はてなキーワード: 初詣とは
って今まで行ったことなかったんだけど今日初めてユーチューブで参拝方法調べて近所の神社に行ってみたんだけど
境内には数人人がいて、なんか恥ずかしかったから素通りして帰ってきちゃった
やっぱこういうのは誰か一緒に行ってくれる人がいないと無理だわと思った20023年元旦だった
どんどんひゅーひゅーぱふぱふ!
わーい!
そして
と言うかもう新年明けての午後中の午後よね。
新年早々、
私は午前零時の神社初詣ダッシュを決め込もうと思ったんだけど、
今年はさすがにちょっとコロナ明けてきたので緩んできているのかな?と
本当は初詣ダッシュより神社の境内でやってる焚き火目当てなの。
だけど
今年もやってなくて意気消沈とか新年早々そんなションテンが下がることは言いたくないので、
一回りお散歩して帰ってきたわ。
あれはいつ結局食べたら良いのかしら?と
年末に無理矢理美味しいお蕎麦もいただいた手前の一回りの深夜のお散歩ってわけよ。
そんで、
一眠りして朝起きて、
今年一番の初風呂!
近所の銭湯は元旦から気合い入ってオープンしてっとこあるから、
柚子どころか芋を洗うような感じだったので、
気持ちよく飛び込み前転で湯船に飛び込めなかったのは1人だったら出来たのにーと思いつつ
銭湯の湯量と熱い温度の迫力は家のお風呂とは圧倒的違うわよね!
久しぶりだといいわね~。
私はもう朝起きてまだ顔も最低限洗ったままで、
タオル1本持って行ってってそんなまぁ休みだからいっかーって感じで気軽に銭湯キメてきて
パパッと上がってきて午前中はそんな仕上がりってところね。
比較的時間あるかなーと思って気分のまま自由気ままに流れるまま、
今やってるアニメのグッズがたくさん置いてある
ノイタミナショップのある東京行ってみようかな?って思ったけど、
ほらー
ペット飼ってる人は急に旅に出掛けられないとかってあるじゃない!
私もそうなのよ。
それに気付いちゃったから、
どっか遠くへ出掛けることは諦めたけれども、
久しぶりに銭湯に行った帰り
ひんやりとした年末の夜風に晒されながら思ったの
急にスプラトゥーン3熱がちょっと冷めたというか落ち着いたというか、
私がスプラトゥーン3ハマってる間に
いろいろと街の景色や世の中が変わってきている事に気付いたの。
まるで、
SFの巨匠アーサー・C・クラークの読んだこともない『都市と星』を思い出して、
その中の住人は「サーガ」と呼ばれる仮想ゲームに興じ10億年もの間閉鎖空間で変化のない生活を送るの。
マトリックスとかでも
もしかしてこれは仮想空間の中で本当の世界があるんじゃないか?って『都市と星』もそうだけど
その外の世界に気付く人が出てくるのよ。
私もそれと一緒でスプラトゥーン3の外には現実があるんじゃないか?って
もう本当に10億年「サーガ」で遊んでる住人と一緒じゃん!って
そう思うとスプラトゥーン3ばっかりやってるのもって気が付いて世界に出てきて今事務所にいるわけなのよ。
なんか
私このままだったらずっと10億年スプラトゥーン3やってるところだったわ!
もっと違うことにも時間費やした方がいいのかも知れないわってこと。
だけどおでんが育ってるので、
なかなか外にも長い時間お出掛けも出来ないところが
もう本当にスプラトゥーン3じゃなくておでん10億年煮込み続けて育てて、
もしかしたら、
実際リリーフランキーさんの絵本の『おでんくん』もそう言った鍋の外の外の世界に憧れる描写ってあるのよね。
そんでお客さんに選ばれてお皿に盛られて美味しく食べられてもまたすぐ戻ってくる設定みたいだけど。
他のことにも今年は目を向けて均等に色々なものをゲッツ吸収できたらな!って
急に本当に冷静になったわ。
これもなんか久しく銭湯に行って
帰りの深夜の夜風に吹かれたことが原因なのよ。
以前みたいに1日の半分をそれに費やすのは、
私はそんな真剣なことを
2023を模したパーティーサングラスを掛けながらこれを書いているところにもSFみがあると思うわ。
これ今年この瞬間しかもう売れないしあとの在庫どうなんのよ?って
まあそれを私が気にしていたら仕方ないので、
私はこれを書き終えるまで真顔で2023を模したパーティーサングラスを掛けながら新年を静かに迎えお祝いしたいところだわ。
うふふ。
お腹空いたわー
どうせスプラトゥーン3しながらルービーとおでんでってオチなので、
夜まで事務所の誰もいないところで雑用を済ませてさっさと帰るわ。
昨日の晩お湯でちゃんと煮だして
水出しルイボスティーウォーラーじゃない煮出したルイボスティーウォーラー
違いの分かるダバダーの曲って感じだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「おみくじ」っていうのは、その人間の運勢を示すテスターみたいなものじゃないの?
