はてなキーワード: 映画館とは
中東問題より由々しきは即ち、この邦題にあるのだ。ズバリ「シリアナ」、まさしくズバリである。
今年いっぱいはテロとの戦い以上に含み笑いとの戦いが容易に予想される。
私は笑いを抑えられるような器用にはできていないから、いっそう深刻である。
たとえば、駅前の大画面なんかで不運にもこの映画の予告と出くわす。
最後に決め台詞よろしく男の野太い声で「・・・シリアナ」とシメて来られることは想定内であるので、
なるべく別のことを考えるようにする。人の感情は喜怒哀楽。とにかく自分を喜楽から遠ざけねばならぬ。
モトが深刻な映画なので、テロリストのことなどを怒ってみたり、
いやいやブッシュがいけないのだなどなど思ったりしてみる
・・・のだが結局「・・・シリアナ」『ぶほっ』、である。たぶんいくら気張ったとしても無駄であろう。
この問題作は映画館のスタッフにもかなりの重圧を課すことになる。たとえば、麗しき受付嬢に向って
「あのぅ、シリアナを予約してもいいですか?」
等とのたまうのはとんだ痴れ者である。男の受付係に言い放つのは豪の者だ。
「シリアナ=しりあな」となってしかるべき連想ニューロンが腐り切ってしまっているのだから始末のつけようがない。とりあえず 「シリアナでございますね?」
と確認しなければならないのだが、返事は「はい」では済まされない。
人数確認を怠った受付嬢に非がある。だが「二人で。」のシュールさに耐えられるようになるには受付嬢も並々ならぬであろう。
そんな苦難を経て公開日にこぎつけると、スタッフの戦いも新たな局面を向えそうだ。なにせ問題作である。あっというまに満席だ。
「シリアナの方は大変人気となってございまして本日は・・・」 「あっ、じゃあナルニアにします!」
友人は、推しの為ならグッズをたくさん買うし、同人誌を買い漁るし、ぬいぐるみを愛でるし、映画館に何度も足を運ぶタイプのオタクだ。
あらゆる場所にお金を落としまくるし迷惑行為もしないのでいいオタクだとは思うんだけど、意識というか、考え方の違いで、最近少しだけ嫌になることがあった。
友人の推しがいるジャンルは漫画が原作で、アニメが大成功して映画も公開された。私もアニメを見てから好きになって、漫画を全巻揃えて続きが出るのを楽しみにしてる。ただ、友人のように推しといえる存在はいない。あくまで漫画が好きなだけ。
映画が公開されたとき、その友人と一緒に見に行った。簡単にいうと、ものすごく良かった。友人は主に推しが活躍するシーンで泣いてた。なんだかんだあって、二回目も同じ友人と見に行った。友人はそのとき既に三回以上見てたらしい。
当時はまだ、この人はものすごくこの映画や原作が好きなんだろうなあと思ってた。だけど、よくよく話を聞くと、どうやら二回か三回目以降は、推しが出るシーン以外ほとんど寝ているらしい。友人は推しを見るために映画館に足を運んでいるらしく、全編通して映画を見ようという気持ちは無いらしかった。
それを聞いたとき、初めてもやっとした。私は二回しか劇場で見てないけど、一度目も二度目も画面に釘付けになったし、原作愛が感じられるいい映画だなあと思っていた。だから、私よりジャンルにどっぷり浸かっている友人が、映画自体にはそこまで興味ないというような発言をしたことがショックだった。
でも、実際私より映画を見てお金を落としているし、グッズも買ってるから、友人の方が良いお客様なんだよな。こういうスタイルでアニメを好きになる人だって山ほどいるわけだし、わざわざ怒るようなことじゃない。
私は友人と縁を切りたいとか考え方を矯正したいとか思っているわけじゃなくて、どうしたらこれから割り切って接することができるかな、と悩んでいる。このもやもやを消すにはどんな風に考えたらいいんだろう…
障害者は稼げないからお金上げるから食生活をちゃんとしてねという感じ。
・感染者が急増しているにも拘らず、有観客での開催
→ 若者にとってはただの風邪。リスクを許容できる人は外に出ればいい
→ 若者にとってはただの風邪。リスクを許容できる人は外に出ればいい
・急遽決まった払い戻し対応により、どれぐらいの人数が払い戻しを行うか予測・把握ができない
→ 君には関係ない
・公式ツイッターでのガイドライン呼びかけのツイートで「ご不便をおかけしますが」との表記
→ おかしくない
・一部で参加者が密集しての会話や掲示物の撮影があったとの目撃ツイート、大きな笑い声での会話があったとの目撃ツイート
→ 君には関係ない
・出演者による「ライブは不要不急ではない」旨の発言、「参加した方も不参加した方も間違えていない」という趣旨の発言
