はてなキーワード: アファメーションとは
全然関係ないんだけど、私の周りにいるあなたと同じような生い立ちの人の日本語の文章、例えば名門大学に入るような人でも、あなたみたいに身が入った感じの言葉選びでは全然なくて
どこか不自然で殻というか外行きのような言葉の人が多いのに、20代前半でそこまで使いこなせる様になっているのは、そこに至るまでには自己肯定感を養うプロセスは大きく役に立っているんじゃないの?
後、大学から日本なのかなと思うんだけど、あなた自身は多分相当上層の社会に今いるんじゃないかな。
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日本の詰め込み個性ガン無視教育は批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。
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最低限の教育ってどういうもの?確かに水泳や生活に関わることを必ず教えるとかはあるかもしれないけれど、
学校教育は教師の過重労働環境で機能不全になりつつあるし、現場の品質はものすごくムラがあるから環境ガチャは酷いし、
文科省はそれでも教育側への予算を減らすし、教育に関する公的なサービスを提供する会社は競争も評価もほぼ行われないで採用されている。
都心の中間層以上の学校や、比較的穏やかな地方都市に行けばそれでもまだ教育品質が保たれているかも知れないけれど、
特に都心の中の下層の学校に入ったら不安と不都合にずっと追い回される。
そこから這い上がっても決して褒められないし、友人知人に誇りになんて思ってもらえない。あるのは妬みと嫉みと集りだけ。
学校を出て働きに出た時、若い人たちの雇用率は比較的高いほうかもしれないけれど、それでも労働している量と質に対してそれより上の年代の中間搾取が進んでる。
パイ一個分の労働をしても得られる報酬は三分の一ピース分とかザラ。
そんな状況がおかしいと思っても、高級なバックグラウンドがある人でもない限り声を上げない。上げたって届かない。誰も寄り添わない。影から笑いものにする。
一人が声を上げたとしても、摘んで踏み潰す。都合が悪いことには蓋をする。村八分にする。完膚無きまでに一人の人間を否定してやり込める。
貧困層から一生出られないような弱者の社会であっても、アメリカでは集団でハイになって自己肯定感を高めるアファメーション、北朝鮮みたいって笑うかもしれないけど、
助けを求めても全てに見捨てられた時や、自分にすら誇りに持てないような状況になった時や、自分一人で行きたくもない勝負に出ないといけない時に
それでも強くいられるようにするための訓練としては、よく機能していると思うけどね。多分そんな経験なんかしないで大きくなって一生上流にいる人なんだろうけどね。
弱者が弱者として戦いにいかないといけない時に、弱者だから弱者としてのふるまいから戦略を立てる人もいるかもしれないけど、それは一握り。
弱者は身不相応の行為をしたら叩かれるから、黙って静かにして、暗黙の檻にいないといけないという圧力がそこかしこにある。
そんな文化より、叩かれてもいいから勝負をかけないといけない時に勝負をかけられる文化の方が良いんじゃないか。
勝負をかけたことに対して、自分を強く保ってさ、自分を信じて行動できるに至るまでの障壁が低い文化の方がよほど健全なんじゃないか。
そして誰かが強く世界を変えたいって思った時に寄り添って肯定できる文化もいい。
あなたはきっと反対政党の支持者なのかなと思うけどAOCさんとか日本では出てこないような人だよね。
科学的根拠が全く見えない言葉とともに、通院や投薬の無意味さを主張する。これがこの漫画の正体といっても過言ではない。
第2話において、うつ病の治療を始めたが効果が見えず、薬が増えていくことに恐怖を覚えたこと、そしてドクターショッピングに至ったことが描かれている。
精神医療に失望し始めたころに「薬では『うつ』は治らない。なぜなら…」という本に出会い、そこから「アファメーション」に傾倒する。
まず「アファメーション」が何なのかをググってみるといい。大半の人が目を覚ますだろう。
このアファメーションは一部で有名な苫米地英人が日本に持ち込んだものである。詐欺的な自己啓発集団が商品化しているケースがあまりにも多い。
