「クラシック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: クラシックとは

2009-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20090525025113

あ、許諾を貰う貰わない=お金を払う払わないってのがおかしいってことか?

そうです。ワタシもあなたの意図を理解してませんでした。すいません。

非営利の場合許諾をもらわなくても、いいみたいですね。(著作権法38条

ワタシがいいたいのは「日本の場合、作者の死後50年で著作権が期限切れになるので、

クラシック音楽の場合、許諾もらわなくて営利使用しても、問題ないはず。」ということです。

ダイソーとかで100円でクラシック音楽CD売っているのは、

著作権使用許諾料が発生していないからです。

#いつのまにかツリーの大元が消えてますが、

#元々、学校部活でクラッシク音楽楽譜コピーすることの是非だったと思っていました。

http://anond.hatelabo.jp/20090525023417

クラブ活動での行為にも、営利行為と非営利行為の二種類があり、

教育活動の一環てのは非営利行為のみを指すはず。

作曲者にはお金を払わなくてもいいことが、演奏者にはお金を払って(あるいは貰って)いるのは矛盾じゃないか?

あ、許諾を貰う貰わない=お金を払う払わないってのがおかしいってことか?

学校部活動演奏会で、入場料をとらず、謝礼の支払いも一切無い演奏会のためならば著作権者に許諾を得る必要はない、コピー譜もおk

ならば入場料を取ったり謝礼金の支払いがある演奏会だったら、学校部活動演奏会でも著作権者から許諾を得る必要があり、

コピー譜?楽譜買ってよ」となる。はず。

横だけど、元々クラシック楽譜を(著作権所有者の許諾を得ずに)コピーして、

クラブ活動で使うことの違法か?が論点だったはず。

演奏者への演奏料?の話と混ぜて論点ごまかしている。

http://anond.hatelabo.jp/20090525022658

横だけど、元々クラシック楽譜を(著作権所有者の許諾を得ずに)コピーして、

クラブ活動で使うことの違法か?が論点だったはず。

演奏者への演奏料?の話と混ぜて論点ごまかしている。

http://anond.hatelabo.jp/20090525013023

ごめん。「松本零士 著作権」でググったが、何の事か判らない。

著作権保護期間を50年から70年に延ばす話?

70年以上前に作者が死亡しているクラシック楽譜コピーしても問題ないって話ではなさそうだよね。

文字だけでコミュニケーションしてるんで、もう少し具体的に書いてもらわないとわからないです。><

http://anond.hatelabo.jp/20090525010439

またクラシック音楽作曲家達は、法的にはどうでも道義的違法コピーに腹を立てて、

吹奏楽金管バンドも含む)の程度の低さを軽蔑したり、関係を断る人が出ているんだぞ?

「法的にはどうでも道義的違法コピー」という日本語意味がわからない。

法的に違法でないなら違法コピーとは呼ばないだろうし、誤解を招く言葉を使ってまで相手を貶めることはしない。日本人であれば。

この増田は、日本人としての看板をさっさと下ろすなり、周りの人との関係を絶ってもらえないだろうか。日本人として恥ずかしい。

2009-05-21

ポップスとかロック好みジャンルではあると思う。

でもすぐ聞き飽きてしまう。味わいが浅いのがほとんどだ。

だからといって、いわゆるクラシックはそんなに馴染まない。人によっては、それこそ何百年と聴き継がれ演奏され継がれてきたものだから、一生ものの好きな曲にも出会えるだとおもうけど。

ひょっとして俺って音楽あんまり好きじゃないのかななんて思うこともあるけど、それも違うよね。自分好みを探しているわけだから。ずっとこれが好きだってものを探しているんだがなかなか出会えない。昔好きだったバンドがある。それは確かに当時の俺は傾倒していたけど、違和感も同時に感じていた。よくバンドに同一化してのめり込んでいるファンとかいるけど、あんな感じで夢中にはなれなかった。すごくすごく好きだったのは確かだけど。

100%自分マッチすることを求めているんだな、たぶん。そんなもの滅多にないけど、だから探している。でも100%っていうは違うか。他の全てがマッチしても、ただ一つ自分がこだわっている部分が違っていたと言うケースが教えてくれる。俺の好みやこだわりの核にあるものにマッチしているのが大切で、他の部分が違っていようと別に決定的じゃないんだろう。

あと、歌詞があることも自分にとっては重要だ。つまりは歌だ。器楽曲にも好きなのあるけど。それも考慮しなきゃな。

2つの音楽を同時に再生できるウォークマンの類ってないのかね?

英語リスニングの裏でクラシックを流したいんだが。

2009-05-14

ぐだぐだ言い訳してないで腐女子キモイってはっきり言えよw

http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090507/1241628903

上の記事があまりにもアレだったので、色々突っ込んでみるよ!

