はてなキーワード: ゴハンとは
昔からそうなんだけど冷めたものもそれはそれとして普通に美味しいと思う。
「冷めたピザ」なんて前の総理大臣でしたか、いわれてましたが、冷めたピザもそういう料理と思えば美味しく食べることは可能。
おにぎりなどの白ごはんも冷めたままでもそういう食べ物として美味しい。
のびてスープの冷めたラーメンも作りたてラーメンにくらべるとさすがに落ちるとは思うが、「食べれない」とは思わない。
温めるのを待つのがじれったいからそのまま食べていてなれたというのはあるかもしれない。
むしろ電子レンジで温め過ぎて意味がわからないくらい熱いゴハンや、鍋で再加熱して焦げて臭いのついたシチューやカレーは嫌いとまでいえるかもしれない。
いわれてみればカレーも冷たいままでもさすがに美味いとは思わないが怒ったりはしない。
みなさんはそういうことありませんか?まわりは温め至上主義ばかりです。
きょうの朝、父から電話が掛かってきた。 実家の愛犬が旅立ったという電話だ。 8時15分に旅立った、と。 もうみんな覚悟はできていたと思う。 12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。 そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。 わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。 しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。 家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。 その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。 私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。 彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、 それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。 実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。 「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。 その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。 実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。 犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。 後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。 どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。 それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。 「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。 私もただ「分かった」と言うしかなかった。 しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。 「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」 なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。 それから3日、愛犬は頑張った。 幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。 だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。 だからもうみんな分かっていた。 予想はできていた。 でも、悲しい。 最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。 でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。 安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。 自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。 あの子が死んだのはとても悲しい。 でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、 とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。 もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。 それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。 年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。 今日はクリスマスイブ。 みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。 でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。 誰かの記念日は、誰かの命日でもある。 こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。 それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。 とりわけ、子どもにとっては。 メリークリスマス。
8時15分に旅立った、と。>
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>
<しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。>
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。>
<実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
<実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。>
<「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。>
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
予想はできていた。
でも、悲しい。>
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
8時15分に旅立った、と。
もうみんな覚悟はできていたと思う。
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
いつから・・・あたしたちは、誰かの心をモノのように扱えるようになってしまったんだろう。。
今日は、昔あったことの夢をみてしまって、少し早く目が覚めてしまって。。
「それは、いらない。。」
ある時、ゴハンしながら仲間と将来の話をしていて、ボソッと言われた言葉。
あたしの本心への、返事。。。
それは、あたしのココロに、ずっとクサビのように、深く刺さったままで・・・
あたしのココロを、モノのように捨てられてしまったようで、今でも哀しくて、くるしい。。
こんなに、苦しまなくていいのに。。
疲れてるのかな、、朝なんてこなかったらいいのに。。
少し、吐かせて・・・
もう1年近く、何もやる気もなくしてしまって。。
しばらくはずっと笑ってるフリしてたけど、疲れちゃって・・・笑えなくもなっちゃった。。
心を閉ざしちゃって、誰とも心が繋がらなくて、孤独で。。
さみしい。。。
去年、とっても好きなヒトが出来た。
あたしと似たようなヒトで、同じような苦しさを経験してて、、
やっと、わかってくれるヒトが出来たって。。うれしかった。。
心の中のことも、お仕事も、いっぱい、いっぱい、助け合ったよ。。。
だけど、気付いたら重たい関係になってて。。
彼、不安になると、急に沢山メッセ送ってきたり、ムリなことを頼んできたりして。。
あたしの心は、もう耐えられなくなってた。。
重たくて、苦しくて、しんどくて。。
ある時、彼と共通の仲間とゴハンしてて、彼がすでに婚約してたのに、あたしと恋愛してたことがわかって。。
すごく、ショックで。。。。。
あたしは、すごく、苦しかった。。。
男のひとが、怖くなった・・・
ひとが、こわくなちゃった。。。苦笑
男の人は、前からニガテだったけど。。。
なんだか、もう疲れちゃった苦笑
ずっと、道ばたにうずくまって・・・お空に独り言つぶやいて。。。
時々、誰かと付き合って、クッションになってもらってた。。。
そんなに長く続かなかったけど。。。
ごめんね、ありがとう。。
有難う。本当に有難う。少し気持ちが前向きになれた気がするよ。療養中で病んでいるにも関わらず私がFBでリア充健常者(であろう)と再び人脈を温めようと思ったのは、療養中(皆私が療養中だと知らない)に友達の駒が皆無になったから。
憧れていた女友達(年上・富裕層)にドタキャンされたのが、留めの一撃だったかな…。
療養中以前から、彼女以外にも1人、細々とラインしたり、数か月に1度くらいゴハン・小旅行して気分転換にもなってた子がいて。でも彼女は転職活動をする事になって(あまり深入り出来ない感じ)多忙になってしまって。
そんな時に、先述した憧れていた女性に「久しぶり!何年ぶりかな、会おうよ!」と誘われて。生き返った気がした。(同窓会なんだけどね。)
でも、その同窓会の幹事が私に以前、セクハラ・キモい事してきたりして、嫌な思いをしたことがあって。
その懸念点を添えて行きにくい旨を伝えたら…彼女が頼もしい事を言ってくれたり励ましてくれて、嬉しくなっちゃって。その後、長々とラインのやり取りをした後、勇気を出して、参加フォームを送信した。
でも、前日になっても連絡が無く。
思い切ってリマインドを兼ねてラインをしたら、彼女、忘れていたようで。
もし、私がリマインドを送らなかったら一人で現地に行って幹事の人の元、気まずい思いをしていたと思うと…。
彼女は悪びれるわけでもなく、何度もハートマークを付けて「ごめんね。また会えます様に」と。
はっきり言って、ナメられているんだな、と思った。「都合の良い女友達」みたいな…。
私がまだ元気だった時も口ばかりで、約束を反故してばかりで。せっかく会えても全然楽しそうじゃあなくて。乗り気ではないんだな、私が強引だったのかな、きっと塩対応なのかもな、と思って距離を置いたんだけど…。
でもこうして彼女から誘いを受けたから、私、嬉しくなっちゃって。でも、やはりドタキャンされて。私に対する優先順位が彼女にとって低い事は、私だって解っていた。だから、価値が低いんだなって、改めて痛感して。
そうこうしている内に、私の中の唯一のリア充な部分を断たれた感じがして…通院意外の社会と隔離された事が、哀しくて。
だから、FBに手を出しちゃったんだ。自分は一人じゃあないって、リア充健常者との繋がりを情けない形で求めてしまったよ。。。
長々とごめん。
久しぶりに半額弁当買いまくった
合計1000円ちょい
でも定価500円の巻きずしだけは失敗だったなー
いなり5個と巻きずし5個くらいのセットだったけど、食べるときによくみたらゴハンが多くて具が少なめだった
これなら同じくらいの値段のかしわめし弁当をもう1個かったほうがまだよかったなー
前も巻きずし買って失敗したのになんか食べたくなって買っちゃうんだよね反省しよう
昨日は雨で寒かったせいかいつもより遅い時間にいったのに半額弁当がたくさん残っててうれしかったなー
と思って今朝はスティックタイプのカフェオレ粉末をお湯とかして飲んだ
いやまあ自分でインスタントコーヒーに牛乳と砂糖いれろやって話ではあるけど
http://ericca.hatenablog.com/entry/2018/12/14/020000
このブログ主は私ではないのですが昨年に似たような被害にあってしまって結構ショックだったので記録します。。。
バス会社の時代の先輩で、奥さん(もバス会社の先輩)ともお子さんとも仲良くさせてもらってて
同期の女の子も交えて一緒にゴハンに行ったりした時期もあったりして
人としてすごく尊敬していたのです。が…
「鬱は甘えでしょ」「そんなんで鬱になるなら日本中鬱だらけ」「俺の方が何百倍も辛い、でも頑張ってる」
みたいなことを言われ、さらに
「あの頃(バス会社勤務時代)はまだ10代だったのに、もうBBAだな!(先輩は私の9歳上。。)」
「そんなんじゃいずれ捨てられるよ」
と言われ、極めつけに
「今奥さんと○○○○レスなんだ」「太ってる方が抱き心地よさそう(奥さんはスレンダー美人、私はデブス)」
と。
もう本当に本当に無理で。無理すぎて。
きもいとか通り越してもはや無理でした。
連絡を一切断たせてもらいました。
今でも連絡をとっていません。
先輩は私のことを人間ではなく女体として見ていたのが本当に無理なポイントでした。
勇気をもって話した病気のことや人生の説教はまだ、なんとか我慢できたけど
顔も見たくないし声も聞きたくないし
一生関わりたくありません。
パートナーがいるのを知ってて、なおかつ自分にもパートナーがいるのを知られている上で
呆れました。
(私と付き合っていることを知った上で)好き勝手言ったり
私に嫉妬させるような行動を(彼と飲み会に行った報告、彼からのホワイトデーのお返し報告など)わざととったり
連絡もすごくしつこくて、LINEやメールが来る度に過呼吸を起こすほど嫌悪感に襲われました。
その人とも今は連絡断たせてもらってます。
どちらも過去の事なので、今さらなにかどうこうするつもりはないですが
鬱病の一因には変わりないですし一生根に持つ予定です。
パートナーに対して後ろめたい行動をとる/とらせようとする人は無理です。