はてなキーワード: クラシックとは
ちなみに「トマトにクラシックを聴かせると甘くなる」かどうかは寡聞にして知らないが「大学教授に子育てさせると大抵失敗する」方はガチだ、というのが大学教員の間のもっぱらの噂。
当該エントリはその良い証拠と言えるかもしれないな。
父:あんな~、もしホンマやったら、トマト栽培農家はみんな畑にクラシック流してるはずやし、牧場でも、養鶏場でもそうや。
そんなん見たことも聞いたこともないやろ。
「みんな」と言っていることに注目。「ホンマ」に効果が出ている(実証されている)のであらば、「みんな」と言って良いほど多くのトマト栽培農家(牧場でも、養鶏場でも)がやっているはずだが、みんなやってる、というほどやってないだろう。やってるのは「一部」だし、やってる農家があることは効果のあることの証拠にはならない。「ウソ」といって差し支えない。
いろいろありすぎて、なにがどう作用しているかはわからないが結果として良い方向に作用しているので導入されている。
http://anond.hatelabo.jp/20090315130433
焼酎の熟成の話はもう出た?
http://www.lento.co.jp/sidenavi/sound_ripening.html
「れんと」はタンクの中で、
振動に変換され、貯蔵タンクに伝えられます。
微細な変化を含む振動によって熟成を促す製法です。
香りと味をよりまろやかに、そしてすっきりとした
喉ごしにする効果があるといわれています。
あえて言えば、「クラシック音楽が」というあたりに怪しさを感じる、という言い方はできる。
例えば、なぜヘビメタではいけないのか、とかさ。
仮に、特定の周波数特性を持った何らかの音波を与え続けると植物の生育に良い影響が出る、というのが真だとしよう。それが真だとすれば、当然、その逆があることも想定できる。すなわち、逆に悪影響が出るような音楽だってあるだろう。
まぁ、要は「クラシック音楽が」という限定がつくということは、良い影響を及ぼす種類の音楽というのは限定されていると考えるのはそんなに不自然ではない。では、なぜ「クラシック音楽」なのか。ヘビメタではいけないのか。ポップスやテクノではいけないのか。いや、そもそも「音楽」である必要はあるのか。
要するに、ある種の共同体内における「クラシック音楽は(無条件に)良い」という価値観を、自然一般に対して素朴に投影しているに過ぎないという可能性は大きいわけで、それを考えれば疑義を差し挟むのもそれなりに合理性があるとは考えられると言えないだろうか。
水への伝言の話題の中で、ワイン貯蔵庫に(お酒だったかな?)クラシック音楽を流して味をまろやかする、みたいな一部の企業の取り組みが科学的でないという批判もありました。(他にも漬物にクラシック音楽を流して味をまろやかにするとか。*注1)
この大学教授の人も、その話を受けて「音楽を流して食べ物をおいしくする」「音楽によって性能が向上する」ことはない、と判断しているんでしょう。
生物を扱う畑や家畜と、加工された飲食物という違いで、元増田さんは「一緒にするな」と批判してるんでしょうけど、各農家の取り組みも本当に科学的な実験が行われたか疑わしいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090315123713
野菜や家畜にクラシック音楽を聞かせることに「実証実験」がおこなわれているとは知らなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20090315130433
事実らしいですよ。
何年も前にそういう農家を紹介している本だったか記事だったかをみましたよ。
たしか、クラシックだからどうだと言うわけではなく、音声による微細な空気の振動が影響しているのでは、とか書いてあったような。
http://junjikido.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c115.html
父:ウソや。
父:ウソや。
娘:クラシック音楽を聴かすとニワトリがうむタマゴの数がふえるんだよ。
父:ウソや。
娘:ここに書いてあるよ。
父:あんな〜、もしホンマやったら、トマト栽培農家はみんな畑にクラシック流してるはずやし、牧場でも、養鶏場でもそうや。
そんなん見たことも聞いたこともないやろ。
それに、証拠はあるか?理論的に説明できるか?