 

腐女子であることで嫌な思いをするならば、簡単である。「自分腐女子である」という言明を金輪際を止めればいいのだ。

俺が批判したいのは、こういう背負い込まなくてもいい言説(レッテルといってもよい)をわざわざ背負い込み、なおかつ自虐的に語りさも自分が「虐げられる者」であるかのように振る舞うというその身振りこそが、現代的なナルシシズムの充足形態になっていることであり、そしてそのことを彼ら自身があまりにも無自覚だ、ということだ。

最後にもう一度言う。俺は腐女子キモイとか、そういう観点から批判しているのではない。女は腐女子に生まれるのではない。腐女子になるのだ。

つまり、「『自分腐女子である』と言明している人は、嫌な思いをして当然だよ」「『虐げられる者』として振舞っているんだから、虐げられて当然だよ」って言いたいんですね、わかります

キモイ存在として批判されるのは、もし生まれつきだったら自分の意思じゃないから不当だけど、腐女子自分の意思で批判される立場になったんだから不当じゃないよね、ってか。

ミニスカート穿いてる女は誘ってるんでしょ」とか言ってるレイプ魔と同じ理屈ですね。このマッチョが。

自分が良い人でいたいがために、相手に原因をなすりつける偽善者は、最初から「腐女子キモイ」って言うよりタチが悪いと思うよ。

「あまりにも無自覚だ、ということだ。(キリッ」

どっちがだよwwww

 

例えばトランスジェンダーホモセクシャルであることに悩んでいる人々は、腐女子自分たちとさも同列の悩みを持っているかのように振る舞っているのを、腹立たしくは思わないのだろうか。

いつ「腐女子自分たちとさも同列の悩みを持っているかのように振る舞っ」たんだよwwwそんな腐女子見たことないわwww

本当は振舞って欲しいっていう願望じゃないの?

もし腐女子がそのように振舞っていれば、腐女子叩きの口実にできるもんね。証拠捏造乙。

まあ結局は、「生まれつきなら自分責任じゃないけど、後から自分で選んだ立場は自分責任だから、同列じゃないよ(だから批判されても仕方ないよ)」って言いたいだけなんだろうけど。

それだけのためにトランスジェンダーホモセクシャルを引き合いに出して、腐女子を叩くための道具にしてんじゃねーよwww

「腹立たしくは思わないのだろうか。(キリッ」

こっちが言いたいわwwww

 

もっとも、「消費したもので私は作られる」という後期資本主義社会に位置づけられる今を生きる俺たちが、記号としての消費物からの「名付けの呪縛」から逃れることはできない。逃れることはできないが、それでもなお、その呪縛から自由であろうとする「余地」は残されているはずなのだ。それをなに、自ら積極的に背負い込んで腐女子を語り、腐女子であらざる言説を駆逐しようとするのだろう。

オタク趣味普通だとか普通でないとか、そういうことを暗に言いたいわけではありません。こういうときに安易に「普通」と表現した僕のミスでもありますが。それをしたいのならすればいいのだけれど、だからってオタクという自認を同時に連れて行かなくてもいいんでない?そこからは自由になれないのだろうか、というのが僕の疑問です。

オタクだ」「腐女子だ」って言えないことのほうがずっと不自由に決まってるだろバーカバーカ!

これが、読書とかクラシック音楽とか映画鑑賞とかの「普通の」趣味だったら、はたして「読書家という自認を同時に連れて行かなくてもいいんでない?」とか言うのかな?

他の趣味を持つ人間がその趣味を公言することをスルーして、ことオタク趣味に関してのみこれを言うところに、ものすごく不自然なものを感じるよ?

オタク趣味を公言せずに黙って隠れてろ」ってはっきり言えよw

心の底ではオタクを叩いているから、「オタクは外で公言したら叩かれて自由がなくなる。オタクが自由になれるのは内輪でいる時だけ」って思うんだろ?

呪縛作ってんのはお前みたいな人間だよwwww

 

【追記】

なんかブコメで、オキシドールとか消毒とか あんちせぷてぃっくさんとか言われて、なんのことかと思ってたけど、もしかして「消毒しましょ!」の中の人だと思われてる?

