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2024-04-10

時間停止したモノに衝撃が蓄積されるやつ

あれの歴史を調べたい

あの概念は凄い発明だと思う

ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風クラフトワーク

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのビタロック

あと時間停止モノのエロ漫画快感が蓄積されるやつ

SFにおける時間停止モノの歴史H・G・ウェルズ「新加速剤」が元祖だろう……

SFにおける「時間停止」ギミック歴史としては先行研究として以下の私家翻訳を見つけた

#ライマン・フランク・ボーム #翻訳 捕まった《時の翁》 - カスガの小説 - pixiv

▼『オズの魔法使いシリーズの作者として知られるライマン・フランク・ボーム(1856年~1919年)の童話集“American Fairy Tales”(1901年10月)に収録された“The Capture of Father Time”の拙訳。私が知る限りでは、世界最初の「時間を止めてイタズラをする話」です(ウェルズの「新加速剤」は1901年12月)。

▼「透明人間になってイタズラをする話」の元祖紀元前4世紀プラトン著作にまで遡れるのに対して、「時間を止めてイタズラをする話」の歴史は意外に浅く、時間停止ジャンル古典とも呼べる上の両作ですら1901年、「性的なイタズラをする話」となると、1962年のジョン・D・マクドナルドの『金時計の秘密』まで待たねばなりません。あるいは、これより古い時間停止作品の例があるのかもしれませんが、今のところ私には見つけられていません。

うーむ、「時間停止したモノに衝撃が蓄積される」というサブジャンルについてはなかなか情報が見つからない

いわゆる「ステイシスフィールド」「停滞フィールド」と呼ばれるギミックとも隣接しているんだよな

というか、こちらが知りたいジャンルにより近いか

停滞フィールド - Wikipedia

「停滞フィールド」のWikipediaクラフトワークもビタロック言及がある

英語版Wikipediaの「Stasis (fiction)」にも有力情報なし

ジョジョ5部の連載期間が1995~1999年

それ以前で見つけることが出来るかどうか

DLSite同人誌で「時間停止」タグが付いたものを古い順にみてみるか……うーん、2000年より古くは調べられないのか

しかし古めの作品快感蓄積系はぱっと見だと見当たらないように見える

エロジャンルにおける時間停止モノで快感が蓄積されるギミック歴史はもうちょっと浅いのかもしれんな

関係ないが、同人誌で取り扱われたもの流行の変遷って後世の人が調べるの超大変だな……資料散逸している)

ドラえもんひみつ道具時間停止系のものはないか?そのなかで衝撃蓄積するタイプは無いか

タンマウォッチ」は……蓄積しないか

タンマウォッチ | ピクシブ百科事典

pixiv百科事典の記載が全網羅しているとは思わないが、簡易的に調べるにはまあいいだろう

ウルトラストップウォッチ」「狂時機」「時門」「むだ時間とりもどしポンプ」「ちょっと待っタイマー」「わがまま時計」「タイムコントローラー」「倍速時計」どれも蓄積しなさそうだなあ……

ドラえもんひみつ道具で無いなら……もうないんじゃない?という気もするが

星新一ショートショートだとどうだ?いや、結構読んだけどちょっと覚えがない(忘れているだけかも)

え、まさかクラフトワーク」が元祖?そんなわけないという勘が働いているんだがな……

調べ方が悪いな……

時間停止能力を持つキャラの一覧みたいなリストニコニコ大百科かにあるから、上から順番に見ていくしかいかもしれない

あるいは時間停止にこだわらず衝撃を貯めておけるギミックガジェット呼び名を考えるべきか

呼び名が分かればそれを検索ワードにできる

ワンピースの衝撃貝みたいな(そういえばノロノロの実もまんま衝撃蓄積できるタイプギミックだ、2004年

帰りの電車内で調べながら書くのはこれが限界

一旦調査ここまで

日記です

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あっ

ジョジョ3部の「ザ・ワールド」の時間停止中にラッシュ突きして相手が吹っ飛ぶってことはこれも時間停止中に衝撃蓄積してるじゃん!