でけへんやろ。
娘は9歳である。
1.発見の報告に対して返答が「ウソや。」これは子供だとしても、もしこれが一人前の女性だったとしてもディスコミュニケーションと言わざるを得ない。
2.親が見たことも聞いたこともないからという結果の誘導によって子供を説得してはならない。
3.9歳の子供に理論的に説明しろだの、証拠を出せよだのは小学生がやること。
そして重要なのは
そんでもって見たことあるか?っていうレベルじゃないぐらい多くの農家、畜産家でも導入済みのやり古された技術。
親のステレオタイプで子供を説得し、子供の新たに知るという知識の喜びを無下に潰してしまうという行為を教育者が行っているのかとおもうと情けない。しかもその断定に至る見識が非常に狭いものであり、水への伝言よろしく紋切型態度をとるのはまるでいただけない。しかもしれが間違っているとなるとなおのこと。ふがいない。
実際に搾乳量や糖度が増えたという報告があり、かつ追従している農家、畜産家が増えいてる事実。
これは状況証拠にもなるだろう。
具体的な実験もされている。
なぜトマトかといえば、これがバイオテクノロジーで大胆な品種改良に挑んだときに試されたから。
その中でたまたまいく種かの音楽を聞かせて育てるという実験項目があった。20年ぐらいまえの話しだ。
ここで根の発育や実の糖度などに有意差があったからその後さまざまな音楽で実証実験がおこなわれてきた。
そういう歴史的な積み重ねも無視して「ウソや。」の一言はあまりにいただけない。
9歳の子に負けるなんて、どんだけイノセントなんだ。
理論的に言えば植物と畜産への作用のロジックは違うかもしれない。
ここらへんは諸説いろいろある。
たとえば人間にはどの種類の音楽を聞かせてもテストステロンが減少することが報告されている。
http://www.psych.let.hokudai.ac.jp/~jmpc/N4/Fukui.html
いろいろありすぎて、なにがどう作用しているかはわからないが結果として良い方向に作用しているので導入されている。
目下さまざまな研究がなされていることにたいしてその導入以前の子供の注意を喚起するレベルの部分で大学教授がつまづいてんなよと言いたい。どんだけ知識欲に欠けてるんだと。
そしてこれを「とんでも」と一概に切り捨てようとしているはてな民もどうかしている。
なんでとんでもだと思ったの?
水への伝言と一緒だと思ったの?
消したいとか言ってるけど、正直みんな増田盛り上げてくれて喜んでいるから、匿名なんだしおいといてくれればいいのにと思う。まじめな方なのね。
僕なんかほぼ実名特定可能なmixiで中二病的な投稿をして、コメントがたくさんついて消すに消せなかったりとか・・・・(涙)
一点だけ、質が下がるというのは確かにあるかもしれないけど、ニコ動でMADされているみたいに、著作権的に使いやすかったり、CD化されても価格が下がったりすれば、裾野が広がるというメリットがあることも考えて欲しいと思う。そういう意味で音楽にはあらゆる可能性を追求してほしいし、日本人のオタクたちがミクを使ってそれをやらなかったとしても、この世にボーカロイドがある限りこの流れを単なる倫理観だけから止めることは不可能。(それじゃ、一部の既得権益のある人たちが独占してる業界と同じになりかねないし・・・)
もっとミクと別の方向性をもつような楽曲をはやらせたり、シナジー効果でパフュームみたいなデジタル系な局を盛り上げてデュエトしたり、純粋に人間が歌う以上にうまいボーカロイドを追求したりと(最後は元増田が望む方向でないだろうけど)、世にボーカロイドがある前提でどういう風に共存していくのかを、できるだけ人間の歌手がいい形で関われるように具体的に考えたほうが良いと思う。