サーセン別人ですwww

 

続き書いたよー(・∀・)

http://anond.hatelabo.jp/20090516155910

2009-05-10

memo

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505055827

こちらこそ、いろいろ愚痴につきあってもらってスミマセン。

どちらに転んでも、難しい問題ですよね。

これって小説ならいわゆる編集作業であって創作とは通常はみなされないですよね。

それは確かに、そうなんですよね。ただ、その観点(編集者のセンス・出版社の構成/校正センス)

でもいろいろ議論はありますし、日本だと青空文庫さんなんかが先行的な深い議論をされていると思います。

それからクラシック畑の楽譜なら「○○版のコレコレという楽曲」という表現をするものも

ありますので、多少は編集者創作を加味されるのかもしれません。

といっても、ゲージツ的手書き譜の時代と、電算写植... もとい、DTP入稿の時代では、

重み付けも全然違いますが。

コピー機の普及によりもはや民間企業がやれることではないのかもしれませんね。それこそ元増田の言うように国立の音大や国会図書館がやるべきことなのかもしれません。うーん、でもそれも違う気がするなあ。

19世紀までの楽曲は、そういうスタイルも1案かもしれませんね。

吹奏楽の場合で、かつ特殊ケースにはなりますが、吹連が売ってる(権利を持っている)課題曲・楽曲は、

基本的には在庫が尽きるまでは原譜を販売、在庫終了後も権利者認定のコピー譜を販売、という

スタイルだったかと思います。

PDF配布なんかも普及してきましたし、昔のように在庫や原板の保管の障壁も下がってきていますので、

「権利者(or相当者)認定のコピー譜」という制度が普及してきても、いいかもしれません。

(追記)

というか、個人には大きすぎる・民営会社には少しキツい問題なので、

ほんとは真っ当な「権利者団体」が、利用者・著作権者・出版社のそれぞれに、

損は少なく得できる方策を提案すべきだと思うのですが、JASRACがなぁ...

DVD/CD-R/HDDであんな議論されちゃ、そのうち「コピー用紙にも楽譜コピーできるんだから」

などと言い出しそうで怖いです。ってか、コピーするのが前提かよ!みたいな。



お話も尽きませんので、いったんこんな感じで。

http://anond.hatelabo.jp/20090505065159

それもおっしゃる通りで。基本的には、著作権出版社譲渡...

つか、国内は基本的にJASRAC譲渡で、しかも取り返せない形になるんでしたっけ。

あと出版社も(在庫リスク付の)商売ですから、確かに出版社が力を持つのは

仕方ない側面もあるとは思います。

東芝EMIが、同じ内容のCDを数年毎にパッケージを変えて再版してるのを見て、

最初は「セコいなー」と思っていたものの、最近在庫調整&継続販売のためには

仕方がないのかなーと同情に思えてきたり、

NSBの旧版がde Haskeあたりで再出版されてる様子を見て、

国内版で出してくれないのもなんだかなーと思えていたのが、仕方ないなーと思えたり、

そんな気分になることに、年を取ったなーと思う今日この頃です。

http://anond.hatelabo.jp/20090504003618

レスポンスありがとうございます。

そうなんですよねー。中学校高校吹奏楽部なんかで楽譜に対する著作権意識がまともに醸成されてない、むしろ楽譜は一冊買ってコピーして使えばいい、そういうものなんだという意識が植えつけられているようなのが問題なんですよね。

でもまともに考えるとクラシック楽譜著作権というのはかなり微妙なラインにあるんじゃないかなあとも思うわけです。もちろんもとの原譜を使える状態に仕上げてかつ印刷に適したフォーマットに整えるという作業が大変なのはわかるのですが、これって小説ならいわゆる編集作業であって創作とは通常はみなされないですよね。

コピー機の普及によりもはや民間企業がやれることではないのかもしれませんね。それこそ元増田の言うように国立の音大や国会図書館がやるべきことなのかもしれません。うーん、でもそれも違う気がするなあ。

難しいですね。

2009-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20090503235657

著作権云々を書いた増田だけど、

会社がなくなって楽譜がぜんぜん売られなくなったら困るでしょ?

え?そうなったらコピーし放題になって助かる?

実際、困ってるらしいからなぁ...

クラシック畑というか、吹奏楽関係者だと、さも公然にコピー譜が出回ってる

から、コピー譜で当然という意識があるのかもね。

最近の邦人作曲家ではレンタル譜で対応してる人も多いし。

背景には、スクールバンドが「低予算の実情かつ教育目的の~」を印籠にして

学校間でコピ-、そのノリでOBが一般団体でもコピー、というのを繰り返したりして、

「原譜を買う」という意識が薄いまま学生が育つループができてるのがあると思う。

たしかに、古い定番曲は絶版になってることが多いだとか、

(特に邦人の、国内出版社分。アメリカ系のは出版社が変わって再版されてる場合も多いけど)