スターダストクルセイダーズは1989〜1992年

発想としては加速装置タイプの時止めからの発展なんだろうなあ

発動者が超高速で動いているから発動者が100回殴れば通常速度世界側では一瞬で100回殴った衝撃がやってくる(スタープラチナザ・ワールド時間停止中オラオラ相手が吹っ飛ぶのも納得だ)

加速装置ギミックも一応調べるか……サイボーグ009だと衝撃蓄積みたいなことはしてなかったと思うんだがな……

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ある程度昔の時間停止ギミックを片っ端から見ていくしかねえ

ロックマン2(1988)のタイムストッパー、これは時間停止中に他の武器使えないから衝撃蓄積できない

しかもっと昔のゲームでなんかありそうな予感があるな

キャラ時間停止させて(凍らせて、みたいな)攻撃叩き込むみたいな……

概念が育つ条件が整ってる雰囲気がある

逆にSF小説だと時間停止中に衝撃蓄積の概念は育ちにくいんじゃないかという予感もある

衝撃蓄積and解放ビジュアルイメージが伴ったほうが面白いと言うか文章オンリーだと映えないというか

……いや、いやいや早計だぞ

まずは「新加速剤」読むべきでは?という勘が働いた

ここで既に衝撃蓄積概念がある可能性はあるぞ

加速装置系だしな

Kindleでサクッと買って読みましょうね……Kindleに無い!はぁ〜

明日ジュンク堂行くわ

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4/11本屋行く時間がない

一旦この件は保留

2024-03-12

anond:20240312125015

Claude 3 opus:

地球に何かが飛来して事件が巻き起こるという話の元祖特定するのは難しいですが、近代SF小説の先駆けとなった作品としては以下のようなものが挙げられます



これらの作品は、地球外生命体や未知の世界への関心を喚起し、その後の多くのSF作品に影響を与えました。ただし、「地球に飛来して事件が巻き起こる」という設定に限定すると、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」が最も直接的な元祖と言えるでしょう。

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補足:「月に行った男」なるもの検索しても見つからなかった。気球で月へ行った「ハンス・プファアル無比の冒険」のことだと思われる。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


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2019-04-22

anond:20190422102318

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2

ディストピアとは、「ユートピア理想郷)」とは逆の社会である

概要

よくSFなどで題材とされ、「表面的には秩序だって管理の行き届いた世界に見えるが、その内実は極端なまでの管理社会であり言論の自由などがない」社会として描かれることが多い。ジョージ・オーウェル小説1984年」などがとくに有名かと思われる。

また、自由上層階級社会の下に人間扱いされない下層階級が描かれることも多く、ディストピア小説のはしりとされるH・G・ウェルズの「タイムマシン」においては、抑圧された労働者階級が地下に潜り無知天使と化した旧上層階級を捕食する様子が描かれる。

尚、人類伝染病核戦争で滅亡していなくなってしまった世界ディストピアと呼ぶことがよくあるが、これらの世界観はポストアポカリプス「終末の後」と呼ばれる全くの別物であり、誤用である

どうしようもないね

2018-09-09

ニュース無料」の時代は終わり、情報格差が加速する

数年前から進んでいるが、新聞各社の有料化が本格化している。

日経先鞭をつけて朝日毎日その他も。

個人的には紙で購読していたら1日まるごと見られるのにコストの低いネットだと1本単位になるのが納得いかないけれど。

これによって「最新ニュースに誰でもアクセスできる」というある種のユートピアは終わった。

これから訪れるのは「金がないとニュースも見れない」という渇ききった荒れ地だ。

それによって情報格差は今までと比較にならないぐらい加速していくだろう。

キュレーションアプリを入れておけば主要なニュースには目を通せるという一種平等時代は終わったのだ。

そして、これでキュレーションアプリ商売上がったりとなる。

集められたニュースを見てクリックしてもそこから金を払わないとニュースを読めないのだから

新聞離れ、テレビ離れ、そして新聞各社のサイト有料化によって、日本人はいよいよニュースを見ない民族、すわなち土人へと還っていく。

そこから先は「資本家しか水を飲めない」砂漠での、フェイクや嘘松が荒れ狂う狂騒(ポリフォニー)とH・G・ウェルズタイム・マシン』的なディストピアだ。

 
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