ちなみに僕の個人的な意見では音としてミクは好き。それは今まで、生曲時代のクラシック・演歌、 ラジオ時代のノイジーなロック・ジャズ、レコード・磁気テーププレイヤー時代のジャズ、昔のポップス、 光ディスク時代の近代ポップス、 シリコンプレイヤー時代のボーカロイドと(ものすごい)大雑把に書いてしまったけれど音楽の媒体とともに進化してきた楽曲という点を考えると、ミクやパヒューム(こういうの昔からあったけどたいしてうけてなかったような)なんかがシリコンプレイヤーで映えるということだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090313103133
この反論いいね。ますだでスターもつけたらいいのに
終わりにしたいって事だから食いつくのもアレだが。
根本的には音楽のどこまでを楽しむかとか、どこまでを音楽とするかって問題だと思った。
CDの内容の純粋の音楽とも言うべきものはライブじゃない以上本物じゃないともいえるし
内容だけが純粋でパッケージングや売り方は別のものとも言えるし
そのへんもひっくるめて音楽だって見かたも有ると思うのよ。
おれはコンテンポラリな音楽はひっくるめていいと思ってる。
で逆にその辺が漂白されても残るものがクラシックと呼ばれるものだと思う。
(いわゆる西洋古典としてのクラシックとは違う概念なのかもしれんけど)
買い支えることが必要だ。いいアーティストは評価されるべきだっていう意見には同意。
それを探して欲しいってのにも同意。なんだけどひとつどうしても思うことがある。
俺クラシック音楽の業界で制作みたいな仕事してんのよ。ジャンル限られるけど音楽家見てるのよ。
彼らはさ、他が売れてるからっていうので凹むレベルで仕事してないよ。
もちろんいろんな思いはあるだろうし、全部は窺い知れないけどさ
それでモチベーション下がるようには見えない。
音楽が好きで、何で好きかとか探しながら生きてるように見えるよ。
なんかその辺をもっと信頼してあげてほしいなぁと、ちょっと思う。
「君にとっては」バカに見えるという主張は間違ってないと思うよ。
ただ俺は別にバカと言うほどのことはないのではないかと思ってるので。
元の投稿に戻って考えれば、努力を指標にするんであれば
多くの場合ロックのプレーヤーよりクラシックのプレーヤーの方が
ずっと幼い頃から負担になる投資をしつつ練習してるよね。
似たようなことを、僕も思いました。
「正直どうでもいい」「(現代語的な意味で)『耳触り』良ければそれでいい」「歌詞で泣きそう(;_;)」
というのが、初音ミクのヒットの根っこにある気がします。
ふと、初音ミクの歌の中の人(≠初音ミクの中の人)って、基本的にはシロートさんだよな?と思ったのが、
私の疑問のキッカケです。これまでの音楽業界でいえば、そこいらの街中やライブハウスで自作の曲を
歌ってたり、インディーズ扱いでデモテを配ってた、プロの音楽家カテゴリーには入らないような人たちが、
「初音ミクの歌の中の人)」・・・初音ミクのプロデューサーと言い換えてもいいかも知れませんが・・・、
だと、思うのです。
で、そういう人たちが、これまでと変わらないDTMの延長に、初音ミクに歌を歌わせただけで、
なぜか「初音ミク」扱いでプロデビューできてしまった(楽曲提供できた)。それはなぜだろうか?