古い定番曲は在庫として持ってる学校が多いから、再販しても売れないとか、

昔(90年代以前)は海外譜・海外盤の入手・選択性がよくなかったかり、為替の都合で高かったから、

今とは違う事情(善し悪しは別に、海外情報の融通という意味で)があったとか、

いろんないいわけはあるんですけどね。

個人的には、自分が最初に出会った顧問の先生は基本的に譜面を買ってたし、

他団体から借りる場合にも、(コピーではない)原譜を借りた上で、

使用後はコピーなどを一切廃棄して残さなかったし(ギリギリでグレーのところ)、

自分自身も、学指揮をやってた頃は、私費と団費をやりくりして原譜を購入してた。

ただ、レッスンで見てもらってた先生(プロ演奏家)が、

CDなんてコピーでいいんだよ。パソコンソフトもまっとうに買うのってアホみたいよな。」

って言い出した時には、さすがにピキピキきた。あなたはナニでメシ喰ってはるんすか、と。

(CDじゃねぇ、入場料収入だ、と言われれば、まぁそうかもしんないけど、

基本的にはどっちにしろ、大枠のコンテンツ料・サービス料で稼いでるわけで)

なんか自慢話じみてきて申し訳ないし、カスラックBカスがらみの著作権ゴロの件は

腹立たしいと思ってるけど、まっとうな著作権者に利益が回る話は、きちんと守ろうと思ってる。

2009-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20090503161120

楽譜著作権はかなりあやしいけどねー。

たいていのクラシックだったらもともとの著作権は切れてるから補助記号とかに創作性があるかどうか。

コピー機はだめだけど手書きでの複写はOKらしいよ。

これも変な話だけどね。

まあ、でも、学生じゃない限りそう高い値段でもないんだから買ったほうがいいと思うよ。

会社がなくなって楽譜がぜんぜん売られなくなったら困るでしょ?

え?そうなったらコピーし放題になって助かる?

