はてなキーワード: 東風荘とは
バブル景気を経験し、団塊世代は比較的順調な経済成長の中にいた。その結果その子供世代である団塊Jr.の世代は団塊世代と比較してもかなり高い率で大学に進学した。就職して3年が目安だった結婚適齢期は大幅に後ろにずれ込み、この世代は30歳で結婚しないことが珍しくなくなった。また高等教育を受け、海外の文化に触れたりすることにより、伝統的価値観に縛られない自由(リベラル)を大切にする価値観が主に高学歴の層に芽生えていた。
1990sはCDの全盛期でカラオケもブームであった。この頃すでに女性の社会進出は始まっており男女共働きが増えてきていたが、ここにきて平松愛理が「部屋とワイシャツと私」でコテコテの昭和の価値観の曲を歌い流行。その結果、団塊ジュニア女性の専業主婦志向が強まる。ちょうどこの頃、大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で男に尽くす昭和的な女性像を、「ら・ら・ら」で結婚を前に一生を見つめて戸惑いつつ妥協交じりの結婚を考える女性を歌っており、当時においても昭和的な価値観の歌はヒットしていた。一方で、中島みゆきは「ファイト!」で辛い境遇の中でもがく女性を叱咤しつつ応援しており、この頃に適齢期の男女の中でも、女性は依存しながら男性を立てるといった昭和的な価値観から女性も自立して活躍する価値観にシフトしつつあった。しかしながら地方では依然として男が働き女が家を守るという考えが根強いところもあった。
小泉内閣のせいにされることが多いがこの頃から非正規は増えていた。バブル期に入社した世代は右肩上がりに給与を上げ、そのとばっちりを受ける形で新卒採用が減り労働力市場で供給過多となった。非正規が増えた影響が顕在化するのがITバブルの崩壊とリーマンショックだがその爆弾はすでにこの頃に日本に埋まっていた。
Windows95が発表され大学が主戦場だったインターネットは一気に広まった。パソコンは当たり前となりADSLやケーブルテレビでの高速通信が普及した結果、インターネットブームがさらに加速され動画コンテンツが増えるようになった。この頃、東風荘やYahooでゲームに興じるインドア派が増える。娯楽の充実は恋人と過ごすことに競合する余暇の過ごし方として今後も存在感を増していく。
DVDやCDではエロ動画が視聴できていたが、ブロードバンド+dmmでエロコンテンツへのハードルが下がる。男は金、女は体という暗黙の結婚の武器のうち、女性側の武器が弱体化され恋人の役割を右手が肩代わりすることになる。不景気も相まって女優のレベルが高く男の性欲を満たすには十分すぎるほどであった。さらにXVIDEOSやPornhubなどの無修正、高画質のVRとおかずの進化はとどまることを知らない。
さらにニコニコ動画のブームにより、市民権のなかったオタクに市民権が付与される。ブロードバンドは田舎にも浸透していたため、インターネット上の娯楽の充実は都会、田舎関係なく訪れた。その結果、恋人がいなくても夜の退屈さがなくなり、社会全体としてデートのニーズが相対的に弱まった。
永久就職とかつて呼ばれた結婚について、配偶者を探す活動を就活になぞらえて婚活と呼んで始まったが、相手があっての結婚ではなく目的化した結婚になった結果、その前段階である出会いにステータスが入り込み、逆に恋愛のハードルを上げてしまった。テレビ朝日ワイド!スクランブルに出演した玉の輿にのるために38万円の高額婚活会社を利用するR子さんの「年収400万円では化粧品も買えない」は当時派手にバズり、完全なATM扱いに適齢期男性がドン引き。この人が悪いわけではないが2005年の女性専用車両のネットミームも背景にこの頃から男女に分断が生まれ始めた。