1つは、
誰が聴いても初音ミクの声だと解るから。
どこの輩か分からないインディーズ歌手とは違って、少なくとも「初音ミク」ブランドという
裏書きがついている。
そしてまた、「『初音ミク』という歌手を知っている」という共感を喚起させる。
だから、フツーのシロート・インディーズとは違った受け入れ方ができた。
もう1つは、
店内とかで流れてる曲とかPVの曲とか聴いても、誰の歌かすら解らない。
正直どれもこれも同じように聴こえる。
どれもこれも同じように聞こえるような雑多な音楽の中では、正直、他の歌手と差異がない。
そうなると、どこに共感できるか?というのが受け手の判断基準になるし、ならざるを得ない。
すると、「共感できる(苦笑)歌詞」「バーチャルな歌手(という不思議な存在)」
「シロートでもこんないい曲・歌詞を作れてメジャーデビューできてる(私もできるかも☆)」
僕が思ったのは、こんなところです。
あと、脱線しちゃうけど。。。
「機械音がイヤだ」「練られていない音楽がイヤだ」という論調もあるけれど、
正直、大衆向けJ-POP音楽というカテゴリの中では、殆ど五十歩百歩だと思う。
(もちろん、真っ当な歌謡曲・演歌歌手や、いわゆるクラシックの領域は別。)
誰とは言わないし好みの問題だけれど、某アイドルグループや、某エイベックスの歌姫みたく、
音程も当たってないしアンサンブルもできていない楽曲を聞かされるよりも、
まだ音程が当たっててリズムも正しく、平均律の中でアンサンブルできてるボカロイド楽曲の方が、
少なくとも僕は、「安心して」聞ける。
その程度の音楽知識は最低持ってるべきだろう。
あと、古賀政男の曲もピンキリだろうけど、安易に「平凡」とかいうと
猛烈なツッコミくらいかねないぜ。
音楽性
クラシック音楽を基礎とし、極めて器楽的である。使用楽器も室内楽のものに準じることが多い。ギターが使用されることもあるが、クラシックギターである。譜割りも現在のポピュラー音楽と違い一定の規則を守っており、その中で個性を出すことに作曲家の才能が試されていた。
後世からは「演歌」と混同されることが多いが、音楽性の面から見ても大きな誤りである。流行歌の音楽性は現在の演歌・歌謡曲に加え、クラシックの声楽曲などさまざまな分野の要素が渾然一体となった様相を呈しており、演歌以前の独立的な音楽性が認められるからである。
子供の頃、よく子供向けのクラシックのコンサートを聞きに行った。
何度か行ったうちの一回の前説で、心に残っている事があった。
高学年にはなってたけど、流石に覚えきってないので、大体こういう事を言った、という記憶。
少しでも子供にクラシックに触れてほしいから、普通だったらありえない金額でやっています。
だからこそ、絶対にクラシックを”面白い”と思ってほしいんです。
今から、「XXX」と「YYY」と「ZZZ」という曲をやります。
多分、みなさん「ZZZ」の曲で寝ます。
お父さん、お母さんも寝ると思います。これは眠るために作られた曲ですから、是非寝てください。
そこで次に「###」という曲を演奏します。
みなさん、ここで起きます。
母親は、クラシックには疎くて、それでも折角の機会だからと何度も連れて行ってくれていた。
見事に母親は眠って、言ったとおりに目を覚ました。
当たり前といえば当たり前なんだけど、
試行錯誤して考えているんだとすごく感動した。
曲の背景の話があったり。
演奏の裏話があったり。
普段はやらないような演奏の仕方をしてくれたり。
子ども向けの、なるべく少人数のクラシックコンサートとか企画してる。
補助金だの公共からちょっぱってきてこういう事をしてるわけだけど
ある特定の音楽をけなそうとは思わないし
ある特定の音楽を好きにならねばならないとも思わない。
俺の企画したコンサートでガキがクラシック嫌いになってもいいんだよ。
ただ知らないのはいやだ。だから地道に続けたい。
けどそれを言い立てるより、俺はコレが好きだってのが聞きてぇ。
http://anond.hatelabo.jp/20090308235742
クラシックの音楽にはまったり、ピアノの練習をしたり、美術鑑賞が好きになったりしてはまり出すと、
JPOPなんかにお金を出す気はなくなってしまうし、逆に良い物ならどれだけでもお金を出したいと思う。
昔は音楽って貴族だけが楽しめるもので、庶民はほとんど無縁のものだったはず。