たしかにそうかもw

大学は貴重な楽譜インターネットで公開すべきって言う主張なら賛同するよ。

ピアノが僕らを引き裂いた話

http://anond.hatelabo.jp/20090501205227

先日、高校同窓会があったようだ。

密かに見ている当時のクラスメイトmixiで知った。

イタリアにいる僕は参加できないし、おそらく日本にいたとしても参加していないだろう。

今の地位を築くために失ってきたもの、それが僕の少年時代だった。


両親が音楽家だったせいもあり、当然のようにクラシックかかる家で、幼稚園に入る頃にはピアノを習わされた。

幼稚園の頃は、音が出るだけで楽しかった。

うまく弾ければ先生がほめてくれたし、発表会でステージにあがるのは、「大人」になった気分で、

ものすごく緊張したけど、そこで弾くピアノは最高に気持ちが良かった。

真っ暗なステージ

スポットライトを浴びて、ステージ中央のピアノへ向かう。

いつもよりもいいピアノで、当時の僕でも分かるくらい音が違った。

僕の原点はたぶん幼稚園時代の発表会だ。

あの時の快感が忘れられなくて、今でもピアノを弾いている。


ただ、小学校に入ってからはそうもいかなかった。

友達が遊んでいる中、僕はひたすらピアノの練習をしていた。

ファミコンなんてしたことがない。

ドラゴンクエスト、というのが流行っているというのは知っていた。

親に今度の発表会で金賞を取ったらドラクエ3を買ってとおねだりしたら、思いっきりぶたれたのを覚えている。

テレビゲームで遊んでるヒマがあったら、ピアノを弾きなさい。

頭の中が真っ白になった。

でも、ピアノを弾いて見返すしかないと、ひたすら練習に励んだ。

ピアノピアノピアノ

クラスメイトの話題について行けず、ピアノをやっていると言ったら、「男なのにピアノやってるの?」と思い切り笑われた。

それ以来、僕は人にピアノのことを話すのはやめた。

たぶん、僕はピアノを最も愛しながら、ピアノを最も憎んでいた。


今でも忘れられないのが、高校3年の時の文化祭だ。

出し物の都合でピアノを弾ける人が必要になった。

「誰かピアノを弾いてくれませんか?」

文化祭実行委員が立候補をを募る中、僕は手を挙げようか挙げまいか迷っていた。

当然のように、僕はピアノをやっていることを誰にも話していなかった。

相変わらずゲームのひとつもせずに、ピアノ一色の生活だった。

マンガドラマゲーム、みんなの会話に何一つついて行けず、かといって勉強運動が出来るわけでもなく、

いてもいなくてもわからないような存在

ピアノがなければ、僕は何も出来ない男だった。


ピアノさえなければ。

ずっとそう恨んできたが、その時、初めてピアノが役に立つと思った。

最後の文化祭

言い方は悪いが、普段の練習からすれば、たいした曲ではないだろう。

それでも僕がみんなの役に立てる唯一の機会。

ピアノが僕をクラスメイトから遠ざけてきたけど、今、初めてピアノが僕とクラスメイトを結びつけようとしている。

手を挙げかけた瞬間、小さな声がした。

もう名前も覚えていない、僕と同じように地味な女子だった。

意外な立候補に周囲がざわめいた。

「○○ってピアノやってたっけ?」

「あいつにできるの?」

それでも彼女は、震える手を下げようとしなかった。

僕の居場所は、なかった。


文化祭は大成功だった。

受験も控えた文化祭で、はじめはあまり乗る気ではなかった人も多かったが、ピアノをろくに弾いたことのない彼女のために、クラスが初めて一丸となった。

元々器用ではない彼女が、いきなりピアノを初めて、うまく弾けるわけがない。

練習中に彼女があまりに弾けなくて「ごめんなさい」と泣き出したこともある。

それでも演奏が出来るパートのみにうまく再編成して、文化祭を成功させた。

僕がピアノを弾かないことで、クラスはまとまったのだ。


その後、僕はとあるコンクールをきっかけに、欧州の楽団からスカウトを受け、

受かっていた大学を蹴って留学することになった。

当然、僕を見送ってくれる人はいなかった。

パソコンを閉じた後、

密かに練習していたものの、

結局一度もみんなの前で弾くことのなかった高校の校歌を、

一人、奏でた。

:::追記:::

当然だが、創作だからね。

題名もつけてみた。

元増田(とそのクラスメイト)があんまりにも一方的な怒りを感じていたので、勝手妄想して書いた。

だから、元増田の怒りを踏みにじるつもりはあるw

ピアニスト君は、本当はみんなと一緒にやりたかったかもしれないよ?ってのを、

ラストの練習はしたけど、一度もひかなかった校歌のくだりに託してみたw

当然ピアニスト君の事情はわからないけど、

彼への肯定的な想像力があってもいいんじゃないかと思う。

したことにせよ、しなかったことにせよ、相手の決断を尊重できる人でありたいもんだね。

http://anond.hatelabo.jp/20090503161250

当方クラシック畑で考えてるんだけど、その楽譜って何よ?

どうしても売ってなくて、かつ使う必要があるんだったら、

図書館で相談してみたら?

理由書を書けば、理由次第で相談に乗ってくれんじゃないの?

あと、国立(こくりつ)はともかく、私大系は仕方ない側面もあると思うが?

2009-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20090501205227

1.高校3年の文化祭で、出し物の都合でピアノ奏者が必要に。

どんなんだろ?合唱ミュージカル演劇オペラ

2.重要な役割なのでプレッシャーが高く、また練習のために放課後時間拘束されるのを嫌がって誰もやりたがらなかったが、内向的だったピアノ経験の女子生徒が立候補

1のレベルにもよるけどここでいきなり難易度アップ?

3. 彼女バックアップするためにクラス一丸となって準備に奔走する。

あれ?2と矛盾してないか?長時間拘束されるのが嫌なやつばっかりだったんだろ?それが何ゆえクラス一丸となるのやら。

4.結局彼女は最後まで習得できなかったが、演奏可能なパートだけで曲を再編成するという力技でなんとか成功させる。

やっぱり合唱?寸劇?

それは、クラスではさほど社交的ではなかったとある男子生徒(同窓会には欠席)が、幼稚園時代からピアノの英才教育を受けて現在プロとして海外で活躍中だということが、海外赴任から一時帰国したクラスメートによって報告されたことに端を発する。高校卒業直後にどこかのコンクールに参加し、そのままやたらと長い名前欧州の楽団にスカウトされたとか何とか。彼女が持ってきたパンフレットや現地の雑誌には、彼の来歴は確かにそう記載されてあった。

ピアニストが楽団にスカウトされるって何それ?クラシックじゃないんだね、きっと。

しかも同級生の海外赴任先で発覚って、発見した同級生はよっぽど音楽好きだったんだね。

凄い偶然があるものだなあ。ちなみにお国はどちら?

当時あの高校の敷地内が全てだった俺達の価値観

今時こんなことを考えている集団が存在することが驚きだ。ルーキーズか?ゴクセンか?

