はてなキーワード: 裸踊りとは
仕事ってのは定時までに終わらなかったら諦めて違約金払うもんなんだよ令和の時代では。
それを「土日にも出てきて終わらせるのが普通だよなぁ?」とか話振られても困るわ。
でも今は違うから。
飲み会で新人に裸踊り強制したらその場に居た人間+そこから命令形等を社長まで一直線に伸ばした直前上全員+社内のコンプラ部門の全員が全方位からボコボコにされるのが今の社会。
でも昭和だったらそれを「やめろ!こんなのは人権侵害だ!」って誰かが庇ったらその様子が新聞投稿で晒し者にされてテレビカメラが「新人を守ってヒーロー気取りですか!?日本を弱くしたいのでしょうか?」ってつけ回してくる。
それぐらい昭和と令和は違う。
わかるか?
裸踊りというのは一例ですが、洗脳されている人の特徴に、普通なら誰もやらないような奇妙な行動を取ることが挙げられます。
始めのうちは家の中に御札を貼るだとか決まった時間にお祈りをするだとかですが、段々とエスカーレトしてそのうち人前でも大声でお祈りさせたりだとか、大事なものを破壊させたりとかし始めます。
例えばその一つが裸踊りです。
必ず裸踊りが選ばれるわけではありませんが、普通なら人前では絶対にしないような行為でも洗脳中ならしてしまえることの例として挙げました。
これらには共通点があって、必ず人前で、普通ならおかしいと思える行動が選ばれます。
なぜそういった行動を取らせるのかいくつかの理由が考えられますが、総じて洗脳する側にとって都合がよいからと考えることができます。
一つは孤立。
洗脳している側は相手を意のままに操りたいと考えるので、他者の存在は不都合でしかありません。
ありとあらゆる手段で関係を壊そうとしますが、その一つとしてこういった行動を取らせることで相手側から距離を置くように仕向けます。
良識側が他者に作られた自分にとって不利益な悪であると思わせることで、洗脳されている人間の行動のリミッターを破壊します。
それら行動を自らの力で成し遂げられたことが自信となり、自らの中での信仰心が高まります。
信仰心とは言い換えれば洗脳する側に対する依存のことであり、それを繰り返すことで自らが進んで洗脳をされているような状況になっていきます。
要約すると、裸踊り行為とは洗脳する側にとってのわかりやすい信仰心、影響力のベンチマークとなっています。
取らせる行動を少しずつエスカレートさせていくことで、どのくらいまでの命令まで従うのか、つまり洗脳できているかをチェックする役割があるわけです。
例えば人通りのある中での社訓や校則の読み上げ、駅前でのビラ配りや募金活動なども、それそのものの効果よりも所属する組織にどれくらい忠誠心を持っているかを確認することの意味合いの方が強くあるといえます。
多かれ少なかれ、世の中では当然のように組み込まれているものです。
また、これらはさせることよりもするかどうかが重要です。
特定の個人を狙い撃ちにする場合は別ですが、多くの場合は、不特定多数の中から振り分けていくことで洗脳されやすい人間を見つけ出すために用いられます。
少しずつ無茶な要求をすることで、相手がそれに応じるかどうかを見て絞り込んでいくわけです。
いわばこの裸踊り行為は、現在進行系で洗脳されている最中に、これから要求がエスカレートしていくであろう予兆と考えることができます。
逆を返せば、こうした予兆が見られた時点ですでに洗脳がある程度進んでいることの判断材料となり、実害がないからと放置しておけばあっという間に取り返しのつかない状況まで突き進んでしまうことを意味しています。
自らの実体験でここまで書き進めてきましたが、わたし自信は心理学の専門家でもなんでもなく、この裸踊り行為に名前がついているかどうかを知りません。
しかし、もしこの行為に名前を付けることができて、広く一般的な知見として知られることができたら、洗脳による被害者を減らすことができるのではないかと思い文字にしてみました。
