はてなキーワード: 誰かのためにとは
偉そうなこと言ってるくせに、他の誰かのために120%の力を出すことできないんでしょ
少し前の話だけど、有名な俳優が訪れたクラブのキャストに暴力を働いたということで出演していた番組やCMを降板になった。
番組自体が終わってしまったものもあって、昆虫をテーマにしているそれは俺も大好きで、いい大人が昆虫のことを熱っぽく語っている様子が面白かったし、やっぱり俳優その人が好きだったんだと思うんだけど、そういうことをする人物なんだと知って、もう前のように観ることはできなかったと思うから、しかたがない。
それを受けて、あるインフルエンサーの一人が「その俳優について意見するのは自分とまったく関係のない物事について延々議論するのと同じだから、自分の問題に向き合った方がいい」ということを言っていた。
この発言の細かい文脈はよくしらないが、他人のことにごちゃごちゃ言うより、自分が抱えている自身の課題に集中した方が合理的だし健全だよ、ということだと思う。
そこで主張されている(と推測される)ことは割りと理解できて、他人の情報に気を奪われるよりも自分の生活や夢を守る方が大事だろう、というのはもっともだと思う。
ただ、それじゃあ件の俳優の事件がまったく問題視されず、事件以降も堂々と映像作品に出続けていいかというと、そうではないとも思う。
映像に対して、「こういう人だと知ったら、もう前のようには観られないな」という消費者としての接し方と、「こういう人が制裁を受けずにこれまでどおりでいられるのっておかしいし、そういう社会のあり方は拒絶するべきだろう」という共同体の構成員としての責任があって、この二つは重なっていることはあっても、個別のものだと思う。
社会の進んでいく方向に対して、どうも違和感があるなら、それに疑義を示すリソース(時間や体力)は生活の維持とか将来の夢に向ける努力とは別に費やされていいわけで、そういう意味で、思うところがあったら言うべきだろう、と考える。
ただ、その主張に対する熱意が度を越して、身体の健康を害したり周囲を巻き込んだりするとそれも問題であって、そうなるぐらいなら「俺にはカンケーないんで、俺は俺のことだけやってますね」という方がいいのかもしれない。
あと、件のインフルエンサーだって、別に当該の俳優が起こした事件がまったく問題ないと思っているわけじゃないだろうし。
「(お前が首つっこまなくても、しかるべき制裁を受けてしかるべきところに落ち着くんだから、)お前はお前のことをやっとけよ」というのは、アドバイスとして悪くはない。そういうことだけじゃねえだろ、と俺は思うけど。
芸能界の話ばっかりだが、以前、不倫騒動を起こして妻と離婚したある俳優がいて、近況を最近記事で読んだのだが、ネットのコメントでずっと怒られている。
人ん家のことなんだし、どうでもよくねえ? と俺は思っている。
元妻だった女性との間で法律的に決着はついてるんだろうし、心理的にも解決…はしてないのかもしれないが、別に禍根が残ってても、俺たちがどうこう言うことじゃねえじゃん、と思う。でも、許せない人には許せないらしい。
ただこれも、「こういう男が時間が過ぎたらなんとなく許されてのうのうと社会、ましてや映像業界に復帰できてしまうから、いつまで経っても女性の立場が改善されないんだ、だから怒りと拒絶を示す必要があるんだ」と言われたら、あ、そうなのか、と思ってしまう。
そうなると、先に書いた別の俳優の暴力事件に対して表すべき反応との違いがわからない。そうか、じゃあどっちもいかんか、となって区別ができなくなってしまう。
自分以外の誰かのために必ず示すべき怒りがある。一方で、その感情によってむしろ何かが損なわれている怒り、あるいは、誰かのためのようでいて実は自身のための怒りもある。そこのところがよくわからないが、「怒っても時間の無駄だから自分のことをした方がいいぞ」というのは賢いんだろうけど、ちょっと違うよなあ、と思う。
だって、今の俺たちの生活も、俺たち以外の誰かが未来の俺たちのために怒ってくれた過去からできているものでもあるだろう、と思っている。
結婚が幸せかどうか、ではなくなぜ独身だと「一人前じゃない」と見做されるのか、その原因を増田を眺めながら考えていた
で、その結論として自分(独身)は「他者のためにリスクを負いたくない」という思考が半人前と思われる原因なのではないかと推察した
そして、実は投資の話も同じことで、根底では「リスクを負わない」って考え方が批判されているのではないだろうか
リスクを負ってでも自分以外の他者のために、社会のために行動できるかどうか
そういう他者や社会を考える目線がなくただ自分のことしか考えてない、守ってない
なぜ投資も?と思うかもしれないが、
投資は"本来であれば"投資先を決める過程でその企業がちゃんと儲けられるか=社会や消費者のニーズに応えているか=社会のためになっているか確認するはずなので、そこで社会を良くするという目線は自然と身につく
また、投資をすることで企業を見る目も変わらずとも広がりはした
SDGsはぶっちゃけあまり好きではないのであまり気にしていないが、会社として社会に意味あるプロダクトを出しているか、そういう意味での社会貢献を気にするようになった
たとえばスペースXのスターリンクは災害時の通信手段、インフラが未整備の途上国へインターネットを提供するという意味で社会に貢献するプロダクトだと思っているのでもし株を買えるようになったら買いたいと思っている
(ここの価値観の話は主題ではないので「イーロンマスクに騙されてる」とかそういう話は以降ナシでお願いします)
まぁとはいえ投資に関しては最近は特に何も考えず年利期待値だけ見てS&P500に飛びつく脳みそ空っぽな奴が増えたのも事実だから、投資したら一人前とはならないとは思う
群れのためにリスクを負わず、群れのことを考えず自分のことしか考えない人の評価が下がるのは仕方がないことなのだと思う
で、本来群れのことを考えないヤツは群れを追い出され一匹狼、素浪人として野垂れ死ぬところを、社会が発達したためそういう人でも(批判はされても)群れの中で暮らすことが許容されるようになったのは良かったなと思う
ただ、俺は自分の意思で結婚しなかったわけではなく、結婚したかったけど(障がい的なヤツで)できなかった人間なので、そういう人もいるってことで温情を持って罵って欲しいとは思う
そういうシンプルな子供と大人の関係の間で産まれ育まれてきただけの作品に対して大人のオタクがゴチャゴチャ言いすぎて見てられない。
プリキュアや戦隊のファンは「子供向けだからこそのシンプルな作りがいいんだよ。直球なんだよなあ」と言うのに。
なんでこう「宇宙人から見た地球人とは……」「地球人は自らの未熟さにどう向き合えば……」「強すぎる力は……」とかウダウダ言いたがるのか。
入ったばかりの頃は「うわーい!プロレスだー!すごーい!ビームだ!ビームビーム!」とか言ってたくせによ……。
そこがお前らにとっての目的だったはずなのに、いつからか惰性で見続ける理由を探し始めるから意味不明なこと言い出すんだって。
見てられねえよ。