今でもあるのか、その高校文化祭行ってみたいよ。

自分たちは高校文化祭の、しかも3年生の、しかもクラスの出し物にこんなエネルギーは使わなかったよ。

それぞれクラブとか、バンドとか、そっち優先だったなあ。

なので、帰宅部連中も含めてクラスの出し物は分担してさくさくとクールに済ましてたな。もちろんここぞと働く帰宅部もいたけどな。

なんで、そのピアにスティックな彼がクールにやり過ごしてたとしても、全然不思議に思わないなぁ。

ましてや高校同窓会ってなにそれ?群れない俺は一度も行ったことがないわ。会いたい奴もいないしなあ。

まあ、良い思い出が崩れて残念なことでした。これを機会に、青臭い話は終わりにして、大人になろうじゃないか。


蛇足だけど。

これ書いた人と同じ人なんじゃあるまいか。→http://anond.hatelabo.jp/20090408121545のキメ台詞

きらきらと目を輝かせて語る将来の希望をまるごと受け入れて道を示してやれないダメ教師の俺らには、美味い酒などなかった。

今回のキメ台詞

当時あの高校の敷地内が全てだった俺達の価値観を、なんだか最悪のタイミングで彼に否定されたようで、俺はその夜まんじりともしなかった。

なんだかメンタリティが同じだよな。

2009-04-29

むかつくから書いてやる

俺の学校はね、一応県下ナンバーワンの公立学校だったの。

でね、そこは浪人生の成績で進学成績を保ってるような学校だったの。

補習科っていうのがあってね、そこに四年生って呼ばれてる人たちがいて、

現役生からは「かっこわりー」とか言われてたの。

毎年320人から100人くらいは浪人してね、それでもいい学校を目指すほうがいいなんて姿勢だったの。

まあそれはいいんだ。彼らが馬鹿にしていた地元の中堅国立に、

現役だとひっかかりすらしないような人間だらけだったんだけど。

文武両道とか言って、野球部サッカー部も緒戦敗退するのに数十万部費がもらえて、

軽音部は3万できったねえ6畳のプレハブで活動させられてたんだけど。


今でも思い出すとむかつくのは、管弦楽部とその顧問の音楽教師だ。

たった3校だかの中で1位をとって、全国大会にまで行ってピッチグダグダ演奏かまして帰ってくる。

その遠征費が200万?勘弁してくれよ。お前ら、コードとかの概念すらわかってないじゃないか。

高校生からクラシックをはじめるなんて、馬鹿だろ。

顧問は顧問で、利権にまみれすぎなんだ。

お前、あんなへたくそ演奏の指揮してて楽しいのか。

そのくせ俺が大音量で弾くへヴィロックはお気に召さないのか。

死んでしまえ。へたくそ

2009-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20090421180035

まったく同じって同じ番組だからなあ。

今回の女性のほうがよりインパクトがあったってことなんじゃない?

まったくもって失礼な話しだが、見た目とのギャップ、年齢そのほか印象操作で。

前回のポールボッツもそれなりに話題になったが、何しろクラシックオペラだったのでそんなに勢いがなかったのかな、と。

今回のほうが聴きやすいよね。

ところで、日本オーディション番組と同じだというのは違うとも同じとも言える気がする。

自分は、何しろレベルが高い、と思う。趣味にあってるってのも含めて。

2009-04-15

それじゃ便乗して民族学校通ってた在日ちょっと書いてみるか。追記

http://anond.hatelabo.jp/20090414170900

強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。

よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。

読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。

 

 

私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。

父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクサヨクというそんな一家です。

父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。

(家にあったマルクス資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)

…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。

 

父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。

母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽気持ちになることはわからなくもない。

 

 

高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独オタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。

高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。

外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。

ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラル教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。

 

いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!

何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!

ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!

図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!

何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩ルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!

から今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。

(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)

あー、あとJR定期券割引とかないから一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから

大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!

 

 

それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。

言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的もの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。

から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビ新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。

将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。

音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。

そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。

 

あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。

晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。

 

元増田「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。

映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。

ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白い山田風太郎竹本健治火浦功は天才だと思ってる。

 

で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。

今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリ女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。

聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。

そうやってやり過ごせばいいと思ってた。

考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。

 

 

自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。

在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。

けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。

見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。

からリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。

あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。

 

拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。

例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペ書き込みを思い出してまた沈む。

この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません

そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。

結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれから生活展望とか語れる物がないw

 

 

で、最近はどうかというと。

高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。

「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。

Bだって私の前で嫌韓発言するようなことはしないだろう。

けどなあ。

それってどういうことなんだ?

韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは別」ってこと?

いやいやいやいや、私は朝鮮人からあなたが嫌いな朝鮮人から。別じゃないから朝鮮人から私だけ切り分けられても困るからネトウヨ嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人から

韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。

私自身「ネトウヨは嫌いだけどBのことは好き」だから

…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。

 

…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。

元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。

追記 すんませんトラバ先間違えてました…!

http://anond.hatelabo.jp/20090415070440

うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。

ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。

何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。

韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。

お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。

 

http://anond.hatelabo.jp/20090415073233

日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。

ちょっと思ったのは、日日間での暴力差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音

 

ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。

うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。

 

日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。

在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。

通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるからかいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみますあやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます

更に追記(ブクマコメへ局所的返信)

火浦功マジで天才だと思います!!

チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。

ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。

 

お昼休み増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!

ついでにちょこっとお返事。

 

KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説から!」と突っ込んでさしあげたい。

もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません

ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。

 

HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。

すいません、ありがとうありがとうブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。

とりあえず結論火浦功は偉大ということで。

 

これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼しますコメントトラバくださった方、ありがとうございました。

すごく久しぶりだけれどこれだけは言いたくて追記します

b:id:cider_kondo

「昭和な街角」読みました!