今さっき自分はやったばかりだぞ。
男は性的消費に対する耐性が強く、飲み会で裸踊り失敗してチンチン晒しても平気な顔してられるほど耐久性が高い。
警察学校や防衛大学ではチン毛を燃やされても「これが体育会系の上下関係なんじゃい!」で男なら我慢できるらしい。これが男じゃなかったら我慢できなかった(炭治郎談)
いや出来る。
まず手っ取り早いのがレイプだ。
道端で男をいきなり襲ってしまうことだ。
チンコが小さいままでも乳首や唇に下を這わせるだとか尻穴にディルドを突っ込むとかだとなら出来る。
それか見抜きだ。
いきなり出会い頭に自分を顔見してマンコを高速で擦る女が現れ潮まで吹かれたら炭治郎だって泣いて逃げ出してしまうだろう。
最初に言うけど俺はまだ58なんで半分ぐらいは親父や先輩から聞いた話だ。
新入社員は規則正しい生活を学ぶために最初の5年は寮に住めという規則が合ったぐらいだ。
知り合いの自衛官が言うには今でも自衛隊はそんな感じらしいが全く令和の時代にご苦労なことだ。
社員寮での暮らしは寮監や大家と呼ばれる人によって管理され、消灯時間というものさえ設けられていた。
深夜の外出は許可制だったし、休日は会社の運動会だの職場の草刈り打なのによく連れ出された。
上司は怒鳴る蹴るは当たり前で、怒鳴っても物を投げない人は温厚と言われていたものだ。
私が入社しころ瞬間湯沸かし器のように毎日怒っていた人がいたのだが、今は定年再雇用で資料整理係をしているのだがスッカリ大人しくなって驚いている。
会社から権力を借りてくればそれこそ異性の社員だろうが同性の社員だろうが手を出してもいいぐらいだったが、逆に会社が権力を発揮すればリストラはあっという間に行われた。
サントリーの45歳定年の話なんて、昭和の価値観でいえば何もおかしくなく、当時は労働組合が煩いなんていっても鼻薬の嗅がせ方次第でしかなかった。
宴会芸で裸踊りをさせられたと話すと今の子供は驚くが、そもそもチン毛マン毛を燃やされることを拒否して出世したやつがいるものかとドヤされるのが当たり前だったのだ。
飼われているという意味でも畜生であったし、今の尺度で見れば人間としても畜生だったのだろう。
だが今の社会と比べて、会社に飼われることの安心感は強かった。
なんだかんだ言って今の世の中ではサラリーマンと言っても脆弱だ。
給料も少ないし、転職できるネタがあるんだぞと脅さなければ会社に居場所も作りにくく、そのくせ部下はやれ人権だなんだという態度が露骨にすぎる。
テレビで牧場主が家畜相手の家族ぐるみを自慢気に騙るが昔の会社とサラリーマンの関係はそんなもんだった。
会社はサラリーマンがやる気を出せるようにと気を使ってくれもするが結果を出さなければ鎖で縛ったままで殴りつけてきたし首を切るのにも躊躇なんてなかった。
今の会社はどこか他人行儀で結果を出せと語りはするがどこか放任主義で放し飼いのように感じさせる。
会社の看板を掲げることで仕事をとってきたり仕事をもらったりしてその上前を撥ねられるのは同じだが、昔は鵜飼いの鵜のように餌場まで連れて行ってもらえたのが今は餌場ごと自分で探すような状態だ。
まだ幼いのかな?もしくは引き籠りなのかな?
やりたいことだけやって生きていけるほど世の中甘くないぞ。
自分にとって必要かどうかで置き換えてもいい。裸踊りが必要だとおもったらやればいいし、必要ないと思えばやらなければいいだけってこと。
部下に裸踊りをさせるクソ上司に嫌われたくない、可愛がられたい、と思うなら上司の言う通りに、いや、むしろ積極的に裸踊りやりゃあいいだけ。
上司に嫌われたくない、可愛がられたいけど、裸踊りしたくないなら、他の方法考えろ。金渡すとか女渡すとか、仕事で役立つとか。
それができないなら会社とは合わなかったってことで辞めるしかない。
裸踊りを完全に強要してくるような、やらなかったら埋められるようなヤバい集団とかだったら、逃げ出して警察行くべきだけどな。