団塊ジュニアが続々結婚し始めた頃、Facebookの流行で学歴や経歴をオープンにする機会が増え、ステータスが可視化された。その結果夫の収入でマウントを取る女性が続出し女性側のカーストにもつながった。配偶者のステータスでマウントをとること自体は昭和の時代からあった女性にありがちな行動だが、SNSによってそれが町内という小さなコミュニティから同級生や会社単位に拡大され、妥協して結婚するよりも高めを狙う傾向が顕著に。さらに、この頃すでに子供がいる世帯ではキャラ弁の写真をアップする主婦が現れる。賛否両論あり否が優勢のまま終息したが、時間のかけられる専業主婦が共働き主婦の普通の弁当にマウントを取る形で「共働き=負け組」を印象付けた。この世代は家庭科の必修が小学校のみなので女性が働いていても女性に家事が押し付けられることが多かった。ちょうどこの頃、負け組としてコンプレックスを抱いていた男により、秋葉原で大量の通り魔事件が発生する。
サブプライム住宅ローンに端を発した金融危機はリーマン・ブラザーズHDの破綻を招きそこから連鎖的に世界金融危機が発生した。これにより多くの非正規の雇止めが発生し、特に女性において非正規社員と結婚しようというインセンティブが大幅に下がった。
食洗機、ロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機といった時短家電(いわゆる新三種の神器)が普及した。これにより、独身でも仕事をしながら掃除、洗濯、食事に概ね困らなくなり、家事の分担需要が相対的に低下した。
団塊Jr.世代(1970~1980生)は高学歴化によって結婚の年齢が4年~6年程度その親の世代よりも遅くなり、30歳で結婚していないのは珍しくなくなっていた。ちょうどその世代の適齢期となる00年代は娯楽が充実、進化をして男女ペアにならなくても楽しめるエンターテインメントが爆増したこと、価値観のアップデートができないまま専業主婦として高収入を望む女性と、その視界に入らない男性、娯楽の充実で配偶者を必要としなくなった男女といった形のニーズのミスマッチが発生。金さえ配ればなんとかなる的な政治家の思いとは裏腹に決定的な解決策が見つからないままタイムアップを迎えた。
昨年は、VIP会員制と哲也@東風荘が終了となりました。やめることになった理由は、運営コストを賄う売上があげられなくなってきたことと、サーバが古くなって更新が必要な状態なのに費用を捻出できなかったことです。哲也@東風荘の終了によりネットカフェ対応も終了となりました。現存のサービスはPC版とモバイル版ですが、PC版は売り上げはゼロですので、モバイル版に頑張ってもらって運営していこうと思っております。
今はもうカツカツみたいだな
ついでに私の略歴も書いておきます。中学2年~3年で精神面のトラブルを抱えつつも何とか通い卒業し高校へ行くも1週間で挫折し中退。そこから訪問販売、測量、ホテルの清掃、などいろいろなバイトを経験しました。いずれも数日から数ヶ月程度の期間。ホテル清掃はいわゆるラブホですが15歳でよくラブホの清掃ができたなと思います。訪問販売はやろうと思えば何でもできるなという気持ちをもたせてくれた貴重な経験でした。
15歳の終わり頃にソフトウエアハウスでバイトをし、ここで3年間仕事としてのプログラミングを覚えました。CPMからMSDOS、UNIXなどいろいろと経験できました。15歳の私をよく雇ってくれたものです。この経験はでかいです。
19歳頃から1年くらい寮住み込みで新聞配達のバイトをしました。この寮で、朝の配達から夕方の配達までの暇な時間に毎日のようにバイト仲間と麻雀をしていました。ここで覚えた毎日の麻雀経験もでかいです。
昔はこういう人はたくさんいたな・・・
僕は大学の近くの千葉に住んでいて、付き合った彼女は地元の栃木の高校の同級生でした。
初めてのデートで東京ディズニーランドに行くことになりました。
前の日に栃木に行って、夜千葉のアパートに連れてきて次の朝ディズニーランドに行く予定でした。
「鍵がない・・・」
大家さんに開けてもらおうとしたら、その日は泊まりに行っていていませんでした。
「どうするの?」「どうしよう・・・」
極寒の中、しばらく凍えながら途方に暮れていました。
そうだ!大家さんの兄弟が近くに住んでいる!そこになんとか頼んでみよう!