科学実験で、実験器具に対して「良い結果が出ますように」とは願わないわけで、
それと同じ意味で、おみくじを引く前の「大吉」を求める祈りに意味不明さを感じる。
その祈りが通じて、実際には「大凶」な一年が始まるのに、おみくじで「大吉」が出てしまった、
みたいなシチュエーションを考えてみれば、その「大吉」を求める祈りには、何の意味もないことがわかるだろう。
だから、幸運を願う祈りはおみくじの前に済ませておき、おみくじを引く際は、「大吉」を願うのではなく、
テスターとしての精度が高いこと(今年一年の運勢を適切に示し、そのアドバイスが今年の運命を切り開いていくものとなること)を願ったほうがよいと思う。
そして、そのおみくじを本当に信じているのであれば、枯れ木に結んで、その記載内容を気分よく忘れてしまうのではなく、
持ち帰って机の前にでも貼っておき、そのアドバイスを毎日気にしながら生きていくべきだろう。
それぐらい活用すれば、おみくじの100円は十分元が取れると思う。
元旦だけ神に願えば、一年ずっと守ってくれるってほど、神も寛容ではないだろうから、毎日、そのおみくじを前に神の加護を願ったら良いのではないのだろうか。
毎年思ってる
親戚づきあいも希薄というかそもそも親戚が少ない、コロナになってから家族で初詣もいかない、
あけおめも言わない、てか同じ家にいるだけで一緒に過ごしてない、
もうこの時点でめちゃくちゃ寂しいのに、関係が完全に切れてしまってはいけないと思って疎遠になりかけてる人たちにあけましておめでとうLINEを送るだけ送る
でも自分が送らなかったらなんもないんだろうな
本当に年末年始は寂しすぎる
⛩🚶🚶♂️🚶♀️🚶🚶♂️🚶♀️)))
どんな願いも叶うらしいよ!
お気軽にどうぞ
【由来】
2006年に、ある増田が資産運用でFIREに成功し、増田の地に創建
【ご祭神】
増田大明神。通称「増神さま(ますがみさま)」として慕われています
【ご利益】
縁結び・転職成功・ブクマ増加・色星獲得・下痢防止・その他なんでも
【お守り】
カラースターがお守りです。ここで買ってください https://www.hatena.ne.jp/shop/star
【参拝の方法】
ブコメかトラバでお願いごとを伝えましょう。ブクマだけでもご利益があります
【ご食事のご案内】
【アクセス・参拝料】
スマホ・PC等で徒歩0分、入場無料(通信量はご負担ください)
【よくある質問】
・参拝時の服装は?→ユニクロやGU、ワークマンがおすすめです
・会社に神棚を建てたい→増田信仰は匿名が基本。自宅に飾りましょう
たとえば初詣。初詣めんどくせーし行かない、ってやると自分は正しいことができない悪いやつだという感情が生まれ、罪悪感を感じることに気づいた。めんどいから歯を磨かずに寝てしまおう!みたいな小さな罪悪感。冷静に考えたら初詣って思いっきり宗教的文化的な行為だから、神道も仏教も信じてない自分が行かない大義はある。そう考えると罪悪感は消えて心が楽になったのだが、あーこうして宗教が倫理を形作るのかなあ、と思ったりした。
謎の宗教上、文化上の風習のために大の大人がわざわざ苦労しにいく例は世界中にあって、不思議だなあと思ったりしたが、きっと彼らも親に教えられた生き方をなぞって自分は正しいことをしているという実感を得ているのだろうな、と思った。
頭の良さを誇示したつもりかもしれないけど、これは恥ずかしすぎる。
第1に、「初詣の広告で信仰の自由が侵害された」と訴えている人を知らない。どの宗教の信者も宗教団体もそんな主張はしていない。いったい誰の意見を代弁しているのだろうか。
第2に、フェミニストだけを茶化したつもりかもしれないが、同時に信仰の自由の権利についても小馬鹿にしてしまっている。「信仰の自由というのは、所詮は『初詣の広告を撤去しろ』みたいなおかしなもの」であるかのように。
この時期になると駅には「初詣は〇〇へ」という広告が貼り出される。以前はそれを当然だと思ってきたが、冷静に考えればあのような広告は多様性に真っ向から反している、公共の場所に相応しくない広告である。
というのは、『多様性のある社会』が受け入れるべき人々の中には、
「偶像崇拝は間違っている」
「神社を見ると、『日帝による占領時代に神社参拝を強制されて辛かった』という話を祖母から何度も聞いたことを思い出す」
といった人々もいるためだ。
たとえそのような信念や信仰の持ち主であっても、信者を洗脳して高額な寄付をさせていたり、子どもに信仰を押し付け信仰の外との関わりを絶たせるようなことをしていなければ、当然に内心の自由・信教の自由が適用される。
それなのに駅のような不特定多数の人が利用する場に広告があるということは、「我々日本の宗教界や鉄道事業者は、そのような信念・信仰の持ち主には一切配慮しません」と宣言しているのと同じことだ。それは間違っている。多様性が求められる社会であるからこそ、公共の場所での表現はありとあらゆる属性の人が拒絶しない表現しか置くべきではない。
何も「初詣を禁止せよ」「神道や仏教を信仰するな」と言っているのではない。単に、「初詣の広告は公共の場所に相応しくない。ゾーニングした上で行うべき」と言っているだけだ。神社新報や月刊住職に広告を出す分には問題ではない。だから信教の自由を侵害するつもりはない。