はてなキーワード: 初詣とは
明治から始まった(少なくとも「初詣」という言葉が初めて確認できるのは明治)のは本当だが「賽銭目当て」というのは微妙。
それまでは神社・寺ごとに決まった縁日に行くのが基本(今でも西宮神社とかの十日戎(えべっさん)なんかには名残がある)だったのが(地方によっては大晦日からの二年参りみたいなのもなかったわけではないけど)、
明治に入って日曜休日と正月祝日の制度ができて日付固定の初縁日に行くのが難しくなった。
そんでその頃できはじめた鉄道会社が「正月休みは初詣に行こう!」ってキャンペーンを打ってこれが全国的に流行って今に至る。まあ娯楽のない時代のレジャーやね。
初詣に伊勢神宮に行ったけど、外宮が空いてて内宮が激混みだったからな。外宮→内宮の順に回るという作法のはずだけど、そんなこと守らずに内宮だけ行ってる人の方が多いってことだよ。
もっと正式なものになると、伊勢神宮に行く前に二見ヶ浦の夫婦岩から回るって話だし、そこまで作法を守ってる人はどれだけいるんだろ。
40代だけど、子供のころに親から二礼二拍手一礼だから、ちゃんとやれよと初詣のころにいつも言われていた。
雰囲気から思うに二礼二拍手一礼も昔からそうしていたというより、わざわざ確認しないとわからなかったのかもしれないけど。
自分の服装がちゃんとしているかとかを自信なさげに確認するような親だったので、そう見えただけかもしれない。
どうお参りするのが正しいかが人それぞれで違うと混乱するだろうから、
神社本庁みたいなところが決めて、全国に徹底していると思ってたけど、
そういうのじゃないの?
初詣というのは自分の心の中に神様の居場所をつくる行為だと思うんだよな。
自分もそうだけど、日本人の多くって本気で神様の存在を肯定してはいないじゃん。
初詣なんかでもクリスマスやハロウィンとかと同じで単なるイベントとして消化してる人も多いと思う。
まあ、そういう関わり方でいいとは思う。
俺もそうだったしさ。
でもさ、いっぽうで神様の存在を必要としてる心の部分もないこともないんだよね。
例えばさ、俺は今年一年〇〇を頑張るぞ!、と決めたとしてもただ自分の心の中だけで決めていては頑張らなくても別に、まっいいか、で終わるじゃない。
そのために有言実行とか言って周りに〇〇、
たとえば禁煙するとかダイエットするとかを宣言するやり方とかが存在するんだけど、
世の中にはそういう卑近なことじゃなくて、
もっと大望というかちょっと口に出して他人には言い難いような大きなものを抱えていたりする場合もあるじゃない。
そういう人の幸せのために生きていこう、
ただ思ってるだけではなしに
「誓い」とか「願い」という形にして自分の心の中の神様に「宣言」することで、
その思いをしっかりとした形づくられたものとして、心の中の神聖な領域へと移動させることが出来るんだよね。
まあ、このへんの感覚は何言ってんのか全然わかんない、って言われるところかもしれないけど少なくとも俺は心の中に俺の個人的な神聖な場所というものを必要としている。
そういう場所を開く行為として初詣を俺は毎年行っている部分がある。
だから、俺はわりとガチで神様と向き合うし、少々の時間を頂いて作業としての初詣の回転率を落としたりしてるので迷惑だな、と思われたりすることもあると思う。
それはコロナ禍で初詣に行けなかったことでよっくわかったことなんだ。
もちろん俺も本気では宗教をやってない。日頃は神様のことなんて考えることはない。
でも、だからこそ年に一度だけは神聖な場所を心の中に開く行為が必要なんだ。
意味はわからないかもしれないけど、時間を必要としているということだけは出来ればわかってほしいし、そして申し訳ないが少しだけ時間を使うことを許して欲しい。
元増田がいうマナーとか作法として無駄な時間を使うのはやめようよ、という話とは少しズレるけれど、初詣に時間を使う人の心理とは?、のひとつの例として書いてみた。
個人的には小泉総理の靖国参拝が正式なマナーじゃないと叩かれたときに、二礼二拍一礼なんてマナーがあるのかと初めて知ったな
それまでは初詣で神社に行っても、手を叩く前に二礼してる人なんて見た記憶がない
1999年の頭にやってたドラクエ7が発売されることを神社に祈ってるCMでも最初の二礼はやってないから、この時点でもそんなにメジャーな習慣じゃないと思う
最寄りの神社←草ボーボー&ぼろぼろ、賽銭箱なし、参拝客は地元民すらいない。
車で10分の有名神社←臨時駐車場1000台、ツイッター・インスタでガンガン上げられる、出店・キッチンカーが多数出店。
10年前ですらこんな差はなかったはず。
それより、初詣やめたらって思うが
初詣行く人は少しでも神様信じてる人だから、あやかりたいなら作法もちゃんとしたくなる
正月だけお参りに行って助けてもらおうなんて虫が良すぎる
人がいない時に行った方がありがたがられるだろ、神様に
まあ俺は無宗教なのでずっと行ってないけど
これ流行ったのいつかわかんないけどインターネット発のマナーブームで起こったと思う
どうでもいいけど混雑時はあまりやってほしくないと思う
今年もたぶん全盛期ほどの人数は居なかっただろうけど(特に年寄りが少ない)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%A4%BC%E4%BA%8C%E6%8B%8D%E6%89%8B%E4%B8%80%E7%A4%BC
二礼二拍手一礼は戦後に一般化した作法であり、神社によっては別の作法をとることもある[5][6]。現在、多くの神社で二礼二拍手一礼を奨励する掲示があり、若い世代を中心に多くの参拝者がこれに従っている
昭和末期の1985年には国会で「一般市民は、いま参拝するときにはお賽銭を投げて一礼をする、あるいは形式的に二礼二拍手一礼をやっているかもしれません」という発言があった。これにより当時は神社参拝で一礼するのが普通であり、二礼二拍手一礼は「やっているかもしれない」といわれる程度の普及度であったことが分かる。またここに「二礼二拍手一礼」の文言が公式記録に現れた[23]。この時まで戦後歴代首相が靖国神社に参拝するときは二拝二拍手一拝を行うのが通例であったが[44]、この時から閣僚の靖国公式参拝で二拝二拍手一拝するのをやめた[45]。平成以降、橋本首相や安倍首相は二礼二拍手一礼で靖国神社に参拝した[46][47]。二礼二拍手二礼が一般に浸透したのは平成以降であるという説がある[7]。
「昔はなかった」としている記事
「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/30958
https://toyokeizai.net/articles/-/316446
https://togetter.com/li/1065098
ざっと調べた感じ、「昔はそれほどうるさく言われてなかった」と言う人は沢山いるがどこからどう広まったか考察してる人は居なかった
私の記憶では「二礼二拍手一礼」とか「階段の真ん中を歩くな」とか「鳥居はどっちの足から入るか」とかは漫画とかテレビのマナー系バラエティで見たことがあったと思う
だから「イキった若いオタクだけがやってる」という認識だったんだけど今年神社に2回行ったら驚くことにオジサンオバサンまで皆やってたんだ、しかもやりなれてない感がすごかった
10年前にはそんな人滅多に居なかったと思うんだけどなあ
回転率について茶化してる人居るけど、大行列作ってて交通規制行われて警察がウジャウジャいる神社でも同じこと言えんの?
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