なんて発想で、大家さんの兄弟に頼み込んでそこに泊まらせてもらいました。
「この娘だれだ。まあ聞かないでおこうか・・・」
次の日の朝ディズニーランドには行かず、彼女は栃木に帰ってしまいました。
そりゃあいろいろ計画立てました。
前の夜どこをどんな順番で撫でるのか、どんな圧力でおっぱいを揉むのか、いつのタイミングで一つになるのか・・・
昔は、色々と計画を立てようと思っても昔はなかなか情報が手に入らなかったです。
携帯はシティーホンというドコモの携帯でネットなどはありませんでした。
ネットはテレホーダイで、IBMのAptivaを使っていました。
当時13万で手に入れたパソコンです。
テレホーダイなので夜しかパソコンは使わないし、夜は夜で東風荘ばっかやってました。
多分その時、ホテルに泊まるという選択肢が出てこなかったのはお金がなかったんだと思います。
今の僕だったらどうするのだろう。
98年からの3年間ハマりまくっていた東風に、5年ぶりに繋いでみることにした。この5年、リアルでも卓を囲んだのは10回程度だったが、久しぶりにやりたくなった。
しかし、何故か東風に繋がらない。ID削除されたか? いやいや、ちょっと待て。サーバーが変わったのかもしれない。最新のバージョンをサイトからインストールして、接続したら今度は繋がった。R1950のIDよ、久しぶりだな。さあ打つぜ!
しかしよく見たら、第二東風荘の接続者は5人。え? いくら明け方とはいえ、日曜日なのに? 昔は繋がらなくて突撃君とかで繋いでたのに?
麻雀は滅びたの? 何かやる気なくした。
しかし、やる気なくすのはまだ早い。もしかして、この5年の間に東風に代わるサービスが出来たのか?と思いググったら、天鳳とかいうサイトがヒット。見てみたら何かすげえ。進化版東風。痒いところに手が届いている。よし、ここで打とう。
予約してから打てるまでの異常な待ち時間を除けば、かなり快適。打ち始めは久しぶりすぎて打ち方がよく分からんくなったと思ったが、東3局くらいから調子が戻る。うわ、やっぱり楽しいよ。楽しすぎるよ、麻雀。仕事の比じゃねえ。つうか、何だっけ仕事って。昔、麻雀にハマって働かなかった時期をずっと不思議に思っていたが、謎が解けた。これは働かないわ。
結果は1着、2着、1着、と順調。楽しい。楽しすぎる。マジやばい。多分負けてても楽しかった自信があるくらい楽しい。
このまままたハマったら月曜から仕事行かなくなるだろうし、月曜を乗り切っても麻雀ニートになるのは時間の問題なので、この辺で封印しておこう。それにしても楽しすぎるなあ、何なのこれ。
約9年前に自分に起こった話。
約9年前、2度目の鬱病で(鬱病の定義とかは今回関係ないから置いといて)ふさぎこんでた頃。
出身地とは遠く離れた場所で働いていて、職場は自分も含めて4人の小さい事務所で、周囲は私よりも10歳以上離れた人ばかりで、コミュ力が無い私はいつも一人だった。
仕事は上手くいかない事なかりで、休日にやる事もなかった。給料も手取り17万でお金も無かった。
パソコンとネット回線だけはなんとか持てたので、黒板色の板とそこからリンクされたページを見たり、東風荘で遊んだり。
でもまだ病院には行かず、もうあの頃のように精神科の薬を飲む生活に戻るのは嫌だから、なんとか薬を飲まずに踏みとどまろうと思っていた。
そんな事をしながらなんとかその日をやり過ごしていた。
ある日ふと気が向いて、「鬱病」で検索したら、似た者が集まるサイトを見つけた。
自分と同じような、生きていく事を辛いと感じてしまうけど、なんとか続けていこうとしている人たち。
Q&A形式のcgiがあって、誰でも相談できて誰でも答えられるようになっていた。
管理人はいるけれど、表立って出てくることは少なかった。
自分が最初にした相談はこんなものだった「なんでこんな酷いことになってるんだろう? どうすればいいんだ? このまま続いていく毎日に耐えろというのか?」
その日はそのまま寝て、次の日に見たらこんな答えが返ってきていた「落ち着きましょう」「あまり思いつめないように」。
うざいとも帰れとも寝ろも死ねとも言われず、冗談だとも言われず、馬鹿にもされなかった事に少なからず驚き、自分が興奮していて混乱している事を直接そう言わず、諭すように語りかけられたように感じた。
ここなら居られると思った。
そのサイトの過去ログを全て読み、リンクしてある個人サイトを一通り辿り、気が向いたらそこの掲示板や日記の過去ログも読み返し、ブックマークに追加した。
最初の質問は勢いだけで書き込めたけど、まだ書き込むことに対するハードルが高くてどこも見るだけだった。