火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオ七面鳥~。

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

すごくいいエントリだと思った。

増田偽悪的に書いてるけど生徒のことをよく考えている先生だよね。

自分保護者だったらこんな先生に教えてもらいたいと思う。そのときは辛くても、覚悟して選択したということが挫折から立ち上がるのを助けてくれることになる。

食って行くってこととは別に。

自分アマチュア音楽愛好家で大学音楽以外の別学部進んだ。けどちょっとだけ専門教育受けてる。

クラシック聞いてどの演奏がいいとか、この演奏が好きだということが分かるまでに、とても時間をかけて育てられ、自分でも育ててきた審美眼(耳?)があるつもりだ。

これはものすごく自分を豊かにしていると思う。

自分の恩師は、「たとえ生徒がプロにならなくても、よい聴衆を育てるということに誇りを持っているし、そうなってほしい」と言っていた。

「よき聴衆こそが音楽をすばらしいものにしていくのだから」って。そう言ってくれたから今の自分は、アマだけど誇りをもって音楽と向き合っている。

だから、美術大学を出て、たとえ挫折したとしてもよい観衆?、あるいは増田みたいなアドバイザーになれる世の中だといいけどなー。

大学まで行った人じゃないと分からないというのはアレだけど、正直自分は今のアートシーンは説明されないと(されても?)さっぱり分からない。

でもクラシックのよさが分からないって人もたくさんいるんだろうなと思う。

でもさ、たとえばニコニコ動画では美術音楽サブカル的なものが専ら流行っているけど、クラシック検索してもすごい普通におもしろくて、

かつ、うp主専門崩れじゃないかなというレベル動画あげている人がたくさんいる。そしてその動画見て、普通の人が結構いいねとか、おもしろかったってコメントしてる。

描いてみた動画だってそう。

ニートとか自己責任とか不況だからギスギスしたこと色々言われるけど、状況が許せばもっと穀つぶしにおおらかで、それに金が払われる世界であってほしい。

よいものが評価される世界ってやっぱりある程度育てられた眼や耳をもった聴衆がいないとだめだし、メインカルチャー廃れる一方だからさ。

おもしろくないんだからしょうがないって言われても、一発芸しか評価されないのお笑い界は最悪なんだよ。

喰えないからってあきらめても、愛だけはなくさないようにしてあげてほしい。アマチュアアマアモールってことだ。

だから元増田は、審美眼を育てまくって、結果として生徒が進路としての美術の道をあきらめさせたときは、それでもいいんだぜってことまで教えてあげてほしい。

灰色のサラリーマンの生活が辛いときも、眼や耳があれば、鮮やかな色彩をもってそいつが慰めてくれる。

うん、晩酌がすぎた。

2009-04-04

スタートメニューが最強すぎるのでクイックランチは使ってない

個人的にはスタートメニューがランチャとしては最強。

ここでいうスタートメニューはWindows95/NT4.0の頃からのクラシックな奴な。

Vistaで変わったやつは便利な使い方ができない

http://anond.hatelabo.jp/20090404002957

たまにあるWindowsデスクトップについての話で、クイックランチの話があんまり出てこないのは何故だろう。

あれはランチャとして十分に使える、と思ってるのは自分だけだろうか。

   :

自動的に隠す」のチェックをオフにしてドラッグドロップすれば自動的にショートカットを作ってくれるし

アイコン並べ替えも簡単にできる。ドライブを登録すれば「取り出し」等そのドライブ特有のコマンドも出る。

スタートメニューにファイルドロップすれば自動的にショートカットを作ってくれる

ドライブアイコンドロップすると変になるが、一旦ドライブへのショートカットデスクトップに作ってそれをスタートメニューにドロップすればOKである。

スタートメニューのアイコン並べ替えはIE4.0/Win98以降で出来るようになった。

・クイックランチよりスタートメニューの方が圧倒的に便利なところとしては、キーボードで操作できるところと、階層化できるところ。ショートカット名前を数字から始まるようにしておけば、Windowsキー→数字キーで、そのプログラムを起動できる。

そんなわけでスタートメニューカスタマイズをしてる人間にとってはクイックランチの何が嬉しいのかよくわからない。

2009-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20090323004725

元記事増田です.はてブコメント読ませてもらって書いてみる.

歌を歌えるようになろうとは思っていないけれど興味津々.

「すごい」とか「素晴らしい」というのはどういうことだろう?

普通に歌える人の音に対する感覚が分からないから,どうすごいのかが

正直言ってよく分からない.「これはひどい」って意味なら納得できるけど…

子供の頃のことをもう少し書いてみると,こんな私だけれど

幼稚園から小学 3年ぐらいまでエレクトーンを習っていた.

楽器が弾けるから音痴だけれど音感がない訳ではないのかな.

音楽の授業で楽器は割とできる方だった.それで成績付いていたようなもの.