もちろん町で笛を吹いてたりするのを聞いてお金を出すくらいのことはあったかもしれないけれど。
それが科学の発展に伴って一般庶民にも音楽が普及するようになった。
音楽がお金になると分かると、一般大衆向けの音楽でお金を稼ぐ人が増えてきた。
今はネットのおかげでそれがしにくくなっただけ。
それって、そもそも笛を吹いてお金をもらっているようなもので、
文化の発展にはそんなに大きく関係しないと思うな。
音楽がタダになっても、映画のBGMは必要だし、クラシックは好きな人だけが聞けばいい。
今日を生きるのに精一杯でリストラされないか心配している大衆に理解できるわけがない。
理解できなくて良い、それでも文化は廃れない。
昔も今も、タダでも、わずかな金額でも、それなりの音楽や絵画などの文化は見れたり手に入ったりする。
本当に良いものが見たいと思う人はそれなりのお金を払うだろう。
なんていうか日本人っていうのは別に儲けることを嫌っているんじゃなくて
儲けようという意志。そして、それを表に出すことを嫌うよな。
特に創作系(音楽、映画、アニメ、漫画とか)の場合は一番ひどい。
同人なんかも良い例でさ、叩かれるのは同人で儲けている人じゃなくて
「同人って金儲けだろ?」ってズバリと言ってしまうKYさんだったり、
表だって儲けようと意志を示す人やそれを匂わせる人らなのよ。
日本の音楽系のアーティストが自身に関わる著作権の問題に何も意見を言わないのも
それがどんな意見であろうと、金儲けを匂わせただけで叩かれるからだろうな。
日本人はさー、芸術家とかアーティストは金や名誉を求めてはいけなくて
仙人のように欲を捨てて山にでも篭って一つの道を極めることを望むんだよな。
自分はそんなことできもしねーのに。さらにはさ、ゲーム系の話題なんかでさ
「日本のゲーム会社は金儲けのことしか考えてない」とかいうコメントをよくみるのよ。
もうねー、日本は、会社にまで金儲けを捨てることを望んでるの。いや、
会社が自社のブランディングのために「金儲けより重要なことが」っていうのはあるよ。
でもそれを本気で信じて求めるってどういうことよ。
いつになったら、日本人はこういう意識から開放されるのかねぇ。
何が違うというんだ? 何で音楽売るときだけ作り手の意志を問うんだ?
「葬式が少なくて儲からなねぇ」って嘆いていたらしいね。
今ある芸術っていうやつもほとんど金儲けの産物だろうに。
必ずしも適正でないっつーか、それこそ市役所主催のコンサートとかだと
バカな奴がいること。全体のコストで考えればしょうがなかろうに。
おいおい。クラシックの演奏家は段取りからパフォーマンスまで基本的には一人でやるのでそれくらいとって当然だと思うけど。伴奏者もしくは共演者がいる場合にその人たちへのギャラ&衣装&客を満足させるだけの自分たちの演奏技量&演奏会パンフレットや広告(誰かに依頼した場合はそのギャラ)・宣伝・営業・当日までの段取り&交通費とかがはいってくるから、ぶっちゃけ2時間コンサートで30万とか場合によっては足が出てると思うよ。
クラシックは割とそれに近いビジネスモデルじゃね-かなーと思った。
主にライブパフォーマンスとレッスンとかで生計成り立ってるしね彼ら。
(爆発的に儲けるには他の要素が必要だったりするが)
つべとかでクラシックの演奏動画とか消されてる印象あんまり無い。
知らないだけかもしれんけど。
技術より知名度(見た目とかもあるけど)の方が集客に影響するから
必ずしも適正でないっつーか、それこそ市役所主催のコンサートとかだと
バカな奴がいること。全体のコストで考えればしょうがなかろうに。
大衆から広く薄くインカムを獲得するのは早晩無理になるでしょうと。
ただパトロン方向に行くかと言えばそう言うものもあるけど
それなりに狭く、それなりのインカムを得る方向に行くのかなと思う。
(オペラとか歌舞伎とかある意味そうなってないかという気もする)
創作の可能性が広がる……かというのに対しては
必ずしもそうでもないと思う。結局のところ真に自由な創作できるのは
コストや社会的評価を度外視できる人だけであるのも事実だから。
ただ長いスパンで見るとどうなんだろうねぇ。
また揺り戻しが来る気もするんだよなぁ。
大衆の側に引きつけておこうという動きもいくつかある。
それはそれで仕方のないことでもあって。
妙に危機感を覚えるよりは増田は件の妹を