ドクターショッピングの対象が自己啓発ショッピングに切り替わっただけと考えてほぼ間違いないだろう。同じ罠にはまる精神疾患患者はそう珍しくないからである。
田中圭一はもちろん医療の専門家ではない。それゆえに精神病理について全く無頓着である。
脳の器質的な疾患であるとか、そういったことを無視してメンタルヘルスを語っている。
その結果
という非科学的なセリフが登場するのである。いうまでもなく、これらはうつ病の発生原因や回復要因としてまったく因果関係が判明していない。
メンタルヘルスの回復の補助としてある程度役に立つかもしれないが、あくまで治療のメインは投薬治療である。
ストレスで胃に空いた穴は、ストレスを解消するだけではふさがらない。精神疾患もそれと同じだ。
つまりこの漫画は一見精神病患者の心に寄り添うように見えて、言っていることはマイルドな根性論なのだ。
「自分をキライになったからうつになった。自分を好きになればうつは治る」
うつ病というのは自分の気の持ちようで治る病気なんだ、という、多くの精神科の医師が解きたくてたまらない誤解をますます深めているのだ。
うつ病患者をはじめとした精神病患者は、長患いの結果、病院や医師に対する信頼を完全に失っている。
そんな折に「薬ではうつは治らない」「アファメーションで治る」と書かれた本を手にしたらどうなるだろうか。
すべてに絶望した末期がん患者が「抗がん剤ではがんは治らない」「手術も抗がん剤も無しでがんは治る」と書かれた本を手にした時と同じことになるのではないだろうか。
最後に。著者も含め、世の中の精神病患者はあまりにも「薬を飲み続ける」ということをネガティブにとらえすぎていないだろうか?
「一生薬漬けの体になってしまった」と嘆く人がいるが、よく考えてほしい。
健康な人間でも食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸わなければあっという間に干からびて死ぬ。
薬がないと生きられない人間と、健康な人間には大して差は無い。
生まれてから一生薬を飲まなければいけない人。自分で自分に注射を打たなければいけない人。
自分の意志では歩くことができず、たくさんのチューブにつながれた人…
「生きている人間」のうち、彼らが占める割合はあまりにも大きい。
「一生薬漬けの体になった」と人目もはばからず嘆き、薬を飲まない人生こそを至上とする精神病患者は、彼らの生き方を否定している可能性に気付かないのだろうか?
何度か増田に書いたんだけど、適応障害2度やって、鬱になって、表面的には普通なんだけど、心の中に闇があって、暇があれば死にたいって思うぐらいだった。
それが、短期間でかなり救われた。
色々な事をしたのでその色々が効果があったのだろうけど、一番効果があったのはアファメーションだ。
アファメーションは簡単に言えば、場面場面で声を出して、プラスの自己暗示をかける。朝起きた時とか、食事の開始とか、風呂に入る時とか、寝る前とか、自分を肯定する言葉をつぶやく。
あらゆる場面でアファメーションすべきだと、とある気功のページで教えてくれた。
そしてそれをやる事で、今、かなり急激に楽なった。
しかし。
そのページを読み進めていくうちに「白い石と黒い石を入れた水を飲むとバランスが取れる」とか「ホメオパシーはいいぞ」とか出てくるようになって、途端に胡散臭くなってきた。
最初の方で記載されていた事で救われたので、全部が全部悪いとは言いにくいが、それでも、やっぱ、ダメなものはダメだ。
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だから、
という主張のAの部分が証拠不十分ということかな?
例えば、サブリミナルな刺激のほうが明示的な刺激より洗脳されやすいとか、
うとうとしてる時にアファメーションすると効き目があるとか、
無意識な悪い自己イメージや苦手意識を自覚すると悪影響が収まる、
といった事があるわけなんだが。
理屈の上からは、「意識上にあれば理性でフィルターがかかるので影響も少ない」と説明できる。
心はまだまだ解明されてないので、もし本気で納得したいなら心理学とか催眠を自分で勉強し体験してもらうのがいいかと。
多くの人が体験してる、というだけでは客観的な証拠と思わないだろうし。