はてなキーワード: えぐみとは
昨日、食べようと思った夕飯が16時間を経て完成した
ほんと作ってる途中で飽きるし眠くなるし食べなくてもいいかって気分になるし料理無理
<材料>
<手順>
<どこで秋田のか?>
1時間くらい休憩したあとミンチをタコスシーズニングで炒めてそのあと仕事して寝た
<感想>
タコスの具はカルニタス(メキシカンプルドポーク)が絶対正義だと思うけど
それ以外なら別にタコスシーズニングがあれば大豆でも別にいいかなって感じだ
──やはり子供の頃からフードファイターの片鱗はあったんですね。大食いに関して言うと、好きな食べ物と得意な食べ物は、必ずしも同じではないんでしょうか?
ロシアン:全然違いますね。好きだけど大食いに向かない食材はたくさんあって、たとえば実体験として感じたのはカルボナーラ。
──ロシアンさんは以前から「カルボナーラが好物」と発言されていますよね。
ロシアン:大好きなんですけど、油分が多いので大食いするにはくどすぎて、お腹いっぱいになる前に食べられなくなってしまうんです。同じように、焼肉は脂っこいカルビが大好きなんですけど、大食いするんだったらヒレ肉のほうが絶対たくさん食べられます。
──油分や脂肪は難敵なんですね。
ロシアン:大量に摂取すると、喉とか胃の上部のほうに油膜が張ったみたいな感覚に襲われるんですよ。あと、大食いすると、いつも食べている食べ物の味じゃないところを感じるんです。
──たとえばどんな味ですか?
ロシアン:満腹になってくると、お肉だったら獣臭さ、お野菜だったら青臭さ、みたいに食材の臭みやえぐみが際立ってくるんです。体がその食材に対して危険信号を発しているんだろうなと感じるんですよね。
──すごい領域だなぁ。今日はとびきり体調いいぞという時でも、大食いを始めたら食べられなくなってしまうことはあるんですか?
ロシアン:あります。胃腸の状態って精神状態に直結するので、感じていないプレッシャーがかかってたりすると、思っていたよりも食べられないことがありますね。あと、食材によっては気持ちが折れて食べられなくなったりとか。
──たとえば何を食べた時ですか?
ロシアン:大食い経験で顕著に出たのは、ソフトシェルクラブを食べた時です。
ロシアン:もともと生ものの対戦がすごく苦手で、その時は、「誰でも食べられるようにきちんと火を入れたものを出します」と事前に言われて大会が始まったんです。でも、ひと口食べたらレアで、そういう要素に気持ちを持っていかれて、お腹に入る容量の半分以下くらいしか食べられなかったんです。
気持ちが追いつかないと食べられないというのは、どのフードファイターにもあることで、大きい大会の時は、精神的な部分も作り込んで臨むフードファイターもたくさんいます。
知り合いのおたくな人が以前、けものフレンズとかのいわゆる美少女擬人化にハマってた時
特にそれをああだこうだとは思わなかったんだけど、
今回ウマ娘でうまぴょいとか踊ってる画像貼ってんの見たらなぜかキモイと思ってしまった。
あれかな、けものフレンズは具体的などの個体ってのが無くて種別全体だからフワッと感じられたけど、
ウマ娘はどの競走馬ってすっごい具体的だからそれがなんかキモさに転じてるのか……。
うーん。
思い返すに艦これとかも別にキモイとは思わなかったから、非生物でなく具体的な生物、
やっぱり著名な競走馬としての個体にそんなことやらせてるのがキツかったのか。
あるいは走らせるだけならまだしもなぜか踊らせることに美少女擬人化のえぐみみたいなのを感じたか。
さもなきゃうまぴょいというワードの負の力?
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
ワンダーエッグ・プライオリティとの比較だときついよ、あれは相当おもしろいから、今のところ。
今シーズンのアニメ、サブスクで見られるものは一通り見たけど、今のところ期待値ナンバーワンよ。
原案が野島伸司って時点で「おっ?」ってなるしね、個人的にはテレビドラマ全然みないからあんまりバリュー感じないけど。きっとテレビがらみの人脈とかがプラスに働いてるんだろなと期待。
キャラクターデザインがいいよね、スッとした線で、今風のシャープさがあって、繊細な感じが。ダンまちOVAとかダーリンインザフランキスとかの作監やってた人らしいけど、キャラデザ。
で、音楽はDE DE MOUSE とクラムボンのミトさんだって。緊迫感のあるシーンでも軽やかな電子音だったり、全体的に抜けのよいBGMがバランスいいよね。OPは少しミスマッチのように感じたけども、これから見ていくと印象変わるのかも。
話のバイオレンスさや命が軽く感じるえぐみと、キャラデザやポップなセンスとのぶつかり合いは、バランスは違うけれども魔法少女まどかマギカを連想するし、日常と非日常がシームレスに繋がった演出は廻るピングドラムを連想させるかな。
元コーヒー屋さんです。皆さんにコーヒー沼にハマってほしいため、美味しい(と思う)コーヒーの淹れ方を記します。
▼コーヒーの淹れ方
ハンドドリップ、サイフォン、エアロプレス、フレンチプレスエスプレッソマシン、水出しとありますが、今回はハンドドリップです。ハンドドリップとはコーヒー粉をフィルターに入れ、上からお湯を注ぐことで抽出する手法です。フィルターにはペーパー(紙)、ネル(布)、金属がありますが、まずはペーパーがおすすめです。
ペーパー:油分が紙に吸収されてしまうが、お手軽。
ネル:油分が多く抽出されるが、お湯の淹れ方やネルの保存方法が面倒。
金属:多分美味しく淹れられると思うけど、使ったことがないのでわかりません。
グラインダー:必須。まずは手挽きのものでOK。コーヒー豆は粉にした瞬間から酸化劣化が始まるため、豆での保存がマスト。おすすめはカリタのナイスカットミルだけど高いです。
ドリッパー(1~2人用):円錐型のもの必須。正直、なんで三角形型が主流になっているのかがわからないくらい味が変わります。私はコーノ式を愛用しているけど、ハリオ式をはじめその他の円錐型でもOK。
ドリップ紙:円錐型のもの必須。べつにどこのメーカーのものでもよいです。
ドリップポット:注ぎ口が細くなっているもの必須。”静かに、ゆっくり、少しずつ”お湯を注ぐことが鉄則なので、注ぎ口は細いほうが良いです。おすすめはカリタの銅ポット(0.7L)。欲を言えば、注ぎ口までの距離が短いほうがいいです。手元で水量をコントロールできるから。あと、これはドリップポットなので、お湯は別のやかんで沸かしてね。
▼あればよい器具
温度計:コーヒー抽出のベスト温度は80度後半から90度前半なので、それを測るためにあるといいですね。なければ、沸騰して2分後くらいのお湯を使ってね。
サーバー:ドリッパーの下において、抽出後のコーヒーを入れる器具。だいたいドリッパーとセットで売ってるけど、なくても大丈夫。
計量スプーン:コーヒー豆用の計量スプーンはAmazonなどで売ってます。大体一杯で10gくらいを計れる。
さて、いよいよ淹れ方です。
▼お湯を沸かす
水へのこだわりはあるかもしれませんが、まずは水道水で大丈夫です。軟水のほうがまろやかな口当たりになるけど、そこまで管理するのは面倒なので。
▼豆を挽く
豆はたくさん使いましょう。私は1人分で20g、2人分で25gくらい使います。「もったいない!」と思うかもしれませんが、カフェに行けば一杯400円。コーヒー豆は100g500円程度が相場だと思うので、一杯100円ですね。安いです。
挽き方は中挽きで。手挽きの場合には刃に熱をもたせないで、粉の大きさを揃えるように、ゆっくり同じ速度で曳きましょう。(ナイスカットミルの場合は3.5で挽くとちょうどいいです。)
▼ドリップ準備
ドリップ紙のつなぎ目を折り、ドリッパーに差し込んだら、粉を入れましょう。そしたら、ドリッパーを2、3回トントンと軽くたたいてあげてください。ドリッパーの中と表面の粉を均一にしてあげるためです。その後、適温になったお湯をサーバーとカップに注いでください。すぐに温まりますので、そのお湯は捨てます。冷えた容器に抽出後のコーヒーを注ぐと、香りが飛んでしまうからです。
▼ドリップの心得
やかんからドリップポットのお湯を移したら、いよいよお湯を注ぎます。ドリップに共通する重要ポイントは3つ。
ゆっくり、静かに、少しずつお湯を注ぐ:コーヒーの粉にお湯を吸わせて、成分を抽出してあげるイメージを忘れないでください。
何回にもわけて注ぐ:粉が呼吸をするように、お湯が減ってきたら継ぎ足してあげてください。
ペーパーにはお湯をかけない:ペーパーにお湯があたると、コーヒー豆を通過せずに下まで抜けてしまいます。味がしません。
ここではエキスを抽出するのではなく、乾燥した粉に水分を与えて、抽出の準備をしてあげることをイメージしてください。粉の中心から時計周りに、500円玉くらいの大きさまでお湯を注いだら、また中心まで戻ってきてください。大体5から6周分くらいかな。これだけ注いで、ドリッパーからコーヒーが垂れてこないor2~3摘ほど落ちてきたら大成功です。下からコーヒーがたくさん出てきてしまった場合、粉がお湯を吸収しきれていないことが考えられます。次回はお湯の量を少なくしたり、円を描くスピードを上げてください。(遠心力でお湯が外側に抜けるため、ポットをまわす速度も意外と重要です。)
新鮮な粉を使った場合、白いアクに合わせて粉がもこもこしてきますよ。
▼2回目のドリップ
最初のドリップ後、45秒から60秒後にお湯を注ぎます。この間に粉がお湯を吸収して抽出の準備が整いますので、焦らずに待ってあげてください。お湯を注ぐ速度や大きさは最初のドリップと同じくらい、量は4周くらいがよいでしょう。粉がまるで呼吸をしているかのように膨れてきますので、その様子を楽しみましょう。
▼3回目以降のドリップ
ここからは徐々にお湯を注ぐ感覚を短くしていきます。粉の膨れがおさまり、白いアクがなくなってしまう前に次のお湯を注いてあげてください。繰り返しドリップすると、だんだんと粉がお湯を吸収しなくなり、お湯が減るスピードが早くなります。それに合わせてお湯を継ぎ足してあげましょう。
最後のドリップをしたら、すぐにドリッパーをはずしましょう。もったいないと思いますが、最後まで抽出しきってしまうと、コーヒーのえぐみまで出てしまうので、さっさとドリッパーはずします。
ここからは飲み方について。
ドリップしたコーヒーは温度が下がっているので、ホットで飲む場合にはミルクパンなどで再加熱してあげましょう。ただし、熱しすぎると風味を感じられなくなってしまうので、鍋がふつふつといってきたところがベスト。火を止めると風味豊かな湯気が漂います。
アイスで飲む場合には、氷をたくさん入れたグラスに抽出後のコーヒーをそのまま注ぎ、マドラーなどでかき混ぜましょう。風味や味をそのままに、キンとしたアイスコーヒーが飲めます。(コンビニコーヒーのイメージ)
ちなみに、Amazonでおすすめのコーヒー豆はコクテル堂です。
大阪であれば、Refillさんの豆が最高です。