→ ただの事実
感染者が爆発的に増加しているのに、2022/1/22-2022/1/23に大規模会場(さいたまスーパーアリーナ)でライブを開催した件。
何にむかついてるか
・感染者が急増しているにも拘らず、有観客での開催
・急遽決まった払い戻し対応により、どれぐらいの人数が払い戻しを行うか予測・把握ができない
・公式ツイッターでのガイドライン呼びかけのツイートで「ご不便をおかけしますが」との表記
・一部で参加者が密集しての会話や掲示物の撮影があったとの目撃ツイート、大きな笑い声での会話があったとの目撃ツイート
・出演者による「ライブは不要不急ではない」旨の発言、「参加した方も不参加した方も間違えていない」という趣旨の発言
どんな理由があろうとも、ファンの健康や安全にリスクがある開催は到底容認できないです。
今回のことで、ツイッター上では反対意見が少なく、逆にライブ開催に肯定的な意見が多くてびっくりした。
もう付き合いきれない。
いい思い出はたくさんあったから余計につらい。
でも、さようなら。
・どこまで実話なんだろと思ってみたらほぼほぼ実話やんけ 映画じゃなくてすごい豪華な再現VTRやんけ
・つまらなくはないが特筆する楽しさもなかった…何でサブスク入ってるのにわざわざ映画館に行くのかって新鮮なもの今までみたこと無いものがいちはやく見たいから行くんだけど今回は得にそういうのなかった
・俳優さんたちの演技すご
・旦那さんから偽グッチ貰った使用人さん、警察のガサ入れの時にも偽グッチを大切そうに?抱えてて「だいぢなのは…気持ち…だよね!」ってなった
・偽ブランドのシーン、下妻物語のパチモンにぶちギレるブランド元のシーン思い出した
私にとっては最高の映画でしたが賛否両論あるのも納得の内容でした。
20年前、マトリックス三部作の仮想現実ではその頃のインターネットに対して漠然と抱かれていた、老若男女人種言語関係なく平等に戦える未来の世界というイメージや、アングラ感からくる怪しさのようなイメージを描写していました。
謎の多い世界で真実に目覚めた救世主が機械と派手に戦い人類を救う物語は全世界的に大成功を収めました。
そういう成功体験もありますし、バックにいるのもWBですから商業的にどうすれば成功するかなんて承知の上でウォシャウスキー監督は、あえて今のインターネットに抱くイメージを新作のマトリックスに落とし込んだのでしょう。
三部作から20年後の現代ではSNS人口の拡大のおかげで回線の向こうにいる誰かの生活臭すら感じられそうになるほどインターネットの怪しさは薄れ、誰かが収入目的や遊び道具として出来の悪いbotをばらまくしょうもない世界になったのに、一人一台レベルまで普及したスマホによってどこからでもアクセスできるためそこから容易には抜け出せなくなりました。
色調が緑色に怪しく補正されることもなくなりアングラ世界の象徴みたいなメロビンジアンは没落しエージェントはbotに役目を奪われ新たに目覚める人類もいなくなりました。
そしてマトリックスの外の世界では機械と人間の休戦状態が続いているためネオが救世主として活躍する場もありません。だからネオはトリニティただ一人のために戦います。
しょうもないのに抜け出せないバーチャルな世界を舞台にした物語なら、現実で触れ合う誰かとの縁の大切さがテーマになるのはありきたりではありますが自然なことです。
ありきたりというのは多くの人がその結論に至るということでもあるので馬鹿にはできませんし。
成功したいなら昔と同じミステリアスな世界で昔と同じように救世主が人類の危機に立ち向かうストーリーにすればよかったのは映画に詳しくない私でもわかります。
しかし誰かの期待に応えて内容を決めるというのはマトリックスのテーマの一つである「選択と自由意志」を監督自ら破ることにも繋がります。
だから以前のような魅力を持たなくなった世界で仲間の力を借りながら大切な誰かのためのストーリーにすることを自由意志で選択したのでしょう。
レザレクションズに以前のシリーズのようなノリを期待していた人には残念ではありますが、ウォシャウスキー監督はとてもテーマに対して誠実で愚直だと思います。
人気シリーズのリブートでこういう映画を作ってくれた監督をはじめとしたスタッフの皆さんと出演者の皆さん、ゴーサインを出したワーナーブラザーズには感謝しかありません。
もう上映終了している映画館も多いと思いますが、みんながこの映画を観てマトリックスを好きになったり嫌いになったりしてほしいなと思います。