でも,よく考えてみると楽器を弾くのは譜面に沿って

出す音とタイミングと長さが分かっていれば出来てしまう.

自分の声でその音程の音を出せなくても楽器はその音を出してくれる.

だからそれは音感があるのとは別のことかもしれない.

手で絵がかけなくても PC 使えば絵が書けるという人がいるなら

それと同じ感じかな.歌と絵には何か違いがあるような気もする.

ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20090225022536 も私.

(どう信じてもらえばいいのか分からない)芸術には縁がなさ過ぎる.

上の日記読んで思い出したのは,中学の時に音楽(たしかクラシック)聴いて

感想や何を表現しているか述べよという授業があったが,これが全く分からない.

模範解答を聞いてもその楽章(?)がどうしてそれを表現しているのか分からない.

それでも今はクラシックを聞くのは好きで,好きな曲やこの作曲家はいる.

ガブリエル・フォーレお気に入りラジオクラシック番組教授の解説は

相変わらず全く分からない.聴き心地が良いかどうかだけが唯一の基準.

言葉アクセントをどう認識しているのかというコメントに対して.

自分が話す場合,疑問系で語尾を上げる時に相手にうまく伝わらないことがある.

アクセントじゃないかもしれないけれど「○○ですか?」の意味

「○○です↑」と語尾を上げて言ったつもりでも間を置いて

「今,自分に聞いたの?」って聞き返されたことは何度かある.

単語のアクセントは話の流れで分かってくれるみたいだから,

私は知らないだけで伝わっていないことは実際にはもっと多いかもしれない.

他人が話す場合,聞き取る方には問題がないようで相手が意図したように受け取れる.

あくまで,自分が出したいように音を出せないのが問題だと分かってきた.

また子どもの頃の話に戻って,聞き取る方は問題がないと思うから

合唱の時は自分の声が他の人と比べると外れていることは分かる.

でも独りで歌う場合,比較対称がいないから自分の音が外れているのか分からない.

相対音感の人が独りで歌う時,最初の音を基準にどれだけ高い低いで判断しているなら

最初の音が楽譜通りのその高さかどうかをどう判断しているんだろう?

と考えると普通の人も少なからず絶対音感の欠片でも持っていないと無理ではない?

取り止めがなくなってきたから,これで最後.

元記事に「楽譜の歌詞は平仮名で書いてあるから無意味な文字の羅列だと思っていた」と書いた.

絶対音感ではないけれど街中(特に店内)で他人の声を聞いていても同じような感覚に陥る.

何か声(というか音というか)が聞こえるけれど,明瞭ではないと言葉として捉えられない.

そういう状況を自分の中で騒々しいと位置づけているのかもしれないと,今書いていて思った.

だから邦楽でも歌詞を見ないと何を言っているのか分からない曲は聞いていられない.

だから昔から流行の曲には疎い.J-POP も全然良さが分からない.雑音以外の何物でもなかった.

その点,クラシックはそれがないから聞いていられる.以後,音楽にうんちくは要らない事にした.

2009-03-16

ベネッセの特集を疑似科学と決めつけてる人は水伝を信じている人と同レベル

タイトル釣り

http://junjikido.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c115.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://junjikido.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c115.html


ブクマコメントに散在しているが、

このベネッセの特集(以下クラシック育成と呼ぶ)を疑似科学ととらえて勝手に失望している人が多い

疑似科学の代表とも言える水伝となんとなく似ているのでわからなくもないが

以下の違いをしっかり考えてほしい


1. 水伝は「良い言葉の持つ力」という未知の力を使っているが、

 クラシック育成は「音」という既知の力を用いている

2. 水伝は「良い言葉」「綺麗な結晶」という主観を判断材料にしているが

 クラシック育成は「糖度」等の客観的事実を判断材料にしている

 (クラシックが「良い音楽」という事で使われているわけではなく

  様々な音楽を試した結果、成果を出したのがクラシックだっただけ)

3. 水伝適当実験事実のように見せかけているが

 ベネッセの特集はあくまで実際にやっている所があるという事実の紹介である


信じる信じないは個人の自由だし、私もあまり信じてはいないが

科学的に証明されていないからといって事実ではないと決めつけるのは暴論

どんな科学だって最初は理解しがたい現象から始まっていることを忘れてはならない

根拠のない否定より前にこの現象が事実であるか検証するほうが先だ


追記

日本音楽熟成協会 http://onjyuku.com/

ここのごあいさつにベネッセの特集がそのまま書いてあるけど

ここから持ってきたとしたら浅はかとしか言いようが無いな…

2009-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20090315123713

対照実験をしているのかな?

クラシックJ-POPを聴かせたときの差はあるの?

空気の振動ならなんでもいいの?

元増田の記事がクラシックと限定されていることが問題。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん