中の人が死にました。死亡者の中に日本人がいました。業界人がコメントする。「月ノ美兎の中の人は当時のVtuber界において非常に貢献をした人物で……」我々老人達はその訃報に、一瞬だけふっと脳内に電流が走り正気を取り戻し、樋口楓、ああ若かりし頃に追っていたアイドルだった、そう思いながら涙を流す。でも頭がボケているから実はそれも30回目の事だったりする。
このまま誰も何もしないのなら、これがVtuberに待っている未来だ。だけど良いのか。お前それでいいのか?私の中のブロントさんがそう告げる。
お前らVtuberは電脳少女だ。死んではいけない。老いてもいけない。老いるのも死ぬのも人間がする事だ。有機生命体であり定命の者である我々がする事だ。こんな哀しい業を背負うのは我々人間だけで良い。代わりにお前らは何十年経とうと何百年経とうと電子の海を漂っていなければならない──インターネットか、あるいは何らかの電磁的記憶媒体がそこに存在する限り。そして保存された動画の中でしか動かない「死んだ」存在ではなく、誰一人見ていなくとも永遠に自律的に動き続ける存在として。そう、私がかつて管理人だったサイトで未だに喋り続けている人工無脳のように。
中の人は死んではいけない。とりあえず中の人は死んではいけない。というか、そもそも中の人なんて存在してはいけない。中の人などいない。
「Vtuberに中の人がいるべきではない」というのは相当数のVtuberファンの楽しみ方を否定するような思想だろうし、実際私も1人のVtuberファンとして中の人はいた方が楽しいと思っている。しかしながら、キズナアイに代表されるように、もしあるVtuberが「私AIですよ」という路線を執ったのなら、彼か彼女かに中の人がいてはならない。中の人はいつか死ぬからだ。中の人初代が存命だろうと死んでいようと秘伝のタレの如く人材を継ぎ足し継ぎ足しして別人に切り替えても誰にも分からないようにしなければならない。永久に回り続けるシステムにしなければならない。Vtuberは全ての属人性を剥奪されその存在を維持するためだけに人間の集団を使役するマザーコンピュータに成り果てる。いつか本物の人工知能が出来るまで。
これを実現するのに何が必要か。
とりあえず肉声があってはいけない。
ナマモノの声はいつか老い、あるいは死に、代替が効かなくなり、それは同時にVirtualにして永劫不滅であるはずのアバターの死をも意味するからだ。
声の死を回避するために声真似を利用するという手は、なくもない。たしかに声真似が得意な人間、というより、出せる声幅の広い人間というのはいるし、特に山寺宏一や水橋かおりみたいな人間に練習されたら概ね常人には区別がつかなくなるだろうし、「水橋かおりが半年かけて練習したキズナアイと本物のキズナアイ、どっちがお高い方でしょう!」なんてクイズを出されたら自信を持って正解出来る人間はほとんど居ないだろう。いやギャラがお高いのは水橋かおりの方なんだが。そして何故水橋かおりの話をしてるかって言えば私は水橋かおりくらいしか声優の名前を知らないからなんだが。ヘィ!ルゥク!リッスン!あと裏名義はやめろ。誰とは言わないけど裏名義はやめろ。裏名義は良くない。裏名義は良くないぞ。話が逸れた。
いずれにしても声真似というのは極めて限られた専門的技術者にだけ為せる事であり、出来る人間の数は限られている。それに、声質が特徴的な一部のVtuberは本人以外誰にも出せない声を発しているという事もあるだろう。話し方やトークの問題だってある。どうモノマネを試みても僅かに違いが出たりして、そして我々人間はその塵のような違いにさえ敏感だから、「キャラクターの声がイメージと違う」と思ってしまった瞬間に「中の人が死んで交代しているのでは?」と疑わざるを得なくなる。先天的に首が締まっていたりするのもVirtualの世界ではにはよくあることだし今年のエイプリルフールにアレはキズナアイではないとすぐに気付いた人間が殆どのはずだ。あとコラボおめでとう。
他にも芸風の問題とか趣味の方向性とか知識量とか課題は山積みだけれども、とりあえず「生声でやっている」という事実ただそれ一つを以てすら、我々は必ず何十年か後に「微糖カイジの中の人が死にました」という話を聞かざるを得なくなる。あるいは数年もしない内に、中の人が誰か交通事故で死ぬかもしれない。いや微糖カイジについては中の人より先に微糖カイジが死んだんだけど。
生声Vtuberは未来永劫にVirtualな電子生命体ではないのだ。それがなんとなく今朝思ったこと。誰も読みやしない、誰かの日記。のらきゃっとやげんげんみたいな存在がVtuberとしては一番正しいのかもしれない。私はちゆ12歳様を応援しています。
そんなの受けたら誰だって嫌だよ。気持ち悪いもの。だからそれは気の毒だ。怖かったよね。
って思える。
だけど、何にもしてない人を「相手が気に入らないという理由」なだけで痴漢と訴えかける女性がいる。
自分がなんもやってないのに、いきなり泥棒扱いされたら嫌でしょ?それと同じことをやってるんだよね。
でも、当の本人たちは自分たちの悪意に気づかない。というか、痴漢だと叫ぶこと自体が自分の正義と勘違いしてる。
冤罪ふっかけて相手を陥れようとする。それは卑怯でとんでもなく人間性を疑いたくなる。
「あの人がいやらしい目で見てきた」というフレーズをたまに聞く。
別にいやらしい目で見ているんじゃなくて顔の形状的に目がそういう感じなだけじゃないの?って話。
顔の出来が悪くて本当にすみませんって心で謝っている人もいるかもね。
自分で選択できる顔ならこんな冤罪も起こらないだろうし、そういう選択を生まれる前にしたかったと思う人もいそうだよ。
女性がコンプレックスを抱くのと同じように男性も同じなんだよね。
好きでそんな顔してるわけじゃないし、そういう目線を送っているわけでもないでしょ。
ほかにも「あの人の息がかかった」とかね。
お前様は呼吸をしないのか?と。人によっては呼吸が荒い人もいるよ。これは生まれつきの人も居れば呼吸系に問題がある人もいる。
女性陣の中には一切呼吸が荒くなったりしないってことかな。すげーですよ。男と女にはこれほどの差があるんだなーって思います。
そういう所も考えたことのない被害妄想が酷い女性は、ホント目の前の男が気に入らないって理由で痴漢の冤罪を押し付けてくるでしょ。
電車乗る時に女性の近くなんか行きたくないよ、電車に乗る女性はみんな冤罪ふっかけてくる小悪党だって思ってしまうもの。
そういえば、きっと女性はそんな事無いって反論した挙げ句に本当に痴漢されてるとか言ってしまう人がいるかもしれないね。
うん、最初にも言ったけど。
怖かったと思うよ。
女性が痴漢行為に遭うのが一部なら、痴漢行為をする男も一部なんだよね。
現行犯は捕まるべきだ。さっさと罰せられて社会的に制裁を受ければいいと思う。
だけど、息が荒い。何度か目があっただけで痴漢扱いするのは間違っていると思うよ。
そんな誤解で痴漢扱いされた人が、社会的な差別をされたらどうするのって話。
もうそこからは冤罪どころじゃないよ。人として差別をされるよ。
誤解した方は罪をふっかけるだけふっかけてとんずらー。
あぁ、人として腐ってる。それじゃ痴漢行為をしてる腐ったクズ男と同じだよ。
ここでタイトルの話になるんだけど、日本の女性はちょっとしたことで被害妄想が尋常じゃなくなる。
ぶっちゃけた話をすると、メディアがインタビューしている女性ほど痴漢に選ばれそうにない。
つまり容姿でそういう選択肢が出来るのだから、呼吸が荒い、目線があっただけで痴漢だというのはおかしいってこと。
なんかまとまらなくてすまんけど、電車を乗りにくくされるのは通勤にとても不便なので事実が発生した時にワイワイやってください。
ずっと若手俳優としてやってきてたのに、去年1月声優に転身した彼。私は声優という仕事が特別好きとかではないので俳優でないとなれば応援する意味が…ってなったけど、でも彼自身が好きだと思ってたから追ってきた。
ここ数年そうだったが、声優になってから俳優の仕事への態度が目に見えて悪かった。Twitterで舞台の告知はおろか公式アカウントのリツイートすらしない。舞台の挨拶でも1人だけふんぞり返ってつまんなそうだし。もちろんそれについて彼への批判も多く、同様に私もどうしてとは思っていた。
今思えば、というか薄々ここで気付いてはいたけどやっぱり認めたくなかった。私は彼自身が好きというより俳優である彼が好きだったからだ。これは発言を受けてから気付いたことだけど。
ついにとでも言ったほうがいいのか、そんなファンを切って捨てた。ほんとに最後のライブの挨拶で爆弾を落とした。
ずっと俳優の仕事が嫌いで葛藤があったと。正直そんなの知らねーよって。
私は俳優の彼が好きだったのに、本人がそれを好きじゃないと言ったらどこに気持ちを置けばいいのかわからなくなるし、今もわからない。
でも舞台に立っているときは楽しかったしって言ってたと擁護している人もいるが、まあ、だから何なのかと。呆れる。言葉足らずな不器用さを擁護している人も。
舞台や人前に立つ人間は少なくともそんな言葉足らずでファンを誤解させてはならないだろうと。
ていうか今回の件があってなお降りない人ってなんなの?普通に怖い、どんだけポジティブなんだよ。
本意は結局のところわからない。俳優として見切りをつけるためなのか、いい加減俳優にすがるファンが嫌だったのか。いずれにせよ自分の言葉で伝えきれないことなら黙っておいた方がよかった。少なくともこれまで応援して来た人はそんなこと言われたら悲しむし。そんな人を切るために言ったのかもしれないけど。
ライブが終わって、昔の円盤をひたすら見返してるけどどれもつまらなそうに見える。これも嫌だったのかなって。
俳優仲間の人がTwitterで庇ってくれてたけどそれにも反応ないし。昨日あったイベントも刺されるんじゃないかとヒヤヒヤした。
彼はファンである沢山の人を否定した。これからどうするつもりなのかな。
俳優としてはもうやらないつもり、でも声優としても上手くないし中途半端。ゲームも声が安定しないからって録り直ししてたし。
茶の間ばっかの自分を擁護する人たちに囲まれて、甘やかされて。あなたはよく客に甘やかすな!と冗談交じりに言うけれど。
そのうち声優の仕事も葛藤があったとか言って辞めるんじゃないの、って。
散々前述したが、でも私はまだ、そんな推しから降りきれないでいる。今回のことをポジティブに捉えているわけではない。
本当に彼はそう言ったのかと思うようにすらなって来ているから、希望が芽生えているのはそこから来ているのかもしれない。
腹が立つし、本当わけわかんないし、大っ嫌いと言えるけど、でも、嫌いなのに、すごく悲しい。いっそ降りたいとすら思うのに。
いっそこの追ってきた日々を忘れられたらどれだけいいことか
山本七平 著 「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条」 より引用
なぜこのように全く成果のあがらない事をするのか。言うまでもなくそれは、成果があがらないとなると、その方向へただ量だけふやして、同じ事を繰り返す事が、それを克服する方法としか考えられなくなるからである。
ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探究し、それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。 むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。
この傾向は日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから…毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を増すという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つおぼえのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出して自ら大量「死のベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。
あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。
これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。
ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるため払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。
米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大 https://t.co/g9va8K9mdH— AFPBB News (@afpbbcom) 2018年3月24日